「かれんの独り言」
ここからは、僕のお友達のかれんさんのページです。
彼女の「ホムページ」は
http://dreamcity.gaiax.com/home/karenn502/main
こちらです。僕は彼女の文才を高く評価しております。
今回、掲載の快諾を得ましたので、彼女の日記からの抜粋です。僕は彼女のフアンなのです。
みなさんもかれんさんの世界に触れてくださいね。
ねもちん

今生きていて思う事
at 2001 10/09 01:46 編集
大切な人を亡くした21世紀のはじまりだった。
そのせいか読む本は宗教的な意味合いの多いものばかりになっている。
そして今世界は戦争へと向かっている。
「正義」と「悪」の戦いだという。
どちらが本当の正義なのか?
禅僧の盤珪の話の中にこういうのがある。
言う事を聞かない馬を叱っている武士に
「馬が言う事をきかぬといって、馬ばかりを責めるのは、いたって愚かな事。馬にも馬の事情があるはず。
馬に言う事を聞かそうと思うなら、馬が言う事を聞くように仕向けてやらなくてはならぬ。
まず自分を改める事が一番じゃ。おわかりかな。」
私がこうなるのは、夫が、妻が、子供が悪いと他人ばかりを責めている間は、真の平和は訪れない。
まず自分を反省し、己の姿勢を正す事が肝要。と
ビンラディンも80年代はアメリカから資金援助を得ていた。
人の世は全てが心がけ。
「善因善果、悪因悪果、自因自果は宇宙の真理」
お互いに求めるばかりでなく、人に尽くす事が出来たらどんなに素敵な事だろう。
施した恩は思ってはならぬ。
受けた恩は忘れてはならぬ。
その心があったなら小さな諍いも殺し合うまでにはいたらない筈。
愛し合うというきれいな心を持っている人間だからこそ忘れないでいてほしい。
きれいなものに喜びを感じられる人間だからこそ覚えていてほしい。
神様も仏様も人を殺せとは説いていない。
どんなに愚かな人間にも罰を与えたりしない。
愚かだからこそ許す心を、癒す心を諭してくれる。
人間は奢り高ぶりすぎてしまったように思う。
聖徳太子の「未来記」
at 2001 10/07 03:49 編集
聖徳太子が実在したかどうかは現在論争中ではあるけれど、個人的にはお札になった人だし、いたと信じたい。
17条の憲法は今も通じるものがあるのだから、そんな人物が日本にも実在して欲しい。
聖徳太子の記述については日本書紀・巻の二十二に「厩戸皇子、未然をしろしめたもう」との記述があるとか・・・
日本書紀までは読んだ事は無いのですが、なぜかこの文章の後は削られているという。そこには何が書かれていたのか知りたくて、何年も前に”聖徳太子「未来記」の秘予言”という本を読んだ。ちょうどノストラダムスがブームになり出した頃だと思う。
内容的にはその時代に聖徳太子と生きていたわけではないから「ふ〜ん」と流してしまう部分が多々あるのだけれど、一つ、私の心に残っている事がある。
それは約1400年前に法隆寺が出来上がりかけたときに「何と呼べば言いのでしょう」と荘厳な法隆寺を見て聞かれたときの話である。
それまでにも、四天王寺や法興寺は建っていたが、四天王寺は太子の本拠地からは遠く、法興寺は蘇我氏の領地内に建てられた私的な建物だった。そんなわけで、どちらも一般には馴染みが薄く、ゆえに斑鳩に仏教文化の粋を集めた法隆寺ができあがり出したとき、人々は感嘆して仰ぎ日本語でなんと呼んだらいいか戸惑ったのだという。
「四天王寺も法興寺もあることだし、こういう建物はこれまでどおり”じ”と呼んでかまわない。しかし、できればそんな漢語の発音ではなく、新しい思いを込めて”てら”と呼びたいね」
なぜ”てら”と呼ぶのか、それがどこから来た言葉なのか誰にもわからなかった。
驚くべき事に、この謎は現代もそのままだ。僧侶にも歴史の先生にも、なぜ寺を”てら”と呼ぶのか、どこから来た言葉なのか、性格に説明できる人は多分いないと思う。と作者は言っている。
