私を殺すもの。

 “私”は気付いたら逃げていた。いつから逃げていたかは分からない。
暗い建物と建物の間をこけそうになりながら、ただ走ることしか考えずに前へと進む。たぶん今の私は無様で哀れだろう。
 それでもいい。私は死にたくないのだから・・・。
追ってきている者は一応人の姿はしているようだが普通の人間ではないに違いない。なぜなら人を殺すためだけにあんなに殺気を帯びる
ことなど普通の人間ができるはずがない。殺すために何日もかけ執拗に私を追うこと自体普通の人ならしないはずだ。・・・私が知らないだけかもしれないが。

 振り返り追うものと目が合うのは嫌なので私は前のみを見て走る。
「・・・・くそっ・・・!」
何かわからないものに叱咤する。“私”は一体なぜ逃げているのか。
 そして何から逃げているのか・・・全てが不明でそれがとても怖いことでもある。
遠くから人のざわめきが聞こえる。私はそちらへと足を向ける。足音は尚も追ってはきている。
早くあちらへ向かわなければこの暗い場所でやられてしまう。こんな所で死にたくない。
「はっ・・・はっ・・・はっ・・・!」
 人。人が目の前を歩いている。やっと街中へ出られたようだ。私はその人ごみにまぎれることにした。奴の気配はしなくなった。いや、しなくなった、と思いたいだけで本当は私を追ってきているのかもしれないが。
 とにかく警察へ行かなくてはならない。だがこのことをどうやって説明する?第一私の身分を明かすものが何一つない。私は誰でなぜ私を殺そうとする者がいるのかも分からない。
警察は頼れない。となるとどうする?今の私には家族も友人も恋人もいないも同然だ。何も分からない・・・記憶にない。
それでも何か考えなくてはいけない。
「あれ、朱鷺(とき)じゃないか!」
「え・・・」
 いきなり見知らぬ男に声をかけられる。私の驚いた様子にその男ははっ、となる。
「もしかして俺のことも忘れちまったわけ?マジかよ」
「君は私の知り合いなのか?」
「知り合いもなにも大のしんゆーだろ。それよりその格好何とかしたら?」
「?」
そう言われ私は自分の姿を見下ろす。私は寝まきを着ていた。くつはかろうじてはいてはいるが靴下までははいていない。
「教えてくれ・・・私は一体・・・」
「その話は後で。とりあえずうちに来いよ」
男はそう言って私の肩をたたいた。

 男のアパートは広くもないし狭くもなかった。殺風景な部屋ではあったが住み心地は良さそうだ。
椅子に座っているとコーヒーを出された。
「飲めよ」
「すまない・・・」
私は人の温かさに初めて触れた気がした。涙が目から滲み出る。
「おいおい、そんなにコーヒーがうれしいか?」
「ああ」
 私は素直にうなづいた。カップを手にとり一口飲む。
「私は一体どうなってしまったんだ・・・まるで何もかもが分からないんだ・・・」
「・・・だろうな。なんてたって朱鷺、お前には記憶がないんだからよ」
「なぜ私には記憶がないんだ?」
「事故のせいだよ。」
「事故・・・」
「そう。俗に言う“事故による記憶喪失”ってやつさ」
私は事故にあい記憶を失った・・・?ではこの姿は病院から逃げ出してきたというわけか?
 私の表情をよみとったのか男はああ、と短く言い
「その服は今考えたとおり病院から直ってこと。まさか逃げ出すとかなー。そんなに病院食まずかったかよ」
「違う!そうじゃない!私は逃げてきたんだ!!」
「逃げてきた?」
「私を殺そうとここまでずっと追ってきた者がいる・・・黒い影のように私にまとわりついてくるものが・・・!」
私の手は震えている。しばらく男は私の目を見つめていたがいきなり吹き出した。
「影?やっぱ、記憶ってやつは大事だよな・・・きっとお前は不安なんだよ・・・記憶がないことに。だからそんなに恐ろしい幻覚みちまうってわけ」
「幻覚・・・あれが幻覚?」
「そう。」
男の言うことに今いち安心はできなかった。あれがただの幻覚と考えるのに抵抗を感じる。男は続いて話す。
「お前の自慢の車おしゃかだってな?でもさぁ、あんなけの大事故なのにお前は無事ってすごくない?」
「私一人だけしかその車には乗ってなかったのか?」
「らしいな。よかったじゃねーか、彼女乗ってなくて」
「私には恋人がいるのか?」
「ああ、でもあんたらケンカしてなかったけ?だから俺病院とかで彼女きてんのみたことねーぜ」
「そうか・・・」
それでも。私には友人も恋人もいるのだ。それだけで救われた。
 彼女に会ってみたい。
「その彼女には会えないのか?」
「俺、連絡先しらねーもん」
「なら、いい・・・。記憶が戻れば会えるだろう」
記憶さえ戻れば。早く記憶が戻って欲しい。普通に生活がしたい。自分が何かを知り他人を知りそして明日をみすえる。
 今の私には明日が見えない。それがとても不安だ。まるで宙に浮いてるような感覚でもある。
「どうすれば記憶が戻るだろうか・・・」
「医者は普通に生活してりゃあ、戻るって言ってたぞ。そうだ、今日から俺んちで住めよ。病院なんかよりは普通に近いはずだぜあんな所じゃあ戻るもんも戻らねーからな!」
「・・・いいのか?」
「いい、いい!じゃ、明日退院許可もらってきてやるよ」
「すまない・・・」
「お前あやまってばっかだな。前のお前はもっと自己中な奴だった」
私は笑う。こうやって二人して笑うことの幸せは記憶を無くしたこの私でも同じことだと知ってうれしかった。

