月替りの「お題」からメンバーが
自由な連想でエッセーをつづります。

ものの見方・感じ方に、
それぞれの経験や個性があらわれます。

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今月のお題:「日本人」
隅 恵子 メガネをかけていない日本人
坂下 泰子 台湾に行ってきました。
藤木 俊明 『日本人』はどこからきたの?
床井 順子 私はなに人でしょう?
高林 昭浩 RとLを区別するための(画期的な?)提案
中保 裕子 「耳ざわり



メガネをかけていない日本人-----隅 恵子

こんなくだらない疑問が、あなたの頭から離れなくなったことはないだろうか?

アフリカ系アメリカ人はリズム感が並はずれてよいというイメージがあるが、リズム感が悪い人もいるのかしら?
韓国のキムチは有名だが、赤唐辛子に代表される強烈な辛さが、実は苦手という韓国人が存在するのか?
ヨガのポーズで身体の柔らかさが印象的なインド人だが、身体の硬い人もいるのだろうか?
ほかにも「自転車に乗れない中国人」とか「サンバが踊れないブラジル人」とか……。

昔のイメージかもしれないが、海外の人々の中での日本人のイメージは、「メガネ」だという話を聞いたことがある。メガネをかけている日本人は確かに多いが、コンタクトレンズが一般的になる前でも、メガネが必要ない人はいたわけで、当の日本人からしてみると、日本人がすべてメガネをかけていたわけではない。

友達には、みそ汁とお米が嫌いという日本人がいる。黒しか考えられなかった日本人の髪の毛は、とってもカラフルになった。

そう考えれば、その国の人のイメージとは違う好みや体質の人がいて当たり前だ。
でも、リズム感の悪いアフリカ系アメリカ人や自転車に乗れない中国人、辛いものが苦手な韓国人というのは、何だか今の私にはイメージできないのであった。

もし存在するのであれば、まるで“ツチノコ発見”のような言い方で恐縮であるが、ぜひお話ししてみたい。
自分の体質や好みが、一般的に語られているものと違っているという自覚があるのかとか、それで何か困惑していることがあるのかとかインタビューしてみたいと、密かに思っている。

最近お友達になった、韓国家庭料理のお店のママさんに今度質問してみようと思いつつ、オイキムチやチヂミなどのメニューに気をとられて、いつも忘れてしまう私であった。

「台湾に行ってきました。」-----坂下 泰子

台湾に行ってきました。ラグビーワールドカップのアジア地区最終予選観戦が目的です。

サッカーだけでなく、ラグビーワールドカップも4年に1回行なわれ、来年2003年はラグビー王国、オーストラリアで開催されます。
その予選が、サッカーW杯開催中の6月から、アジア地区たった1つの枠を争って、日本、韓国、それに予選を勝ち抜いてきた中華台北の3か国によってホーム&アウェイで、密かに(?)始まっていたのです。

日本は長年の好敵手韓国に90-24、中華台北に155-3と圧倒的な強さでホームゲームに勝利し、アウェイの韓国戦も「テーハミング」コールの中、55-7で圧倒、この時点でワールドカップチケットをゲット、最終戦は消化試合?。

でも、赤白横縞ジャージを着て、桜のマークの日本代表応援旗を持ち、サインペンを持って(ん?)、台南まで行ってきました。

せっかくなので、台北からは列車・自強号で。同席になった台北の家族はホリディで台湾最南端まで行くところでした。向かい合わせにしてしまった座席に、テレ笑いの素敵なおとうさんと、漢字と稚拙な英語でお話。漢字で書いて確認すると「はい」と大喜び。同じ言葉、ということがとても新鮮な体験でした。ラグビーというスポーツ自体は全く知らなかったけど、サッカーW杯は良かった、と誉められ、「そうか、ここ台湾でも同じ沸き立つ“とき”を過ごしてたんだ」と、開催国を代表して感動。こんな心の通う、なごやかな4時間でした。

そして、台南。国際マッチが行なわれる台南橄覧場は、人気の棒球場(野球場)のそばにあるのですが、地元の人は知らず、最後はパトカーを止め、護送されて到着。スタジアムというよりは原っぱで、観客席はメイン中央に20段ぐらい、選手もスタッフも観客も放送席も記者もカメラマンも、日本も台湾もいっしょくた。怪我人が出ると、救急車がタッチライン際に横づけされ、試合も120-3と大差がついて、ときどき気合を入れないと、つい応援を忘れてしまいそうな、のどかなテストマッチでした。

