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第一章  「帰郷」
「内なる性の叫び」
 翌朝は快晴だった。煙草を吸うために庭先に出て深呼吸した。晩秋の澄んだ空気が体内に満ち溢れて来るような爽快感が有った。
庭は昔とそんなに変わらなかったが、築山に植えられた躑躅や椿が大学に進学するため最初に上京した時分より数倍も大きくなっていた。姉や母の手の届かない大きな木々は庭師を雇って手入れをしているようなことを言っているのを思い出した。
<半端なお金じゃないだろうに・・・・>そんなことをぼんやりと考えながら眺めていた。
「あら、もう起きたんだ。台所がうるさかった?」
姉が物置に野菜を取りに来てわたしに気づくと問い掛けて来た。
「そんなこと無いよ。でも、気持ち良いね。」
「寒くない?最近、朝晩冷え込むときが多くなったのよね。お父さんは寒がりだから大変よ」
姉は物置から持ってきたジャガイモを数個、両の手で持ちながらわたしと並んで立ち、同じように築山を眺めながら言った。確か夕べもわたし達が長袖シャツ1枚で過ごせたのに父親はセーターのカーディガンを着込んでまだ寒いようなことを言っていた。
心臓を患ってからというもの、体を労わり過ぎてかえって運動不足になり血流が悪くなっている気がした。そのため人より寒く感じるのかもしれない。
「今日、梅の立ち枝を落とそうか?他に何かしなきゃならないことあるのかな?」
姉の寒い?という問いかけには答えないで、恐らくわたしが帰郷することを待って取り掛かろうと考えて残して置いた作業が有るだろうと思い問い掛けた。
「そうね、それと竹山の竹が少し生えて来たから伐採もしなきゃね。後ね、築山をちょっと整理したいし、バラとか椿とか、わたしが買って来て考えもなしに植えたからこの際キチンとまとめようかなって思っているのよ。」
姉は頭の中で整理するように顔を上に向けて話した。
「あっ、いけない味噌汁を作っている途中だった。後で段取りをきめましょう」そう言い残して小走りに家の中に消えて行った。

 朝食の献立は昔と変わらなかった。野菜がたっぷり入った豚汁の豚肉だけがないような味噌汁に漬物、玉子焼きといった程度のごく質素な食事だった。食事を済ませ少し寛いだ後、母と姉と3人で今日の作業の段取りをあれやこれやと話しながら決めた。父は黙って聞いていた。もはや作業に従事しない父には発言権がないような感じだった。
わたしが自分の意見を言うと母と姉は自分達がより詳しく知っているし、作業にも慣れているのにわたしの意見に無条件に賛成した。長男の言う事には従うということなのかしらと、何となく合点が行かない気持ちであった。
「さあ、やりますか」暫くテレビを見ていたが番組が切れたのをきっかけに誰に言うともなしに声をかけるとわたしは庭に出た。姉も後に続いて出てきた。
物置の入り口に置いてある雨靴を逆さまにしてトントンとコンクリートの床に叩きつけた。昔からそうすることが暗黙の了解事だったことをなぜか忘れてはいなかった。運動靴などの中が見えない履物を履く前もそうするのが慣わしだった。それはムカデに噛まれるのを避けるためだった。
運動靴や長靴の中には良くムカデが入っていることが多かった。上京するまで時代にムカデに噛まれたことは無かったが大学の頃夏休みで帰郷した際、頭を噛まれたことが有った。それはやはり外の作業をする前に手拭をはたき忘れ頭に巻いた瞬間激痛が走ったのだった。わたしの頭を噛んだムカデはまだ小さかったので大したことにはならなかったがそれでも暫く痛みが続いていたのだった。
大きいと20cm以上にもなる背中が青くヌラヌラと光る大きなムカデに噛まれたらちょっとそっとの腫れでは済まなくなる。そんなことを想像しながら何となく怖い思いで雨靴を履きアルミの脚立を抱えて外に出た。姉が後から剪定鋏と鋸を持って続いた。
玄関脇の梅ノ木の下で脚立を広げしっかり固定すると姉から剪定鋏を受け取って脚立に登った。梅の立ち枝切りはそんなに難しいものではないのだった。兎に角真っ直ぐに伸びたまだ緑色の樹皮を残した枝をその根元からぶっつりと切ってしまえば良かった。
それでも姉が下から見上げてわたしの作業を心配そうに見ていた。彼女は両親の代わりに家を切盛りするようになってから農作業だけでなく、庭木や花々に詳しくなっていた。
下からわたしの作業を見ながら梅の木全体のバランスを見ていたのか、やがて口を開いて細かな指示をし始めた。どの枝をどの程度残すとか、古い枝でも新しい枝をつけなくなったものは切り落とすようとかいった具合だった。

