件名:[yorozuya:06029] バーチャルって ?


 

 

 

 

 

 

 

まずこれは、「仮想現実」「現実」に対して金田氏から「ヨロズヤ」MLyorozu@ml-b8.infoseek.co.jpに対して送られたメールが発展したものです。


 

☆件名:[yorozuya:06029] バーチャルって ?

 

写真、左下が金田氏です。


 

ごまです。
今年も昨年同様よろしくお願いします。


だいぶ前の話題なので念のため個人名は伏せますが、
〇〇さんがいらっしゃった時に、
ネット上の人格が独り歩きを始めてしまって… みたいな話がありましたね。
それと、最近でも「バーチャル」っていう言葉が何度か飛びかってるのを見て、
バーチャルって何だろうなと考えてみました。

仮想現実っていう言葉自体、そもそもよく分かんないというか、
胡散臭い感じもするんですよね。
だって、そもそも人間は感覚を通して現実を認識しているだけで、
現実そのものを直接認識しているわけじゃない。
現実を直接認識していないばかりでなく、
現実が存在しているかどうかを証明する事もできないわけです。
感覚を通して現実を認識していると思い込んでいる、たとえば僕にしても、
実は誰かが作ったコンピュータで、
現実と思っているのはそのコンピュータが見ている夢に過ぎない可能性だって
捨て切れないのです。
僕らが現実を認識する場合、
もし現実なるものが実在するとしたらっていう仮定に立って何かを
認識しているので、必ず現実を仮想しているんです。

去年レンタルビデオで見た
「アイズ・ワイド・シャット」は、セックスを題材に
空想と現実との関係を扱った映画だと思いました。
空想と現実とは切り離せないし、空想との適度な関係を断ってしまったら、
むしろ現実さえ見失ってしまう結果になってしまうのだというのが
この映画の主張だったと思います。

# 同じくキューブリック作品の「時計仕掛けのオレンジ」が物語っていたのは
# 「悪事を働く自由がなければ善の価値もない」だったはず。
# 論理構造は同じだと思います。

単にバーチャルは悪だと決めつける人間が、
もし「空想と現実を区別できない」事をバーチャル的と定義して事足りると
思っているのなら、
その人は現実というものにえらく楽観的な見方をしているのだろうというのが
大変穏やかな表現で、
「原始人かお前は」とでも言っておくのが妥当な線かと思います。
人が 10人いれば最低 10個の現実が存在しているはずだし、
その中のどれが最も現実的な現実かを判定するのは、
もしできたとしても、ものすごく難しいと思います。

また、都会に住んでいる人にとって現実とは人工的な環境を意味しても
いますね。
人が人工的な環境を作る過程では必ず想像力が使われているはずですから、
都会人にとってはますます現実と想像の区別というものは簡単に割り切れる
ものではないはずです。

とはいえ、なんとなくですが、
世の中が加速度的にバーチャル化してきていて、
そこには何か重大な問題がありそうだぞという不安は確かに的を射ているように
思われるのも事実です。


そこで、こういうのはどうでしょう ?
「もし『バーチャルは悪である』と言えるとしたら、
バーチャルとはどう定義づけられるか」っていう方向で考えてみたら
どうなります ?
仮想現実という、元の言葉からは多少はみ出してもいいとして。

健全な人間関係を阻害するバーチャル的な要素として僕が思いつくのは、
1. 肉体の軽視。
2. 人と人が出会う「場」の曖昧化。
3. 刹那的で利己的な人間関係。
4. 安直に満たされる欲望。
5. 情報量の乏しさ。
といったところです。
かなり重複してそうにも思いますが。

1. 肉体の軽視。
人間というものは、肉体による制約と自由な精神との (弁証法的な ?)
関係の上に成り立っているように思います。
有限な肉体による制約を意識せずに生きていこうとするなら、
結局は自分を見失う事になってしまうでしょう
(見失った人間が言うんだから多分間違いない)。

2. 「場」の曖昧化。
人間は常に「場」において他者と出会うものだと思います。
「職場」だとか、「酒場」だとか、「喫茶店」などですね。
常にそういう場を背景にして友人や同僚との関係があります。
デジタル信号を運ぶ回線が人間同士の出会う場になるというのは、
想像しただけでちょっと気味の悪い側面があるのも確かです。
喫茶店などの場に比べて、ネットが背景として人間関係を規定する
度合いは小さいですから、
ネット上でのコミュニケーションは他のコミュニケーションと比べて、
各自が勝手に背景を仮定する度合いが高いという言い方もできるでしょう。
「場」による制約が少ないために A と B が各々勝手に背景を仮定
したままで双方向のコミュニケーションが成り立ってしまうというのが
この場合の「曖昧」の意味です。
また、ネット上の人格が独り歩きを始めてしまう事の問題は、
ネットという場とその人の他の活動の場との関係が希薄になってしまった
時に顕在化するのでしょう。

3. 刹那的で利己的な人間関係。
時間的・空間的な制約の少ない中で新しい人間関係を結べる結果、
必ずしも長期的な信頼関係を志向せずに、
その場限りの都合で関係する相手を次々に変えていく事もできるかと
思います。
苦労しながら長期的な信頼関係を築く事の面白さに気付くチャンスを逸して
しまう人も中にはいるかも。

4. 安直に満たされる欲望。
僕自身最近強く感じているんですが、
ネット上でこれこれこういう作業をしますと約束したり、
あの文書をまとめておくべきだろうと思いながら
放り出したままになる場合が多く、
純粋な趣味ならそれでもいいでしょうが、
僕の場合、引きこもり状態からのリハビリの意味を込めてますからね、
こうやって自分の欲望に任せて興味のある作業だけをするのは
やっぱり問題だよなと反省してます
(反省しながらも、やっぱり欲望に任せて書いてるヤツ)。
つまり、自分の欲望だけを起点に行動するのは、自由なようでいて、
実は欲望に支配されている状態でもあって、
これもまた却って自己を見失う原因にもなります。
従って、よく言われるように自由が過剰に与えられるのが問題というのは
正確さを欠く表現で、
欲望からも自由でなければ自由とは言えないと言い換えるべきでしょう。
他者や環境からの強制でもなく、欲望に流されるのでもなく、
自分のすべき事を自分の意志で決めて行動していくのはなかなか
難しい事ではあります。

5. 情報量の乏しさ。
これは意外に思う人がいるかもしれません。
でも、想像してみれば簡単な話で、
列車の窓から外を眺めるのに比べれば、
映画のスクリーンでもハイビジョンでも、
列車の中からカメラで外を映した映像には情報量が少ないわけです。
視覚情報だけでなく、座席から尻に伝わってくる感触とか、
隣に座ったオッサンの体臭だとか、いろいろありますし。
いわゆる実体験は確かに大事でしょうから、
たとえば子供がテレビを見過ぎるのにも問題があるだろうと思いますが、
だからと言ってテレビは小さな画面の方がいいと考えるのは反対で、
どうせ見るならむしろテレビはなるべく大きい画面がいいだろうと
考えます。

…と、いざ、つらつらと書いてみると意外と常識的な線に落ち着いた部分も
あるでしょうか ?

