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命の水「尚隆、いるか?」 それは辺りが夜の帳に包まれ始める頃。 六太は主の房室をひょこりと覗き込んだ。 広く、質素だが贅をつくした調度で整えられた尚隆の私室。 だがそこには期待した人物の姿はなかった。 「おかしいな。どこに行ったんだ、あいつ」 房室に踏み込んで、首をかしげる六太。 まだ執務室の方にいるという事は、時間的にも主の性格的にもありえない。 ぼすん、と勢いよく無人の寝台に腰をおろしてみる。 ぐるりと部屋の中を見渡してみて、六太は気付いた。 雲海に面した窓が開け放たれている事に。 「あいつ、またどっかに抜け出しやがったのか」 ちっと舌打ちする六太。 とりあえず、自分が3日ほど無断で留守にしていた事は棚に上げておく。 小さく溜息をついて、窓を閉めるために立ち上がった。 窓辺に近寄ってみて、そこで六太は目を見開く。 抜け出したと思った主が、露台に座っていた。 「お前、何してんだ?」 思わず顔をしかめて、露台に胡座をかく尚隆に声をかける六太。 「なんだ、放蕩台輔のご帰還か」 笑って振り返る尚隆に、六太は舌を出す。 「放蕩国王に言われたかねーよ。それよりお前、こんな所で何をしてんだ?」 言ってから、六太は尚隆が手に盃を持っている事に気付く。 「こんな所で酒盛りかよ」 「こんな所とはお言葉だな。星見酒と洒落こんでいるだけだ」 「星見酒?」 尚隆の言葉に、六太は怪訝な顔をして天を見上げる。 まだ薄闇の天には、酒の肴にするほどの星は見えない。 そんな六太の反応に、尚隆はくつくつと笑う。 「そちらの星ではない。下だ。ほら、見てみろ」 笑って、雲海を指す尚隆。その指の先に視線を移す六太。 そこには雲海越しに関弓の街が見える。 関弓山の麓、長い夜の始まりを歌うように告げる、活気ある光の街並みがそこにはあった。 眼下に広がる光の洪水を、魅入られたように見つめる六太。 何故だか、言葉が出てこなかった。 「どうだ、なかなか壮観な眺めだろう」 手酌で注いだ酒を飲みながら悦に浸る尚隆。 「まるで手の中に星が落ちてきたようだ。酒の肴にちょうど良い」 「―――お前がそんなに風流だとは思わなかったな。範の御仁の影響か?」 揶揄するように言うと、尚隆が愉快そうに笑った。 「ぬかせ」 言って、盃の中の酒を飲み干す。 「最初はほとんど更地だったのにな。いつの間にか、ほんとにいつの間にか、天の星よりも明るくなったんだな」 露台から乗り出すようにして、街を見続ける六太。 そうだな、と尚隆が相槌を打つ。 それきり、二人は口を噤んだ。 雲海をなでる風が、二人の間を幾度も通り抜けていく。 風と潮の音が耳にやさしく残った。 ところで、と尚隆が口を開いたのは、暫くしてからだった。 「お前、俺に何か用があったのではないか?」 あぁ忘れてた、と六太が笑う。 「ほら、土産だ。ありがたく思え」 懐から小さな瓶を出して、尚隆に投げ渡す。 「ほう、珍しく気が利くではないか。・・・これは蓬莱の酒か?また蓬莱に行っていたのか」 受け取った小瓶を珍しげに眺めながら、尚隆がたずねる。 「そ。前に持って帰ったときに、お前その酒を気に入ったみたいだったからな」 おれってヤサシイだろーと笑う六太に、尚隆が苦笑する。 「それはそれは。台輔の心遣い、いたみいる」 尚隆はさっそく瓶の蓋をあけてみる。 「良い匂いだ。お前も飲むか?」 「いや、遠慮しとく。おれあんまり酒飲めないし」 「かわいそうな奴だな。美味い酒と美味い肴があれば、人間はそれだけで幸せになれるというのに」 さも残念そうに呟きながら、酒を注ぐ尚隆。 「やっぱりお前って俗物だよな。ちょっとでも風流かもと思った自分が馬鹿らしくなる」 「自分に正直なだけだ」 「言ってろよ。・・・お前がこの肴を愛でるのに酒が必要ならいつでも持ってきてやるから。だから、この肴を美味いと思うなら、大事にしてくれよ」 盃をあおる尚隆を真っ直ぐ見つめる六太。 尚隆が盃の酒を飲み干して、太く笑む。 「肝に銘じておこう」 |
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