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みなさん、中国の日本総領事館に駆け込んだ北朝鮮の5人家族が中国人官吏に連れ戻された映像を見ましたか? 家族の中の小さな女の子が、総領事館の門にしがみついて泣き叫ぶ自分の母親と、引き離そうとする中国人官吏の前で、顔をこわばらせていた映像が忘れられません。
5人の亡命希望者は、日本の主権であるはずの日本総領事館の敷地内に逃げ込むことに成功したはずでした。 しかし中国人官吏に亡命を阻まれました。門まで出てきた日本の総領事館職員の足取りは、やけにのんびりして見えました。
この事件は、確信犯的に敷地内に入り込む中国人官吏に、日本人職員が外交特権を振りかざして毅然とした態度で抗議しなかったことで、日中の外交問題にまで発展しています。 この映像で私は、謙虚さや、物事を荒立てないことをよしとする日本文化の美徳は、時と場合によってはまったく通用しないのだと、改めて思いました。
話は変わりますが、私は合唱団に所属しています。自分のパートの音をとり、仲間と声を合わせていく過程で、最近特に、謙虚さ(?)が染みついた自分を痛感することが多いのです。 「仲間が歌ってくれているから、とりあえず私が歌えなくても誰も気づかないわ」 と、ごまかしている自分に気がついたのです。合唱の楽しさはハーモニーづくりに参加するところにあるので、これでは合唱に参加する意味がないんですよね。
音がとれていないこと、声がかすれてしまうことを乗り越えてハーモニーに参加するには、仲間の厳しい指摘を受ける覚悟と、認めてもらうための努力が必要なのでした。私は謙虚は美徳という表現を都合よく言い訳にして、覚悟と努力を先送りにしていたのでした。
このごまかしは、実は私の生活全般に渡っているのではないかと思い至って、愕然とする今日このごろです。気がついたからには、そんな自分を変えたい。謙虚を都合のよい言い訳にすることは許されないのだと自分に言い聞かせ、合唱を一つのフィールドとして自分を試してみたい。できるかな? またいつか、「書きタイ」で報告します。
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