こだわりの果てに何がある-----藤木 俊明
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一般的に「こだわり」とは、良い意味で使われていますよね。「玄人(っぽい)」「目利き」「先物買い」などの関連ワードが思い浮かぶ。なんか渋い大人とかをイメージする人もいるだろう。 しかし、わたしは思う。こだわりの果ては「オタク」だと。「オタク」というと、 あっという間にワードの価値が下落しそうだ。 この頃わたしが、深夜市ヶ谷のKinko’sに行くと、いるのだいるのだ。女の子が。しかも、総じてみんな化粧っ気がなく、お洒落じゃないカジュアルな格好をしている。 つまり、どうでもいい格好なのだ。たまに、ヒラヒラの服を着ている子もいるが、男の90%は引いてしまいそうなミルキーな服だったり、黒ミサの帰りみたいな子もいる。 また、だいたい体格の良い子が多い。 はっきりいって朝青龍みたいな子がミルキーなファッションでいるのだ。網タイツを履いたり、腰にキラキラなチェーンをしたりしてる子は皆無である。 この子達は何ぞや?そう、オタクなのです。同人誌を深夜大量に複製して、週末に販売するのだ。近頃、「オタク=女の子」と市場が変化している。 また、秋葉原と聞いて「電気街」と答える人は多いだろう。「いいや、今は電脳街。 パソコンの店が主流だよ」と答える人も多いだろう。 今や秋葉原は「同人誌の街」なのだ。週に1回秋葉原に行っているわたしが言うんだから。凄いよ。むろん、「パソコンおたく」と「アニメおたく」長じて「同人誌おたく」は非常に親和性があるから、さもなんと思うのだが、気色悪さを感じるのはわたしだけだろうか。 確かにアニメなどの「おたくカルチャー」が、日本で唯一といってもいいくらい、海外で高い評価を得る文化であることは否定しない。しかし、秋葉原のジョナサンで、こ汚い格好をした女の子の集団がアニメ話をしているのを見ると、こだわりの果てに何があるのかと思ってしまう。少なくともわたしは、冬でもノースリーブで頑張る ミーハーな子が好きだね。あ、それはそれでこだわり? |
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ストラップマニア-----中保 裕子 |
地方の土産物店で見るものといったら、最近は携帯ストラップだ。 レア物好きの中保としては、狙うべきはやはり「ご当地もの」である。 日本全国津々浦々にある「ご当地ものキティちゃんストラップ」。私はキティラーではないが、これは買いだ。 鳥羽では海女と化したキティを購入した。 函館みやげにエゾカモシカの角をつけた、もはや何だかわからない動物と化したキティをもらった時には「ひゃっほー」と小躍りした。
企業からもらうプレミアムのストラップもまたレアさ加減が嬉しい。 クライアントのM電器からもらった「パナ坊や」ストラップ、クロネコY(わかるって)が「荷物が遅れたお詫びに」とくれた「宅急便トラック」ストラップ。現在のご愛用はやはりクライアントW社からの頂き物の「ブラ&ショーツ」である。 いまや携帯ストラップはプレミアムの定番と化しているだろうが、しかし製薬会社は違う。 学会で各社が配りまくるプレミアムで、携帯ストラップはまだ見たことがない。それでも「製品名入りクリアファイル」やら「製品名入りポストイット」の類は十分嬉しかったりするのでそれはそれでよいのだが、おそらく医師のほとんどが24時間、携帯電話を持っているだろうに。
最近入手したのは、博多に住む友人が送ってくれた「とんこつラーメン」ストラップだ!友人が私のとんこつラーメン好きとストラップ好きの両方を抑えて送ってくれた憎い一品だ。 しかし、ストラップがこんなにあっても、いつ使うのだろう。 ちなみに私の携帯はいまだに211@である。 |
| 民族の誇りは大切だけど-----床井 順子 |
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シルクロードのオアシス都市、サマルカンドへ旅行した。ここウズベキスタンは元ソビエト連邦のひとつでイスラム圏の国。というと、もうご想像がつきますね。
そうです、モノはなくホテルでもお湯は出たり出なかったりで、すべての進行がゆっくり、日本人には不便きわまりないお国柄。石鹸、シャンプーはもちろん、懐中電灯からトイレットペーパー、スーパーの袋まで持参しての旅だった。
