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第一章  「帰郷」
「内なる性の叫び」
 昼から竹山の竹と雑草を切り払う作業に入った。竹山といっても既に竹は数える程しか生えていなくて雑草だけが生い茂っているのだった。
元々の竹山は300坪程の広さで庭先の菜園畑の奥に2段になって広がっていた。
その下の段の200坪程は4年ほど前に業者に頼み全ての竹を伐採し、残った切り株や根も全て取り除いて畑に作り変えたのだった。
発端は母と姉で竹の子を掘っていたが、余りの多さから掘り切れないことや、竹の葉が隣の屋根や庭先に落ちてしまうことへの年老いた者としての遠慮からいっそ全てを切り倒して畑にした方が気苦労が無くて済むだろうという考えからだった。
わたしが東京でなくこの家で生活していたら父も母も絶対に畑にしようなどという考えには至らなかったと思われた。父や母がその老い故に隣近所へ迷惑をかけ肩身の狭い思いをしたくないという風に思うようになったのはわたしの罪に他ならないと思えてならなかった。
 今日作業しているのは4年前に業者も手を出せなかった直ぐ脇を流れる用水路沿いの100坪程の部分で一段高くなった部分だった。一段高くなった原因は脇の用水路にあった。昔、その用水路を作る工事の際、掘り起こした土や石を盛上げてしまったためであった。
それだけなら良かったが、一抱えもある石や小さな小石やらで盛り上がっているため、撤去するには相当な費用が発生することから業者にも頼まずにそのままにしてあった。
3年前に帰った時にわたしが殆ど全ての竹を切り倒してしまっており今年の春先に出た竹の子も母や姉が掘ったり、折ったりしていたため大きな竹は全然無かったが、笹竹が少しだけ勢い良く伸びていた。それに加えて荒地のようにわたしの背の高さほどもある様々な雑草が伸びていた。

「土が良いのかねえ、こんなに伸びて厄介だよね」
母が手に負えないというような気持ちを滲ませて言った。
「何とかしようと思ってたんだけど、ついつい今になって悪いわね」と姉が母の後を継いだ。
「いいよ、気にする事無いよ」
どう答えて良いか分からないまま平凡な言葉を口にしていた。
「あれ、お父さん出てきたの」母がびっくりしたように言った。
その声に振り返ると竹山の入り口に父が作業着に身を固めて立っていた。
「あらら、お父さん張り切ってるじゃない」姉がからかうような口調で言った。
「あなたが帰って来たのが嬉しいのよ。普段はわたし達が何言おうと手伝いなんか全然しないんだから」姉はわたしに耳打ちするように囁いて、にんまりとして見せた。
姉の言葉に少しはにかんだような照れ笑いを浮かべながら「少し手伝おうかなと思って」と父は言った。
「無理しないでよ、体が痛くなるから」と母は後のことを心配して言った。
母の心配は当たり前だった。父は母の作業を手伝った後決まって何処が痛い、ここが痛いと筋肉痛を訴え、母を困らせるのだった。
「昔はこんなではなかったのにねえ」
母は父親の最近の態度を残念がるようにわたしに言った。母にしてみれば昔の頑強な父の姿が目に焼きついているのだろうし、年老いた今でも昔のように毅然としていて欲しいのだろうと思えた。その思いはわたしもまた同じだった。
わたしには心臓にかこつけて用心し過ぎる父は弱々しい存在に思えた。こちらが運動不足を心配して《少し動いたら》とか《たまには散歩でもしたら》と注意しても動こうとしない父には不満だった。心臓発作など気にしないような頑強な気概を感じさせてくれるそんな父でいて欲しかった。
医者からも少し運動するようにと言われていたのだが一向に体を動かす気配は無いらしかった。体はいたって健康でもはや心臓も心配することは無くなっていたのだった。
むしろ母の方が膝を悪くしており座ることが容易ではなかったし、手の指もうまく曲がらずものを掴むことが不自由な状態だった。
そんな母の症状を知っていても父は何ひとつ母の手伝いをすることは無く、昔の家父長制の主として座っているのだった。
わたしはそんな父がどうしても好きになれなかった。その反面、父をそんな風にさせてしまったのはわたしが戸籍上の長男として父の後を継がないばかりか遠く離れてもう帰って来ることは無いからだろうという思いもあり、父に対して強いことは言えなかった。

