月替りの「お題」からメンバーが
自由な連想でエッセーをつづります。

ものの見方・感じ方に、
それぞれの経験や個性があらわれます。

ひとつのテーマがどう花ひらくか?
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今月のお題:「おいしい」
床井 順子 攻防戦
須藤 智香 五感でおいしい!プラスα」
藤木 俊明 おいしい仕事とプレミアリーチ
坂下 泰子 おいしい?
中保 裕子 コレステロールへの謝罪
大岩 由利 『おいしい』で幸せに
隅 恵子 マリちゃんの謎
高林 昭浩 客に言えないうまさの秘密
小梨 由美 初めての味★NEW!



攻防戦-----床井 順子

ネコの額の庭に桃の木がある。
もちろん偶然ではない。
食い意地の張った私は引っ越してすぐに実が成る木を入れたのだ。

子供の頃「桃栗3年、柿8年、梨のばかが16年、柚子の大ばか30年」という言葉を小耳にはさんだ記憶がある私は、既に3年経った桃の木と30年経った柚子の木を植木屋さんに所望したのである。ずうずうしいことだ。

なにしろ狭い場所である。2本に絞り込むのに大いに悩んだ。
花も見たいが、食べられる実が欲しい。
で、美しい花でおいしい桃、香り良い花と使い道の多い柚子が選ばれた。

思惑どおりにすぐには実は成らなかったが、2年後くらいからは僅かながら実が成り出した。その木ももう17年を経た。
ここ何年かは毎年7月になると悩みが深まる。
というのも、この桃、小粒だがめっぽうおいしいのだ。
おいしいものは自然が良く知っている。

実が膨らんで美しいピンクに色付きだすと、毎年、決まってやってくるヤツがいる。
ヒヨドリだ。それも2羽で、どうやら夫婦らしい。
私が木に梯子を掛けて桃の実の熟し具合を点検していると、鋭い4つの目が睨んでいる。
もぎ取ろうものなら大変だ。ギャーギャーと鳴きわめき、まるでドロボー! ドロボー! と叫んでいるように聞こえる。人聞きが悪い。

私としてはぜひ、樹上完熟といきたい。
しかし、明日あたり「この実」と目ぼしを付けていると、必ず翌朝は地面に突かれた桃が転がっていることになる。
それも3個も4個もなのだ。しかも、きれいに食べずにおいしいところだけ突いていくのだ。夫婦揃って行儀の悪いヤツラだ。許せん。

7月も半ばを過ぎると、この攻防戦のためにおちおち朝寝もできなくなる。
場合によっては夜のうちに懐中電灯を片手にもぎ取るなどということにもなる。
敵は鳥目だ。夜はやってこられまい。
しかしご近所にはアヤシイ挙動だ。

ところが敵もさるもの、暗くなってから帰宅する私より先に、既に突かれていることも多いのだ。
どうして、こちらの行動計画が先に察知されるのだろう。
今年こそ先手を打ちたい。
欲深婆とヒヨドリ夫婦の熱い戦いはこれからが本番である。

五感でおいしい!プラスα-----須藤 智香

「三度の飯より飯が好き」というほどではないけれど、私は食べるのが好きである。
決して大食漢でも酒豪でもないが、胃はいたって丈夫。好き嫌いもない。だから、おいしいものを食べるのは基本的に大歓迎!

しかし、趣味のエアロビクスや格闘技系エクササイズをカッコよく踊るためには、デブはいただけない。
というわけで、一念発起!ダイエットである。
ダイエットの王道を行く者として、とくに注意しているのが夕食だ。
できるだけ食べる量を減らしてカロリーを抑えたい。でも、わびしい感じはイヤだ。
そこで、私は素敵な器に少しずつ料理を盛りつけることにした。

もともと和食器好きなので、器も一応は揃っている。
それを料理に合わせて真剣に選ぶのだ。
60グラムほどのパスタはやや大きめの楕円の器に盛るか、それともビードロ釉の丸皿にこんもりと盛るか、海藻サラダには薄手の白磁か、いや目先を変えて漆塗りの小鉢かなど、これが結構楽しい。
良い器を使うと料理はおいしそうに見えるというけれど、まったくその通り。本当においしい。

別に私は料理上手ではない。
ちょっと良い器にのせれば、スーパーのそうざいでもお持ち帰りの寿司でもワンランクアップするのが何よりの証拠だ。
それに、皿や鉢がたくさん並んだ食卓は贅沢な感じがして、満ち足りた気分になれるのもいいと思う。

「おいしい!」のためには、新鮮かつ安全な素材も大切、愛情込めてひと手間かけるのも大切、でも、つまるところ料理は味覚だけでなく、五感のすべてを働かせていただくのが一番だと納得している。