まとめの文章を書こうとしたんですが、
どうもうまくまとまりませんので、何かリアクションがあったら考えます。
よろしく。

-- 
ごま

年末のうちに断っとけばよかったぁと後悔してますが、
一応、喪中だったのを思い出してしまったので、
年頭の祝詞は省かせていただきます。

------------------------------------------------------------------------
   


ごまたん、みなさん;
こんばんは、めぐみです。


表題につられて出てきました。
でも、理論的になるとちょっと弱いかも・・・



> 単にバーチャルは悪だと決めつける人間が、
> もし「空想と現実を区別できない」事をバーチャル的と定義して事足りると
> 思っているのなら、
> その人は現実というものにえらく楽観的な見方をしているのだろうというのが
> 大変穏やかな表現で、
> 「原始人かお前は」とでも言っておくのが妥当な線かと思います。
> 人が 10人いれば最低 10個の現実が存在しているはずだし、
> その中のどれが最も現実的な現実かを判定するのは、
> もしできたとしても、ものすごく難しいと思います。

ネットにあまり携わっていない人たちの方が「バーチャルを悪」と決め付けていると
思います。

「バーチャル=ゲームやネットでの存在」みたいな捉え方が多いように思うんですけ
ど。。。現実に存在しないこと=バーチャル?

それにね、「バーチャルは悪」と決め付けている人たちの方が現実を見ていないと思
うんですよ。

空想や想像力というのも「バーチャル」に論理付けられてしまうのでしょうか。。。





☆ めぐみ ☆
hesed@crux.ocn.ne.jp



------------------------------------------------------------------------
  

 紋次郎ですぅ。。。 
あけおめことよろっ!(・・確かまだ言ってなかったよなぁ)


☆ めぐみ ☆ さん
>「バーチャル=ゲームやネットでの存在」みたいな
>捉え方が多いように思うんですけど。。。
>現実に存在しないこと=バーチャル?
>それにね、「バーチャルは悪」と決め付けている
>人たちの方が現実を見ていないと思うんですよ。

そーだそーだ! 
決めつけてしまうのは、現実を見ない為にはとっても良い方法だもんね。

そもそも(いわゆる)バーチャル=非現実なんて図式自体が安
易な決めつけなんで、(いわゆる)バーチャルだって現実のひ
とつに過ぎない訳ですよ。(ね!)


電話や録音機や写真が発明されて、時間や空間を超えて声や姿が伝えられ
る様になった時に、それを魔法か幽霊みたいに感じる様なのと一緒ですよ。

たとえその時その場にその人がいなくても、話しが出来たり姿が見えると
いう現実。今の時代なら、国際電話をしながらその相手が地球の反対側に
いるという現実も普通に認識してますよね。

今、バーチャルと呼ばれているモノがどーいう現実なのか、、、って事が
まだ良く実感できていないから「現実感がない」→「非現実」(→悪)
なんて単純な決めつけで済ましてるんじゃないでしょうかね。

ごまたん
>単にバーチャルは悪だと決めつける人間が、もし
>「空想と現実を区別できない」事をバーチャル的
>と定義して事足りると思っているのなら、
>その人は現実というものにえらく楽観的な見方を
>しているのだろうというのが大変穏やかな表現で、
>「原始人かお前は」とでも言っておくのが
>妥当な線かと思います。
>人が 10人いれば最低 10個の現実が存在している
>はずだし、その中のどれが最も現実的な現実かを
>判定するのは、もしできたとしても、
>ものすごく難しいと思います。

「原始人かぁ!お前はぁ!」
ここまで言ってくれると気持ちがいいなぁ。。。。
(いわゆる)現実だって、個人の感覚の中のバーチャルに過ぎないん
ですよね、つまり。
バーチャルもバーチャンも、どっちも現実だぁ〜!

PS: ひとたぁ〜ん、アノ夜は途中で寝てしまって御免っ!!!気が付いた
ら眠ってたというか、眠っちゃったんだから気が付かないと言うべきか、
、、
なんかいろいろ話した様な気がするけど、二人だけのヒミツにしとこうね!

・・・えっ、もう話しちゃった? 
もう、ひとたんったらぁ〜。。。


------------------------------------------------------------------------
   


ごまです。

>>>>> "め" == めぐみ <hesed@crux.ocn.ne.jp> writes:

め> こんばんは、めぐみです。

めぐみさん、愛してるよん ♪
# ↑性懲りもなく… ^^;

め> それにね、「バーチャルは悪」と決め付けている人たちの方が現実
め> を見ていないと思うんですよ。

たとえば、↓こういうのを考えるヤツらはね。脳ミソが寒いです。
http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/1bunkakai/dai4/1-4siryou1.html


> バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキリと言う

だって。
自分達の立脚している現実なるものの性質を全然自覚してないと見た。

め> 空想や想像力というのも「バーチャル」に論理付けられてしまうの
め> でしょうか。。。

っつーか、現実と仮想現実、空想の間にはっきりした境界なんてないはずだし、
単に仮想現実が悪と言ってしまうと、
全ての想像力が悪である可能性も出てきてしまうと思うんですね。

めぐみさんと紋ちゃんに出てきてもらったんで、少し話をふくらまし
ましょうか ?
めぐみさん、精神分裂病の人とのつき合いは経験してます ?
彼らが病院で出してもらう薬って、
確かに飲み続けてもらった方が周囲の人間にとって安心ではあるんだけど、
病気を治す薬ではないし、
本当に必要なのかどうかは疑わしいと思うんですね。
特に鬱病の治療と比較しても… じゃないかな ?
病気のメカニズムが分からない以上、
妄想や幻聴を薬で抑えて、安静にしてもらうのが
経験上好ましいとされているだけだと思います。
メカニズムが分からない現状でも、
もっと手間や人手をかけて対応すれば薬を使わずに済む人達も
結構大勢いるんだろうと思います。

# 「薬を飲んで安静にしてもらうのが経験上好ましい」の部分は
# 医者から聞いた話。
# 他は根拠が薄いので間違ってたらすいません。

薬で妄想や幻聴を抑えるのは回りの人間の都合… と言ってしまっては
言いすぎかもしれないけど、
分裂病の人達から妄想を取り上げようとするのと、
子供達をバーチャル・リアリティから引き離そうとするのとは
どこか似ているような気もします。