 翌日、私は彼の車に乗って街へ出た。こうやって誰かの横で人ごみをぼんやりと見ていると何か思い出せそうな気がする。
人々は皆、目的を持って道を行く。それが私にはひどくうらやましい限りだ。
今横を通った青年は彼女のいる家へと早足で歩いているのかもしれない。あの婦人はたぶんデパートへと向かうのだろう。にしてはきれいな格好をしている。友人の家でおしゃべりでもしにいくのだろうか?
あの二人の少年はゲ―ムセンターでとったのだろうか、緑の怪獣のぬいぐるみ、ピンクの兎のぬいぐるみをそれぞれ持っている。

・・・・・あれは・・・

「・・・っ!!!!」
私は息をつまらせた。あまりの恐ろしさに体が震える。声をだせないでいる私を不思議に思ったのか横の友人がおい、と体を揺さぶる。
「どうした?」
「・・・・あ、あの・・・影が、こちらを・・・やはり幻覚なんかじゃない!あの目が幻覚なものか!」
黒い帽子に黒いコートに身を包みこちらを見据えていた人物の目は鋭く冷たい。自分に向ける殺気しか感じられなかった。私を殺すことしか考えてない、そのように目が語っていた。
「お、おろしてくれ!奴が追ってくる・・・!」
私はパニックに陥った。目は大きく見開き、冷や汗を大量にかいていただろう。しかしそんな私に構わず男は車のスピードを緩める様子はなく快活に笑う。
「まあ、待て。もうすぐ着くから。お前は疲れてるんだよ、ほら見えてきた」
「・・・・」
前方には大きくそびえる観覧車が見えていた。あまりにも今の心境にかけはなれた場所に私は呆気にとられた。あんな場所に行ってどうなるというのだろうか?どんなところに行こうと奴は追ってくる。
そうだ、追って来る・・・・私は気付いていた。


