月替りの「お題」からメンバーが
自由な連想でエッセーをつづります。

ものの見方・感じ方に、
それぞれの経験や個性があらわれます。

ひとつのテーマがどう花ひらくか?
クリックしてみてください。


隅 恵子 「プチ住民運動のススメ―空白の5分間」
藤木 俊明 「1モモが救う日本の景気」
小梨 由美 「5分のツケ」
高林 昭浩 「至福の5分間を求めて、雌伏40余年」
中保 裕子 「春はあけぼの」
床井 順子 「朝のチェック」
須藤 智香 「至福の五分間」
大岩 由利 「ひと手間の5分間」





4月のお題:「5分間」
プチ住民運動のススメ−空白の5分間-----隅 恵子

 119番に電話して救急車が到着するまでの間を「空白の5分間」という。突然倒れて呼吸が止まってしまった時、酸素が供給されない状態が3-4分を超えると脳の機能が失われてしまう。救急車到着までに、そばに居合わせた誰かが人工呼吸と心臓マッサージをするだけで救われる命がある。救急手当を一般の人に知ってもらうために消防関係者は救急講習会を実施している。
 一般の人に救急手当を学んでもらうことに加えて消防関係者が認めてほしいというのが、救急隊員(救命救急士)による気管内挿管だ。これは空気の道を確保するために口からチューブを入れる救急処置である。誤って食道に突っ込むと危険など種々の理由で、日本では医師にしか認められていない。
 2001年12月、秋田、青森、山形で救命救急士が気管内挿管を行っている地域があることがわかり、マスコミが騒いだ。医師が現場で挿管できるようドクターカーの整備が先だと主張する日本医師会、救命救急士の気管内挿管は法律違反とする厚生労働省の指導があって、救命救急士による気管内挿管は取りやめられた。
 地元の協力的な医療機関の指導を受けた救命救急士の気管内挿管で、心肺停止した人の救命率が全国平均の3-4倍に達していた地域があったにもかかわらずである。
 幸いにもというべきか、3月15日、坂口厚生労働大臣が救命救急士の気管内挿管を限定的に認めるという政治的判断を下してこの問題は急展開を見せたが、この問題で世論が盛り上がるという動きは感じられなかったように思う。
 専門家と行政がだめだといったら、私たち住民はそれでいいのだろうか。私たち住民はどうしたいのか、もっと行政や専門家に伝えてもいいのではないか。だって公的サービスは私たちの税金で運営されているのだから。
 私たち住民がどうしたいのか、意見を持ったり表現したりする習慣がこの国にはあまりない。デモのように集団でコトを起こすのは抵抗あるけれど、少人数や1人で“プチ住民運動”を始める人が増えたら、世の中、変わるかもしれません。そんな“プチ住民運動のススメ”をテーマに連載したいと思っています。

1モモが救う日本の景気-----藤木 俊明

 私の労働時間は一時間あたり5分間である。

 嘘ではない。確かにパソコンを叩いたりしているが、それはただ文章を垂れ流しているだけ。パソコンに向かう前も、プリンを食べたり、散歩をしたり、うたた寝をしたり、考えをまとめるために雑談をしている。つまり、「本当に仕事をする5分」のために、その準備と、単なるルーティンの動作と後始末をしているだけだ。

 たとえば、格闘技の試合は5分間が基本。相撲の水入りもそうだっけ?音楽だってシングル曲は5分間まで。某N社のWEBで「5分間でITのキモがわかる」という連載をしているが、今までになく評判がよい。そう、人間は5分間がちょうどいい単位なのだ。

 あまりこんな場所で言いたくなかったが、「5分間」を時間の基礎単位にすることが景気回復の特効薬だと政府に諮問するつもりだ。2003年から5分間を「1モモ」とする。1時間は12モモなのだ。そうすると一日は24時間ではなく288モモである。

 はっきり言って長い会議が多い!これからは「会議を2時間しましょう」ではなく、「会議を24モモしましょう。あれ?なんか多いなあ。じゃ10モモしましょう」ということとなる。つまり、大事な時間がどんどん浮くのだ。私も「今日は8モモも仕事したぞ」と部下に言える。40分というと一日ぜんぜん働かなかったように思われるが、8モモなら許してくれるだろう。