分裂病者の妄想を真剣に聞き出しても大して役に立たないのは
僕自身も経験してますが、
彼らの妄想を尊重する気持ちはいつも持ってます。
自分の見ている現実と彼らの妄想に本質的な違いはないっていう認識です。

紋ちゃんのご意見にはほとんど賛成。
一つ書き加えさせてもらうと…

>>>>> "紋" == 小林 <epoch@webtv.ne.jp> writes:

紋> 電話や録音機や写真が発明されて、時間や空間を超えて声や姿が伝えられ
紋> る様になった時に、それを魔法か幽霊みたいに感じる様なのと一緒ですよ。

印刷物だってバーチャル的と言えるし、
もっと遡って、言葉を介した活動が全てバーチャル的とも言えると思います。
「古代人」じゃなくて「原始人」と書いたのはそういう意味ね。
そもそも文化というものは最初からバーチャル・リアリティと共にあるんじゃ
ないかと。


でも、それを言っただけだと進歩がない気もするので、
こういう意味でならバーチャルが悪と言って差支えないと思われるような
定義を思いついたらまた書きます。
誰か知ってたら教えてちょ。


ごま

------------------------------------------------------------------------
   
☆もんたん&ごまんたん&めぐみおねえちゃんへ☆

   

もんたん:> ひとたぁ〜ん、アノ夜は途中で寝てしまって御免っ!!!気が付いた
もんたん:> ら眠ってたというか、眠っちゃったんだから気が付かないと言うべきか、、、
もんたん:> なんかいろいろ話した様な気がするけど、二人だけのヒミツにしとこうね!

もんたん:> ・・・えっ、もう話しちゃった? 
もんたん:> もう、ひとたんったらぁ〜。。。

話してないよ〜。二人のヒ・ミ・ツだもん♪(⌒^⌒)bうふっ
あの時はパパの携帯に電話して、モンたんを静かに寝させてあげてねってお願いして電話切ったんだよ。
色んな話を真剣に聞いてくれて、話し相手になってくれて嬉しかったよ。ありがとう。

バーチャルのお話、病院の先生の一言から始まったねー。
確かにその前にも、ネットの自分と現実の自分が分からなくなって・・・って時もバーチャルという言葉はあったね。
先生は何気に言った言葉なんだろうなー。

先生からすると、
「普通の生活の中で、人と向き合って、人の目を見て話せないのにネットではHPまで持って活発に動いてるんだ〜。
ふぅ〜ん。バーチャルなら出来るんですね」って感じかな?


実際に言われて言い返せない部分もあるのだ。
うーん。例えば、人が恐いってこと。ネットで色んな人に色んなことを言うくせに、やっぱり人が恐いってことかなー。
実際に人を目の前にすると恐怖は計り知れないほど大きくなっちゃうしね・・・。

会話ってことでも、人を本当に目の前にしたらひとみは最初慣れるまで喋れないと思う。
でも、電話だと結構慣れるのが早い。

のむたんやパパ、天使ママやめぐみおねえちゃん、のらたんに会った時、
最初は恐くて恐くてパパの後ろに隠れて、パパにしがみついてるのが精一杯だった。
でも、みんな優しくて、大丈夫かな?って思って話しかけたらちゃんと話し相手になってくれたんだ。
それで、みんなが怖い人じゃないって分かって喋れるようになった。

本当のひとたんの性格は「明るい」「天然」「おっとり」「よく喋る」「面白い」「真面目」なんだと思う。
(いいことだけを並べたから注意してね・・・。(-"-;A ...アセアセ)
でも、いろんなことが原因でそういう部分が隠れちゃってるのかもしれない。


先生の言うバーチャルって言うのが何なのかわからないけど、
そのバーチャルがネット全般を指すのなら、ひとたんにとってそのバーチャルって必要なもの。

ネットでも人と人とが向き合っているはずなのに、どうしてバーチャルって捉えられ、現実逃避に繋げられちゃうんだろう・・・。
オフ会なんて考えられないものなのかなー。
だって、ネットで遊んでた、喋ってた人たちが実際に逢う、これでは先生もバーチャルって言えなくなっちゃうはずでは?

その時代その時代の人との接し方があっていいはず。
昔は、手紙なんて送れなかったかもしれない。
昔は、電話はなかったかもしれない。
昔は、E−mailなんてなかったかもしれない。
昔は、ネット電話なんてなかったかもしれない。
でも、今はあるのがこの時代のやり方なんだ。

逆に使いこなしてない先生が、時代遅れなのだ。(言い過ぎ(笑))( ̄皿 ̄)うしししし♪


オフ会も、モンたんとの電話も、楽しかったよ!
ありがとう♪



-------------------------------------------------------------------------------




金田さん、皆さん、おはようございます。そして新年おめでとうございます。

 久しぶりに三門さんのお名前も登場し、いつかきちんとお話したいなとは
思っています。なにかとバタバタして不義理をお許しください。

> 題名:[yorozuya:06029] バーチャルって?
>Date: 04 Jan 2002 21:21:31 +0900
>From: KANEDA Hirokazu <kinta@mail.chabashira.co.jp>

>もし現実なるものが実在するとしたらっていう仮定に立って何かを
>認識しているので、必ず現実を仮想しているんです。

 例えば心理学(精神分析派?)方面の岸田秀さんなんかは唯物論に対し、人
間は本能の壊れた幻想に生きる動物だとして「唯心論」を唱えています。養老
孟司(漢字はうろ覚え)さんの唱える「唯脳論」もそれに近いものがあります。
仏法における「無明」あるいは「迷い」なども「悟り」に対する言葉として、
本来人間は幻想に惑わされながら生きているという前提を悟りへの出発点とし
ています。


>「アイズ・ワイド・シャット」は、セックスを題材に
>空想と現実との関係を扱った映画だと思いました。
>空想と現実とは切り離せないし、空想との適度な関係を断ってしまったら、
>むしろ現実さえ見失ってしまう結果になってしまうのだというのが
>この映画の主張だったと思います。

 現実と思い込んでいる事態を反省・自覚し直す作業が仏法における修業の自
行であり、そこから他へ働きかける化他に向かいます。


>人が 10人いれば最低 10個の現実が存在しているはずだし、
>その中のどれが最も現実的な現実かを判定するのは、
>もしできたとしても、ものすごく難しいと思います。

