新エネルギー資源-----中保 裕子
|
|
カラオケに大勢でいくのは嫌いだ。自分が歌うのはいいのだが、大勢でいくとなると待ち時間が長い。聞いてるふりをしながらひたすら隣の人とおしゃべりするにしても、カラオケほど話をするのに適さない場所は無い。
クラブというものにも1度だけ行った。あ、「ク」にアクセントをつけて読んでください。ここもまた口べたな人や、場を盛り上げるのが面倒なときにはこの上なくラクな場所である。ダーツの下手さに我ながら愕然としながら深夜まで興じていたら、翌朝のどが思いっきり荒れてかすれていた。 こともあろうに、私ののどはスピーカーに相手に勝負を挑んでいたらしい。
声を張り上げているのは一人や二人ではない。そのエネルギーの無駄なことといったら。 いっそ、この無駄なエネルギーを電力にでも変えて使えたら。 音波によって電力をつくる。「音力発電」である。
カラオケ屋やクラブのスピーカーから生まれる音のエネルギーが電気になって電力会社にお買い上げされる。 電力資源の8割を輸入に頼っている日本では、1億4千万人が皆、電力づくりに協力するしかない。
これでいくと、やかましい所はすべて「集電」(勝手に命名した)のチャンスがある。 渋谷駅前には「ただいまの騒音○ホン」という不毛な電光掲示板があり、見るたびに「そう言われてもなあ」と思うが、音力発電ならば、「ただいま○ワット生産中」と、なんとも建設的な表示に生まれ変わるのだ。エネルギーを生み出す交差点、という名誉ある呼び名も与えられる。
祭り、競技場、デモ・・・どこでも電気がつくれる。若者の有り余るエネルギーを無駄にしない還元型社会。のど荒れなどの弊害があっても、臨界現象が起こる心配はない。バケツやひしゃくで扱っても、いたって安全である。
音力を作れるのは若者とは限らない。年配層でも協力できる。紫のネオンまぶしい場末風のスナックや、国技館や、そうだ!国会にも集電機を置くことにしよう。
代替エネルギーという意味では太陽発電と似ているが、音力ならば曇りでも雨でも関係ない。パチンコ屋など、むしろ雨の日のほうが発電するかもしれない。強いて言えば、人が集まるイベントが少ないと集電に影響するかもしれないが、環境によいとあれば企業もカネを出しやすい。内需拡大にもつながり、ついでにイベント業界に片足つっこむ我々も少しは潤うのでウレシイ。 |
|
異議申立てしましょうよ-----藤木 俊明 |
世田谷八幡山の住民が、明治大学の学生寮を訴えたらしい。何しろ夜中まで騒ぐわ、ゲ○吐くわで大迷惑とのこと。でも、思い返せば、私も学生の頃は中野や高円寺のアパートで夜中まで大騒ぎしていたんですね。警察が来た事も一度や二度じゃなく。私の場合素面でやっているのでタチがよくないが…。
ところが、みんな社会人になると、ピタッとそういうことをやめてしまうのですね。会社の宴会で羽目をはずしたりしてる?それは、「管理されたスペースの中で騒いでいるだけ」にしか思えないけど、どーですか。ワールドカップの熱狂も、その「騒ぎ」の向こうには、安楽に帰る家があり、何にも現実を変えるほどのビジョンが見えはしないよね。
もう少し、公然と「異議申立て」をしませんか? こんなに不合理な法案が通ったり、高速道路の料金がまた上がったり、かの国の不審船の海域侵入を許したり、国民が拉致されて(多分)殺されたり。 もう少し騒いだほうが良くありませんか? わたしが小学生だったころ、世の中は「異議申立て」であふれてました。子供の眼からみても、学生運動やロックミュージック(フラワームーブメント)の盛上がり、フーテンのような全く価値観の違った世代の出現は、「ああ、なんか騒がしいな」と胸をときめかせたものです。
昔好きだった女性とドライブしていたときに、その頃シートベルトが義務付けられたので、しなくちゃいけないよ、って話したら「どうして日本ってこんなことまで義務化するのかしら!こんなの消費者が決めればいいことじゃない。南米だったら大騒ぎでみんな文句言うわよ!」とB型の彼女は言い放った。とにかく私の付き合う女性は「異議申立て」が好きなタイプが多いのだった。そうだよ、K子さん、この国は騒がなさ過ぎるよね。きっとどこかで今も、キミは「異議申立て」をしているのかな? |
| 結局、私の安眠を奪ったのは誰だ-----高林 昭浩 |