「日本」「日本人」を意識する、テーマに格好の旅行、と出かけたのですが、幸せなことに「日本人」を意識することはなく、「アジア」の友人を意識する旅行でした。

サッカーW杯で、韓国の人々が「日本も一緒に決勝リーグへ」という声をテレビたくさん見て、身近な一番の敵と思っていた私は目が覚める思いでしたが、今回の旅行でも身近な隣国に心を開く、良い機会になって、「日本人」はお預けになってしまいました。

アジア2位の韓国はこのあとオセアニア地区2位とW杯へのチケットを争います。強敵の多いオセアニアですが、勝って一緒にオーストラリアへ、と思います。
私も来年オーストラリアへ行けたら、そのときこそ「日本人」を意識できるのでは、と思います。
「日本人」はどこからきたの?-----藤木 俊明

いつかも書いた話だが、藤木家(とくに父親)は「人類はどこから来たのか」的な話が大好きで、当然のごとく「日本人はどこから来たのか」「藤木家はどこから来たのか」といった話題も紛糾したものだ。

藤木家については、どうも石川県の鶴来(つるぎ)というところから、明治時代にやって来たらしいということがぼんやりと分かった。
とくにわたしはモンゴルとか中央アジア系の顔ということで、日本人の何割かは中央アジアから渡来したのではとウチウチで結論付けられた。

ところが、昨年NHKテレビで、日本の縄文人の歯からとったDNAの90%が、シベリアのバイカル湖のほとりにすむブリヤード族のそれと一致したという内容を見た。

番組ではブリヤード族の人たちが取材に応じていたが、その顔は、まさに「近所のおっさん」「角の駄菓子屋のおばさん」なのだ。藤木家の想像はかなり当たっていたのだ。

人類の起源はアフリカらしいが、そこからヨーロッパ、アジアと移動した一団がいて、氷河期のシベリアに住み着いて、マンモスを狩っていたのだ。
つまりギャートルズである。
その中のさらに一団が、氷河期で地続きだったサハリンから北海道へ、さらに地続きだった津軽海峡を渡ってきたらしい。

2万3千年前ごろの、マンモスを狩るための武器(石を削ったカミソリの刃(それを槍の先につける)がシベリアのマリタ遺跡から発見された。
それと同じモノが2万年ぐらい前の千歳の焚き火跡から発見されているらしい。
むろん、藤村氏の改ざんはなし。

2万年前、極寒の凍りついた海を、とぼとぼ渡ってきた日本人の祖先がいるのだ。
毛皮に身を包んで、子供の手を引いて。なんとつらい旅だったんだろう。
なんで「日本」へ行こうと思ったのだろう?
わからない。わからないけど、その子孫が今こんな国にしてしまった。
すんません、苦労を無にして。

私はなに人でしょう?-----床井 順子

30年ほど前、スペインの田舎で「アメリカ人か?」と聞かれたことがある。
当時、私の髪は黒かったし目も青くはなかった。日本人だというと「日本人は初めて見た」といわれた。
その時は、どう見ても黄色人種なのにと不思議だったが、いま考えればネイティブアメリカンと思ったのかもしれない。
こんなのは極端な例だが、義理の姉はシンガポールで現地の人に道を聞かれたし、我が社のスタッフは韓国のホテルで日本人男性に「ハウマッチ?」と声をかけられて大憤慨した、などという体験もある。

ベトナムのレストランでは、事務所の近所の飲み屋のマスターにそっくりな人と隣合わせ、思わず挨拶をしそうになった。
反対に海外で日本人同士が出会って、お互いにカタコトの英語でしばらく話してから、やっと日本人だと分かったことも多々ある。
ようするに、日本人の顔というのはずいぶんバラエティに富んでいると思うのだ。

私の大好きな趣味のひとつに、会った人の顔から勝手にその人のルーツを想像するというのがある。
たとえば「この人の先祖はきっと西アジアから天山北路を伝って日本に来たに違いない。だって顔だち自体は彫が深いのに、髪はまっすぐでサラサラだ。」などと。
まったく失礼な話だが、そんな訳で私の周りにはフェニキア人の末裔やら、秦の始皇帝の子孫やらがいっぱいで退屈することがない。

日本列島という極東の島国に住む私たちの祖先は長い歴史の中で、いろいろなルートでこの列島に辿り着いたというのは、いまや明白だと思うのだ。
それなのに、いまだに日本人は単一民族だといいたがる人が多いのはなぜだろう。
そういう人たちに私は、日本は紀元2000年の合衆国だ、といいたい。
そう考えれば、もっとさまざまな考えや生き方を受け入れやすくなるに違いない。
黙っていても解りあえるだろうなどと、勝手な共同幻想を抱いて幻滅することも減ると思うのだが・・・・

RとLを区別するための(画期的な?)提案-----高林 昭浩

唐突ですが、“リリカル”(抒情詩風の、という意味の英語)のスペルがすぐに書けますか?

