道標 〜南から〜

 

 潮の香が強く漂う。
 鈴は波止場から身を乗り出すようにして、虚海を眺めていた。
 鈴がいるのは才州国は永湊。
 自分の旅を采王に報告して礼を言った、その帰りだった。
 目指す場所は慶東国。自分のかけがえのない仲間たちが待っている国。
 船の出港までまだ時間があった。
 その時間をつぶすために鈴は港を一人出歩いて、そして見捨てられたようなこの波止場を見つけたのだ。
 覗き込む虚海はあの日と変わらない、深い藍色。
 以前、この場所を旅立った時と同じように、心は躍っている。
 これからのことを考えると心は弾むのに、同時にひどく憂鬱だった。
 理由は、分っている。
 波が波止場に打ち寄せて、砕けた。
 白く散った波の花が、鈴の袖口にかかる。
 だがそれすら鈴は意識しなかった。
 柔らかな波の音も、どこか遠くでなっている。そんな感覚だった。
 鈴は小さく溜め息をついた。
 その開いた唇から、自然と漏れる声。
「清秀・・・」
 波の音よりもはるかに小さいそれが中空に消えた時。
 背後から声をかけられた。
「あんまり身を乗り出していると、波にさらわれてしまうよ」
 どきり、と心臓がはねた。

 

 振り向くと、一人の男が立っていた。
 年の頃は虎嘯と同じぐらいだろうか。
 不思議な笑みを浮かべた男が、真っ直ぐにこちらを見ている。
「あ・・・」
 鈴はとりあえず口を開いたが、何をいっていいかよく分らなかった。
 男がそんな鈴に近づいてくる。
「今日は波が穏やかだけどね、それでもやっぱり身を乗り出していると危ないよ。それとも・・・身を投げたかったのかな?」
 平然とそう言って、鈴に笑いかける。
 咄嗟に鈴は首を横に振った。
「そうか、なら良かった」
 笑顔を崩さないその男に、鈴は首をかしげる。
「何が良かったの?」
「だって、死にたいと思うことなんて、無い方が良いじゃないか」
 穏やかなその言葉に、鈴の心臓がまたはねる。
「・・・あたし、そんな風に見えた?」
「なんとなくだけどね。でも杞憂だったみたいだね」
 男の人好きのする笑顔につられて鈴も笑ってみた。
 だがその顔が引きつっているのが自分でもわかる。
「あたし・・・」
 気がついたら、唇が勝手に動いていた。
 ん?と男が鈴と目線をあわせる。
 穏やかな視線が続きを促す。
「死にたいとか思っていたわけじゃ、全然ないの。でも・・・楽になりたいと思っていたのかもしれない」
 胸のうちが軋むように、搾り出した言葉は少し震えていた。

 

 男は静かに鈴の言葉に耳を傾けていた。
「あたしね、この港から旅をするのは2度目なの。目的地も前回と同じで慶国なんだけどね。前の旅の時、途中で男の子と知り合って一緒に旅をしていたの。堯天って知っている?慶国の首都なんだけど、そこを目指していたの。でもその子、旅の途中で死んじゃった。殺されてしまった・・・」
 言葉を紡ぎながら、鈴の胸がざわめく。
 清秀、と何度も口にした名を呟く。
 どうして彼が殺されなければならなかったのか。
 その呪詛に似た疑問は、いまだに鈴の胸の中でくすぶっている。
 昇紘を、呀峰を引きずり下ろした今ですら。
「すごく悲しくて苦しくて、何より自分が許せなくて。自分に対する哀れみと憤りで何も見えなくなっていた。その穴の中でもがいている時、ある人が言ったの。恨みだけで、私憤だけでの行動は意味がないって。それで、多分あたしは目が覚めたんだと思う」
 そこまで行って、鈴は隣に立つ男を見上げる。
 柔和な瞳が、鈴をみつめている。
「その人の言うとおりなの。恨みだけの行動に何の意味もない事だって、今はわかっている。それでも、それでも。やっぱり苦しいの。今でもあの子がいなくなってしまったことが、悲しいの」
 緩やかな間隔で、波の音が響く。
「・・・そして思うの。こんなあたしは不幸に浸っているだけなんじゃないかって」
 言葉の終わりは、波に消えてしまうほどにか細かった。
 ふいに目頭が熱くなって、鈴は俯いた。
 ぎゅっと目を瞑り、目頭を押さえる。
 泣いてしまうのは、なぜかひどく失礼なことに思えた。
「ごめんなさい、こんなつまらない話をして」
 いいんだよ、と男は言う。
「人はね、胸の内を語ることで楽になることがあるんだよ。苦しいのなら、吐き出してしまえばいい。少しは楽になったかい?」
 鈴がこくりと頷くと、男は目を細めた。
 そして、続ける。
 囁くようでありながら、それははっきりと鈴の耳に届いた。
「でもね死者を悼むことと、自分を不幸に陥れるのは違うと思うよ」

 

 鈴が弾かれたように顔を上げた。
 男の瞳と鈴の瞳が交わる。
「大事な人を失って悲しむと事は、悪いとかそういう次元の問題じゃないんだ。死者を悼むことは、君がその人を大切に思っていた事の現れだ。その悲しみをそんな風に言うのは、死者に対して、何より君自身に対して、失礼なことじゃないのかい」
 穏やかな声が、鈴の中に染み込んでくる。
 その言葉を理解した時、鈴の瞳から涙があふれた。
 止める術すらわからずに、熱い雫が滴り落ちるままに鈴は泣いた。
 胸の苦しさが、薄らいだ気がした。
 しばらく涙を流し続けて、ようやく顔を上げてみると、男は相変わらず穏やかな表情でそこにいた。
 鈴は涙に濡れた顔で、男に笑いかけた。
「ありがとう。誰かにずっとそう言ってもらいたかった」
「どういたしまして」
 男がおおらかに返す。
「お兄さんって不思議な人だわ。人の心を見透かすというか。気がついたら心の内を喋っていたわ」
 本当に不思議そうな鈴に、男は苦笑した。
「よくそう言われるよ」
「本当にありがとうね。―――そうだ、あたしまだお兄さんの名前聞いてなかったわ。なんていうの?あたしは鈴って言うの」
「変わった名前だね。私は利広という」
「利広さん、ね。じゃあ、いつかまた会えるといいね」
「そうだね」
 そう言って、利広は笑った。
 鈴も笑んで、そうして二人は別れた。
 人がいなくなった波止場に、波が静かに打ち寄せる。

 

 

 ■ あとがき
 あとがきと言うか・・・言い訳です(汗)。
 思いっきり反則使ってますよね、これ。自分でも自覚してます〜。
 しかも当初の予定とは大幅にずれた話になっているし・・・。自分のダメさ加減にびっくりです。
 あと利広兄さんの一人称、これを書くまでずっと「僕」だと思っていました。「私」だったんですね。ちと意外かも(笑)。

 

戻ります

 

 

05/30/01 written by Youko.K.