 父はわたし達の作業をずっと離れたところで見ていたが、おもむろに近づいてくると刈り倒した雑草を手に取って脇に片付け始めた。
母はその姿をチラッと見たが黙って作業を続けた。
わたしは造林用の大きな鎌を右から左に振るいながら雑草をなぎ倒して行った。
姉はその後の刈り残った雑草や石の脇や造林用の鎌で切れない木の脇の雑草を小さな鎌で刈り取っていた。
母は父親同様刈り取った雑草を抱え上げ一所に集めたり、姉と一緒になって下草を刈り取ったりしていた。
父はゆっくりとした動作で雑草を抱えると足元に細心の注意を払いながら運んでいた。
「お父さん、足元に気を付けてね。ゆっくりで良いから」
わたしは父の姿に見かねて言った。そんな言葉が返って父の依存心や怠惰を助長させてしまうような気がした。母と姉も手を休めて父を振り返ったが、なんでもないことを確認すると黙って自分の作業に戻った。
家族で作業するのも3年ぶりであったが、わたしが上京する前も小中学生の頃の農繁期を除くとそんなに多くは無かったような気がした。思い出そうとしても思い出せなかった。
 殆ど雑草を刈り取った頃、母がお茶が入ったことを知らせた。いつの間にか母がポットや急須や湯のみなど一揃いを運んで来ていた。
竹の切り株の上にお盆を載せてそれぞれの湯のみにお茶をついでいた。
「お父さん、大丈夫ね。無理しないでよ」母は父親のシャツのあわせを直してやりながらそう言った。父は照れるような素振りの中で「うん」とだけ言った。
「もう終わりだね。後はバラと水仙だけだから1時間もすれば終わるでしょう」
作業の時間感覚は殆ど無くなったわたしが大体の見当で言った。
「温泉は5時半からだから充分間に合うわね」
姉が湯呑を両の手で包み込むようにして言った。
「それじゃ、わたしとお父さんはもう上がるからね。温泉の支度をしてるよ」と母が言った。
「後は少しだからあなた一人で良いでしょう。わたしはバラを植え付けるから。今日中にしないと枯れちゃうからね。時間も限られてるし」
姉はそう言うとわたしの返事も聞かず母の後を追った。

わたしは一人取り残された思いだった。暫く竹の切り株に腰を下ろして広々とした竹山の跡を眺めて昔の風景を思い出していた。
昔は綺麗な竹山だった。地表には雑草など殆ど生えていなくて枯れた笹が一面に積もって柔らかな絨毯のようになっていた。
春先の2月頃になると竹の子が生え出した。小学生の頃は学校から帰ると直ぐ竹山に入り竹の子を見つけて目印の棒を立てて置くのが日課になっていた。
積もった笹の葉から竹の子の先が出て来ない前に、竹の子の有り場所を見つけると嬉しくて仕方なかったのを覚えている。
また、孟宗竹は1年で一人前の竹に成長してしまうのだが、大きくなるに従って幹を覆っていた竹の皮が剥がれ落ちて来るのだった。この竹の皮を拾い集めるのもわたしの役目だった。拾い集めた竹の皮は天日で乾かして乾燥状態で保存して置く。翌年になると水につけて柔らかくし、田植えの時、手伝いの人に出す赤飯やお煮しめを包むのに使ったり、五月の節句の粽の包装材に使ったりしたのだった。
この竹山に生えている竹は孟宗竹だったが東京で見る孟宗竹とは雲泥の差が有った。この地方の竹は高さが15m以上もあり幹の太さも40cm程の大きさになるのが殆どだった。2階建ての家屋の屋根の上まで伸びてしまうため竹山に囲まれた家は外からは全く見えなくなってしまうのだった。
その竹が台風の時など強風に煽られ、天辺を地に付ける程にしなる姿は見ものだった。わたしはそんな竹山の姿が好きで台風の時などこっそりと家を抜け出して竹山を見ていたものだった。竹山全体が唸るように風にしなり、また元に戻ろうと跳ね上がるその姿は植物というよりあまりにも動物的で今にも山全体が動き出すのではという思いに駆られてしまうのだった。また、わたしが居た頃は殆ど毎年2月頃になるとこの地方でも雪が積った。孟宗竹に雪が降り積もり、水気の多いこの地方の雪はあの大きな孟宗竹を弓なりにしてしまった。その積もった雪で孟宗竹がすざましい音を立て折れるのを夜中に聞く事があったが、自分の身が裂けるような思いで聞いていた。その一方で風が吹くと緩んだ雪が音を立てて落ち、同時に重さを失った孟宗竹がざーという音を立てて元の真っ直ぐな姿に弾むようにして戻る姿は何とも言えない爽快感があった。1本の孟宗竹が積もった雪を振り落とすと堰を切ったように連鎖的に全ての弓なりになっていた孟宗竹背を伸ばすように雪を振り落として行くのだった。
そんなことを思い出しながらぼんやりとしていた。もう二度とそれらを見れないのかと思うと、何とも言えない寂しさが込み上げて来た。

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