テラという発音で思い浮かぶのは、古代の中近東で生まれ、古代ギリシャや古代ローマに伝わっているTERRAという言葉である。今でもフランス人はこれを受け継いでTERREと書く。
テルもテラも、意味は「地球・大地」だ。
だから、もし太子がこの言葉を、仏教寺院を指すものとして取り入れたとすると、寺を「テラ=地球」の象徴だと考えていた事になる。
法隆寺の中門の柱や金堂の柱は建築学や美術史の正式の術語で「エンタシスの柱」という。直線ではなくボディに微妙なふくらみを持たせた柱ということなのだ。オリンポス神殿の柱の技法と同じである。シルクロードを伝わって持ち込まれた技法とすれば、法隆寺の設計者だった聖徳太子がラテン語を知っていたとしても不思議ではない事である。
インドにある仏陀の寺院の遺跡も世界を現して創られている。そして太子もまた世界を現して建てたとすると法隆寺について面白い事が解ってくるという。五重塔はその中心で須弥山を表し人類文明や世界文化の中心の象徴という意味を持っているに違いないと考えられる。
しかし、石舞台や巨石の墓、不思議な建造物が皆石で作られていた古代飛鳥時代に何故法隆寺は9割以上を木で建てたのか。石の方が長持ちするように思えるし、荘厳な威圧感も与えられる。それをあえて木で作らせた。
今となってはオリンポスもローマ神殿もお釈迦様のお寺も、全てが廃墟か観光遺跡になっている。
木の法隆寺だけが、現役のお寺として栄え、見る私達に木と生命の若さ美しさ、木と文明の生命力との強い結びつきを伝えているのである。
17条の憲法に「和を持って貴しとなす」とある。この和という字は後から書き換えられたものだそうで、始めは、左が”龠”右が”禾”で一文字でやはりワと発音するらしいのだが、この字は「屋根の下の三つの口と柵」、今の言葉で言うと家庭や勤め先や学校など私達の生き方を表し、部首ののぎへん(右に移された)は米などの穀類、または葉の多い茂った木のことだそうである。つまり「みどりを貴び、茂った木々と結びついた生活をおくる事によって、そのときだけ、日本人は安らかな繁栄を続けられる」
この事を第一条に現している。
風水から見ても斑鳩の里は理に適っている。
今、環境問題を抱えている事など愚の骨頂かもしれない。自分の立っている場所を見もしないで世界に何を呼びかけようとしているのか解らない。
流れる川は止まらずに、注ぎ込む海も変わらずに満ち干きしている。月も星も何億年も輝いているのに、人間の創りも変わっていないのに、何故こんなに憤る事ばかりの毎日になるのか・・・
時間は変わらずに24時間。そして変わらずに誰もが、やがて死を迎える。
何かを考えなくてはいけないと思う。
でも何を考えなくてはいけないのか解らない。
釈迦没後2500年
at 2001 10/08 03:32 編集
お釈迦様は自分が死んだ後、500年ごとにこの世界を予言している。それは法華経の「薬王菩薩本事品」からでている。
「わが滅度の後、後の500歳のうちに、閻浮堤(エンブダイ)に広宣流布し、断絶せしめてクハンダなどに便りを得せしむなかれ」とある。
クハンダとは汚染やエゴや戦争をばらまく破滅の鬼の事である。仏法を世界に広めないと世界が壊滅してしまうという警告になる。
また「大集経」のなかでは2500年を500年ずつに区切り、
「滅度の後の500歳は解脱が堅固(悟る人が多い)、次の500歳は禅定堅固(仏道を修行する人が多い)、次の500歳は読経堅固(よくお経が読まれる)、次の500歳は多造塔寺堅固(よくお寺や塔が建てられる)、しかし次の500年歳は斗諍言訟(トウジョウゴンショウ)して白法穏没(ビャクホウオンモツ)する(戦争や争いがもりあがって”白法”が沈む)のだ。」とか書かれている。
日蓮もまた「正法・像法・末法」と区切り今私達が生きている世の中を末法であると伝えている。
昨日書いた聖徳太子の未来記の中にも法隆寺は世界を現していると書いたが、須弥山を現す五重の塔は釈迦没後の2500年を5つに分けて建てられているとある。基礎部分から舎利瓶が出てきた事はニュースになった。
