慶国から漣国へ。
 世界の半分を跨ぐような広大な距離を、廉麟は使令に乗って駈ける。
 めざすは漣国が王宮、雨潦宮。
 廉麟がいるべき場所であり、主が待っている場所。
 今、自分が主の隣にいない事が狂おしいほどもどかしく、廉麟ははやる気持ちで空を駈けた。


 至福〜漣国〜


 廉麟が雨潦宮に到着したのは、慶国を出て四日目の夜だった。
 墨を流したような夜空は暗く、まばらに輝く星々は、今の廉麟の心を現したように頼りなげだった。
 ほんの少し離れただけなのに。
 そう思って笑おうとしたが、それは上手くいかなかった。
 禁門へと降り立った廉麟は、自分を乗せて駈けてくれた使令を労って、そして、駆けるように歩き出す。
 途中すれ違った官たちが、慌てたように礼をとろうとする。
 だが廉麟は、それすらも目に入らないほどの足取りで、王が待つ後宮は正寝へと急ぐ。
 息を小さく弾ませて正寝へとたどり着くと、そこには穏やかな笑顔を浮かべた男が待っていた。
 廉麟の主、廉王鴨世卓その人である。
 ふいに、涙が込み上げてくるほどに胸が熱くなった。
 胸がつまったように言葉が出て来ない廉麟。
 そんな廉麟に、世卓が穏やかな声をかける。
「お帰りなさい、台輔」
 たった一言。
 それだけで、遠く離れていた時間が融けていくような気がした。
 廉麟が破顔して、礼をとる。
「只今戻りました、主上」

 

「はい、台輔」
 柔らかな表情で、世卓がもぎたての果実を廉麟に手渡す。
 二人は夜空の下、世卓が整えた王宮内の小さな果樹園を散策していた。
「青鳥では明日ぐらいに着くと思っていたから、これぐらいしか用意できないけど」
 すまなそうにする世卓の瞳を、廉麟は覗き込む。
「いいえ主上。大変嬉しいですわ」
 主の心遣いが嬉しく、微笑む廉麟。
 手渡された果実に口をつけると、甘酸っぱい果汁が喉を潤した。
「泰台輔がこちらにお戻りになったそうだね。少し時間がかかったけど、本当に良かった」
 主の言葉に、廉麟はちらりと笑う。
 世卓は、それに首をかしげる。
「どうかしたのかい、台輔。さっきから、笑顔がいつもと違うような気がするよ」
 あくまで穏やかに語りかけてくる世卓。だがその言葉に廉麟の鼓動が跳ねる。
「そう、でしょうか・・・?」
「うん。戻ってきた時なんて泣きそうな顔をしていたよ。泰台輔もお戻りになったというのに、何にそんなに心を痛めているんだい?」
 世卓の声が、心に染みてくる。廉麟は小さく息をついてみた。
「多分・・・泰麒と自分を重ねて考えてしまっているのだと思います」
 言葉に出してみると、それが思った以上に自分の心を苛んでいる事に気が付いた。

 

「君と泰台輔が・・・?」
 世卓が先を促すように、廉麟を見つめてくる。
「泰麒が以前漣国をお訪ね下さった時の事を覚えていますでしょ?そのほんの少し前の、漣が騒乱の最中だった時の事が思い出してしまうんです」
 廉麟の言葉どおり、七年程前は漣国では内乱が起こっていた。
 その時のことは、廉麟にとっても、廉王にとっても辛い思い出である。
「幸い乱は無事に平定されましたが、あの時私は、主上が私を置いていなくなってしまうのではと、毎日不安でなりませんでした。王と切り離されてしまった泰麒のことを考えると、その時の不安が蘇ってしまって」
 言って、廉麟は力なく笑う。
 今この時、王が目の前にいてすら不安がこみ上げてくる自分に、悲しくなってくる。
「私たちが王から離れる事は、本当に辛い事です。私たちは、王の傍にいないと生きていられない。なのに泰麒はこちらに戻ってきても、それでもまだ泰王と離れたままなんです。それがとても切なくて、そして、いつか私も主上に置いていかれるのかもと不安になるんです」
 細い肩を震わせて、廉麟は両手で目を覆う。
 沈黙が二人を包む。
「どうすれば・・・」
 先に口を開いたのは、世卓だった。
「どうすれば、俺は君の不安を和らげる事ができるんだろう。俺はいつもこんなんで、気の利いた言葉も浮かばないけど。確かな約束だって出来ないけど、それでも君が不安を抱えていると悲しいよ。台輔には心から笑っていて欲しいんだ。―――どうすれば・・・」
 朴訥ゆえに真摯な声。
 少しだけ考えるようにして、廉麟は口を開いた。
「字をください」

 

「字?」
 世卓の言葉に、廉麟が頷く。
「私には号しかないから。貴方だけの名前を与えてください。麒麟が使令を名前で縛るように。字で私を縛ってください。貴方が私の主であるという確かな証を、私に下賜してください」
 言葉を紡いでいくうちに、またしても切ないものが廉麟の胸をかけていく。
 思わず俯いてしまう廉麟。その肩に、世卓の骨ばった指が触れた。
「顔を上げて、台輔。―――それで台輔が安心できるのなら、俺は一生懸命台輔に、廉麟にふさわしい字を考えるから。だから・・・」
 それ以上、世卓は言わなかった。
 ただ廉麟の肩にかけた指に優しく力をこめる。
 それに押されるように、廉麟は世卓の胸に体重を預ける。自分でもわからないまま、廉麟は涙を零していた。
 かすかに聞こえてくる世卓の心音を聞きながら、廉麟は唇を開く。
「ありがとうございます」
 かすかに震える声でそう言うと、頭上で笑う気配がした。
 ぽんぽんと、子供をあやすように廉麟の背中を叩く世卓。
 廉麟も、世卓の胸の中で小さく笑った。

 

 

■ あとがき
やっぱり紀野が書くラブラブには無理があるような・・・。つーか、暗すぎ。
でも、この夫婦には末永く幸せでいて欲しいものです。

 

戻ります

 

 

10/25/02 written by Youko.K.