届かぬ思い
彼が気配に気づいて振り向くと、紅い髪をした主ははにかんだように微笑んだ。
「お前はいつも私が声をかける前に振り向くな、景麒」
言って、彼女は面白そうに笑う。
「それが麒麟ですから」
応える景麒はいつものように無表情。
毎晩こっそり笑顔の練習をしている彼であるが、なぜかいつも活かしきれない。
「それよりも、何か御用でしょうか?」
仏頂面で尋ねる景麒。わずかに頬が引きつっているのは、無理やり笑おうとした努力の現れ。
対する女王はちょっと照れたように顔を赤らめた。
「ああ、お前に頼みたい事があるんだ。転変したお前の背中に乗せてくれないか?」
女王はほんのりと上気した顔で、景麒を上目遣いに見つめる。
女王の言葉とそのしぐさに、景麒の鼓動が跳ね上がる。相変わらず表情は能面の様に変わらない。
「だめか?」
「駄目とは申しませんが・・・私の騎獣の真似事をなされとおっしゃるのですか?」
天にも舞い上る心地の景麒。
だが長年培った仏頂面は、なおも強固に景麒の顔面に張り付いて離れない。
「良いではないか。お前の背中に乗って一緒に散歩に行きたいんだ」
優しくいじらしい主の言葉に、景麒は涙ぐみそうになる。
もっとも顔の筋肉はどうあっても動いてくれなかったが。
「そういうことなら、お供致します」
その言葉とともに、しゅるりと転変する景麒。
目の前に現れた金色の優美な獣に、女王はまぶしそうに目を細める。
そして、景麒の鬣に女王のしなやかな指が触れ・・・。
甘い夢はそこで終わった。
目を覚ますと同時に、重い溜息を吐き出す景麒。
それは後悔の溜息。
何故目を覚ましてしまったのか、と。
せめて女王が自分に騎乗するまで待てなかったのか、と。
目のふちに涙すらためて悔しがる景麒。
景麒が寝ていた臥牀とその周りだけが、朝の到来を拒むようにどんより暗い。
はっきり言って朝から非常に鬱陶しい。
「おはようございます、台輔」
そんな事は露知らず、爽やかな声をかけて入ってくる景麒付きの女官。
彼女は臥牀の上で膝を抱えて暗くなっている景麒を見つけ、怯えた声を出す。
「た、台輔・・・?」
今にも震えだしそうな女官の声。いかに景麒の様子が奇異だったのかがうかがえる。
はっと景麒が顔を上げると、引きつった顔の女官と目が合った。
「ど、どうかなさいましたか?」
腫れ物に触るように尋ねてくる女官に、なんでもないと応えて臥牀から降りる景麒。
本人は気づいてないが、その顔はとても不機嫌そうで女官怯えたままである。
いつまでたっても不平不満
だけは素直に顔に出るという性分であるらしい。
怯えた女官を目で促して、景麒は身支度を整える。
顔は相変わらず不機嫌そうであったが、それも『いつも通り』と言えるレベルにまでなってきた時。
女官が思い出したように唇を開いた。
「台輔。主上が台輔のことをお呼びでしたよ。なんでもお頼みしたい事があるので、朝議の前にお話がしたいとの事でしたが・・・」
女官の言葉に、分かったと返事をする景麒。
いそいそと残りの身支度を整えると、仏頂面はそのままに足どり軽く部屋を出て行く。
仏頂面とステップすら踏めそうな軽い足どりのコンボを目撃して、女官は思いっきり身震いした。
つかつかつか。
足音も高く宮中の磨かれた廊下を歩く景麒。
目指すは、この時間女王がいるであろう内殿の一室。
朝議が始まる前のひと時を、女王は友人たちとくつろいでいる。
―――自分に頼みたい事とは一体なんであろうか。
女王が自分に頼みごと、というだけで景麒の大して厚くもない胸がふくらんでいく。
ましてや、今朝の夢の事もある。もしやあれが正夢になったなら・・・。
