日本語は、一つ一つの言葉の持つ響きが重厚で、ニュアンス的に重たく聞こえる。
英語はおなじ意味の言葉でも日本語より気楽に聞こえる。
アンディ・ウォーホルの作品を芸術と言うと大げさに聞こえても
アートと言ってしまえば少しくだけた響きで遠慮なく使える。
それでもウォーホルの作品は芸術に変わりない。
アイドルの歌でも歌謡曲と言うとおにゃんこクラブとかを想像するけど、
J-POPと言うとモーニング娘になる。でもやっぱり薄っぺらいものに変わりない。
がんばるという言葉は気軽に使うには響きが重すぎ、「少しがんばる」とか
言ってみても、聞いてるほうとしてはバカにされているような聞きごこち。
何が「少し」だこのやろう、ちゃんとがんばれよって。
「トライ・ハードする」なんて言おうものなら話し相手から殴られそう。
ふざけるのもいい加減にしろって。
何にでも見た目や聞こえのキレイさばかり求めるから、いつのまにか泥臭い
日本語が嫌われるようになって、がんばるに代わるちょうど良い言葉が無い。
で、がんばるという行為自体もダサくて中身の無いことのように思えてしまう。
だから言葉の説得力が全然なくなっている。
本当は人が必死になって努力して何かをつかもうとする姿はとても美しいものなのに。
そして、本当に努力している時、人は謙虚で、「まだまだです」とは言っても、
「がんばってます」なんて言わない。それこそがその人が眩しく輝ける理由でもある。
だって、がんばっているのがにじみ出ている人って、すごくかっこいい。
こうやって何だかんだ言って、結局「がんばる」っていう言葉を使ってしまうんだけれど、
気持ちとしては「がんばる」の代わりに「前進する」って言いたい、と私は思う。
がんばってれば前に進むことが出来るから。