――――――どこへでも奴は私を殺しにやってくる。


平日の遊園地はわりと賑わっていた。もっと閑散とした雰囲気かと思っていたがそうでもない。
小さな子供のはしゃぐ声、木々のざわめき全てが穏やかな、穏やかなこの場所。私なんかがここ、という場所にいるということが不思議に思えた。
空を仰ぐと薄い水色の空が広がり霞のような雲が流れていく。
私は新鮮な空気を吸い込んだ。
「な、来てよかっただろ?お前確か遊園地好きだったよな?よく彼女とのデート先は遊園地だったじゃないか。」
「そうなのか?」
だからだろうか、なぜか落ち着いてきているような気がする。そう、見えない彼女の空気が伝わってくるようなそんな安心感に包まれる。
「何に乗ろうか?といっても野郎と何乗るってんだよな?」
「あれとか、いいんじゃないか?」
私はジェットコースターを指差す。キャーとい悲鳴がここまで聞こえてくる。
それから私達は時を忘れ、ジェットコースターに5回も乗り、バイキングにも乗った。思いつくまま適当に乗りつぶしていき気がつけば日はオレンジ色に変わり、位置も低くなっていた。
「あーおもしろかった・・・」
「ああ、本当に・・・・」
ベンチに腰掛け、大きな夕陽を眺める。こんなにも夕陽は美しかったのだろうか?私は満足したようなため息を一つした。
「俺さ、ちょっとトイレいってくるわ」
「ああ」
男はベンチから立ち上がり片手を上げて駆け足でトイレへとかけていく。
私はその後姿を見ながら本当にいい奴だと思った。以前の私に感謝する。あいつと友達でよかった。心から私は救われた。こうしてぼんやりと夕陽をみているとあの恐ろしい影も幻に思えてきた。
「あの影は一体なんなんだ・・・以前の私が誰かから恨みをかっていたのだろうか・・・?だとしたら殺したいほどの恨みとはなんだ?」
私のなかにある恐ろしい考えがうかんだ。手が震える。
「もしかして私は人を殺したんじゃ・・・」
人を殺したいほどの恨み。それはこの手で誰かの命を奪ってしまったからじゃないのか?だからあのような殺気で私を・・・・
「はっ・・・はは・・・私はどうしてしまったんだろうな・・・?」
自分の愚かな考えに笑いがこみ上げる。もし自分が人をころしてしまったのなら今ごろ友人が警察につきだしているはずだ。あいにくニュースで自分の顔が出ているのはみたことがない。
「朱鷺佑介・・・・・」
「・・・・!?」
体中、電気が流れたように私は硬直した。背後から高い女の声で名をよばれる。私は後ろを振り返らずとも誰かわかった。

・・・影だ、ついに私を殺しにきたのだ・・・

「私は銃を持っているわ。このまま騒いだら撃ち殺すと思って」
「・・・・」
私はゆっくりと頷いた。心のなかでは早く友人が帰ってくるよう願うがその気配はない。冷や汗が流れた。
「あの観覧車にのりなさい」
「・・・」
大きな観覧車がゆっくりと回転している。私は躊躇した。きっと私はあの観覧車の個室で殺される。そう思った。
「早くしなさい」
「わ、わかった・・・・」
私は何気ない様子で立ち上がり、後ろを振り返る。そこには全身黒ずくめの女がたっていた。女は私の恐れる目をしていた。影だ。
私の命を狙う影・・・私は逃れられないことを知っていたはずだ。何をいまさら命を惜しむ。これはきっと運命なのだ。私はきっととんでみない罪を犯してしまったのだ。この女性が殺人を覚悟するほどの黒い黒い・・・暗黒の罪を。
「あれに乗ったら私を殺すのか?」
「だとしたらどうするの、逃げるつもり?」
「いや・・・」
私は抵抗もせず観覧車へと乗り込んだ。この時間は帰る人が多いのか空いていて並ばずにすんだ。もし並んでいたら友人が私を助けてくれるかもしれないとは考えなかった。私はそれでもこの女と観覧車に乗っただろう。なぜかひどくすっきりした気分だった。
観覧車に乗り込み、女が向かい側の席に腰掛けた。私達はしばらく無言だった。沈黙が重くのしかかる。
位置的に真上にさしかかった頃だ、女が口をひらいた。
「ねえ、私が誰だかあなたは分かる?」
「さあ、しかしその帽子をとったら思い出すかもしれない」
「・・・・そう」
女は迷っていた風だったが帽子をとった。と、帽子の中にしまっていたのか長い漆黒の髪が現れた。女は首をふって長い髪をうしろにやった。
強い瞳が現れた。私はすくむことなく女をみつめた。
「・・・すまない・・・私が君に覚えが無い」
「記憶がないんでしょう?仕方ないことだわ。別にあなたが覚えてなくても構わない」
そう言うと女は立ち上がり私を見下ろす。殺気が瞳に宿る。女がコートの胸ポケットから黒い銃を取り出した。かちゃ、という金属音がなる。
「私は三つ数えるわ。そしてあなたは死ぬの。天国にいけるといいわね」
「・・・一つだけ教えてくれないか。どうして君は私を殺したいんだ」
「なぜあなたを殺したいか・・・?あなたに言ってもどうせわからないわよ・・・そうね、簡単に言うなら・・・」
女は間をあけた。口元は笑んでいた。


