「いなたい町」を探す旅-----藤木 俊明
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わたしほど旅行をしない人間はいないだろう。海外はおろか、本州を出たこともない。八丈島に一度いったくらいだ。それでもわたしは毎週旅をしている。「いなたい町」を探してね。
「いなたい町」って?「いなたい」とは、はっきりとした語源は不明ですが、たとえば音楽好きの間で、枯れたブルースのギターのフレーズがヘロヘロっと響くと、「うーん、いなたいギターやねえ」なんて使うわけ。私の中では「枯れた」「力の抜けた」「セピアな」「懐かしげな」などと同種の言葉として認識してるのです。
わたしの定義する「いなたい町」とは、 @脱力感がある A向上心のない B昭和テイストあふれる Cうらさびしい D川が近くに流れている E迷路のような町並み Fもうここで自分も朽ちていこうか?と世捨てチックな気分になる
などと感じさせる場所なのです。古い漫画の好きな人は「つげ義春」の作品を思い出してもらえればいいでしょう。
わたしはよく「いなたい町」の夢を見ます。それはいつも同じ町なのです。怪しいもつ煮込みやおでんやさん、串揚げの店が軒を連ねる、川べりの町で、よくくるぶしまで水に浸かっているわたしが夢にいます。 毎週といっていいほど、わたしはその「いなたい町」がどこかにあるのではないかと、愛車シビックを駆って、ウロウロしているのです。それがわたしの旅です。
しかしかなかなか、夢で見た「いなたい町」にはめぐり合えません。近いところでは、 ・墨田区京島付近 ・墨提通り付近 ・京急立会川駅付近 ・京急大師線の「鈴木町駅」「東門駅」付近 ・東急二子新地駅付近 などに、その片鱗を伺うことができます。
二子新地付近には住んでもみました。二子新地駅で降りても、それほど驚きはなかったのですが、なんと渋谷から二子新地までバスが出ていて、多摩川ぞいの停留所で降りると、その風景たるや、演歌の花道もびっくりのレトロぶりなのです。あまりのいなたさに住むには不向きですが、あの日あの夜、目の前に広がった「いなたい町」の風景は「旅」でした。
今週末もわたしは、こそっと「いなたい町」を探しにドライブしています。どこかのメディアで、わたしの「いなたい町」旅日記を企画にしてくれませんかね?そうしたら、つまんなくなるかなあ? |
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取越し苦労・・・・-----床井 順子 |
3連休を利用して旅に出るはずだった。趣味の古代史の研究会の渋いメンバーと飛鳥へ行く予定だった。清貧を旨とする在野の研究家たちのため、土曜の研究会の後、深夜の夜行バスで行こうという計画だった。
深夜バスなど乗ったことのない身としては、心配事が一杯だ。女は私だけである。トイレも心配だし、家族でもない人々の中でバカ面で寝るのもいかがなものか? さらに、いい年をしたシンデレラは12時を過ぎると馬車ならぬ自身がカボチャになってしまうのも心配だ。いつもは化粧でごまかしているが・・・
現地ではひたすら歩くことを考えると荷物も最小限にしなければならない。しかも、宿は同好の士のお宅に御厄介になるという。このお宅には女がいるということは伝えてあるのだろうか? まさか雑魚寝ではないでしょうね? などと、考え出したらきりがないほど不安材料が頭に浮かぶ。出かける前にクタクタになりそうだった。こういうのを不幸の先取りというのだろう。
ところが一週間前になって急に仕事の予定がずれ込み、私は参加できないことになってしまった。そもそもが、この旅行の話は突然持ち上がったため、いろいろスケジュールの調整は必要だった。なにしろメンバーのほとんどは仕事をリタイアしたおじ様たちなのだ。現役は私ともう一人しかいない。この二人のためにも連休に設定してくれたようなので恐縮しながら、参加できない旨を事務局に伝えた。
日をおかずにメンバーから総ブーイングの電話が来た。幹事にいわせると私が飛鳥へ行きたいといったというのだ。いった覚えのない私はしばし考えた・・・そうだ! あれに違いない。「飛鳥・藤原京展」だ。上野の国立博物館で開催されていた展示会を皆で見に行こうというお誘いだったのだ。
ここで反省材料をいくつか。まず、妙齢の紳士の皆様と話をする時には自分も女性扱いしてくださるという、ありがたいご配慮があること。望みを叶えてくださろうという、優しさがあること。そして、必ず同じことを2〜3回、はっきりとお伝えし、確認すること。このへんを今後、肝に銘じること。大変お勉強になりました。 |