 十人十色の実存世界があるということですね。

>また、都会に住んでいる人にとって現実とは人工的な環境を意味しても
>いますね。

 養老孟司さんは都市も脳の産物であり、人間はむき出しの自然の中で生きる
のは難しいので人工物である都市に群がると考えているようです。

>世の中が加速度的にバーチャル化してきていて、
>そこには何か重大な問題がありそうだぞという不安は確かに的を射ているように
>思われるのも事実です。

 幻想に振り回されて「ありのまま」が掴めなくなってしまうのですね。「諦
める」とは「明める」であり「明らかに見る」という意味で、「悟る」という
積極的な意味なのですが、現代では消極的な意味あいにとらわれやすいのは、
それこそ残念に思います。


>「もし『バーチャルは悪である』と言えるとしたら、

 人間は元々バーチャルなのであって、それ自体は善悪無記だという点は押さ
えておきたいですね。


石田城孝
2002/1/6 4:16 JST

======================================================================
E-mail: shirotaka.ishida@nifty.com (alias for <QWK02125@nifty.ne.jp>)
☆☆ Amnesty International Campaign ☆☆
「いじめ・拷問を止めよう」・・・わたしにもできること
URL: http://www.amnesty.or.jp/stoptorture/
♪アムネスティ・フレンズ、しませんか♪フレンズは3,000円/年のサポーター
======================================================================
                                                           



ごまんです :-)

石田さんにも参加してもらったので、
このテーマ、仏教的にもう少し根っこをほじってみますね。
ひとたんにもぴんと来るところが少しでもあればめっけもん。

今さら言うまでもないくらい、
僕はこの ML で石田さんとのやり取りからは大きな影響を受けてまして、
度々 実体論/非実体論 に立ち返ってものを考えてます。
今回もやっぱりそれと関連しそうですね。

>>>>> "石" == Shirotaka ISHIDA <QWK02125@nifty.ne.jp> writes:

>> また、都会に住んでいる人にとって現実とは人工的な環境を意味しても
>> いますね。

石>  養老孟司さんは都市も脳の産物であり、人間はむき出しの自然の中で生きる
石> のは難しいので人工物である都市に群がると考えているようです。

そそ。僕も養老さんの説が念頭にありました。

こういうテーマは、いっそ、養老さんの著作を読んだ方が早いかもしれないと
思うくらいですが、それはそれとして…

もう一つ、養老さんの説を聞きかじった記憶から思い出すのは、
情報とは変化しないものであるっていう話です。

>> 世の中が加速度的にバーチャル化してきていて、
>> そこには何か重大な問題がありそうだぞという不安は確かに的を射ているように
>> 思われるのも事実です。

石>  幻想に振り回されて「ありのまま」が掴めなくなってしまうのですね。

仏教的に「ありのまま」と言えば、
一つには無常という性質を現実は持っていますね。
仏教では、常に変化し、一つところに止まらないのが現実と考えます。

一方、情報は変化しないから情報としての価値がある。
デジタル情報を思い浮かべれば分かりやすいですね。
勝手に変化してしまえば情報は劣化し、
さらには情報としての意味が全く失われる…というか、
情報ではなくなってしまいますね。


現実とは確固たるもので、
情報は移ろいやすいものという、
直感的に受ける印象が逆になっているのはどういうわけでしょう ?

情報が移ろいやすいものと思われるのは、
情報そのものが変化するのではなく、
古い情報が新しい情報に置き換わるさまを見て感じる印象でしょう。
何によって新しい情報が生み出されるかといえば、
現実が絶え間なく変化しつつ新しい情報を作り出しているように
思われますから、
移ろいやすさの起源は情報ではなく現実にあるように思います。


一方、現実が不変的に思われるのは、
どうやら人間の煩悩がこの世に不変性を求める結果のように思われます。
不変的なのは現実ではなくて情報ですし、
確固たる現実と思っているのは、実は現実ではなく現実の作り出した
情報ではないかとも思われます。


# 錯綜してますねえ ^^;
# 自分で書いていてもよく分かってません ^^;

唯識で唯一の実在とされる (それも最終的には否定される) 阿頼耶識も
刹那滅 (一瞬で消えては生まれる) ですから、
決して不変的ではないんですが、
その阿頼耶識の作り出す情報 (現象やイメージ ?) を末那識が実体と
取り違えてしまう心の働きを煩悩と呼ぶのだとも言えないでしょうか。
調べてみると宗派によっても解釈が違うようなので、何とも言えませんが。

ともかく、
情報を現実そのものと取り違えてしまうのがまさに煩悩とするなら、
バーチャル・リアリティの持つ危険と思われているのは、
実は昔から人間が避ける事のできない危険であって、
仏教の四法印の一つ、一切皆苦の原因そのものとも言えるでしょう。

にも関わらず、やっぱりバーチャル・リアリティに固有の問題が
あるように感じられるのは、
これは常識通り、扱われる情報が増えて、質的にも多様化し、
自然の作り出す情報に近付いてきたためと考えられると思います。

さて、こうやって考えてみるとバーチャル・リアリティとの
上手なつき合い方も分かってきそうですね。
でも、疲れてしまったので、また改めて書きます。

-- 
ごまん

------------------------------------------------------------------------
   


ごまたん、みなさん;
めぐみです。


今日は、吹雪の中、新しいノートパソコンを取りに行きました。
家で、いろいろと設定・・・してました。新しいパソコンの方で投稿できるのは、
しばらく先になりそうです。


> めぐみさん、愛してるよん ♪
> # ↑性懲りもなく… ^^;

ありがとう。(^^)

でも、「愛してる」と言われても、ピンときません。
私自身、「愛」が判っていないからでしょうか・・・誰か教えてください。


> > バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキリと言う
> だって。
> 自分達の立脚している現実なるものの性質を全然自覚してないと見た。

うん。多分、想像力が足りない。

> め> 空想や想像力というのも「バーチャル」に論理付けられてしまうの
> め> でしょうか。。。
> っつーか、現実と仮想現実、空想の間にはっきりした境界なんてないはずだし、
> 単に仮想現実が悪と言ってしまうと、
> 全ての想像力が悪である可能性も出てきてしまうと思うんですね。

全ての想像力が悪とされてしまったら、夢が見れないじゃない。
夢がなかったら、現実に埋没してしまいそうですよね。



> めぐみさん、精神分裂病の人とのつき合いは経験してます ?