 暫くして母が出てきた。母はわたしに無理するなと注意を与えて姉の横に立ってわたしを見上げていた。わたしの作業を見ている母の顔は心配が充満している。やはり数年に1回しか作業しないわたしは不慣れな分だけ母にとっては心配なのだろう。
母もまた姉以上に庭木の手入れに長けているのだった。今日もそうなのだが父は心臓が悪いと診断されてから農作業も庭木などの手入れも行わなくなったしまっていた。そのため父のやるべきことの殆どは母がこなして来ており母の体力の衰えと共にそれらの作業は姉が取って代わって行うようになっていたのだった。姉は時には男の体力でないと、と思うようなこともあっさりと片付けることが出来るようになっていた。
わたしの剪定具合を見ている母の表情は心配しているがその反面嬉しそうにも見えた。
心の中ではこんな作業の光景を望んでいるのかも知れない。《毎日こうであったらどんなにか良いだろう》そう思っている母の心のささやきが聞こえそうだった。
姉はどう思っているのだろうか。母の横でじっとわたしの手つきを見ている顔からは何も聞こえて来なかったがやはりどこかでわたしが東京を引き払って帰郷することを望んでいるのかも知れない。
梅の木4本の立ち枝を落とすのに午前中いっぱいかかってしまった。母がお昼の支度をしている間、姉と二人で築山脇の川に下りて行く通路際に植えてあるバラと水仙を掘り起こしておくことにした。
バラも水仙も勝手口脇の花壇に移し変えることになっていた。バラは植えてそんなに月日が立ってないせいか根が浅く容易に掘り起こせたが、移し変えた先で根付くか気になった。一方、水仙は根が大きく張っているため移し変えるのに元の場所より広い場所が必要な気がした。
「バラは大丈夫?根付きが良くないけど」
「大丈夫だと思うわよ。でもちょっと気になるね。水を充分掛けて根に土を絡めて上げないといけないわね」
姉は気になることの解決策をもう考えていたのだった。
水仙の掘り起こしがもう少しで終わるという時に母が食事の支度が出来たと声を掛けて来た。姉と顔を見合わせ「済ましちゃおう」というわたしの意見に頷くと、「もう直ぐ終わるから」と大きな声で母に告げた。耳の悪い母には聞こえなかったのだろう、母がエプロンで手を拭きながら勝手口から出てきた。
「何やってるんだい、食事の支度出来たんだよ」
「もう少し、これだけだったから」と姉が最後の水仙の株を目の高さに持ち上げて母に見せながら言った。
「さあ、お昼にしますか」手袋を脱ぎながら姉が言った。
「手を洗って来なさいよ」母が子供に言うようなことを言いながら家に入って行った。
庭先にある蛇口で姉の後に続いて手を洗い、首に巻いたタオルで手を拭きながら家に入っていった。
居間には父がわたしが庭に出る時と同じ様な格好で座っていた。わたしが居間に上がり込み父のの脇に座ると「これは大変だったなあ」とわたしに軽く頭を下げながら言った。
「大したことないよ」と笑って言いながら父を見た。父の目は寂しそうだった。

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