あ、そうそう、みなさんがきっと知りたいであろうダイエットの成果について。
おかげさまで3か月で3キロ少々やせました。一番の「おいしい!」は、やっぱりこれかな?
おいしい仕事とプレミアリーチ-----藤木 俊明

今回のお題「おいしい」をいただいて、「おいしい仕事」というワードを連想してしまう私はやはり平凡な経営者。
私ならずとも「おいしい仕事ないかなあ」と窓から外を見てつぶやいている零細プロダクションの社長は、優に1000万人を超えるだろう。
「濡れ手に粟」もしくは「少しの苦労で大きな利益を得ること」。
そういう経験をした人は「おいしい目にあったなあ!」と心の中で吹聴する。
たまに、男女関係でめくるめくラッキーを経験した人もそう言うこともあるが、まずは利益だ利益だ。

80年代後半からのバブルを経験した人は、とてつもない「おいしい仕事」を日々かっさらっていたんだろうなあ。
幸い弊社は90年代に入ってから創業したので、まったくといって良いほど「おいしい仕事」は経験していない。
「何でこの時期に独立する」と先人にあきれられたものです。
それが良かったのか、悪かったのか、いまだに生き長らえている。
今、梅雨寒の三番町の夜景を見て思う。
おいしい仕事ほんとに来ないなあ。
誰か「それでいいんだよ」と言って欲しいが、言われてもナンか淋しいしなあ。

「おいしい仕事」と似ているのは、パチンコの『プレミアリーチ』(100%大当たりのサインが出ること)。
パチンコ知らない人に説明すると、10,000回に1回ぐらいまれに、ストーンと大当たりのサイン付きリーチがくるのだ。
「CRあしたのジョー(奥村遊戯)」の台では白木葉子が水着でアップになったら「それ」!「CRモンスターハウス」では、人面コウモリ(ブキミや!)が出たら「それ」!
とにかく「それさえ来れば大当たり」という「おいしいサイン」なのだ。
でもね。不思議なことに、パチンコでは『プレミア』が出たときは勝てない、という示唆に富んだジンクスがあるのだよ。
「おいしい仕事」ひいたバブル時の人たちもそうだったのかな?

『おいしい?』-----坂下 泰子

「おいしいもの食べに行こう!」というお誘いは、とてもうれしいけど、これがなかなか難しい。
「おいしいもの」と言ったとき、たいていは、珍しいものや、まだ食べたことのないもの、たまにしか食べないもの、を想定しているのだと思う。

ところが、小学校の6年間一度もまともに給食を食べたことがない、超ハードなテニス合宿もトマトをおかずにご飯を食べる、筋金入りの偏食、な私を誘うとなると大変。
やさしい友人は「何なら大丈夫?」と聞いてくれる。でもこれがまた結構難しい。
何が嫌い、何が苦手、とはっきりしていれば可愛いげもあるけど、自分でも何が嫌いか何が好きかよくわからない。

魚が苦手、と言いつつお刺身は大丈夫、鮭も、ブリも、さばも、調理法によっては、味付けによってはOK。
魚がだめなら肉が好きか、というとそんなこともない。鶏もいまいち、牛も特に好きじゃない・・と、ほんとに面倒、ほんとにわがまま。
最近は野菜ならたいてい好き、と言うことにしているけど、「野菜」と言われたって、店選びのヒントにはならない。迷惑だろう、と思う。
「気にしないで決めて。食べられるものあるから」。
で、○○がお勧めの有名店に出かけても、ハンバーグやオムライスを注文することに。

結局、私にとっておいしいものは慣れ親しんだメニュー、慣れ親しんだ味であり、知らない味、微妙な味はおいしくない。
何にでもマヨネーズをかける今どきの若者の味覚音痴を嘆く資格はない。

旅行に行っても食べることで冒険できない私は、旅の楽しさの半分以上を放棄しているらしい。人は人、自分は自分だから、私は十二分に満足だけど、迷惑をかけているのが心苦しい。
皆様ごめんなさい。

コレステロールへの謝罪-----中保 裕子

世の中の「おいしいもの」にはコレステロールが多い。
牛肉も、魚卵もたまごもバターもちりめんじゃこも。
中高年はコレステロールを控えめに、と言われるが、それで人はシアワセになれるのだろうか。

日本人の摂るコレステロールの半分は卵である。
つまり、卵を食べなくなれば、コレステロール摂取量は一挙に半減する。
高コレステロール血症で、イエローカードくらった人はそれでもいい。
だが、みんなが一様に減らしていい、というものでは決してない。

老年学の泰斗、柴田博氏によると、コレステロールは「多すぎ」「低すぎ」「中程度」の順に短命で、かつADL(日常生活動作能力)も低いという。
「低すぎ」は2番目に悪い、という点が目をひく。
元気な高齢者は魚も肉もほどほどに、でもちゃんと食べていて、決して菜っ葉とゴマで生きているわけではない。

