「死ぬまで元気に生き抜く」
----------いまの自分にある身体条件の中で----------
| tiddelypomが「健康」について日頃考えていることをまとめてみました 拙い文章ですが、読んでみて下さい ひとりよがりで思い込みの強い部分もあるかと思いますが あくまでも個人的・私的な意見です 「そんな考え方もあるのかな」くらいに見ていただければと思います |
1946年7月ニューヨークで採択されたWHO憲章序文に定義された『健康』は、「単に疾病または虚弱でないということではなく、肉体的、精神的、または社会的にも完全で良好な状態」ということです。人が目指すべき理想像としては申し分ない表現だと言えるでしょう。
けれども、充分ではあっても、必要であるとまでは必ずしも思われません。とりわけ個人のレベルにおいては、自分の健康について自分でコントロールを及ぼせる範囲というのは、遺伝や環境に代表される諸々の偶然に比べると実際はずっと小さいと言わざるを得ないからです。
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健康観については時代と共にその具体的内容が移り変わってきていることも見落とせません。
かつて長い間わが国の死因の上位を占めてきた感染症(結核、肺炎、胃腸炎等)は、戦後の「抗結核剤」の登場、「抗生剤」の開発、さらには「ワクチン」の普及により大幅に減少し、命の脅威としてはもはや主役の座を降りた感があります。それ以前に国民が望んでいた「健康な状態」とは、病原菌に負けないことであり、病原菌に殺されないことでした。
代わって今日、「生活習慣病」と呼ばれる疾患(以前は「成人病」と称されていたもの)が、死因の上位を占めてきています。医療技術の進歩が平均寿命の延長に加えて疾病構造の変貌をももたらしたのです。
これらの生活習慣病の増加の要因としては、他にも人口自体の高齢化、喫煙や偏った食事、その他の望ましくない習慣ないし行動様式、そして運動不足が指摘されます。今後、高齢化社会の進行と共に生活習慣病のさらなる増加が予見され、生活習慣病対策はますます重要な課題となっていくことでしょう。
現代病とも称されるこの生活習慣病にはいわゆる”病原菌”はありません。個々人の生活習慣の中に、危険因子が”欲求”という形で潜んでいます。現代の「健康づくり」とは、この欲求に打ち勝つことであると言って良いかも知れません。
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ところで、病気に対する姿勢としていちばん大切なことは、病気を治すことではなく病気に罹らないようにしておくことでしょう。それは身体の各部位がきちんと動くようにしておくことであり、生活を見つめ直し、生き方を賢く選択することによって、身体が持っている本来の働きを取り戻し、高めていくことです。
この肉体的な健康状態の判断材料は、昨今の人間ドッグ等で示されるような各種の検査データでも何でもなく、実際的な活動度そのものだと思います。要は、自立した人間として働き続ける----もちろん、必ずしも経済的な自立とか外の社会に対して直接的に貢献する職業に就いているという意味ばかりでなく----体力が維持できれば、それはとりあえず健康な状態であると言って良いのではないでしょうか。客観的にはどうでも、自分自身が満足できる状態にあるかどうかがその尺度です。
いちばん重要なのは、やりがいのある何か、骨身を惜しまず努力を続けられる創造性のある事柄に関心を持てることだと思います。そして、関心を持ったことを行動として可能にしてくれるものが、健康な体であり充分に活動できる体力なのです。
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また、健康をとらえるひとつの指標として、しばしば長寿という言葉があげられます。この場合、何年生きたかが健康指標とされることになります。厚生省の平成9年度簡易生命表によれば、日本人の平均寿命は女性が83.82歳、男性が77.19歳となっていました。
この長寿国日本では、高齢化に伴い有病率も増えてきていますが、更に問題なのは、社会や家庭での生産的な活動から脱落してしまう「寝たきり」や「痴呆」の高齢者の数が増加の一途をたどっていることです。それはまた、これらの高齢者の身内をはじめとする介助者たちの人生にも深刻な影響を投げ掛けることになります。本格的な高齢社会をいよいよ迎え、多くの人はこの点に強い関心を抱いていることでしょう。
