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第一章  「帰郷」
「内なる性の叫び」
 その夜、父と母は温泉に入ったせいか、ちょっと疲れた様子で早めに床に入った。姉が床に入る父と母の世話を終えると「あなた、疲れてない?」と言いながらコタツに入ってきた。
「ううん、姉さんこそ疲れたんじゃない?」
「いつものことだから平気よ」そう言いながらミカンの皮を剥いてわたしに差し出した。
「いいよ、自分で剥くから」
姉の差し出す皮を剥いたミカンを受け取らないで籠に盛られたミカンに手を伸ばした。
姉は何も言わず、わたしに差し出したミカンを二つに割ると、ひと房づつ丁寧に食べ始めた。
「ところで仕事の方はどうなの?景気が悪いけど会社は大丈夫なの?」
 わたしの勤めている会社は先代の社長がバブル景気に踊らされ、自分の実力でも無いのに銀行から煽てられてその気になり、全国展開の拡大路線を取った結果、バブルが弾けた後大きな不良資産を抱え込んでしまっていたのだった。バブルが弾けると同時に、銀行は手のひらを返したように融資の打ち切りと借入金の返還を要求して来た。そのため一時期賞与の支払いが滞ったこともあった。このことに危機感を持った、資本を投入している株主たる親会社とその系列の銀行が会社再建を名目に経営に乗り出して来たのだった。この経営再建の首脳陣と旧社長派との確執で大阪支社から大量の退職者が出、それらの人々が集まって独立してしまった。それに呼応するかのように東京でも一部の社員が退職してしまい、大阪同様会社を旗揚げしてしまった。今では社員数もバブル絶頂期の半分までになってしまっていたのだが、このことを父や母にはもちろん姉にも話したことは無かった。
「大丈夫だよ。バブルの時程の勢いは無いし、社員数も大分少なくなったけど、倒産するようなことはないから心配いらないよ」
実際は危機的時期からもう10年以上も経っているとは言え、まだまだ多くの不良資産を抱え込んでいた。特に不動産のそれは大きく、時価会計での簿価との差額を一気に償却出来る程の体力は無かったし、抵当権を設定している以上銀行筋もそれを許さなかったため、返って地価の低下が進んでしまった今は大きな足枷となっていた。
収益が好調であれば問題無いが、赤字決算でも出そうものなら銀行のランク付けは低下し、結果金利の上昇と融資枠の制限が行われてしまう。赤字での決算は絶対に許されないから結局は経費に皺寄せが来てしまう。しかも経費で一番大きな人件費に皺寄せが来てしまい、結果、賞与はもちろん給与の低下も社員によっては起きているのだった。
「そう、だったら良いけど・・・。定年退職したら帰って来るの?」
姉は心から納得してないようだったがそれ以上追及することもせず別のことを聞いてきた。
「いや、定年したって何もしないで暮して行けるだけの退職金なんて貰えないよ、うちの会社では・・・。だから60歳過ぎても働かなきゃなんないしね。だってローンだって残るし・・・」
「退職金ってどの位貰えるの?」
姉がわたしの言葉に「えっ?」と驚いた顔をして問いかけて来た。
わたしは60歳で定年退職した時に支払われるであろう退職金のおよその額を言った。
「ええ〜、そんなに少ないの〜」唖然とした表情の姉はきっとニュースで流される世間一般の退職金を想像していたのだろう、その余りにも大きな差と言うより余りにも少ない額に驚いたのだった。
「だったら今からお金をためとかないといけないわね」
考え込むように下を向いたまま姉が言った。
「そう思っているけど、なかなかうまく行かないね」
わたしは給与や賞与のカットを思い浮かべながら言った。
「退職したらいっそのこと家を売って帰って来たら良いんじゃない?そうすれば食うだけは自給出来るし、仕事もその頃になれば無いことはないかもよ」
姉のその言葉は心に染みた。でも、そのつもりは最初からなかった。