|
若気の至りという言葉がある。私などはこう見えても(どう見えているんだ?)かなり軽薄な人間だから、学生の頃から人の尻馬に乗っては騒ぎ、若気の至りだらけの人生を送ってきたものだ。
住宅地の中にある小さな公園に十数人が集まりロケット花火を何発も打ち上げて騒いでいたら、住民の通報でやってきた警官に追い回されたこともある。
だから、学生がバカ騒ぎして人に迷惑をかけていることに対して注意したくてもちょっと躊躇してしまう。
10年くらい前のこと。当時私がいた日吉(横浜)のアパートには、付近にあるK大学の学生が何人か住んでいた。ある晩、学園祭の打ち上げか何かで彼らはドンチャン騒ぎを深夜に及ぶまで繰り広げていた。安眠を妨害された私は何度か怒鳴り込んでやろうと思ったが、昔の自分を思い起こすと、それができない。そのうちウトウトしてきた矢先、部屋のチャイムが鳴ったのだ。
「ついに人の部屋までおしかけてきたか」私は腹をたてながらドアを開けた。
目の前には警官が立っており、学生が騒いでいるという通報を受けてやってきたと言う。 「あなたが警察に電話したのではありませんか」とその警官。違うと言うと、学生には誰が通報したのか決してしゃべらないから、正直に答えてくれと繰り返す。どうやら、学生の仕返しを恐れて私が否定していると考えているようだ。手続き上、被害者をはっきりさせないことには学生に注意することができないのだろう。なかなか粘り強い警官だが、こういうところで粘り強さを発揮してもらっても困る。
かたくなに私が否定すると、仕方なく彼は引き上げ、その後、ぴたりと騒ぎも収まった。しかし警官によってすっかり目が冴えてしまった私は、その後も眠れなかったのである。
果たして、最終的に私の安眠を妨害したのは、学生なのか警官なのか。いやいや。名前も名乗らずに警察に通報した住民もひどいのではないか。そのようなことを考えると、さらに眠れなくなるのであった。 |
人騒がせな日々-----床井 順子
|
|
「ねえ、聞いて、聞いて! 私、昨日、消防車で病院へいったの!」 日頃から病気自慢の母の話には、もうめったに驚かなくなった私もこの電話にはかなりびっくりした。コトの次第はこうである。
「朝、洗濯物を干していたら急に心臓がバクバクしだして、止まらないのよ!」 「・・・・・・・(止まったら大変じゃない)・・・」 「聞いてる? 心臓よ、シ・ン・ゾ・ウ!」 「聞いてますよ! それで?」 「それでって、心配じゃないの?」 「だって、いま、こうして電話してるんだから、大丈夫なんでしょ?」 「まあ! なんて冷淡な娘なの!」
兄とその息子と同居している母は、日中ひとりだったためタクシーで掛かり付けの病院へ行こうとした。ところが、あいにくどこも車が出払っていて、しかたなく救急車を呼んだら、これも出払っていたのだという。
77才という、いちおう高齢者に入る母の話に消防署の人が心配して、空いていた消防車を出してくれた。で、派手な車での病院行きとなったのだった。 結果は医者に「どこも悪くありません」といわれて、大変不服そうなのだ。
しかたない、たまには顔を出してグチ話を聞いてあげようと車を飛ばして世田ヶ谷まで出かけた。目が霞む、足が痛い、末端の血管が切れる、頭の中でシャーッと音がするなど、人が聞いたら本気で心配しそうな症状をてんこ盛り聞いて、ヤレヤレと退散した。
で、帰り道の甲州街道で追突された。2時間後には浦安のスポーツクラブで友人と待ち合わせをしている。警察を呼んで事故証明を取ったりしていると、もう間に合わない。 携帯で電話をしようとしたら、こんな時に限って相手の番号が見つからない。 スポーツクラブのフロントに伝言をして、なんとか連絡が取れた。
追突自体は軽く、車もかすり傷程度だったが、やはり修理には出さなくてはならない。相手の保険会社とのやりとり、ディーラーの担当者とのやりとりなど、面倒な手続きを済ませ、4日後、車はきれいに修理されて戻ってきた。
この間、母と私はいったい何人の人を騒がせ、お世話になっただろう、などと考えながら出かけた先で、駐車しようとしてうっかりバックの壁に当ててしまった。 降りてみると、見事にたった今修理完了した傷とそっくりな傷ができていた。
|