そう考えただけで顔の筋肉がだらしなく緩む。妖しい笑い声がいつの間にか漏れてしまう。
完全にアッチの世界に想像がいっちゃっている景麒。すれ違った官たちが恐れおののき視線を逸らす事にも気付かない。
そうこうしているうちに、景麒は目的地へとたどり着く。
「失礼いたします」
一つ深呼吸をしてから房室へと入ると、華やかな声が景麒を迎えた。
女王と、その友人である女御と女史がそろって景麒のほうを振り向く。
「あぁ、景麒。よく来てくれた」
出会った頃に比べてずいぶんと男前になった女王が、笑顔で景麒に声をかける。
景麒は軽く礼をとり、そして目を見開く。
なぜなら女王とその友人は、官服ではなく旅装に身を包んでいたから。
「・・・主上。そのお姿は?」
「少しの間、下界に降りようと思ってな。もちろん浩瀚や遠甫の許可はもらっている。それでお前からも許可が欲しくてな。それと・・・」
そこまで言って、女王は言いにくそうに言葉を切る。
どくん、と景麒の鼓動が高鳴る。
申し訳なさそうに、自分よりも背の高い下僕を見上げる女王。
その仕草に、本当にあれは正夢かという思いが景麒の胸中を荒らす。
「何でしょう?」
そんな内心を、かけらも見せずに尋ねる景麒。
女王は後ろに控えた友人たちを振り返り、そして決心したように小さく頷き合う。
「今回下界に降りるのは国の視察、特に功国との国境辺りを見てみようと思っているんだ。官たちの報告だと、結構大変な状況らしいからな。でもそこまで行って帰ってくるとなると、かなりの時間がかかってしまうだろう?うちの厩舎には、雁国のような駿足の騎獣はいないから。それで、だな・・・」
背の高い景麒の瞳をしっかりと見据える女王。
期待を込めて女王の言葉を待つ景麒。
「分かるだろう、景麒。足の速い騎獣がいるんだ。だから、お前の使令を借してくれ」
軽く小首を傾げ、おねだりするように笑う女王。
対する景麒は、豆鉄砲を食らった鳩のような呆け顔。
ゆっくりと女王の言葉を反芻して、そして一気に奈落の底へと落ちていく。期待した分だけ、反動が大きかったのである。
いきなりへたり込んだ下僕を見て、女王は目を見開いた。
「お、おい。一体どうしたんだ?」
言って、景麒の肩に手をかける。
その手を景麒は握り締めると、がばっと顔を上げた。
女傑と国内外に知られた女王を引かせるほど、その目はたいそう据わっていた。
「け、景麒?」
握られた手はそのままに、なるべく景麒から遠ざかろうとする女王。
「駿足の獣が必要なら私が一番ですっ。班渠や驃騎よりも私のほうがずっと足は速いのですから。使令をお使いになるのでしたら、私に騎乗して行ってくださいっっ」
遠ざかろうとする女王にかまわず、詰め寄ってくる景麒。その目は真剣であった。本気と書いてマジと読む状態である。
その明晰なはずの頭脳は、自分がどれだけずれた事を口走っているか分かっていなかった。
景麒の剣幕に、女王は冷や汗を流しながら沈黙する。
そしてしばしの間の後、唇を開いた。
「・・・分かった。お前がそんなに反対するなら、今回の視察はなかった事にする。だからそんなに怒らないでくれ」
王と麒麟と、両者を見守っていた全員から、重い重い溜息が漏れた。
後日、女王が溜息混じりに友人たちに言った言葉曰く、
「・・・あれは新手の嫌がらせか何かか?ああまでして私の視察を阻止しようだなんて、よっぽど私は信用がないんだな」
景麒の思いはいまだ伝わらず。
■あとがき
半分だけ書いて没にした話のリサイクル。
しかも没った話なのに殆んど書き直しをしない自分の根性に乾杯☆
相変わらず景麒が変態&もんのすごく読み辛い文章でごめんなさい。
3/18/03 written by Youko.K.