経験というか、精神分裂病に限らず、いろんな人たちとお付き合いしてます。
一時期、わたしにも付いた病名ですし・・・

> 彼らが病院で出してもらう薬って、
> 確かに飲み続けてもらった方が周囲の人間にとって安心ではあるんだけど、
> 病気を治す薬ではないし、
> 本当に必要なのかどうかは疑わしいと思うんですね。

わたしから言うと、あれは、治療薬ではなくて、合法的な薬漬け。。。
すごく多量でしょ。一日、15〜30錠くらい飲んでいる人もいるけど、
クスリでお腹がいっぱいになりそう・・・

> 特に鬱病の治療と比較しても… じゃないかな ?
> 病気のメカニズムが分からない以上、
> 妄想や幻聴を薬で抑えて、安静にしてもらうのが
> 経験上好ましいとされているだけだと思います。


それに、治療として電気ショックを使う病院もあると聞いているし、
治療という名の隔離をしてきたんでしょう。

病気のメカニズムというけど、誰だって、風邪を引いたりするのと同じように
心に風邪を引くことだってあるでしょ。
誰にだってなる可能性を持っている病気だと思うんです。


> メカニズムが分からない現状でも、
> もっと手間や人手をかけて対応すれば薬を使わずに済む人達も
> 結構大勢いるんだろうと思います。

究極論をいうと、日本の精神的な治療というのは遅れていると思います。
手っ取り早く薬を使っているみたい。でも、それが返って、病気を悪くする
結果を招いているような気もします。



> 薬で妄想や幻聴を抑えるのは回りの人間の都合… と言ってしまっては
> 言いすぎかもしれないけど、
> 分裂病の人達から妄想を取り上げようとするのと、
> 子供達をバーチャル・リアリティから引き離そうとするのとは
> どこか似ているような気もします。

ミヒャエル・エンデのモモみたいな感じかな・・・あんな感じになるんじゃないかと
思うんです。

子どもたちから夢を奪うような現実だから、
ハリーポッターとか指輪物語みたいな空想的な映画が流行るのかな。。
とも思っています。



> 分裂病者の妄想を真剣に聞き出しても大して役に立たないのは
> 僕自身も経験してますが、
> 彼らの妄想を尊重する気持ちはいつも持ってます。
> 自分の見ている現実と彼らの妄想に本質的な違いはないっていう認識です。

それは、わたしも同じです。

バーチャルは悪じゃないですよ。


ではでは・・・


めぐみ
hesed@crux.ocn.ne.jp



------------------------------------------------------------------------
   

紋次郎さん;
めぐみです。



> >「バーチャル=ゲームやネットでの存在」みたいな
> >捉え方が多いように思うんですけど。。。
> >現実に存在しないこと=バーチャル?
> >それにね、「バーチャルは悪」と決め付けている
> >人たちの方が現実を見ていないと思うんですよ。
> そーだそーだ! 
> 決めつけてしまうのは、現実を見ない為にはとっても良い方法だもんね。

初めて、意見が一致(?)しましたね。

現実を見なくて済むならそうしたいけど、それじゃ生きていけないもの。
ネットを通じても、本やいろんなものを通じても現実の世界って、見えてくるもんね。

> そもそも(いわゆる)バーチャル=非現実なんて図式自体が安
> 易な決めつけなんで、(いわゆる)バーチャルだって現実のひ
> とつに過ぎない訳ですよ。(ね!)

多分、「バーチャル」って言葉から一番縁遠い人たちこそ、非現実的
なのかもしれない。
その代わりといっては変だけど、IT(ネットやパソコンなど)とも
縁遠い存在なのかもね。

人が成長しているように、世界観も変わって来ているはずだから、「バーチャル=悪」の
人たちこそ、成長できてなくて現実から逃避しているだろうと思います。



めぐみ
hesed@crux.ocn.ne.jp


------------------------------------------------------------------------
   


ごま〜ん(鼻母音) です。

>>>>> "ご" == KANEDA Hirokazu <kinta@mail.chabashira.co.jp> writes:

ご> 現実が絶え間なく変化しつつ新しい情報を作り出しているように
ご> 思われますから、

毎度の事ではありますが、読み返してみると、
我ながら相当無茶苦茶を書いてるようですね。
「現実が情報を作り出す」って… (?_?)
10人いれば 10個の現実があると自分で言っておきながら
その曖昧な概念を定義し直す事もなく使っているわけですから、
全く真偽不明な言説になってますね。
どうせなら仏教用語で統一した方がいいんでしょうけど。
イメージ先行、持久力のない人間の思いつきですから、
あんまりまともに受け取らないでねと念を押しときます。

でも、また思いついてしまったので、もう少し書きます。

ご> その阿頼耶識の作り出す情報 (現象やイメージ ?) を末那識が実体と
ご> 取り違えてしまう心の働きを煩悩と呼ぶのだとも言えないでしょうか。

現象が情報の一種であるとは何じゃそりゃと、
ここにも一つ自分でツッコミを入れときます。

しかし、ある種のイメージや情報を不変的な実体と取り違えてしまう、
あるいは背後に不変的な実体を想定してしまう事の危険を
仏教の深層心理学である唯識から説明してみるアイデアにはなかなか捨て難い
面白さがありそうです。

例によって「岩波仏教辞典」から抜き出してみると、
> 阿頼耶識はその種子 (しゅうじ) から対象世界の諸法 (現行法) を生
> じ、その諸法はまた阿頼耶識に印象 (薫習 (くんじゅう)) を与えて
> 種子を形成し、刹那に生滅しつつ持続 (相続) する。

とあります。
対象世界の諸法を生み出すところの阿頼耶識は、
・刹那に生滅する性質と
・持続する性質を
併せ持つとされているわけです。

自分を振り返ってみると分かりますね。
昨日の自分と今日の自分は別でありながら同一性を保っているから
社会生活が営めるので、
同一性に拘りすぎて変化を拒んだり、
逆に個々の状況に振り回されて同一性を失ったらちょっと困ります。

バーチャルな環境に固有の問題ではないけど、
バーチャルな場では、今まで誰も経験してこなかったような出来事が
起きているんだから、
それに対処するにはますます自覚的でないと、
それこそ自分を見失う危険もあるのかなと思います。

同一性を失わない事と変化を恐れない事。

こうして考えてみると、
今回書くきっかけになったひとたんは
自分というものをしっかりと持っていると思うし、
ML などの場を通じて変化していく意志を持っているんだから、
バーチャル・リアリティに飲み込まれて自分を見失う危険は
全然なさそうだなっていう結論ですね。
めでたしめでたし :-)

-- 
ごま

------------------------------------------------------------------------
   


ごま〜んっ。

>>>>> "め" == めぐみ <hesed@crux.ocn.ne.jp> writes:

> > めぐみさん、愛してるよん ♪
> > # ↑性懲りもなく… ^^;

め> ありがとう。(^^)