コレステロールには、まだまだ擁護すべき真実がある。
少なすぎれば脳卒中の発症率が高くなるし、神経伝達物質・セロトニンの取り込みができなくなって、自殺や異常行動に走ったりする。
特に高齢になったら、肉と乳製品と油の3つは知的レベルの決め手。
高コレステロール血症だからといって、急に下げると却って悪い、という結果もでている。

こうした真実はあまり知られず、「悪玉」イメージだけが横行するコレステロ−ル。哀れみを感じずにはいられない。
だいたい、「コレステロールが気になるけどだいじょうぶかなぁ」なんて、罪悪感をもちながら食べることのほうが、よっぽど体に悪いのだ。
人間の意識は、唾液や胃酸の分泌にまで影響するからだ。

情報発信の片棒をかつぐ人間としては、いつもジレンマに陥るのがここである。
(といっても、たいてい「陥ってる時間」はほとんどなく、ええいっ、と目をつぶって書いてしまう。それがまたジレンマだったりする。)

こうなったら仕方がない。
少なくとも我々だけは、いつまでも元気で知的であるために、みんなでバリバリ焼肉を食い、食後にアイスを食べる美しいじじばばグループになろうじゃありませんか。
それが私の理想のシルバー像。
・・・と、いうわけで、さあ今夜も「牛角」だ!
(我が家の近所にできたのです。)
 

「おいしい」で幸せに----- 大岩 由利
「おいしい顔ってどんな顔」というだいぶ前のコマーシャルソングを覚えていますか。
「おいしい顔」は本当にどんな顔だろう。
「おいしい顔」は幸せな顔に違いない。

おいしいものを食べたとき、おいしいと思ったときはみんな幸せな気分になって、笑顔が自然に浮かぶはず。
もちろん「おいしい」のレベルは人によっても状況によっても全く違うが、私の勝手な言い分では、「おいしいと感じ、おいしいことを表現できること」が、笑顔を生み出し、幸せになれる最も素朴な方法だと思っている。

男2人の母親である友人は、「夫も子供たちもどんな食事を作ってもおいしいといってくれない」となげく。
まったく作る張り合いがないことだろう。
当然食事のときに笑顔は少ない。
テレビを見ながら食事をしている彼らには、いろいろ工夫して栄養を考え、味に気を使って食事の仕度をした人がいることは全く眼中にない。

それにひきかえ我が家は、料理がほとんどできなかった新婚時代にも夫は恥ずかしくなるほど「おいしい」を連発した。
子供が生まれれば、子供たちにおいしいのかどうか感想を言うことをルールにした。

夫の身についた「おいしい」は母親の躾の結果だった。
彼女は食事に1つだけ決まりを作ったそうだ。
それは「おいしいかまずいかの感想を言う事」。
特においしかったときには「おいしい」を気持をこめて言う事。

義母は、食事を楽しく食べる方法、気持を素直に表現する方法、作った人への感謝の気持を表す方法などを身に付けるすばらしい躾をしたようだ。
それを引き継いだ夫のおかげで、子供たちや夫から「おいしい」をいっぱいもらった。
もっとも「まずい」もたくさんもらったことは言うまでもないが。

「おいしい」に助けられた私からの提言は、「おいしい」をいっぱい言ってみんな幸せになりましょう。
マリちゃんの謎-----隅 恵子
「おいしいと思っても、それが好きな食べ物なのかどうか判断できない子供だった」
と話すのは、友達のマリちゃんだ。

割と何でもおいしそうに食べる子供だったけれど、好きな食べ物は何?と質問されると、答えられない。
食べ物に限らず、高校時代に好きなアイドルを尋ねられて、答えられないことも多かったらしい。

実は、俳優の石立鉄男の大ファンという渋い好みの小学生で、彼が杉田かおるや大原麗子と出演していたホームドラマ「雑居時代」がいちばんのお気に入りだったことに、30代になって気がついたのだと、マリちゃんは主張する。

そして、小学生時代に“好きなもの”を自覚できなかったのは、自分の好みよりもお母さんは何が好きかを考える子供だったからではないか、と分析する。
「私にとって好き嫌いというのは、母親から精神的に自立しなければ自覚できないものだったんじゃないかな」
という。
マリちゃんの分析が当たっているかどうかは別にして、お母さんは相当恐い存在だったらしい。

20代の頃のマリちゃんには確かに、好きなものの自覚がまったくなくて、オムレツとジャニーズの今井翼君が好きだよねと聞いたら、きょとんとしていた。
物忘れがひどいマリちゃんらしいと、私は気にもとめなかったのだが。