| 「旅人になれるかなー」-----大岩 由利 |
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尊敬する先輩たちは何人かいるがその中でも飛び切りすてきな先輩がいる。
旅人金井重さん。本人いわく「フーテンのシゲ」。 彼女は「人生とは道草にありとみつけたり」という句とともに52歳で仕事を退職してから旅をはじめて、75歳の現在まで多分100カ国以上を一人で旅をしている旅人。本も何冊か出されている。
彼女はお金持ちでも語学が達者なわけでもなく、年金でリュックをしょって体当たりの貧乏旅行をしている。日本を出ると半年は帰ってこない。いつでもどこでも楽しんで、そこに住む人とお友達になってくる。
帰国するとその旅の様子を福島弁のアクセントで、本当に楽しく知らなかったいろいろなことを伝えてくれる。さまざまな国の様子を見ながら彼女はそこに生きる人たちの心を見ている気がする。 景色だけだと時間とともに流れ去っていってしまうのに、そこに生きる人の知恵や心をみると絶対に忘れない旅になるということを伝えてくれる。
シゲさんが旅を始めた年代を越してしまった私は、これから先あんなに好奇心で輝いた顔で旅ができるのだろうか。「リュックは辛いかなーとか」「体力は続くかなー」「ホテルは一流がいいかなー」「一人旅できるかなー」とか…「いろいろ考えるよりはやってみたほうがいいよ」というシゲさんの声が聞こえてきそうだ。
数年前にインドで一緒になってからの知り合いだが、そのときも小さなリュックひとつで旅をしていた。その中には、常備薬やすぐかわき小さくなる洋服類など旅なれた合理的な旅道具が入っていた。「絶対必要なものだけ持って足りないものは行った場所で考えること、そして絶対に無理をしないこと」また「どこへ行っても同じ人間だから友達になれると思うこと」それができれば素敵な旅人になれるといわれたのだが、はたして私は旅人になれるのだろうか。 |
「旅という贅沢」-----須藤 智香
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「先の決まっていない旅を始めました」。この春からバルセロナでスペイン語を勉強しているという知人からの絵はがきで、一番印象的だったのがこのフレーズである。 「そう、それが『旅』というものよ」。
仕事柄、飛行機や新幹線を利用して全国各地に行くが、これは単なる移動にすぎない。 ビジネスホテルに宿泊し、仕事をして、あわただしくおみやげを買って帰る、のくり返し。たまにその土地の名物に舌鼓をうったり、名所を訪ねたりはするものの、その程度では「旅」とは言えないだろう。
では、個人的な旅行はどうかといえば、これも「旅」とは言い難い。国内はもとより海外に行くときもスケジュールはいっぱい。 美術館や劇場に足を運び、城、教会・寺社などの名所旧跡を駆け回り、ショッピングに忙しい。
と、いっても誰のせいでもない。パッケージツアーを嫌って旅行前にきっちりプランを練るのはこの私なのだ。
そもそも「な〜んにもない南の島でのんびり」や「大自然に感動!のサファリツアー」に全然興味を示さず、「どうせなら歴史と伝統と文化にめいっぱいひたる旅でなきゃ!」というケチな考えがいけない。当然、旅立つ前にガイドブックやネット情報を調べまくるから、あちこちで「デジャヴ」状態。これでは「あれがエッフェル塔ね、テレビで見たとおりだわ!」と喜んでいるオバサンと同じではないか。
情報社会のなかでは、テレビや雑誌で見た風景を確認する「旅行」をしている人は多いと思う。いまや、どんなに豪華なツアーよりも、未知のものに出会い、予想外の出来事をいつか笑って思い出せるような「旅」こそが最高の贅沢と言ってもいいだろう。
だが、言葉も通じない外国の田舎町で暮らす勇気も、自炊のできる温泉宿でエッセイをしたためる余裕もない私のような人間にとって、本当の「旅」は夢に終わりそうだ。 すごく残念だけど。
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| 「記念写真を撮る前に」-----中保 裕子 |
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今からもう15年位前になるが、広告代理店時代の先輩・岡本ヨーコ嬢と一緒にウィーンを旅行した。 ヨーコちゃんはその後転職し、一念発起して栄養専門学校で猛勉強し、今、特別養護老人ホームで管理栄養士をしている勉強家だ。 美術好きの彼女と、音楽好きのわたし。ウィーンは両方のニーズを満たす最適な街だった。