| 「何か納得のいかない『騒ぎ』あれこれを、納得のいかないままに」-----坂下 泰子 |
|
凶悪な事件のニュースをテレビで見聞きするたびに不思議に思っています。 マスコミの取材に対して、「夜中に叫び声を聞いた」「大きな物音がした」という証言が必ず出てきます。じゃ、なぜその時…。 私も当事者になったら怯んでしまうかもしれないけど、それなら、そのことに恥じて、できれば沈黙を守り通したい、と思うのでは。
何もできなかった反省に、せめて事件の解決につながるなら、という良心の証言かもしれませんが、何か納得のいかないものを感じます。あまりに頻繁なので。 テレビが取り上げ「事件」が「題材」になると、多少の事件への関連は「特権」に変わるのでしょうか。「目立ちたがり」にみえるのは、ひがみでしょうか。 事件に関わりたくはないけど、時間と空間が少し移動し、第三者的な関与には居心地の良さすら感じる、安全な場所で事件に関わることがちょっとした刺激になっているのではないか。
交通事故が日常的になってしまい、「今日事故を見ちゃった」が、意外に平然と会話されてしまう。被害者に対する「お気の毒に」という心とは別に、事故の現場に居合わせたことが、もっと外側の人に対し、ちょっとしたヒーローになる、そんなことが凶悪事件にまで広がっているのでは、と危惧します。 「事件」が「騒ぎ」に変わる時点で、「騒ぎ」の近くにいることが差別化になり、自慢になる、そんな気がします。 そして「事件」を「騒ぎ」にしているのは「マスコミ」。
パーキングエリア内で、はた迷惑な暴走、大騒ぎを繰り返す若者。それを取材するマスコミは、周囲の迷惑を本気で感じ、非難、糾弾しているのか、見ていて疑問に感じます。取材者にとって敵は暴走する若者ではなく他局なのでは。注目に値しない暴走と聞く必要もない理屈の通らない若者の言い分を、センセーショナルに取り上げる。暴走を中止させるというより煽っているように見える取材に、腹立たしくなります。本気で非難するならもっと違う報道になるのでは。
テレビの中の作られた大騒ぎ。大しておもしろくもないのに、聞こえるスタッフ、関係者の大げさな笑い。ますます笑えないのは私の感度が鈍いから? そんなこんなの延長に、報道取材もあるのでしょうか。
本当の意味で体を張った「ザ・スクープ」が、様々な抵抗に抗しきれず、社会問題にもなるほど惜しまれつつ、でも番組が終了する。本気の番組を続けることは難しいんだなと思いました。 |
騒ぐ?暴れる?-----須藤 智香
|
学校が夏休み・冬休みの間に新幹線や飛行機を利用するたびに、車内や機内で子供が騒いでいるのが気に入らない。休みの旅行がうれしいのだろうなぁ、仕方ないかと思うものの、やはり不愉快。
渋谷や新宿の街頭で訳もなく騒ぐ若者や、夜中にバイクや車の騒音をたてて走り回 る暴走族も同じだ。コマーシャルではないが、人の迷惑を顧みないヤツは赤ちゃんのときにゴワゴワのオムツをしていたのでは?などと想像する。
さて、マナーの善し悪しの問題は別として、「騒ぐ」という行為は基本的には若さやエネルギーの象徴だと思う。サラリーマンが居酒屋やカラオケで騒いでいるのは、負のエネルギーの発散だろう。一方、スーパーの店内をキャーキャーはしゃぎながら走り回る老人なんて見たことない。(もしいたら、「若い!」とほめてあげたいくらいだ。)
私自身、仕事で「えーっ!ウソでしょ〜!!」と言いたくなる事態が発生しても、その場で騒ぐことは少なくなった(たまにキレるけど)。これをエネルギーが下がったと見るか、世事に通じたと見るかは難しいところ。個人的には「大人はむやみに騒がないもの」と思いこんでいるフシもあるからだ。
でも、「騒がない大人」というのは危険な存在という見方もある。小説や映画では、いつも冷静沈着な紳士淑女が実は極悪非道な人物だったりするし、世界中の出来事はもちろん身の回りに起こる非常識にも無関心になっている人間は、権力にコントロールされやすい。これはマズイ。絶対にマズイ。
「ねえ、私って昔に比べて騒いだりしなくなったよね?エネルギーが下がったのかなぁ」と、ごく親しい女性にたずねてみたところ、「あ〜ら、騒がないどころか、フィットネスクラブで人一倍暴れているのはどなた〜」と一笑に付された。この人もめったに騒がないが、恐ろしい事実を平気で口にする人物である。 |