これらの文献からすると今の世の中は塔の最上階を突き破り私達は先端の相輪にしがみついている事になる。屋根も壁もない、剥き出しの危険にさらされている。
そして相輪の部分には4つの鎌が外に向いて出ている。鎌の意味するものは4つの難だという。
釈迦入滅は小集仏教ではBC544年と伝えられているのだが、これもまた学者によって数十年の誤差があり、さだかでは無い。いずれにしても1956年から2017年の間が入滅後2500年となる。考えてみれば、核兵器が使われ放射能汚染など環境破壊が進み、癌やエイズが横行し、戦争が起こり、食糧危機の現状を考えると、4つの鎌を切り抜けていかなければ明日はない事になる。その上にある9つの輪。これはキリスト教にもある「十戒」、仏教で言う「十界」に通じはしないか。10番目の世界に到達するまでに現在の私達は生きているかどうか・・・
よく互いの話を聞き、残された書物を読めば、どの教えも同じことを説いていると思うのですが、何故解らないのか不思議な事だと感じる。
原理主義は別ですが・・・
アメリカが戦争を始めた。このことは日本のメディアは夜中に特報でやっているが、アメリカでは昨日の内に決行を伝えていた。
日本がパキスタンに自衛隊を派遣した後、イギリスと共に爆撃が始まった。話はとっくについていたのであろう。
日本がどこまで知らされていたかどうかは疑問なのですが・・少なくとも他の国々が細菌爆弾による感染を防ぐ為に予防接種や解毒薬を用意して出兵しているのだから、たとえ後方支援だとしても、それぐらいの準備はしてほしいと願っている。
「十字軍」も「神風」も遠い昔のことなのに、歴史としての認識ではなく、政治広報の比喩になっている事に憤りを感じる。
私は何としても相輪にしがみついて、9つの輪を上っていきたいと思う。
救世主はもう人間には現れないのだろうか・・
陰陽師
at 2001 10/11 07:42 編集
何年ぶりかで邦画を劇場で見た。
占い好きの私としては「陰陽師」ははずせない映画です。野村萬斎と真田広之は役にぴったりで久々にもう一回見てもいいかな・・という映画でした。
平安時代に実在した陰陽師。
古代律令体制化で陰陽師が属していた官庁を陰陽寮という。
陰陽寮には、占い・呪術の実践、および研究・教授を主たる職掌とする「陰陽師・陰陽博士」のほかに、天体を観察し、そこに異変があれば、その異変の意味・未来への影響などを判断して上級官庁に報告する事を仕事とした「天文博士」と、天の運行から暦を作成する「暦博士」が所属していた。
安倍清明は天文学に秀でていたと読んだことがある。
鬼や魑魅魍魎が横行し、自然と魂と人間が共存できた時代。それが真実でなくても、考えただけで高揚する。本来あるがままの姿で時間が流れていた世界があったとしたら・・・
古代人にとって自然は偶発的に発生する要因でしかなかった。しかしここに、変異を要素化する世界的動きが有った。中国では世界を「陰陽」に還元する思想が産み出された。陰陽の二元は、「四象(ししょう)」という四元に発展、四元から森羅万象を構成する八つの「気」の状態−「八卦(はっか)」「乾(けん)・兌(だ)・離(り)・震(しん)・巽(そん)・坎(かん)・艮(ごん)・坤(こん)」へと展開する易思想へ進んだ。 一方では、陰陽・八卦の思想とは別に、万物・万象を「木火土金水(もくかどごんすい)」という5つの気の働き(五行「ごぎょう」)に還元する思想が段階的に産み出された。
この概念の起源は周(紀元前1030年)には世界認識の為の概念として使用され、漢代(前202年)には理論体系が確立されている。
陰陽論は森羅万象の状態を表す概念で下記の様に分類される。
《陽》は能動的・攻撃的・昂進的
《陰》は受動的・防御的・沈静的
同じ様に
《陽》は明・剛・火・夏・日中・表
《陰》は暗・柔・水・冬・夜間・裏
に分類される。
また,量・方向を持つことにより
《陽》は前進・右旋・上への運動・右への運動
《陰》は後退・左旋・下への運動・左への運動