私は英文科卒ですが、自慢じゃないけど書けませんでした。
最初の文字がRから始まるのかLからなのか、まずわからない。
しかも、次の文字がIなのかYなのかも見当がつかない。
ひょっとしたらEかもしれないとも思えてくる。

日本人がRとLの区別がつかないことは世界的にも有名です。
だからとんでもない間違いを犯したりする。
かのマッカーサー元帥が大統領選に出馬したとき、来日の際に「マッカーサー元帥のerectionを祈る」というような横断幕を掲げて歓迎したら、すでに結構な年齢に達していた元帥は「お心づかいありがとう」と苦笑したという笑い話もあるほどです。

元のスペルを知る前にカタカナで覚えてしまうからいけないんですね。だったら、カタカナでも区別して表記すればいい。例えばlaは「ラ゜」とするとか。

というと、「そんな日本語を破壊するようなことを…」などといきり立つ人がいるかもしれない。
でも、すでにこれと同様のことは行なわれているじゃありませんか。 

vという音を「ヴ」と表記するのがそれです。
バイオリンをヴァイオリンと書いたりします。それどころか、固有名詞は「ヴ」で表記しないとまずいときもある。例えば
「ルイ・ヴィトン」や「ヴェルサーチ」を「ルイ・ビトン」「ベルサーチ」と書いたらちょっとまがい物ふうになってしまいますよね。

というわけで、「ラ゜」行を日本語表記に組み込むっていう案、いいと思うのですがどうでしょう。
どうせならthも「サ゜」や「テ゜」などと書いたらいい。

それはそうと、“BVLGARI”は普通、「ブルガリ」と書きますが、語頭の「BV」は本当に「ブ」なのでしょうか? 
どなたか教えて。
 

「耳ざわり」----- 中保 裕子
昭和1ケタ生まれの母は、妙に新しもの好きだ。
ことばも妙に若者ずれしていて、時々こちらがびっくりさせられてしまう。
食事の約束をしていたのが、急用が出来て、「ゴメン、今日ドタキャンになっちゃったのー。」などと電話してくる。
けれど、よく考えるとこれってことばの使い方がちょっとヘンでないかい?
「ドタキャン」というのは、土壇場になってキャンセル=失礼千万、という批判的なニュアンスが含まれている。
だから、
「ちっ、ドタキャンされちゃったぜ。」
とか、
「あいつはいっつもドタキャンだからなぁ。」
などと怒り含みの時に使う。
何もわざわざ自分からドタキャンとは言わないものだ、と思っていたのだが、これは私の思い過ごしか。

時代は一挙にさかのぼって、明治時代にもこれと似た話がある。
かの民俗学者、柳田國男はどこかの農村部を廻った際、農民が
「今日はとても寒い」
というのを聞いて腰をぬかさんばかりに驚いた、という。
当時、「とても」は
「とても出来そうにない」
とか
「とても無理だ」
とか、否定的なフレーズにのみ使われる語だったそうだ。

たまに近代の小説を読むと、こうした現代の日本語の変遷の姿にお目にかかれることがあり、ものすごく新鮮だ。
幸田文の小説「父・こんなこと」の中にある、
「(父の放つおはじきは)せせこましく込んだところもやつあたりをしないし、・・・(略)」
というフレーズに、「やつあたり」のルーツを見て感心した。小林多喜二の「蟹工船」には「ベラベラ笑う」という不思議なフレーズが出てくるらしい。

さて、最近よく国語審議会や何かで問題にされている「ラ抜き言葉」。
私は好きか、嫌いかと聞かれたら、「嫌い」である。
「食べれる」も「見れる」も音としてちっとも美しくなく、耳障りなこと。
しかし、アゴが細くなり、舌足らずでひどく滑舌のわるい今どきのコたちにとって、「ラ抜き」は発音しやすいのかもしれない。
ともかく、これだけ多くの人に使われ定着してしまったのだから、良し悪しの問題ではなく、またひとつことばの新陳代謝が起こったと見るべきだろう。
そうそう、「耳障り」もいい例で、最近は「耳触りがよくない」という言い方もよしとされているのだそうだ。
本来は正しくないそうだが、なしくずし的に認められるようになったのだそうだ。
日本語はいつの時代もナマモノ。日本人自身がつくり変えているのだから、文句言えませんなぁ。



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