幸いだったのは、友人がサマルカンド外国語大学で日本語教師をしていることで―というより彼女がいるから行ったという方が正しいのだが―おかげで、日本語が堪能な若い女性ガイドがついてくれたことだった。
このガイド嬢、開口いちばんに「タジク人のムニサです!よろしくお願いします」というのだった。「ウズベク人じゃないんだー」と初めはあまり気にしないで聞いていたが、次に雇ったドライバーも「タジク人のサファールです!」という。
もう1人の若い男性のガイドについて尋ねると「彼はイラン人!!」だという。おもしろくなってバザールですれ違う人について聞くと「あれはカザフ人」「こちらはウズベク人」「そちらは朝鮮族」などと、まさに東西の十字路ならではの多彩さ。
ソビエト連邦が崩壊して、中央アジアだけでもウズベキスタン、タジキスタン、カザフスタン、トゥルクメニスタンなど多くの独立国に分かれたのだが、民族はそれぞれの国にきっちりとは分かれず、そのまま混在することになった。
だから彼等はパスポート的には全員ウズベキスタン人なのだというからややこしい。 それに古くからいるイラン人やらアラブ人、大戦中にシベリアから移住させられた朝 鮮族、もちろんロシア人などもいて、じつにいろいろな顔立ちに出会う。
表面上はみんな仲良く暮らしているように見えるのだが、内実は違うのだという。 友人によると、元支配階級のロシア人が一番上で、現在、政治の実権を握っているの がウズベク人、経済的にはタジク人などと序列もあり大学でも小競り合いがあるという。
このへんまで聞いてやっと最初の「タジク人です」という言葉のニュアンスが分かって来た。それぞれの民族が、それぞれに出身にこだわりを持っているのだ。 日本人は何千年もいろいろな人が混じりあって暮らす国は、もっと仲良くやっている と思いがちだが、正反対なのだった。現にこの旅でもタジク人ガイドの車はタジク人 のドライバー、イラン人ガイドの車にはイラン人のドライバーとはっきり分かれていた。
民族ってそんなに融合しないものなのですね。民族のクロス地帯で紛争が絶えないわけだ。チンギス・ハーンやらチムールのように実力で敵対相手を全滅させる砂漠的解決法の伝統が、まだ生きていそう。国とか民族というものについて、リアリティをもって考えさせられた旅だった。
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感情表出のステップ
-----隅 恵子
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今年の私は、自分の感情や気持ちを抑えずに素直に表現することにこだわっている(つもりである)。 「たけしのここが変だよ日本人」というテレビ番組で、以前におもしろい実験をしていた。サッカーのワールドカップ直前で、世界中から観客が押し寄せることに対して、日本は準備ができているのかがテーマだった。
アフリカ系外国人の男性数人のグループをバスや市場で大声で騒がせて、周囲の人の反応を見るのである。困惑の表情を浮かべるばかりできちんと注意する人がいない日本と比べて、韓国は違った。普通のおじちゃんやおばちゃんが韓国語で騒ぐグループに注意する。 一時、静かになったグループが再び騒ぎ出すと、あきらめず注意を繰り返す。社会常識を守らない人に対しては、たとえ外国人でも、注意する怖い大人が存在する社会のまともさに感心した。
もうひとつとても印象的だったのは、注意のステップである。 怖い大人は「最初は笑いながら」注意する。再び騒ぎが始まると、次は「真剣な顔で」注意する。それでも治まらなければ、最後は「怒りながら」注意していた。
かつての日本にもこういう怖い大人は存在したはずである。しかし、今は怖い大人がいなくなり、注意されたことがきっかけで「いきなり切れる」人に殺されるといった事件さえ頻繁に起きている。日本人の感情表出のステップは、どうしてこんなにいびつになってしまったのだろうか。
感情表出のステップがないのは実は私自身にもいえること。素直に感じたままの感情を、その場で言葉や表情や態度で表出することが苦手だ。 だから、周囲の人から見ると、いきなり切れたようにしかみえないのではないかと反省している。 それは私にとっても損なので、感情を小出しにする練習を始めたつもりなのだ。 このテーマ、私にとっては2〜3年は継続して取り組むことになりそうである。 |