 デートに遅れても、「ごめんごめん待った?」「もう40分も待ったわよ」「じゃなくて8モモだろ?」「うーん馬鹿ね」といった具合にうまくいくに違いない。「せめて1モモぐらい頑張ってよ(冷笑)」という局面も考えられるが。
 えっ、何で景気回復なんだって?もうそれは「有効時間が倍増する」と言うことにつきる。無駄な時間が削られて、遊べる時間もぐんと増える。さらに仕事をやろうなんてケナゲな向きもいるだろう。

 やれやれ、この文章も10モモで書き上げた。さっそく遊びに行くとしよう。
5分のツケ-----小梨 由美

 終業のベルが鳴ると「おまえらにこの先何を言っても無駄だ。これを『終業ベル思考力停止の法則』と言う」と、どんなに講義が佳境でも授業をバタリと終えてしまう物理の先生が高校にいた。先生の『法則』をもじるなら、私はさしずめ『外出5分前行動停止の法則』に支配されている。
 外出先への到着時間から逆算して家や仕事場を出なければならない時間を決めると、その5分前にはもうなにも手に着かなくなる。「あと3分やればケリがつく」ことの途中であったとしても、そわそわ落ち着かない。学生時代、吹奏楽部で「5分前行動が団体生活の基本」と徹底的に仕込まれたおかげもあるが、そこであわただしい思いをするより後でゆっくりやった方が気が楽だし、着いた先でゆっくりした方がいいという気持ちが私をそうさせる。
 目的地には、たいてい10分前に着く。なぜなら、そこまでの所要時間を見積もるときに既に5分間のゆとりを加えてあるからだ。そしてその10分間、思惑通り「ゆっくり」するかというとそうでもない。仮にそれが仕事のプレゼンに出かけている場合など、場所があれば資料にもう一度目を通したりして心せわしい時間を過ごす。そんなときに限って企画書に誤字を発見し、今さらどうしようもできないと暗い気持ちを抱えるはめになったりもする。
 外出先から戻ると、当然のことながら、出がけにやり残したことが待っている。やってしまえば3分なはずだが、これもそうはいかない。あのままやっていれば3分で仕上がったことも、いったん中断してしまうと、取りかかるまでに時間がかかって30分位かかってしまったりする。おかげで予定は狂い、次にやるべきことが順繰りに後ろ送りになって、なんということはない、結局最後は大あわてだ。
  それでも時間が押せば、一日の帳尻合わせは睡眠時間。5分間が雪だるまのようにふくれた分だけ、私はいつも寝不足である。

至福の5分間を求めて、雌伏40余年-----高林 昭浩

 小学校時代の私は、すごく寝つきの悪い子どもだった。しかも保育園の頃から昼寝というものができなかった。つまり眠ることが苦手だったのだ。昼寝しないのに夜も眠れない。そして、わずか1時間程度でも眠れないと、不安になって泣き出してしまうという情けない子どもだった。
 翌日に遠足や運動会などを控えていると眠れないことはよくあるが、私の場合、音楽を聴いたりして興奮しても眠れなくなった。私が眠れなくなる楽曲のNo.1は、キング・トーンズというR&Bコーラスグループの『グッド・ナイト・ベイビー』(40歳以上の方なら覚えている人もいるはず)だった。なんて皮肉なことだ。
 ボーカルのファルセット・ボイスが嫌いだった。おっさん顔なのに女性みたいな声。気持ち悪い。そのように思った記憶はないが、とにかくこの曲を聴くと眠れなくなるのだから仕方がない。こうして私は眠ることが恐くなった。
 と思っていたら、いつの間にか私の体質は変化していた。今では眠れなくて困ることなど年に1度もない。しかし、眠るのが下手なのは相変わらずだ。暖かなベッドの中でいろいろと楽しい想像に浸りたいと思っても、ほとんど瞬時のうちに眠ってしまう。だからその心地よいひとときを堪能する暇がない。そして寝覚めはものすごくいい。外が明るくなってくると、もう目を閉じていられないのだ(カーテンに問題があるのかもしれないが)。当然、朝のまどろみを楽しむことも滅多にない。
 たまに眠れないことがあると、ここぞとばかりに妄想を楽しもうとする。そんな夜は結構いいアイディアがひらめくような気がするが、もちろんそれは気のせいだ。朝起きて思い返すと、かなりくだらなかったりして、本でも読んでおけばよかったと後悔する。

