いつか笑顔でいられるために


 それは、ある日の夜も更けた頃。
 解放軍の本拠地、宿屋と食堂を兼ねるマリーの店でビクトールが酒を飲んでいる時だった。
 すでに幾つもの瓶を開けて、ほろ酔い加減。
 一緒に飲んでは店の女主人・マリーにしかめっ面をされる酒飲み仲間達も、すでに自分達のねぐらに帰っていた。
 ビクトールもあと一本だけ、と自分に言い聞かせて飲んでいるその時、思いもしない声が背後から降りかかった。
「あぁ、ビクトール。やっぱりここにいたんだ」
 こんな時間、こんな場所で聞くとも思わなかった声。
 振り返ると、そこにはこの城の主であり軍主である少年が佇んでいた。
「お前・・・一体こんな時間にどうしたんだ?」
 驚き呆れた声で少年にたずねるビクトール。
 それもその筈。少年には軍主として、解放軍のリーダーとして朝から晩までやるべき事が多いのだ。
 しかも、明日の朝にはまた会議があるはずである。
 この時間ならば、とっくに休んでいなければおかしいのである(ビクトールは会議をサボる気でいた)。
 だが少年は、ビクトールの問いには答えず、にこりと笑う。
 どこか遠い瞳だった。
「んー?ビクトールを探していただけだよー?」
 少年らしくない間延びした口調に、ビクトールは軽く目を見開く。
 常には白い少年の顔が、暗い照明の中で紅く映った。
「お前、酒飲んでるな?」
 ビクトールの言葉に、少年がまた笑った。

 

 紅く上気した顔で、少年がはんなりと笑う。
「そう、さっきまで部屋で飲んでいたんだけどねー。ちょっと物足りなくって。この時間ならビクトールもまだ飲んでいるだろうから、付き合ってもらおうと思ったんだー。いいだろ?」
 そう言うやいなや返事を待たずに、少年はビクトールの向かいの席に腰を下ろす。
「お前な・・・。子供はもう寝る時間だぞ」
「酷いな。こんな時だけ子供扱いかい?ビクトールと違って朝寝坊なんかしないし、会議もサボるつもり無いんだから良いんだよ」
 くすくすと笑うと、少年は勝手にビクトールの酒瓶に手を伸ばす。
「お、おいっ」
「大丈夫、だいじょうぶ。僕の奢りだから、そんなに心配しなくてもいいよ」
 テーブルに置いてあった空のカップに、酒を並々と注ぐ少年。
 だがその手つきも、言葉も、すでに危うい事にビクトールは気付いた。
「お前な、これ以上はやめておけよ」
 カップを口元に持っていこうとする手を、ビクトールが掴む。
 その手も発熱しているように熱く、ビクトールは呆れてしまう。
「こんなになるまで飲みやがって。一体どれだけの量を飲んだんだよ。少しは気を付けろよ」
 そこで思い出す。
 まず一番に少年の事を心配していた人物を。
 そして、その人がすでにこの世にいないという事を。
 『彼』がいないから、少年はこんなにも自堕落に酒を飲むのだろうか・・・?
「いいじゃないかー、少しぐらい」
「全っ然、少しじゃねぇじゃないか。・・・一体、何があったんだ?」
 『彼』がいれば慌てて止めるような、少年らしからぬ行動。
 そこに違和感を覚えて、疑問を口にするビクトール。
 掴んだ手はそのままに、まっすぐ見据えると、ふいと少年が目を逸らした。
 わずかばかりの沈黙の後、か細い声がビクトールの耳に届いた。
「笑わなきゃ、駄目なんだ・・・」

 

 少年の言っている意味が、ビクトールには分からなかった。
「どういう意味だ?」
 聞き返すビクトールに答えるように、少年が顔を上げた。
 そこにはもう、酒気の混ざった笑いは欠片も無かった。
 ただ必死で何かを堪えている少年の顔が、そこにはあった。
「今日は、笑っていなきゃ駄目なんだ・・・」
「?」
 少年が、酷く辛そうに言葉を紡ぐ。
「今日は・・・グレミオの誕生日なんだ。昔、誕生日に何を贈ったら喜ぶかを聞いたんだ。そしたら『笑ってくれ』って。僕が笑顔でいれば、グレミオはそれだけでいいって。それだけで幸せになれるって・・・。だから」
「だから、酒の力まで借りて笑おうとしたのか」
 幾ばくかの逡巡の後、少年がこくりと頷いた。
「まったく・・・大馬鹿野郎が」
 ビクトールが苦い口調で言い切った。
 その言葉に、少年も苦く笑う。
「そんな事で奴が喜ぶとでも思ったのかよ。酒の力でへらへら笑って、それで何か意味があるのか?」
 決してそれは大きな声ではなかったが、人気の絶えた店の中ではよく通った。
 少年が、きつく唇をかみ締める。
 ビクトールが、握った少年の手を離す。そしてそのまま、その手を少年の頭に乗せた。
「ほんとに大馬鹿だよ、お前は。泣いて良いんだよ。無理して笑う必要なんか無いんだよ。今無理やり笑ったって、誰も喜ばない。泣けない傷はいつまでも辛い。一生お前が苦しむだけだ。だから今のうちに泣けよ。いつか、心からの笑えるその日のために、今のうちに泣いておけ」
 言って、少年の頭をぽんと軽く叩く。
 噛みしめた少年の唇から、嗚咽が漏れた。
 慌てたように俯いた少年の表情は分からなかった。
 ただ、ビクトールは表情を和らげると、もう一度少年の頭を軽く叩く。
 そして、静かに席から立ちあがった。

 

 

■ あとがき
えぇっと・・・。
相変わらず暗さ爆発の坊ちゃんでございます。彼には笑っていて欲しいのにどうして・・・。
ま、紀野が書くから仕方ないんですけど。

 

戻ります

 

 

9/28/02 written by Youko.K.