精神的な自立と好き嫌いの自覚は関係があるのだろうか。
自分の好みを肯定し、それを客観的に振り返ることができなければ、確かに好き嫌いは自覚できないような気もするが。
分析好きのマリちゃんの話は、「自立」とか「自律」といったテーマが大好きな私には本当におもしろい。
ついつい長電話になってしまうのでありました。
客に言えないうまさの秘密----- 高林 昭浩
もう15年近く前、大阪での出来事。

当時、私がしばしば昼食を食べに行っていた定食屋T亭は、ご飯がおいしいと評判の店で、ビフカツなど、ちょっと珍しくも懐かしい洋食も密かに評判だった。

ある日、私がそこで食べていると、30代と思しきサラリーマンの2人連れが入ってきた。片方はときどきその店に来るようで、もう片方にメニューの説明をしている。

「ここのカレーライスがうまいねん」
「へえ、どんなカレーやの?」
「ボンカレーやねん」
「ボンカレーみたいな味なんか?」
「ちゃうねん、ボンカレーそのものや。もちろん、店は秘密にしてるけどな」

そんなことがあるか!と即座に私は思ったが、確かにその店のカレーは何か懐かしい味がする。ひょっとしたら、ボンカレーそのものかもしれない。
もしそうなら、客に知られたら大事だ。
2人の会話が店の人間に聞こえはしないかと、人ごとながら私はヒヤヒヤした。

「なら、そのカレー注文するわ」

おいおい、ボンカレーなら家で食えるだろう。
私はそのサラリーマンの常識を疑った。しかし、2人はカレーを満足そうに食べて帰っていった。

かく言う私も時々ジャンクフードがむしょうに食べたくなるから偉そうなことは言えない。
私の場合、それはカップ焼きそばだ。
別にうまいと思うわけではない。麺だってボソボソだし、舌触りは最悪だ。
しかも私の場合、カップ焼きそばを食べると必ずといっていいほど腹をこわす。しかし月に1度くらい、食べたくなる。
なぜかわからない。
これは、私の中では世界7不思議のひとつとなっている。

※文中の大阪弁は正確ではないかもしれません。悪しからず。
初めての味----- 小梨 由美
夫の仕事仲間の、高知出身のデザイナーの話だ。
子供の頃、おかあさんがギョウザを買ってきた。ところがおかあさんを含めて家族全員、それまでギョウザを見たことがない。どうやって食べればいいかという議論になり、「お肉屋で買った→洋食→ソース」との連想からソースをかけて食べたらしい。
しかも生のままで・・・。

初めての食べ物を食べる体験はずいぶん減ってしまったが、私にも記憶に残る初体験がいくつもある。マカロニグラタン、グレープフルーツ、麻婆豆腐等々。なかでも思い出深いのがピザだ。

小学校3、4年の頃だったろうか、母がパートから帰るのを待ちながら奥様番組を見ていると「ピッツァ」なる食べ物が紹介された。試食した三木鶏郎氏の「いやあ、うまいもんですなぁ」との感嘆ぶりに引き込まれた私は「ピッツァ、ピッツァ」と唱え、その名を頭に刷り込んだ。

それから何年も経った、春のお彼岸だった。
春のお彼岸は私の誕生日と重なるためお墓参りのあとごちそうを食べるのが我が家の恒例で、だいたいは六本木の香妃園の鶏そばか、上野の新羅の焼肉と相場は決まっていた。
しかしその日「さて香妃園」と言いかけた父の言葉を私はさえぎった。
「焼肉も中華もイヤ! たまにはカッコイイ洋食に連れてってよ!」
「洋食って、何食いたいんだ?」
「・・・、ピッツァ!」
洋食はステーキくらいしか思いつかない父親は、娘の要求に一瞬とまどいを見せたが、「ならば池袋へ行こう」と言った。
父は「そういう珍しいものはデパート→デパートでセンスがいいのは堤清二の西武→それなら池袋」と考えたらしいのだ。
考えの筋道はよくわからなかったが、とにかく親子3人、菩提寺のある中目黒から池袋までわざわざ「ピッツァ」を食べに行った。

果たして池袋西武のレストラン街に「ピッツァ」はあった。しかしそこは喫茶店に毛の生えたような店で、とりあえず1枚頼んだ「ミックスピッツァ」も、今の冷凍ピザくらいにつつましい代物。その薄さは家族で囲むにはあまりにはかなくて、私の気持ちはいっぺんにしょげた。
それに気づいてか気づかないでか「ほほう、うまいもんだな」と三木鶏郎よろしく大げさにコメントする父。
「もう、パパったら全然わかってない!」いわれのない腹立たしさがこみあげ、せっかくのピザの味はどこかへいってしまった。

あの日、本当にピザが食べたかったのか。思春期の娘の漠然とした反発にすぎなかったと気づいたのは、宅配ピザにも飽きたつい最近である。



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