そんなわけで、私は寝入りばなと寝覚めの“至福の5分間”とは無縁な人生を送っている。これは幸せなことなのだろうか、それとも不幸なのだろうか。

春はあけぼの-----中保 裕子

 年末にベッドを買い換えた。
 じつに10年ぶりである。これが快挙だった。この10年間には、ITやパソコンや携帯電話やDVDやSuicaだけでなく、ベッドのようなローテクまでが進化していたのだ。
 「読書」「テレビ」などのスイッチをいれると、最適な角度に上半身がぐぐぐっと起き上がるというすぐれモノも試した。だが枕はずり落ちてくるわ、寝る位置によっては首だけ起こされるわと意外に多難だったので、やめた。だいいちこれは介護用品メーカーのベッドなのだ。いくらなんでも、まだ自分の筋力で十分である。
 結局、ダブルクッションというタイプを買った。「ウォーターベッドに最も近い」というクッションは、一見頼りないくらいにやわらかい。しかし、不思議に体が沈みこむことがない。ふわり、と自然に支えられている感覚が何とも気持ちいい。やわらかいクッションは腰に悪いというのは昔の話らしいと初めて知った。

 以来、私は熟睡の度合いが深くなり、毎晩寝るのがいっそう楽しみになった。
 そしてそれ以上に、朝のまどろみが楽しみになった。
 朝方はじつに気持ちのよい夢をみる。
 たいていは、キムタクが登場する。二人で飲んでいて、じゃ、部屋にでも行こうか、といういいところで決まって邪魔が入る。一度は「私んちで泊まらない?」と部屋(なぜかワンルーム)に戻ったら、母親がいて目玉焼きをつくっていた。一度は、さ、そろそろ・・・と店を出ようとしたら、レジで夫につかまった。しかも「俺のも払ってくれ」と伝票を突き出していた。
 無論、本物の夫に起こされたことも数回。まさにペッパー警部である。あ、この比喩はわかりにくいか。
 というわけで、いまだにキムタクとは一線を越えていない。それでも十分楽しいひとときを過ごしているらしい私は、起きた瞬間にいきなり笑顔だった、という夫の証言もある。
 夢のなかの2時間は、おそらくほんの5分程度だろう。
 春のあけぼのはいと心地よし。

朝のチェック-----床井 順子

 「ハイ ミナサマ オハヨ コザイマス」
 「トウキョクノ ケサノ ハッピョウニヨリマスト キョウノ シーアンチホウノ オテンキハ クモリ キオンハ18度クライマデ アガルヨテイデス」
 中国の西安を旅行した。毎朝、観光に出発するとき繰り返される、ガイドの最初の挨拶がこれだ。3日目に、なぜ毎朝これから始めるのか聞いてみた。答えは、日本人が必ず聞くから、とのことだった。
 そういえば、以前、中国に駐在していた友人から聞いた話がある。中国では「中国人は毎朝5分間、政治の動きのニュースを見るが、日本人は毎朝5分間、天気予報を見る」というのだそうだ。
 うーん、そうですね。いわれてみれば、出勤前の朝のテレビでは頻繁に天気予報をやるし、チャンネルによっては左肩にずっと各地の天気と気温が出っぱなしのところもある。いままで、あまり考えたことがなかったが、外国人からするとこれは奇異なことなのかもしれない。いや、まてよ。毎朝チェックするからには、これが私たちにとっての最重要関心事なのではないか。 現に、一党支配の中国の人々にとって政治の動向は即、毎日の生活に影響があるわけで・・・。もしかしたら、明日にはまったくの自由経済になっているかもしれないのだ。翻ってわが邦では、政治の動向は帰宅時に雨に降られるほどの影響もない、と無意識のうちに思っているのではないか。政治ニュースが視聴率を上げたといっても、どこか他人事で自分自身も当事者意識がない。
 いやいや、ちょっといい過ぎ。私たちは微妙な四季がある国の農耕民族なのだ。事実、たった5日間の旅から帰ると、東京は桜がほころび、すっかり春になっていたのだった。ちなみに、西安では毎日、黄砂が舞うほぼ同じ曇りの日々だった。

