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階段を下りていくと、温かな紅茶の香りが漂ってきた。
いつもの朝の、いつもの薫り。 キッチンからもれてくる、規則正しい音。 それに引かれるように、ナルはダイニングへと入っていく。 Old Day「おはよう」 キッチンに立っていた女性に声をかけると、彼女が振り返った。 「あら。おはよう、ナル」 印象的な紫の瞳を和ませて迎えてくれるその女性―――ナルの養母のルエラである。 笑顔で、ティーポットからカップに紅茶を淹れてナルの前に出してくれる。 「ありがとう」 礼を言って、ナルがカップを口元に運んだとき。 古い柱時計が、低い音で鳴った。 ルエラがキッチンに置かれた、小さな時計に視線を走らせる。 「あら、もうこんな時間なのね。ジーンがまだ降りてこないみたいだけど、まだ起きてないのかしら。ナル、悪いけどジーンの様子を見てきてくれない?」 「O.K」 淹れてもらったばかりの紅茶を一口すすって、ナルは立ち上がった。 『声』で呼びかけてみても、返答が無い。 まだ寝ているんだろうな、そう思って、下りたばかりの階段を再び上る。 ジーンの部屋は自分の部屋の隣、二階の一番南側。 ドアをノックしてみても、案の定返事は無かった。 仕方のない奴だな、と呟いて、ナルはドアを開けた。 「ジーン、起きろ」 毛布にくるまったままの自分の片割れを揺するナル。 しばらく揺すって、やっとジーンが毛布から頭を出した。 「う・・・ん。―――あ、おはよう。ナル」 眠そうに目をこすりながら、はんなりと笑うジーン。 その声が、いつもの聞きなれた声と微妙に違っているのに、ナルは気付いた。 「声がおかしいぞ、ジーン。風邪でも引いたのか?」 また夜更かしでもしたんだろ、とナルが感情のこもらない声で言う。 「んー?あー、本当だ。なんか喉が変な感じだ」 寝ぼけた顔のまま、自分の喉をさするジーン。 二、三度咳をしてみるが、違和感はぬぐえないらしい。 「おかしいなー、風邪を引いたって感じじゃないんだけどね」 首をかしげるジーンの額に、ナルは手を当ててみる。 「熱は無いようだな。―――とりあえず下に降りて来い。ルエラに薬を出してくれるように頼んでおくから」 そう言って、ナルはジーンの部屋から出て行く。 残されたジーンは、まだベッドの上で首をひねっていた。 ナルが階下に降りた時、ルエラはちょうどダイニングテーブルに朝食を並べているところだった。 「ごくろう様、ナル。ジーンは?」 「すぐ降りてくると思う。それよりルエラ、風邪薬が欲しいんだ」 「あら、どこか具合が悪いの?」 食器を並べるのを手伝いながら言うナルに、ルエラは心配そうに顔を曇らせる。 「僕じゃない。ジーンの奴が風邪を引いたみたいで、声がちょっと変なんだ」 「ジーンが?」 ルエラが表情を曇らせて呟くのと、軽い足音をさせてジーンがダイニングに入ってくるのが同時だった。 「おはよう、母さん」 微妙にかすれたような声でジーンが笑う。 「おはよう、ジーン。具合が悪いって聞いたんだけど、大丈夫?」 「うーん、声以外は何ともないんだけどね。ちょっと、喉がちくちくするだけだよ」 ジーンが困ったように言う。その言葉どおり、顔色自体は悪くない。 「熱は測ってみたの?」 「一応。でも平熱だったよ」 ジーンの言葉を確かめるように、ルエラもジーンの額に手を当ててみる。 「熱っぽくはないわね。・・・だったら」 そこで言葉を区切るルエラ。今までの心配げな表情から一転、晴れやかな笑顔を作る。 そして、ルエラはジーンを抱きしめた。 「おめでとう、ジーン」 「か、母さん?」 義母の抱擁の意味がわからずに、柔らかな腕の中でもがくジーン。 「ルエラ?」 ナルも養母の行動に、軽く目を見開く。 ルエラは愛しげにジーンの身体に回した腕に力をこめ、そして優しく放す。 「ごめんなさい、嬉しくってつい」 そう言って、ルエラは息子達の顔を覗き込む。 「ジーン。その声はね、大人になっていっている証拠よ。声変わりよ」 「声変わり?」 「そうよ。今までの子供の声から、大人の声になっていく事よ」 「でも、ナルは何ともないよ?」 ジーンの疑問に、ルエラがほほ笑んだ。 「双子でも個人差が出るものなのよ。ジーンの方が、少しだけ先にお兄さんになったって事かしら?」 その言葉に、ジーンは相変わらず無表情なナルに、得意げに笑ってみせる。 ナルが小さく溜息をつく。 そんな双子を、今度は一緒に抱きしめるルエラ。 「これはとても喜ばしいことよ。今夜はお祝いしなくちゃね。―――あら、おはよう。マーティン」 心からの笑顔を浮かべてダイニングに入ってきた夫を出迎えるルエラ。 最後に入ってきたマーティンは、状況こそ分かっていなかったが、抱き合う妻と子供を見て穏やかに笑った。 「おめでとう、ジーン」 ルエラから話を聞いたマーティンが、妻と同じように息子を抱きしめる。 養父の力強い腕の中で、照れたように笑うジーン。 「ありがとう、父さん」 それを少し離れた位置で見守るナル。 マーティンの抱擁がとかれたジーンと、ナルの視線がぶつかった。 にこり、とジーンが笑う。 「ナルはハグしてくれないのかい?」 いたずらめいたジーンの表情。 もちろんそれは、スキンシップを苦手とするナルに対しての嫌がらせである。 にこにこと笑うジーンに溜息をついてみせて、ナルは兄を軽く抱きしめる。 とん、と背中をたたくと、ジーンがぽんぽんと二度返してくる。 どちらが決めたわけでもない、二人だけの自然な動作。 そして、『声』がナルに届く。 変わったばかりの新しい声が、ナルの中に響いた。 ―――暫く、入れ代わったり出来ないね。 本気で残念そうなジーンの言葉。 その言葉に、ナルは小さく微笑った。 それは、遠い日の朝の出来事。 |
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