もっとも記憶に残っているのはオーストリアの国立美術館(のようなところ)である。 美術館は、ハプスブルグ王朝の名残りらしい宮殿が使われていて、ルネサンス様式というのか、円形の庭をはさんで線対称に同じ建物が立っている。もう一つの建物が国立博物館(のようなところ)で、つまり双子の美術館と博物館が向かい合っているのだ。
勉強家のヨーコちゃんは「地球の歩き方」を丹念に調べあげており、「庭に入って右手が美術館、左手が博物館ね」、と目指すべき方向を元気に差していた。 が、差した指の先にマリア・テレジアの銅像が目に入ってしまい、超純粋日本人のふたりは、さっそく記念写真を撮ることに。宮殿の庭は円い。お互いに銅像の前で撮り合っているうちに、どちらが右か、左か、しっかりわからなくなっていた。 撮影会が終わると、「どちらが右か」についてしばらく議論した。現地の人からみればかなり情けないテーマであるが、検討の末、ある種の確信をもって「美術館」へ入った。
もうオチは読めたと思うが、私達の「確信」ぶりにはゆるぎないものがあった。
入館するとすぐに古い棺桶があり、ミイラみたいなものが展示されていたが、「オブジェだ」と理解して先に進む。
館内にいたるまで全て把握しているヨーコ嬢があたりを見まわして、「この壁にはクリムトの画があるはずなんだけど、無いみたい・・・」という。 大きな壁画を見上げると「学者だか貴族だかがテーブルの上にアンモナイトのようなものを乗せて観察している絵」(題名・作者不明)というのがかかっている。「美術館だって絵は入れかえるからね。常設じゃないのよ、きっと」とわたし。自分に都合のよいように解釈するふだんの性格が、思う存分発揮されていた。
上の階には彫刻があるはずだが、あったあった。ライオンやアシカや熊の彫刻という名の「剥製」が。絵は一枚もなかったが(当然!)、何の疑問も持たず、「へぇ〜」と言いながらフロアを一周した。
さらに上の階へと進むと、ここもまた剥製。しかも、身長がヒトくらいあるクモだの、カニだのとホラー色が増し、見物客はほとんどいない。まして、日本人観光客なんて全くいない。
ここに至って、二人はようやく「ここって、ホントに美術館?」と気づいたのだった。階段を駆け下りて出入り口に戻ると、ミュージアムショップには化石のペンダントやアンモナイトのブローチが並んでいた。
目的地に行く前に記念写真をとるのは、やめましょう。 |
| 韓国焼き肉観光旅行-----隅 恵子 |
今、私がいちばん旅したい国は韓国だ。2002年ほど朝鮮半島に日本人の関心が向いた年は、昭和25年に勃発した朝鮮戦争以来なかったのではないか。サッカーワールドカップ日韓合同開催と、北朝鮮に拉致されていた5人の日本人の二十数年ぶりの帰国。
ワールドカップでは、Jリーグにまったく無関心だった私がテレビにかじりつき、日本の中田や小野だけでなく、「キャンディ・キャンディ」のテリーに似ているという韓国のアンジョンファンを応援した。また、北朝鮮から死亡と伝えられている横田めぐみさんは私と同世代で、中学生の私が行方不明になっていたら家族はどんなに苦しんだだろうかと思い、とても他人事には思えなかった。
私にとっていちばん親近感のある外国といえば、幼少時代に見たTVドラマ「奥様は魔女」や映画「E.T.」の影響でずっと米国だった。しかし、2001年9月11日の同時多発テロ以後、米国はどんどん遠い国になってしまい、その代わりに韓国が第1位に躍り出たのであった。
韓国を身近な国に感じるようになったもう一つの理由には、在日コリアの友人が新宿でホームレス支援の活動をしていることがある。中心になっているのは在日コリアの教会だと聞いている。朝鮮半島と日本には歴史的なつきあいが長いからこその感情的なわだかまりが多々あるが、日本社会の中で新しい関係づくりに努力していこうという在日コリアの人々がいる。
2003年は新しい日韓関係始まりの年となるとよいと思うし、北朝鮮との関係においては拉致家族の問題の早期解決を祈っている。では私自身に何ができるのかと真剣に考え、在日コリアの友人への物資協力に加えて思いついたのが、韓国に焼き肉を食べに行くこと。目的は焼き肉と観光であっても、志はこの上なく高いつもりなのであった。
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