め> でも、「愛してる」と言われても、ピンときません。
め> 私自身、「愛」が判っていないからでしょうか・・・誰か教えてください。

最近思うのは、
男女にしても、もし二人の気持ちが完全に一つになっちゃったら
多分愛はないですね。

恋愛の初期には共通点を見つけて好きになる場合が多いだろうけど、
暫くすると必ず違いが際立ってくるものじゃないですか ?
そこを、どうにかしてもっと近付けていきたいと思うところに愛が
あると思う。
相手に自分の感情を投影して同じ気持ちでいると思い込んでいるだけじゃ
つまらない。
むしろ、違いを確認できると、ああ、まだ愛する余地があるんだなと
楽しくなったりします、僕は。
愛して、気持ちを近付けて→違いが生まれて→また愛して…
この動的な繰り返しが長期的な愛じゃないかなあと思ってます。
別個の肉体を持っているんだから、全く一緒になるなんてあり得ないですよね。
一つにならないから妥協するというんじゃなくて、
違いのあるところには、何か新しいものが生まれる可能性があると
感じるんです。

理想論かもしれないし、めぐみさんの問題意識とはずれてるかも
しれないけど。

単に僕の好みを言わせてもらうと、
共通点がありながら、自分とは違う視点をどんどんぶつけてくれる女性が
好きなようです。
めぐみさんを好きなのもそういうところでしょうね、
理由をつけるとすれば。
でも、できれば、めぐみさんの身近な男性の話も期待してますよ。

-- 
ごま

------------------------------------------------------------------------
   


ごま〜んっ

>>>>> "め" == めぐみ <hesed@crux.ocn.ne.jp> writes:

> > めぐみさん、精神分裂病の人とのつき合いは経験してます ?

め> 経験というか、精神分裂病に限らず、いろんな人たちとお付き合いしてます。
め> 一時期、わたしにも付いた病名ですし・・・

それはちょっと意外。
あ、そうか、境界例っておっしゃってましたね。
場合によっていろんな病名がついちゃうんですね。

め> わたしから言うと、あれは、治療薬ではなくて、合法的な薬漬け。。。
め> すごく多量でしょ。一日、15〜30錠くらい飲んでいる人もいるけど、
め> クスリでお腹がいっぱいになりそう・・・

僕がいちばん最近分裂病の人に見せてもらったのは、
かなり減らしてる段階だったので、
肝心の向精神薬がほんのちっちゃな錠剤一個で、
副作用を抑える薬が… 3種類くらいだったかな、
体積で言うと 10 対 1 くらいになりそうなほど、
付随する薬が多かったけど、
めぐみさんのおっしゃってるのは、向精神薬だけで 10錠以上 ?
量だけを考えても、飲むのをやめたくなる気持ちは分かりますね。
でも、勝手に薬をやめちゃった時の面倒も想像できるしなあ。

> > 分裂病の人達から妄想を取り上げようとするのと、
> > 子供達をバーチャル・リアリティから引き離そうとするのとは
> > どこか似ているような気もします。

め> ミヒャエル・エンデのモモみたいな感じかな・・・あんな感じにな
め> るんじゃないかと思うんです。

そそ。
確か、「モモ」に出てくる時間泥棒は、
無駄な時間を貯蓄してあげようって大人達に誘いかけてましたね。
その言葉に乗せられて時間を大切にしようと考えた大人達は、
結局、一見無駄に見えるけれども大切な時間を失ってしまったんですね。

もっと現実を見つめようとして想像力をないがしろにしたら
却って現実を見失うだろうっていう今回の話に近いですね。

でも、ウェブを検索してみて改めて知ったんですが、
盗まれた時間を取り戻す道案内をしてくれたカシオペアという名前のカメが、
モモに「時間を無駄にするな」と忠告するシーンがあったようですね。
何が本当に大切な時間なのか、何が現実なのか、
錯綜していてよく分からない要素もあります。

-- 
ごま

------------------------------------------------------------------------
   

おはよう。
ねもちんです。


(ごまさん)
> 何が本当に大切な時間なのか、何が現実なのか、
> 錯綜していてよく分からない要素もあります。

バーチャルとリアルの問題、興味深く拝見いたしました。
でもね、バーチャルはどこまでいってもバーチャルでしょう。
オナニーで本当の女を抱くことも、同じ時間も共有することも出来ません。
(この<同じ時間>には様々な意味合いが含まれます。)

バーチャルが現実などと考えるのは、既に現実生活からの逸脱です。
空想は、あくまでも個人の心の中だけの現実なのです。
それが現実と接点を持つためには、空想の実現に向けての初めの一歩が必要なので
す。

では。



------------------------------------------------------------------------
   


葉子です。

なんか、考えてたけど、うまく言えませんでした。
何が現実かを決めるのは、個人の自由じゃないでしょうか、他人を侵害しない限り。
ばーちゃるであろうと、なかろうと、人が自分の真実と現実を規定する権利はその
当人にあり、他人がどうこう言うことではないと思います。

仕事、ということを考えれば、ある人は工場で缶詰を作るような比較的
可視的な労働しか現実と認めないです。ある意味、通信教育のようなものは
バーチャルですが、それが現実に学校に行って単位をとるのより非現実かと
いえば、そういうことはありません。

わたしは、バーチャルはリアルにつながる一つの可能性と考えています。
可能性です。それ以上でも、それ以下でもありません。
確かに、インターネットだけの関係ですべてを知るのは無理です。
必要なら直接会うことになるでしょう。
バーチャルとは、そういう可能性を含んだ現実に近い世界だと思います。

 

----------------------------------------------------------------------------



こんにちわ。
ねもちんです。


葉子さんからご指摘の通り、仮想空間と現実空間の境界線は、ますます曖昧化してお
りますね。
その意味で、ごまさんのこの度の投稿は、興味深いものがあります。
本来、強烈な問題提起となる筈のものですよね。
しかし「ヨロズヤ」MLの方々は、誰一人として反論をしませんね。
それは、みなさんが高度の知識で武装されているからだと思います。
しかし現在、混濁した意識の中で、妄想が現実との境界線を乗り越え、それが原因と
見られる犯罪が増加しているのも又、事実です。
それらを全て幻想と捉え、それ故、責任能力無しと見做し違法性阻却の事由にするこ
とは当然出来ません。
犯された犯罪は、既に犯罪者の脳の中での出来事ではなく、現実の社会とリンクして
いるからです。

問題は、ここに存するのですが、被害者にとっては過酷な現実も、関連をもたない第
三者にとっては、それは多数の毎日どこかで発生する事件の羅列の中の単なる一齣に
過ぎないということです。
それ故、僕達は、仮想と現実の接点を見出せないのです。
当事者の痛みを分かち合う事が出来にくいのです。

