コンコンコン。
ノックはいつも三回。
毎日同じ時間に、規則正しくたたかれる扉。
所長室にこもっていたナルは、控えめなその音に、いつもと同じ無愛想な声で応じる。
「開いている」
読んでいた本から顔を上げずに答えると、半瞬後、扉が開く。
毎日の事だから、顔を上げずとも分かっているのだ。
麻衣が淹れたてのお茶を持ってきたということが。
シルシ
「お茶もってきたよー」
制服に白いエプロンという格好で、麻衣が所長室に入ってくる。
同時に、ふわりと温かな紅茶の香りが部屋に流れる。
麻衣が片手で扉を閉めると、一層濃い香りが部屋を満たす。
だが、ナルは相も変わらず本から視線を移さない。
麻衣が大げさに溜息をつく。
「まったくー。何度も言ってるけど、一度ぐらいありがとうって言ってもよくない?」
だが、麻衣の小言に我関せずと読書を続けるナル。
まったく、ボウジャクブジンなんだからー。
小さく舌を出しながら、麻衣はナルのデスクへと近づいていく。
「はい、どうぞ」
お盆の上からナルのデスクの上へ、麻衣が丁寧な手つきでティーカップを移動する。
かちゃり、と茶器がかすかな音をたてた。
そして。
麻衣の腕がナルの前を通り過ぎたとき、ふいにナルが顔を上げた。
漆黒の、まっすぐな視線が麻衣を捕らえる。
「あ、やっと気付いた?」
視線に捕らえられた麻衣は、いたずらをする子供のように笑ってみせた。
それは、昨日の事だった。
いつものように所長室に紅茶を持ってきた麻衣を見て、ナルが顔をしかめたのだった。
「?」
みるみる不機嫌な顔つきになっていくナルを不思議そうに見つめる麻衣。
「麻衣、おまえ煙草を吸うのか?」
「は?吸うわけないでしょ?あたし、まだ未成年だし」
いきなり不機嫌な声で尋ねてくるナル。
まったく意味が分からずに首をかしげる麻衣に、ナルが苦虫を噛み潰したような表情をする。
「おまえから煙草の匂いがする」
言われて、麻衣は慌てて自分の服や髪の毛の匂いをかいでみる。
「あ、ほんとだ。さっきまでぼーさんと一緒にいたから、匂いが移っちゃったのかな?」
麻衣のその言葉に、ナルの表情が一層剣呑になる。
「でもよく分かったね。自分でも全然気付かなかったのに。・・・って、ナル??」
くんくんと自分の匂いをかぎながら、麻衣が感心したようにしゃべる。
そんな麻衣に向かって、ナルがデスクの脇に置かれた子瓶を放った。
麻衣が反射的に手を伸ばしてそれを受け取る。
それは淡い色のついた液体、オーディコロンの瓶だった。
行動の真意がわからずに見つめてくる麻衣に、ナルが疲れたように息をついた。
「それで、匂いを落としてきてくれ。・・・僕は煙草の匂いが苦手なんだ・・・」
心底嫌そうに言うと、ナルは麻衣が持ってきた紅茶を一口口に含む。
その後は口を開く様子すらないナルを見て、麻衣は仕方なく子瓶を持って所長室を出たのだった。
そして、今日。
ナルの視線の中で、麻衣が笑う。
「えへへ。ナルのコロン、すごくいい香りだったから同じの買っちゃった」
温かい紅茶の香りに混ざって、麻衣から流れてくるほのかな香り。
それは、ナルが昨日渡したオーディコロンの香り。今、自分が付けている物と、まったく同じ香り。
「昨日貸してもらった時、すごく気に入ったの。これって、ユニセックスみたいであたしが付けても全然違和感なかったし。だから、今日バイトの前に買ってきちゃった」
上機嫌で笑う麻衣。
手首につけているのか、軽く動くたびに紅茶とは違った香りが広がる。
「ね、似合うでしょ?」
ひらひらと、ナルの目の前で手を上下させる麻衣。
その手をナルが掴んだ。
その事によほど驚いたのか、麻衣の身体がびくりと跳ねる。その反応に、ナルが薄く笑った。
「少し、香りが薄いんじゃないのか?」
「そ、そうかなっ・・・?」
掴んだ手に顔を寄せると、麻衣の声が裏返った。
「で、でも・・・さっき着けたばっかりなんだよ?」
「だったら、まだ量が足りないんだろう。こんなに薄かったら、ぼーさんがきた時に煙草の匂いに負けてしまう」
そう言って、ナルは香りの根源、麻衣の手首に口付けを落とす。まるでかぼそい香りを補うかのような、熱い、一瞬の口付け。
瞬間、見事なまでに朱くなる麻衣。
必死でナルの手をほどくと、朱い顔のままドアまで走って逃げる。
その麻衣の背中に、ナルは小さく笑いかける。
「次からは、移り香に負けないぐらい濃くしておいてくれ」
■ あとがき
テーマはマーキング(笑)。
ナルも麻衣も別人だ、という突っ込みは無しにしといてください。管理人が一番気にしていますので。
あと、視点のつなぎ方が上手くいってません。・・・ぎゃふん。
10/01/02 written by Youko.K.