といったように,相対的相を示す概念となった。
但し絶対的に決定された確定因子ではなく,時系列の変化し得る要因であるのだ。(ある時点では「陽」でも,ある時点では「陰」になり得る)
今ではこのような事を考えて生きてはいないけれど、祭りの太鼓などに黒と白で相対図形がかかれているがこれが陰と陽を現しているもので、遠い昔から絶えることなく現在にまで受け継がれてきている。
歴史はやはり受け継いでいきたいと思う。
平安の昔から流れつづけている時間があると言う事はとてもロマンティックな気がするのです。
陰陽道の説明になってしまったけれど、後一つ付け加えるなら、陰陽道は自然、人体、天地、そして宇宙を現すものである。
映画の中で、兄に騙し殺された親王を愛し、二度と祟りを起こさせないようにと塚を守る為、不老不死となった青音(あおね)と言う女性が150年ぶりに怨霊となり甦った親王に、
「あなたが愛した国を、守りたかった民を苦しめていいのですか、」
と言う台詞がある。
その言葉を聞きながら、現在の情勢を思った時、愛する事も崇高な理想も今は全てが自己中心になってしまっていると感じた。
いつも愛は「あなた」の為に、理想は「生きていく」為に、その為に自分は存在している。
いい映画でした。
チラッと覗いてみたい人は
http://www.onmyouji-movie.com
にアクセスして見て下さい。

世間虚仮(せけんこけ)
at 2001 10/12 03:46 編集
「はじめに”言(コトバ)”があった。”言”は神と共にあった。」
聖書の一節ですが、人は長い歴史を言葉によって繋げてきた。
確かに<沈黙は金>と言うように、口から出た言葉・書いた言葉は受け取る人によって意味が違ってくる。けれど言葉で伝えなければ後世に何も残せない。
日本人は「目は口ほどにものを言い」と言う感覚が意識の深いところにある。昔から「推して知るべし」と言う気質が遺伝子の中にあるように思う。だから人に言葉を伝える事が苦手なのではないでしょうか。
蓮如(1950年代浄土真宗の僧)は「人はかるいがよい」「ものいわぬひとは恐ろしい」と言った。
我慢ばかりを強いられて苦しむ民、人を殺し屍を踏み越え、力で望む世界を手にしようとしている武者や山伏達に、まず信ずる心を説いた。言葉と勇気で説いた。
吉田兼好も「徒然草」の中で
「もの言わぬは腹ふくるるわざなり」
と言っている。悲しい事も嬉しい事も、どんな事でも話してしまいなさい。と言う事。
夏目漱石は「草枕」の中で
「情に棹させば流される」と言う有名な言葉を書いた。
明治維新以来、西欧文明を手本に国を変えようとしていた頃は情に棹をさして流されては困るとでも思ったのでしょうか。
西欧文明の猿真似をしていく国の姿に、漱石は涙をのんで上滑りをする。と苦い考えを述べている。
柳田国男の「涕泣史談」と言う本の始まりで、
「どうも近頃の日本人は泣くのを忘れたのではないか。最近の日本人はあまり泣かなくなったように自分の目には映る」
と書いている。
昭和16年に書かれたこの文章は、その年の12月に真珠湾攻撃が始まった事を思えば泣いている場合ではなかった時代だと推測できる。
たくさんの人がいろんな言葉を残してくれている。そしてその時代の景色が、思いが伝えられる。「推して知るべし」の日本人も声に出さない言葉で静かに思いを伝えてきた。だからこそ、万葉の昔、言葉に思いを綴り、受けた者は返歌を送ったように、今の時代は誰もがメールにはまっているのかもしれない。
歴史が繰り返しているのなら、今の世は平安時代の終わりごろでしょうか・・・
寂しい人が多いからと言う人もいますが、寂しいのは誰もが心に抱えている事。
倉田百三の「出家とその弟子」の中に、親鸞が弟子に
「本当のさみしさは、運命がおまえを育てようとしているからなんだよ」
と言っている言葉が出てきます。ならば育ちましょう。楽しい事は、寂しい事の裏返し。陰と陽なのです。
泣いて生まれてきた人間が笑って死んでいくことができるかどうか。