これはしかし当然のことですね。
僕達が全ての人類と関係性を確立させることなど、はなから出来ない相談だからで
す。
単純に言えば、道を歩く人、満員電車の人々、全ての人と関係を結ぶことは出来ませ
ん。
我々は、それらの人々を風景の中に溶け込ませることで、自らの存在を保てるので
す。
現実が架空ににじり寄る地平がここにあります。


さて、僕は今ネットを使った同人誌を構想しております。
これは、僕の仮想から現実への架け橋の手段のひとつなのですが、
その根底にある考え方は、時代の匂い、または感覚的なものを形にしておきたいとい
う欲望です。
MLでのみなさんの投稿の中にも、記録しておきたい話が沢山あります。
当然、今回のごまさんの投稿なども、そのひとつです。
それらをテーマごとに形に出来たらなどと考え、入れ物を作成している最中です。

http://web2000.kakiko.com/penguin/

↑これがそうです。

こんな投稿を載せてみたい等の希望がありましたら、どしどしお寄せくださいね。
本年中に形にし、出版界に問いかけようと考えております。
僕は本気なのです。

よろしくお願いいたします。


------------------------------------------------------------------------
    


> こんにちわ。
> ねもちんです。

こんばんは 野村です。

> 葉子さんからご指摘の通り、仮想空間と現実空間の境界線は、ますます曖昧化してお
> りますね。
> その意味で、ごまさんのこの度の投稿は、興味深いものがあります。
> 本来、強烈な問題提起となる筈のものですよね。
> しかし「ヨロズヤ」MLの方々は、誰一人として反論をしませんね。
> それは、みなさんが高度の知識で武装されているからだと思います。
> しかし現在、混濁した意識の中で、妄想が現実との境界線を乗り越え、それが原因と
> 見られる犯罪が増加しているのも又、事実です。
> それらを全て幻想と捉え、それ故、責任能力無しと見做し違法性阻却の事由にするこ
> とは当然出来ません。
> 犯された犯罪は、既に犯罪者の脳の中での出来事ではなく、現実の社会とリンクして
> いるからです。
> 問題は、ここに存するのですが、被害者にとっては過酷な現実も、関連をもたない第
> 三者にとっては、それは多数の毎日どこかで発生する事件の羅列の中の単なる一齣に
> 過ぎないということです。
> それ故、僕達は、仮想と現実の接点を見出せないのです。

難しい視点ですね。
現実とバーチャル。。。
しかし、自分のみたいものしか見ない。。。という現実の生き方も
一つのバーチャル空間といえるかもしれません。
(私の知っている同年代の日本有数の宗教団体の教務員は居間にパソコンが置いてあります
が、奥さんには自由に触らせません。パスワードを教えてないんです。
なぜか?彼の言葉を借りると”家族を守っている”のだそうです。自分たちの情報の中でだけ
でしか生きていません)
また、現実に紙幣を手にしなくてもネット上で銀行決済できたりと
バーチャルなやり取りが現実的効力を持つケースもあります。

結局のところ ネットがバーチャルかどうか?の議論はネットが別人格を模して妄想に
入る導入装置になるか?どうか?という議論のような気がします。

> 当事者の痛みを分かち合う事が出来にくいのです。
> これはしかし当然のことですね。
> 僕達が全ての人類と関係性を確立させることなど、はなから出来ない相談だからで
> す。
> 単純に言えば、道を歩く人、満員電車の人々、全ての人と関係を結ぶことは出来ませ
> ん。
> 我々は、それらの人々を風景の中に溶け込ませることで、自らの存在を保てるので
> す。
> 現実が架空ににじり寄る地平がここにあります。
> さて、僕は今ネットを使った同人誌を構想しております。

おお。。。。

> これは、僕の仮想から現実への架け橋の手段のひとつなのですが、
> その根底にある考え方は、時代の匂い、または感覚的なものを形にしておきたいとい
> う欲望です。
> MLでのみなさんの投稿の中にも、記録しておきたい話が沢山あります。
> 当然、今回のごまさんの投稿なども、そのひとつです。
> それらをテーマごとに形に出来たらなどと考え、入れ物を作成している最中です。
http://web2000.kakiko.com/penguin/
> ↑これがそうです。

拝見しました。
これから楽しみですね。

> こんな投稿を載せてみたい等の希望がありましたら、どしどしお寄せくださいね。
> 本年中に形にし、出版界に問いかけようと考えております。
> 僕は本気なのです。
> よろしくお願いいたします。

ウェブで一番読まれないのが小説だそうです。
その殻をねもちんが打ち破って欲しいですね。

節 コラム 短編小説 時事問題 など 盛り込んでぜひ盛り上げて欲しい企画です。
幸い この萬屋は いいライターが揃っていますし、どんどん発掘できると思います。
シモさん 帰って来い〜

ではでは


-----------------------------------------------------------------------

 

のむちん、こんばんわ。
ねもちんです。


(のむちん)
> 結局のところ ネットがバーチャルかどうか?の議論はネットが別人格を模して妄
想に
> 入る導入装置になるか?どうか?という議論のような気がします。

うんうん。
まさにそこなんですね。
事実、人格が変る方は多いですよね。
責任の所在が曖昧になるからなんでしょうか?
実生活に於ける利害の関係が成立しにくいですから。

(ねもちん)
> > さて、僕は今ネットを使った同人誌を構想しております。

> おお。。。。

> > これは、僕の仮想から現実への架け橋の手段のひとつなのですが、
> > その根底にある考え方は、時代の匂い、または感覚的なものを形にしておきた
いとい
> > う欲望です。

> 拝見しました。
> これから楽しみですね。

ありがとう。
僕の考えの中に、アフォリズム、ないしは詩、短歌。
そのような短い形式での全体表現がネットでは有効だという気がします。
ネットで長い論文や哲学書は向きません。
何しろ、目が疲れますから。
赤線でチェックも出来ませんし。
ですから、
ネットに於いては、想像力で補う部分が必要なのです。
本との一番の差異は、ここです。
本の製作のように、一行の為に数千ページを費やすのではなく、一行で人の心を刺す

それな強烈な言葉の武器が、必要でしょう。

> > こんな投稿を載せてみたい等の希望がありましたら、どしどしお寄せください
ね。
> > 本年中に形にし、出版界に問いかけようと考えております。
> > 僕は本気なのです。
> > よろしくお願いいたします。

