こんこんこん。
窓にはめられたガラスが小さく叩かれる。
楽俊は読んでいた本から顔を上げ、ふっと小さく笑った。
表情の揺れに、彼の長いひげもそよそよと揺れる。
そして、窓へと近づいた。
太陽が、赤金色に焼ける頃の事である。
散歩道
「よっ」
明るい声を出したのは、頭に布を巻いた12、3歳ぐらいの少年。
本来人がいるべきではないところ―――窓の外でにっこりと笑って浮いている。
「いらっしゃいです、延台輔」
迎える楽俊も、少年の奇抜な登場の仕方には慣れたのか、笑ってみせる。
その表情は、どこか引きつってはいるが。
「おう、久しぶりだな、楽俊。元気してるか?」
楽しげに笑いながら、窓を跨いで入ってくるのは延麒六太。
楽俊が留学しているこの雁国の、麒麟である。
「久しぶりって、台輔。一週間ぐらい前にも来ませんでしたか?」
「細かいこと言うなって。前回来たときは珍しくお前人型だったし、その姿に合うのが久しぶりってことで良いじゃないか」
そう言って、六太は楽俊の毛並みを撫でまわす。
「た、台輔〜」
あわあわと、楽俊が情けない声をあげた。
その反応に、六太が声をたてて笑う。
「一体今日は、どうしたんですか?」
ほたほたと自室を歩きながら、楽俊は六太に声をかける。
「んー。特に用があったわけじゃないんだけどなー」
適当な場所に腰を下ろした六太が、のんびりと応える。
その目は、楽俊の房室の中をきょろきょろと泳いでいた。
「?台輔?」
「いや、相変わらず勉強熱心だなーと思って」
さすが楽俊、にやりと冷やかすように笑う六太。
照れたように楽俊が、ひげをそよがす。
そして部屋におかれた粗末な茶器で茶を淹れ、六太に渡す。
「どうぞ、台輔」
「お、悪いな」
にっこりと、少年らしい笑顔で茶杯を受け取る六太。
「今日もお忍びなんですか?」
少しだけ心配そうな声で尋ねる楽俊。それと対照的に笑顔を崩さない六太。
「まーな。雁の官吏は優秀だから、おれたちが多少ハメを外しても全然平気だし。だからちょっと国の様子見がてらの散歩中なんだ」
たまには息ぬきも必要だしな、と茶杯をすすりながら六太が言う。
「・・・やっぱり雁ってすごいなぁ」
自分用の茶杯に口をつけながら、楽俊が呟いた。
「ん?」
「いえ、延台輔のお言葉、優秀で信頼がおける官吏があってのことだなっと思って」
ふと、言葉を紡ぎながら友の治める国や、自分の祖国を思いだす。
それに気付いたのか、六太が柔らかく笑う。
「ま、その分、ものすごーく怖いけどな。それに今の言葉、景とか巧とかを考えてたみたいだけど、あちらさんも大丈夫だと思うぞ」
「えっ」
「この前、景に行ってみたけど、あそこの官吏かなり優秀なのを揃えてたぞ。さすがは陽子って所だな。うちに引き抜きたいような奴が結構いたよ。それに巧だって、今はあんなだけど、楽俊みたいな優秀な奴が育っていくんだ。大丈夫さ」
そう言って、六太は楽俊に笑いかける。
少年の言葉に、楽俊が瞳を瞬かせた。
いつも自分の主を小突いている姿しか見せない少年の、本性を垣間見たような一瞬に驚いたのだ。
「ところで楽俊」
六太が、驚いたまま止まった楽俊の前に身を乗り出すようにして切り出した。
「な、なんですか?」
いきなり眼前に迫った少年に、少し上ずった声を上げる楽俊。
そんな楽俊に、六太がにたりと笑ってみせた。
「腹、減ってないか?」
「は?」
六太の言葉に、間抜けな声をかえす楽俊。
慌てて窓の外を見ると、先程まで赤金色だった空が紫に変わりかけている。
「おれさー、あんまり昼食ってないから腹が減ってるんだ。だから飯食いに行かないか?」
確かに、もう夕飯を取ってもおかしくない時刻ではある。
だが大学の寮に住む楽俊は、よほどの事がない限り外ではなく寮で食事を取るようにしているのだ。
「でもおいら、お金あんまりないし」
「あ、その辺は気にするなって。尚隆のおごりだから」
にやり、そうとしか形容が出来ない笑顔で六太は言い放った。
ぴしり、尻尾をぴんと立ててまま固まる楽俊。
「た、台輔?」
「おれをごまかそうなんて千年早いぜ。いるんだろ、尚隆?いいかげん出て来いって」
不敵な表情で楽俊の背後―――房室の本来の入り口を見据える六太。
そこに、一つの人影が現れる。
「なんだ、気付いておったのか」
「当たり前だろ。俺がお前の気配を見誤るなんてこと、ぜってーにないんだよっ」
尚隆に駆け寄り、その背中を勢いよく叩く六太。
ばしん、と景気の良い音が狭い部屋の中に響いた。
「最初っから分かっていたんだよ」
場所を関弓のとある料理屋に移しての事である。
一国の王と麒麟を前にしてしきりに恐縮して謝る楽俊に、六太はからからと笑ってみせた。
「えっ・・・、最初っからお見通しだったんですか?」
「そういうこと。そこの城から抜け出した馬鹿野郎が、楽俊の房室にいるってのは気配で分かっていたしな」
「お前も人の事は言えんだろうが」
注文した酒をあおりながら、尚隆が笑う。
「今月はおれの方がお前よりも真面目だから、言ってもいいんだよっ。ま、だからあんまり気にすんなって。どーせこいつが言い出したことだろうし」
そう言って、六太が尚隆の頭を軽く叩く。
「おれとしては、散歩ついでにこのバカを拾っていければ、それでメデタシってなわけ♪」
機嫌良くに笑う六太につられたように、表情を崩す楽俊。
「そう言ってもらえると、ちょっと気が楽になりました」
「そうそう、おれとしても散歩がてらお前に会えて楽しかったし。これからも散歩の途中でちょくちょく顔をだすと思うけど、ヨロシクな」
何気なく六太が言った言葉にどう反応してよいか分からない楽俊。
雁国の王と麒麟は、そんな彼の反応を見てひっそりと笑う。
ちょうどそこに、頼んでいた料理が運ばれてきた。
「ともかく、食おうぜ」
六太の元気の良い声が、店の中に響いた。
■ あとがき
・・・ごめんなさい。
7/17/02 written by Youko.K.