昔の自分が気付かなかった言葉も今の自分の心には響くかもしれない。
相手に一生懸命に向き合う事が決められた人生の中で自分を磨けることなのかもしれない。
「世間虚仮 唯仏是真」
聖徳太子の死に際の言葉。虚仮は今も「コケにして」とか言う風に使われている。
仏教用語では真実でないもの、目に見える仮の現象的世界を言う。
この世の中は嘘ばかり、真実は仏の世界だけという意味でしょうか。
何に失望していたのでしょう。
仏の教えの中には「十界」は己の内にあると説かれている。最上は仏界であり、それが自分の心の中にあるのなら真実の世界もまた自分の内にある事になる。
誰もが生涯、成長過程だろうし、知らず知らずのうちに仏界を目指しながら年を重ねて生きているのだと思う。
先人の残してくれたもの、その言葉を10代の自分、20代の自分、30代の・・・・とその時の自分がどんな風に受け止めるかを考えてみてはどうだろうか。
恐れずに言葉で気持ちを伝えていければ、見える世界も広がるように思うのです。
1/f のリズム
at 2001 10/13 06:13 編集
不思議な力を信じるか信じないかはそれぞれですが、化学では証明できない事がたくさんある世の中で未知なる力があったとしても不思議はない。超能力や霊能力といった表現をされるものから潜在意識といわれるものなどさまざまである。そんな不思議な力を集めて書かれた本の中に”1/fのリズム”が出ていた。
電車の微妙な振動があまりに気持ちよくてついウトウト、降りなくてはいけない駅を乗り過ごしてしまったという失敗はキット誰もが経験している事だろう。
また、クラッシク音楽をオーケストラで楽しんでみようと思ったものの、あまりの快適さにすっかり居眠りしてしまう事もある。室内が一定の温度である事もそうですが、電車の振動や優れた音楽が秘めている1/fという独特の振動が大きく影響している。いわゆる”ゆらぎ””ファジイ”と呼ばれるリズムなのだそうです。
たとえば、砂浜に寄せては返す波の音を分析してみると。1/f(fは周波数)という法則が得られ、小川のせせらぎや胎児の心拍、人体に張り巡らされている神経に電気信号を伝達する働きなど、人間を含む自然界には”ゆらぎ”のリズムが満ち溢れているといわれています。
人々にの感動を与えてきたベートーベンやモーツァルトの名曲も、数十年という気温変動が刻みつけた木の年輪を調べてみても、やはり1/fの周期を描いている。そういえば、日本人の好きなベートーベンの第九も第2、第3楽章は何故か眠りを誘うのである。こうしてみると、自然の現象や人体のリズムばかりでなく、人間の心にも”揺らぎ”の法則は組み込まれているといえそうである。それはメトロノームのようにカチッカチッとしたリズムではなく、さざなみのように不規則なようでいて規則があるという微妙なものなのだから、人の心を読み取るのが難しいのも当然なことかもしれません。
優れた音楽には自然界に見られる”ゆらぎ”のリズムが隠されている。そこに着目したのが「癒しのCD][リラクゼーションのCD]などである。
1/fのリズムで心も身体もリラックスさせて、さらに時々で元気が出るようなテンポのいい曲や、ゆったりした気分にさせてくれる楽曲を選べば、その効果は確かにあるでしょう。
ヒットラーは自分が心酔していたワーグナーなどの音楽でまず民衆を引き付け、それからおもむろに登場して演説をはじめるという方法をとっていた。街宣車で駅前に乗り付けて、いきなり政治改革がどうとかとやり始めるのでなく、関心の薄い人たちの心を如何に自分に向けるかをきちんんと計算していたわけである。
しかも興味深い事に彼の演説を分析すると、語りの抑揚が1/fのリズムを持っていたという。音楽隊の演奏にふと足を止めた民衆が1/fの魔力を秘めたヒットラーの演説にいつの間にか吸い込まれて、繰り返し彼の演説を聞いているうちに、ヒットラーの野望はぜひとも皆で達成しなければならないと思い込んだとしたら・・・
今戦争の渦中にあるラディンも同じではないだろうか?