「いや、悪いけど前にも話したとおり帰るつもりはないよ。姉さんに前に話したことは若いうちのことだけじゃなくて一生涯の意味で話したんだよ」
「判っているけど、わざわざ苦労する事もないじゃない。わたしに遠慮なんかしないでね」
自分の弟として思ってくれる姉の気持ちは嘘偽りのないものであることは判ってはいるが、それを受け入れることは出来なかった。
「帰って来ないのは帰って来ないだけの理由があるから・・・。初めて話すけど田舎にいたら多分生きて行けなかったと思うよ、以前もそうだし、これからも。大学を卒業した時、帰らなきゃいけないかなっておもったけど、その時帰っていたらとっくの昔にもう一度東京に飛び出しただろうと思う。田舎では絶対生きて行けなかったと思うんだ」
全て話したかった。話して楽になりたかった。でもなぜか知らないけど躊躇われた。今、話すべきでは無いという気がした。それだけ言うのがやっとだった。
「生きてゆけない」という言葉をどう姉が受け取ったか判らなかった。特に驚きもしないで聞いていた。「どういう事?」と聞かれたら話さないつもりだったことを隠し通せる自信はなかった。むしろ質問して欲しいという気持ちから「生きて行けない」という言葉より「死んでいただろう」という言葉を使いたかったが敢えてそれはしなかった。

 わたしが田舎に帰らないわけは仕事が無いという理由だけではなかった。仕事が無いというのは帰らない言い訳に過ぎなかった。
小学高学年から自覚し始めた自分の性への違和感。田舎にいる間、それがわたしを苦しめて来たのだった。狭い田舎の人間関係はわたしに息苦しさを与え、なぜかこのままここにいたら生きて行けそうもないという思いを抱かせたのだった。自分が男なのになぜ女になりたいのか、なぜ女が自分に合っていると思うのか自分でも判らなかった。判らないまま自分の持って生まれた体と心のアンバランスをどうしていいのか判らず持て余していた。
高校時代は良く死ぬことを考えていた。考えるだけで実行するまでには至らなかったものの、夜遅くまで寝付けないで布団の中で枕を濡らしていた。そのため朝は起きれず学校をズル休みすることが多くなっていたのだった。東京に出て見知らぬ大勢の中に紛れ込んで生きることは田舎にいる時より楽だった。しかし、自分のアンバランスが解決されるには上京した時から30年以上の年月を必要としたのだった。
 わたしの田舎でのそれらのことについて母親は気付いていた。しかし母は多分多感な若者がその性の捌け口として女性物を使っていると勘違いしているようだった。4歳頃にも同じようなことが有ったことも、わたしが女の子の祭りに駄々を捏ねて参加したこと等もわたしの我がままか興味本位と勘違いしたのだろう。もし、それが一連の出来事として関連づけられたらわたしが普通でないことに気が付いたかも知れないのだがそうはならなかった。
そうならなかったのは母親のせいではなかったし、そんなことを期待できる程、性に対しての考えが進んだ時代ではなかった。ましてやその時代の中でもとりわけ男尊女卑の風土の強い田舎では土台無理な話だった。
わたしのことは姉も母の口から聞いて知っているのかも知れない。それは充分に有り得た。しかし実際姉が聞いて知っているという確証がないまま、姉がどう思っているのかを聞くのは無謀なように思われた。
「わかった。兎に角このうちはあなただけでなく、長姉さんも帰って来れるようにしておくから、帰りたい時はいつでも帰って着て良いからね」
そんな姉の言葉は嬉しかったが、決して帰ることは無いだろうという思いだけが湧き上がっていた。姉はそれ以上その話題をすることは無かった。わたしは自分のことが伏せられたことにホッとする一方、心の何処かに全部知れてしまえば良かった、という思いがあることを感じていた。
いつか自分から全てを話す時が来るだろうがそれは少なくとも父や母が生きているうちには話したくないとも思っていた。
そんなことを考えながら、電波が弱く写りの悪い深夜のテレビ番組を見ながら姉と他愛も無い芸能人の噂話をしていた。