誰でも、寝たきり老人や痴呆老人として、身内のエネルギーを削り取りながら寿命だけが続くような人生は、なんとしても避けたいと願っているはずです。そして、出来る限り他人に負担を掛けずに生きるため、自分なりに体力と健康を維持する努力をすることが、自立した人間としてとても大切な条件であると言えます。
ということは、何年生きるかよりも、むしろその内容が問題です。健康がなんであるかについても、この点を踏まえてとらえるべきとわかります。そういう意味では、何年生きるかという物理的な横軸を追求するのではなく、むしろ、死ぬまでの間の実質的な活動度をどのように高く保つかということに視点を向けるべきなのです。
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これからの健康観というのは、生物としての寿命と、自由に自主的に動き回れる期間とをどのように一致させるかに目標をおくことであり、それに向けての生き方の設計が必要となってきます。今健康な人ならば、いわば「死ぬまで元気に生き抜く」ために、これから年齢を重ねても体を積極的に動かして、健康を維持する努力を続けることが大切だと思うのです。
そこで忘れてならないのは、身体に現れる運動の効果は、運動が継続されることによって初めて持続的に発揮されるものだということです。その効果とは、身体の側からみれば運動に対する一時的な適応的変化に過ぎないので、運動を中止すれば一時的に獲得された神経系、内分泌系、物質代謝系の活性は、再び運動していなかった頃の状態に逆戻りしてしまうからです。
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生活習慣病は、ライフスタイル病です。”飽食の時代”と言われる今日の食糧事情にあっても、何かを食べて寿命を長くすることはできませんし、また、体の活動性を高める食べ物はどこにもありません。運動をしっかりしながら生きるか、運動不足で生きるかということが、食べ物の最終的な栄養効果を左右する最も大きなファクターとなります。
同じ食事でも、例えば毎日ジョギングしている人が食べるのと運動不足気味の人が食べるのとでは、体に入った後の代謝や利用のされかたが違ってくるのです。当然のことながら、健康状態にも大きな差がでてくるということです。
その上、自ら気分よく運動することによって精神が高揚し、体調が良くなると同時に満足や達成感が感じられるようにもなります。活き活きと元気で、自分の生活のいろいろな部分をコントロールしやすくなる効果も期待できます。
現実には、最初に触れたように、自分の健康レベルを100%の状態に保つことなどは年齢が進めばなおさら難しくなってくるものです。それでも、予め自分に備わった身体的な条件の中で最大限可能な健康を享受することや、それを自分が選んで維持していると意識できることは、きっと快いものに違いありません。
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古来、日常生活の最大関心事は食物であり、太古の人類は食物確保に明け暮れていました。必然的にそれには身体を動かすことが付き物でした。
今日の私たちも、食べたり飲んだりするために生きているのではなく、生きるために食べたり飲んだりしています。そして生活の自由時間に、楽しみのために身体運動を行うことだってできるのです。
無理のない運動を単なる習慣としてでなく、健康の三本柱として他に並べられる「食事」や「休息」と同じく、生活の一部として自分の日常の中にしっかりと根を下ろさせ、それを楽しんで続けることが活動性の高いよき人生を送るためには大切です。動ける身体とは、動き続けることだけがその獲得手段であることを忘れないでください。
さあ、元気よく年をとって元気よく死ぬために、まずは今日この一日を元気よく楽しく過ごすことにしましょう!
(1999/1/12 記)
読んでくださってどうもありがとう
自分の身体の健康が
たとえどんな条件付きのものであっても
自分のことを「好き」って思えるのが
いちばん健康なことなんだ
・・・って
そういう風に共感して頂けたら嬉しいです
tiddelypom