祈りの言葉はやはり心地好い、そして繰り返し唱えられる。ラディンの言葉もヒットラーのように民衆を先導しているのかもしれない。
環境の破壊で自然界のリズムも狂いがちになっているだろうし、コンクリートの建物は呼吸をしない。
人間の歴史は思いもかけない不思議な力に突き動かされて来たのかも、と思えたりもする。
ブラックホール
at 2001 10/16 05:09 編集
全てを呑み込んでしまう宇宙の穴。
未だに解明されないままではあるが、銀河系膨張説はブッラクホールの磁場の引力が関係して起こっているといわれている。
小さな星の爆発でもブラックホールはできているそうだがその数は星の数ほどもあるそうで、驚かされる。
ホーキンス博士は宇宙はビッグバンから始まったという説を発表したが、何故ビッグバンが起きたかという説明を「元来は神が制定したものかもしれない」といっている。これをカソリック教会が歓迎したのも愉快な話だった。それ以前はわからないという事だ。
ビッグバンはほぼ100億年前に起きたとされる。それは知的生命が進化するのにそれだけかかるからだそうで、水素やヘリウムの一部を炭素や酸素のような元素に転換し、星を形成し超新星として爆発し、その残骸が星や惑星を創る。その一部が太陽系なのだ。
私達はこれらの元素で出来ている。
地球はおよそ50億歳、そのうち20億年は熱く、後の30億年で単純な有機体から始まり緩慢な生物進化をし、ビッグバンまでの時間をさかのぼって測る事のできる存在を生んだのだ。
赤ちゃんは胎内にいるときに、すべての進化の流れを経てこの世に生まれてくる。不思議な事だと思う。
電子の電荷がほんの少し違っただけで爆発は起こらないかもしれないことを思えば、知的生命体の出現はやはり神がかり的な史実なのかもしれないと思えてくる。もっともカオスの原理からすれば元素を必要としない生命体がいてもおかしくない話なのですが。
始まりは見つけた。終わりはというとそこにブラックホールが登場する。
ブラックホールはあまり黒くはなく、小さいものほど光っている。
ホーキンス博士の本を読んでいてどうしようもなく怖くなった事を覚えている。
いつか吸い込まれて消滅してしまうなどと想像もしたくない。
星の一生も人の一生も同じ。
しかしブラックホールも蒸発する。
生命はメビウスの輪。
再生と破壊、生誕と終焉。常に一対なのかもしれない。
ホーキンス博士は著書の中で
「神はビッグバンを起こし、知的生命体を創造したが、そのあとは何も決めずに眺めているだけかもしれない」
といっている。
今の世界を眺めて何を思っているのだろうか・・
すばらしい頭脳と才能をもち、歩く事も話す事もままならない重度の障害をもつホーキンス博士の存在は、私に神の存在を意識させてくれる。
私は”神”とか”仏”とかの区別はない。
変幻自在な存在だと考えているから。

有職故実(ゆうそくこじつ)
at 2001 10/24 16:23 編集
国語辞典によれば「その道に明るい人、物知り」。
和英辞典でひけば「ancient practices and usages」(古代人or老人の熟練と習慣)
“仕事があれば実を結ぶ”なんて意味ではなかった。
本を読んでいたら出てきた言葉なんですが、普段使わない四文字熟語なので調べてみた。
なるほど・・“温故知新”に通じる言葉なんだと納得。
着物を着ていることが多い私は、良く“身八口(みやつぐち)”の事を聞かれる。脇の下に通気孔のように縫っていないで開いている部分がありますが、その部分です。
人間の皮膚は、体温を一定に保つ為に、汗を出している。その皮膚は3分の1以上濡れた状態でいると、体温のバランスが崩れてきて呼吸困難を起こしたりする。ちょうど水の中にいるのと同じような状態になってしまう。
そうした状態に陥るのを防ぐのが、“身八口”なのです。高温多湿という気候風土を充分に考慮に入れ、衣服に通気孔を作ることで、日本人は汗を蒸発しやすいように知恵を働かせているのである。もちろんその国にあった衣装は今もありますが、こうした発想は世界で唯一なのではないかと思います。
西洋では衣服の布地の織り方には、平織り・綾織など色々ありますが、着物の場合は全て平織りです。これは縦糸と、横糸を直角に交差させて織っていく方法で、単純といえば単純です。しかし、仕立てや裁縫といった全ての総合的知恵から着物文化は成り立っているのです。
日本の着物は平織りで出来ていますが、普段から着物を着慣れないと着崩れを起こします。
逆に着慣れれば、いつでもきれいに着ていることが出来ます。
実はこれも“たぐり”という日本人の知恵なのです。通常“おはしょり”と言っている部分にこの“たぐり”を持たせておくのです。遊び(余裕)を持たせて着付けるといったほうが解りやすいでしょうか。万一、着崩れても遊びの部分を引っ張れば元通りになるのです。