「あなたがあなたを殺そうとするからよ」



――――――・・・女がカウントし私は殺された。そべてが遠くなり視界は暗転した。








白い空間。次第に視界がはっきりしてくるにつれそれが病室だということが分かった。近くで呼ぶ声。女の声だった。
「・・・・」
「佑介・・・目を覚ましたのね・・・!」
「ここは・・・」
起き上がろうとしたがわき腹に痛みがはしりうめく。
「動かないで、手術は成功したとはいえまだ傷は完治していないわ」
「傷・・・・?」
「やあ、目を覚ましたかい」
そこへ、白衣をきた男が部屋に入ってきた。先生、と傍らの女が言う。
「君は自分が誰だかわかるかい?」
「え・・・自分が・・・?」
一瞬、記憶が混乱して分からなかったがすぐに頭の中に名前が浮かぶ。
「朱鷺佑介・・・そうだ、思い出した“俺”は殺されかけたんだ!」
全てを思い出した。
そう、自分はもう一人の人格に悩んでいた。いあわゆる二重人格だったのだ。もうひとりの人格は俺を押さえつけ俺をいつも殺そうとしていた。あの事故はもう一人の人格がわざとハンドルをきりおこしたものだった。幸い事故は軽傷ですんだがもう一人の人格の記憶喪失をおこさせた。
もう一人の人格は自分が体をもたない人格だとは知らずに自分が『朱鷺佑介』だと思い込んでいたのだ。
「あわてて君の彼女が僕のところへ駆け込んできたときには驚いたよ。ついにもう一人の人格に殺されてしまったのか、ってね。僕は後悔したよ、精神科医失格だと思った。君の病状を軽くみていたんだからね。部屋に君を閉じ込めておくべきだった、そう思った。しかし軽傷ですんだ。ほっとした僕は人格破壊のいい案をおもいついたのさ。」
「先生はあなたの友人になりすまして、私はあなたを殺す暗殺者になった。・・・充分恐怖をあたえそしてあなたを撃った・・・」
「このわき腹の傷は君が・・・?」
「狙いを外さないよう、ちゃんと射撃場にかよったわ。そしてあなたを撃ったあとの応急処置の方法もならったわ」
「しかし恐ろしい人格だった・・・・君を本気で殺そうとしていたんだからね」
「そう・・・だったのか・・・・」
俺は彼女の手を強く握った。彼女は手に顔をよせる。生暖かいものが触れた。涙だ。
「すまない・・・怖い思いをさせて・・・」
「いいのよ、もうあいつは死んだのだから・・・これからは普通の生活が待っているわ・・・」


「普通の生活・・・」

俺は窓を見上げる。青く晴れ渡った空はどこまでも澄んでいて平和、とう言葉が浮かぶ。俺の中の人格を殺した二人・・・・この横にいる彼女や先生は今は俺に向かって微笑んでいるが人格、という形でも人を殺したのには違いない。
「本当にそれしか方法はなかったのか?」
「何が・・・?」
「人格消す方法だよ・・・」
「君の場合はもう時間の問題だったからね、人格にいつ殺されてもおかしくなかった・・・だから恐怖によるショック死しか残らなかった。」
「そうか・・・」
「やだ、もしかしてあなた、まだもう一人の人格なんじゃないの?」
「まさか、そうなのかい?」
にこやかに聞いてくる二人が俺が何も言わないのにやがて顔を強張らせた。
「俺は俺だよ・・・!嫌だな、二人とも!」
「びっくりした〜!本気かと思うじゃない!」
「やれやれ・・・もうこんな危険な思いはしたくないよ」
医者と彼女は安堵の表情を浮かべる。
「はは、何真剣になってるんだよ、もう俺は一人だよ!」
「そうよね、私が殺したんだもの・・・あなたはあなただけのはずよね」
―――俺は一人。なぜかその言葉が胸に響いた。二人に笑いながら俺は彼女とは別れようと思った・・・もし、もう一度人格が現れてもこの医者にも頼らないでおこうと思う。
この二人は人殺しなのだ。
黒い、黒い、暗黒の罪を犯したのだ。人を殺せる権利など誰にもあるはずがない。




―――そう誰にも・・・

end.