| 月替りの「お題」からメンバーが 自由な連想でエッセーをつづります。 ものの見方・感じ方に、 それぞれの経験や個性があらわれます。 ひとつのテーマがどう花ひらくか? クリックしてみてください。 |
| 今月のお題:「春」 |
| 隅 恵子 | 「春になって戦争が始まった」 | |
| 床井 順子 | 「セサミがやって来た。」 | |
| 藤木 俊明 | 「春より初夏」 | |
| 中保 裕子 | 「“春”を満喫!?」 | |
| 高林 昭浩 | 「空蝉の世は常なしと知るものを…」NEW |
| 春になって戦争が始まった-----隅 恵子 |
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春の訪れと同時に米英軍のイラク侵攻が始まった。空爆開始のニュースを耳にしてから1週間は、もしイラク市民と同じ目にあったらどんなに不安で苦しいだろうかと、ずっと気持ちが暗かった。イラク侵攻に対して気持ちは大反対だったけれど、仕事が入っていたため、空爆開始前の反戦デモ行進には参加しなかった。当たり前のことだが、デモに参加するには自分の生活の中で時間をつくる努力が必要だった。 |
| 深夜、キキー、キキーッというガラスをなにかで引っ掻くような音に気がついた。 庭に面したサッシに強風で折れた小枝でも当たっているような音だ。 カーテンを開けてみると、足元近くのガラスの向こうに先日餌をやったノラ猫の、切羽詰まったような表情があった。よく見ると、前足をガラスに当てた猫の足元になにやら動くものがある。 子猫だ! 急いでサッシを開けると、ノラは子猫をくわえて一目散に部屋の奥へと駆け込んだ。ソファの一角にその子猫をポトリと落とすと、こんどは急いでいま来た道を引き返し、外へと飛び出していった。 「どうしよう・・・置いていかれちゃった!」私と夫は顔を見合わせた。 しばらくすると、もう一匹くわえてやってきた。 「えーっ! いったい何匹いるのかしら?」「ど、どうする?」 幸いもう出ていく様子はない。どうやら子猫は2匹だけのようだ。 猫は普通4匹か5匹の子を産む。 しかし、このノラに以前餌をやったのはあまりにも痩せていたからなのだ。 ミニチュアの馬かと思うほどの細い顔、全身ガリガリで尻尾など針金のようだった。いくらノラでも、ここまで痩せた猫を見たのは初めてだった。 きっと栄養失調で2匹しか産まれなかったのだろう。 猫の恋の季節は、まだ寒い2月の初め頃。 で、4月の初めごろには子猫の誕生となる。 自然の摂理に従って、自身は痩せ細っていても子を産む。 この母猫のけなげさに心打たれた。 私を信じて子猫を連れて来たノラ。 もともと猫好きなことと、この母猫に選ばれた幸せ感もあって、この猫の親子を飼うことにした。 母猫は黒毛だけが点々と目立ち、ぼけた茶色と薄汚れた白毛混じりの三毛猫。名前をセサミと付けた。 まだ目も開かない子猫は手のひらにすっぽりと納まる小ささで、黄トラと白黒ブチだ。 まるでお稲荷さんと田舎饅頭のようだった。 黄菜子と安兵衛と名前が決まった。 セサミは子猫を文字どおりなめまわすように育て、その姿は母子ともに幸せそのもので、見ているこちらも一家団欒の幸福感に満たされた。 1年もしないうちにセサミの毛色は濃くなり、子猫は6キロを超すデブ猫になった。 その後、数年続けて春になるとどこかから猫がやって来て、わが家に住み着くという不思議なことかが起こった。 猫の世界に連絡網でもあるのだろうか。 あれから20数年の春が過ぎ、その猫たちもそれぞれに天寿を全うしていまは1匹もいない。 菜の花が咲き、桜が散るころになると去っていった猫たちの姿が思い出される。 |
| 「春より初夏」-----藤木 俊明 |
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「春」ってあんまり好きじゃないんですよね。 |
| 「“春”を満喫!?」-----中保 裕子 |
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3月末から怒涛のごとく仕事三昧の日々となり、花見にいけずじまい。 |
| 「空蝉の世は常なしと知るものを…」-----高林 昭浩 |
| 春はスプリング。スプリングといえば発条。発条といえば発情ということで、ひところサカリのついた猫の鳴き声が会社の周囲にサラウンドで響き、うるさくてしかたなかった。これもホルモン分泌のなせるわざ、ああ、畜生の悲しさよと笑うことはできない。人間さまもこの季節になるとオツム関係にいろいろな変調をきたすことが多くなるからだ。 かくいう私がそうだ。春は空しい。なにやらわけもなく空しい。あまりにも空しいので、そんな人間を何人か集めてルナシーならぬ“ムナシー”というバンドでもつくろうかと思うほど空しい(オヤジギャグで申し訳ない)。 空しいといえば、田口ランディ氏はエッセイの中で「むなしい感じってのを抱えてると、激しい怒りとか憎しみとかは、あんまり感じない」などと言っている。 それは実感としてわかる。この2種類の感情はどちらもネガティブなものだが、じつは対極にある。つまり空しさや切なさは消極的な感情で、怒りや憎しみは積極的な感情なのだ。怒りにはエネルギーが必要だが、そのエネルギーがない状態が「空しい」のだ。 恐らく、対イラク戦争真っ最中のブッシュやラムズフェルドは、空しさを味わうことなどなかったに違いない。逆に日本は現在「空しいモード」に入っているように思える。そんな国は社会全体が熱狂的な愛国心情で包まれることはないだろう。せいぜい動物を愛玩するくらいで。それはそれでいいことかもしれないが、どうだろうなあ。社会としてみれば老衰寸前といったところだもんなあ。 いっそのこと日本は世界に対して「隠居宣言」を出してしまうのもいいかもしれない。あとは若いもんに任せた、とか何とか言って。どうせこの国がやることはほとんど無責任なんだから、むしろ隠居宣言は潔いのではないかしら。 |