これも日本の伝統的な、平織りの技術なのです。
織り方は平織りだけでも、布地の種類は本当にたくさんあります。木綿・正絹・絽・紗・麻・絣等、気候風土に合ったものが使われています。私は夏の絽が大好きです。涼しげで、色気があって、品が良いと思うのですが。
今は10月。もう袷(あわせ)になってしまいました。(6月から9月までは単(ひとえ)といって裏のないものを着ます。)これからの季節はいわゆる裏地の部分に個性を出せる楽しみがあります。着物の各部分の呼び方は伝統的なもののままで普段は使わないので知らない人の方が多いのは当たり前です。
冬は手袋をすれば顔が出るだけですからとっても暖かいし、暖房が効いていても身八口のおかげで汗はかかずに済みます。夏は通気性が良く、着てしまえば心地好く、特に冷房の中では威力を発揮しています。
現代に毎日着物を着て・・と言う方が無理というものですが、伝統と文化が凝縮されている着物を見直して欲しいと思うのです。着慣れれば洋服を着るのと同じ時間で着られます。
新しいものばかりに右往左往しないで、どこかにひとつ、根っこのような部分を常に意識して持っていて欲しいと思う。着るものだけに限らず。
古いからと言って邪険にするのではなく、古い事が今の基盤になっていることを忘れないで欲しい。
自灯明
at 2001 10/29 07:09 編集
自灯明・法灯明(自帰依・法帰依と仏典にはある)
これは多聞第一といわれた弟子がお釈迦様に聞いた時の答え。
「お師匠様亡き後、私は何をよりどころに生きてゆけば良いのでしょう」
こう聞く弟子に、自分を灯とし、自分をよりどころにして生きなさい。法(真理・お釈迦様の教え)を依りどころにし、他を依りどころにしてはいけませんと言われた。
毎日積み重ねてきたことは、知らず知らずのうちに自分の中に宿って生き、真理を貫く事が自分を照らす明かりになる。
どんな大きな財産でもあてにはならない。「物」は当てにはならないのだから、本来の自分を依りどころにし、法を依りどころにしなさいという事。
毎日がただ24時間流れていくように思えてしまう。そして一つずつ年を重ねていくのだけれど、最近気が付いたことがある。
嫌な事があった時、少し前までは相手を恨んだり、自分の今を儚んだりしていた。
けれど、最近は「こんな事もあるさ」とさして気にならない。だから、あんまり嫌いな人がいなくなった。
「いい人でいたい」というよりは、自分の器量が解ってきたのだと思う。
何故そうなったのかを考える方が多くなった。
人がどう思うかではなく、自分がどう接しているかが大切なんだと思う。
色んな人の言葉を聞き、吸収できる自分でありたいと願う。
色んな人の中に混じっていても、自分でありたいと思う。
真理を身に付けられるほど切磋琢磨している人生ではないけれど、自分を信じていく事はできるような気がする。
もし人生がろうそくに例えられるとしたなら、火をともした時から溶けて消えるまで、炎は燃え続ける。自分を照らす明かりは自分で燃やし続けなければいけない。
そして自分のろうそくが少しずつ短くなっていくのに気が付いた時、自分の命がいとおしく、尊いものに思える。
自分の命の尊さを知れば、自ずと人の命の尊さがわかる。
知り合いが亡くなった。元気で楽しい人でした。
今年は別ればかりが続く。
それもいつかは自分がたどる道。
自分を照らす灯りをきちんと持っていたいと思う。
「うつくしいものを
美しいと思える
あなたのこころがうつくしい」
思い出をありがとう。また次の世で会いましょう。
色は違っても
at 2001 10/30 07:55 編集
マーフィーの法則という本を知っている人は多いと思う。
その中のチザムの法則に
第1.何かが順調なときは、何かがおかしくなる。
第2.提案書は、提案者の意図どおりには理解されない。
それは 1.誰もが理解できる説明を誤解する人が必ずいる。
2.誰もが賛成できる行動に反対する人がかならずいる。
3.目的達成の為の手段は、提案書どおりには進まない。
というものがある。
この本自体、おかしくもあり、なるほどと思う事もあり、楽しく読んだ。しかしながら現状を思うと、まんざら娯楽本とはいえないかもしれないなと思ってしまう。
ギンズバーグの定理に
1.勝ち目はない。
2.引き分けもない。
3.途中で降りる事もできない。
危険に臨んだ時に、人は最悪の選択をしてしまい、その挙句は定理のようにという事。
ギンズバーグの考えに対してフリーマンは
1.資本主義は勝利を前提とする。
2.社会主義は引き分けを前提とする。
3.神秘主義は途中棄権を前提とする。
とコメントしている。
個人は悩み・苦しむけれど、集団の意識となると前提に向かってのみ考えをめぐらせる。
テロ対策法案がいかなるものなのか・・・