至福の五分間-----須藤 智香

 世の中には妙な特技を持った人がいるものだが、私の特技はどこでもすぐに眠れることである。出張や旅先のホテルは難なくクリア。飛行機、電車、地下鉄、バス、いずれも座れば眠れる。相当に疲れていれば、立ったまま眠ることもないとは言えない。
 病院での待ち時間も絶好の睡眠時間だ。待合室は言うに及ばず、歯科で治療途中に待たされて口を開けたまま寝ていたこともある。脳腫瘍を疑われてMRI(横たわって蒲鉾みたいな半円柱状の装置に入れられる、あれ)検査を受けたときでさえ、「工事現場のようなうるさい音がします」と言われ、確かに最初のうちはそんな音がしていたようだが……検査技師に「終わりましたよ」と揺り起こされる始末。
 さて、そんな私が今一番お気に入りの眠りは、フィットネスクラブでのひとときである。アロマテラピーでおなじみのエッセンシャルオイルの香りが漂うスタジオでストレッチしたあと、横になって目を閉じ、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。照明は暗く、BGMはヒーリングミュージック。体も適度に暖かく、あ〜、なんていい気持ち……。
 やがて「さあ、では徐々に目をあけていきましょう」というインストラクターの声が響き、照明が明るくなり、手足をぐーっと伸ばして目が覚める。実はこの間わずか五分ほどなのだが、頭も体もすっかりリフレッシュ。まさに至福の五分間である。
 ただし、あまりの気持ちよさに、起きたとき非常にゆるんだ顔になっている場合が少なくない。これが唯一の難点である。

ひと手間の5分間-----大岩 由利

−カラカラと豆を煎る音、青い生豆が琥珀色の豆に変わっていく。井上陽水のコーヒールンバ(もしかして私みたいに西田佐知子を思い浮かべる人もいると思うが)の魅惑を思い浮かべ、思わず微笑みがあふれてくる。これが私の至福の“5分間”―

おいしいコーヒーは「煎りたて、挽きたて、いれたて」であることは言わずもがなである。忙しい日々にパソコンをにらみながら飲むコーヒーに「コーヒールンバの魅惑」など思い起こすことなどとんでもないが、休日にかぎっては「煎りたて、挽きたて、いれたて」の魅惑のコーヒータイムを味わっている。

これは、おいしいコーヒーの鉄則を実現するコーヒー豆煎り器を手に入れたことで実現したのだが、これを発明したのは藤本靖之氏。発明家である。かつて「カンキョウ」という会社を起こし「クリアベール」という空気清浄器を発売した。家電メーカーでもなく空気清浄器のみで世界を相手に成功した発明家である。現在彼はさまざま活動をしているがその一つに「非電化製品」を発明し広めるという運動に力を入れている。「非電化」の冷蔵庫、除湿機などなど、彼の発明を聞くたびに驚き心躍る。

「非電化製品」には決まり事がある。「ひと手間」かけること。そして、「いい事をしたい」と「好き」が発明の原点にある。無類のコーヒー好きである彼が、香り高いおいしいコーヒーを飲みたいとの気持から非電化製品「手煎り焙煎器」を発明したという。現在ある豆の煎り器との大きな差は、5分間で煎りあがること。人間が単純な作業を続けられるのは4分から5分との考えから(その後にすばらしいコーヒーが飲めることがわかっていてもである)、素材,形を工夫してこの藤本式コーヒー手煎り焙煎器は発明された。

彼の考えから行けば、手煎り焙煎器で煎った豆は、もちろん「非電化」の手動式ミルで挽かなければいけなのだが、今のところ私はその点に目をつぶり、手持ちの電動ミルで挽いている。それでも休日の朝の「ひと手間かけた非電化の手煎り焙煎器」でコーヒー豆を焙煎する5分間は、何事にも変えがたい5分間である。その後の挽きたてで、いれたてに飲むコーヒーの準備としては楽しさと期待で胸膨らむ“5分間である。

近々、素敵な手動ミルを買って楽しみを1分ほど先送りし、6分間手をかけて「煎りたて、挽きたて、いれたて」のコーヒーを楽しもうと思っている。



ホーム