戦争をしている国から見れば、「愚の骨頂」何の役にも立たない法案だと思う。だいいち自衛隊は一部すでに派遣された後なのだから、日本人の私でもばかげていると思う。
アメリカはピラミッドの頂点に立ちたくて、タリバンはその土台になれなくて、日本はスフィンクスになってるつもりでいるような気がするのです。
ピラミッドの中は人類が解明できない宇宙と同じような”気”が流れているという事も知らないで、外から見える形にばかりこだわっている。世界の首相は全員が、ナポレオンが見て嘆き悲しんだという、「未来を見せてくれる部屋」に登ってみればいいのです。
奢れるものは久しからず。いつでも冷静に状況判断ができることが大切です。
自分が問題を抱えたとき、近くでよく観察してみると、自分が問題の一部であることが解るものです。
チャーチルは
「人はときおり真実につまずくが、たいていの場合、独力で立ち上がり歩き続ける」
と言いました。
つまずいた事を人の責任にしないで立ち上がる事に知恵をめぐらすべきだと思います。
先日、一緒に飲んでいた先生が言っていました。
「赤ちゃんはね、生まれてすぐは、みんな同じ色をしているんだよ。日本人も白人も黒人も生まれた瞬間はみんな同じように赤黒い。だから赤ちゃんって言うんだけどね。二日経ち、三日過ぎると、人種がはっきりしてくる。
生まれてくる時もお母さんと一緒に頑張って出てくる。自分で回転しながらちゃんと出て来るんだよ。それもみんな一緒なんだよ」
生まれてきた時は、同じような色をし、同じように泣きながらこの世に出てきた人間なら、どこかで理解できる部分があるだろうと思う。
やはり、戦争からは何も生まれない。
ニュースであまり報道しなくても、知らん顔をしてはいけない。
人間だから。
幻覚
at 2001 10/30 23:56 編集
極限状態がまねく奇妙な幻覚についてはいろいろ研究もされているが、人間の脳のしくみは未だに神秘なままになっている。
29歳で出家し、それ以降悟りを求めて苦しい修行をしたお釈迦様も悪魔の幻覚を体験している。
一日に米一粒、一週間に米一粒、やがて断食という苦行に加えて、呼吸を止める、墓地にある死体のそばで過ごす、一日中立ったままでいる、あるいは座ったままでいる、など等考えられる限りの極端な修行を行い、ひたすら解脱を目指して瞑想する生活を六年間も続けたという。
その中で幻覚として現れた悪魔は女性の姿で誘惑しようとしたり、懐かしい父親に化けて修行生活を捨ててくれと哀願したり、矢を手にした大軍を率いて射殺しようとするなどして解脱を妨げようとした。
このように、身体的にも心理的にも極限状態に置かれると、人は幻覚や幻聴を体験する。
仏教の始祖“仏陀”でも例外ではなかったわけである。
灼熱の砂漠でオアシスを見たり、凍死寸前の雪山で家族に出会ったりするという話は聞いたことがある。
脳の温度が40度以上を越えたり、体温より低い34度以下になると、幻覚に襲われると言われているそうですが、これも砂漠地帯などに住む人が皆幻覚を見ることはないはずで、激しい温度差に対応できる機能を身につけている人達にはあてはまらない。
また、極限状態にさらされた心の抑圧も大きな要因になる。特に戦争体験者の中には多く見られるそうです。
ベトナム帰還兵の40%にも及ぶ人達が幻覚症状に悩まされているというのですから恐ろしい問題です。現在ではPTSDという病気として認知されていますが、治療法は特に見つかっていません。
映画の「地獄の黙示録」「プラトーン」などで描かれた兵士達の苦しみは、決して作り話ではないのです。
今、戦争をしているアフガニスタンを考えてみると、
・ 3年間も雨が少なく不作続きである。
・ 山岳地帯であるため緑が極端に少ない。
・ 温度差が激しい。
・ 長い間、内戦が続き、また他国からの侵略もあり、戦争が耐えない。
・ 貧富の差が極端にあり、一般の人々は日々の食事にも困る。
・ 大麻の生産国である。(簡単に手に入るという事)
簡単に並べてもこれだけの事がある。こういう環境で生活せざるを得ない人達がある種の幻覚症状のようなものに襲われたとしても不思議はないと。宗教にすがるしかなかったのだと思う。(現に日本にいるイスラム教徒の知り合いで、急にお祈りをしたりする人は少なからず私の周りにはいない)
こういう中に金持ちが、入り込んで人々を操るのは簡単な事だったと思う。
根本を考えずして、結果を導き出す事はできないと思うのです。
このままでは地球の自然を破壊するばかりでなく、人間の精神をも破壊してしまう事になるでしょう。世界平和や心の平和は、戦うことでは決して得る事はないのですから。
「土の中の 水道管
高いビルの 下の下水
大事なものは 表に出ない」
みつを

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