(のむちん)
> ウェブで一番読まれないのが小説だそうです。
> その殻をねもちんが打ち破って欲しいですね。

う・・・ん。
小説といってもショートですね、僕が考えているのは。
大河小説は考えておりません。
残念ながら・・・

(のむちん)
> 節 コラム 短編小説 時事問題 など 盛り込んでぜひ盛り上げて欲しい企画です。
> 幸い この萬屋は いいライターが揃っていますし、どんどん発掘できると思いま
す。
> シモさん 帰って来い〜

ええ、期待しております。
まずは、1ヶ月ごとに更新できればと思っております。ページは幾らでもスペースが
ありますので、どんどん書いて送ってください。
このMLに投稿して、その後、纏めることがいいかと思います。
では。

 

       <総括>


 

 

あー、ちかれたー ^^;
「バーチャルって ?」のサブジェクトから始まったお喋りをまとめて
みました。

童話風にしてみたつもりですが、後半は文体を維持できませんでした。

話の展開上、大島さんに登場してもらいました。
もし不都合があったら言って下さい。

かなり勝手につけ足した部分があるので、異論がありましたらどうぞ。


ごま

                          

                         ああでもない、こうでもない・・・

 

 


 

 

ひとたんは病院の先生から「バーチャルなら (人づきあいが) できるんです
ね。」と言われて悩んでいました。
それを聞いた福田パパ (ムーミンパパやバカボンパパとは違って、福田君のパ
パではありません。福田さんという、ひとたんの心のパパです。) は「ひとた
んわーるどはバーチャルじゃないぞ !!」と言い、
めぐみおねえちゃんも「ひとみちゃんはバーチャルな世界だけで生きている訳
じゃない」と言いました。

ひとたんとネットの関わりは、ひとたんの先生が想像したバーチャルとは違う
と思った人が多かったのです。

ごまも同じように思いました。ただ、いつも分からない言葉があると言葉の定
義に戻って考え直さないと理解できない可哀想なごまは、「バーチャルってな
んだろう ?」と考え始めたのでした。

「バーチャルって、バーチャル・リアリティの事で、日本語にすると仮想現実
でしょ ? 仮想って、仮に考える事…、現実と仮想現実は全然違うと考える人
がいるみたいだけど、一体、仮想しない現実ってあるんだろうか ?

だって、目の前にポテチがあるとして、僕は自分の目に映ったポテチらしい映
像を見ているだけだし、指で触ったって、ポテチっぽい感触があるだけだし、
口に入れたって、ポテチらしい歯ごたえと、塩 (とかバーベキューとか) 味と、
唾と混ざってネチっとした舌触りとか香ばしさなどがあるだけで、ポテチの存
在そのものを直接証明できるような証拠を何一つ握ってないじゃない。

僕達はきっとポテチという存在を仮定しているのさ。ポテチがそこにあると仮
定すると、ポテチの見た目とか、ポテチの感触とか、歯ごたえや味とか香りと
か、そういう、ポテチに関係すると思われる僕達の感覚の全てを一応説明でき
るし、説明しないまでも、本物のポテチらしい視覚像を見た時に、「きっと手
を伸ばして口に入れたらおいしいだろう」と予測する事ができて、その予測通
りになったら嬉しいじゃん。

僕達はきっとポテチを仮定するのと同じように宇宙の全てを仮定しているに違
いない。宇宙が実在している証拠を僕達は持っていないけど、宇宙の実在を仮
定するといろいろ便利なのだ。」

ごまがそんなふうに呟くと、
それを聞いためぐみさんが「「バーチャルは悪」と決めつけている人たちの方
が現実を見ていないと思う」って言いました。
同じように思ったごまは、「そういうヤツらは脳ミソが寒い」と言いました。
石田さんは「人間は元々バーチャル」と言いました。

でも、やっぱり世の中にはいかにもバーチャルなバーチャルと現実らしいバー
チャルの区別くらいはあるものです。
葉子さんは「バーチャルはリアルにつながる一つの可能性」と言いました。ど
のバーチャルが現実につながるかは個人が決めればいいと言うのです。
福田パパは「ものごと、頭で考えすぎちゃぁいけないんです。身を以て取り組
んで心でも体験することが大事。」と言いました。

「ポテチもバーチャルだけど、見るだけじゃなくて触ったり舐めたり噛んだり
して確かめたバーチャルの別名が現実なんだろう」とごまは考えました。

ところで、ねもちんが「バーチャルはバーチャル。オナニーで本当の女は抱け
ない。」と言ったのをごまは面白いと思いました。というのも、ごまは、「人
が 10人いれば最低 10個の現実が存在している」とも言っていたのです。「ど
うして別々の現実 (と呼ばれるバーチャル) を抱えた人間同士の心が触れ合え
るんだろう ? 誰かとお友達になる時、初めから二人に共通の現実があるわけ
じゃないとしたら…。」

石田さんがいたので、ごまは仏教の教えから考えてみる事にしました。石田さ
ん曰く、「「空」とは実体の否定の側面と関係性の肯定の側面があるのです。
関係性の方で説明すると己心が即一切法なわけで、己心の一念が全宇宙でもあ
るわけです。だって自分の心は全宇宙とずっと繋がって関係性を持っているで
しょう?」なのでした。

では、関係性を起点にすればいいのです。そして、全ては自分の心なのです。
「だって、僕達が直接知る事のできるのはそれだけなんだもん」とごまは考え
ました。「現実とか、宇宙の本質とか、魂はもちろん、物理的実体も、全て括
弧に入れてしまおう。判断停止 (エポケー)。僕達がポテチと呼んでいるもの
に関わる現象に何らかの実体らしきものが絡んでいるとしても、実体そのもの
を僕達は見ていないし、証明できないんだから。」

そしてこんなふうに考えました。

ごま = {ポテチ′, よろずや′, linux′...}

ここで、

ポテチ′= 仮にポテチとされるものとの関係

です。「仮にポテチと呼ばれるもの」に実体があるかないかは取りあえず忘れ
たふりをするのです。

ごまの考えた集合の要素をいちいち挙げていたらきりがないのですが (それに、
みなさんもあまり知りたくないでしょう)、この集合には、目に見えないもの
や、ごまの心の中にだけあるものも含まれます。ごまはごまと関係する全ての
ものごとの集合なのです。

石田さんの言うように、ごまという存在の全体は宇宙そのものでもあるのです。
だって、自分の心に映った宇宙の姿以外のどこに宇宙そのものが存在している
と断言できるんでしょう ?

「でも、そうすると、他者とは何だろう ?」

ごまは、よろずや関係では唯一、彼が電話線や電波を使わずにお話しした事の
あるおねーさん、大島さんを想像してみる事にしました。

大島さん = {ポテチ′, のむちん′, 演劇′...}

大島さんの集合は、ごまの集合と形はそっくりで内容は違います。この事は当
り前なのに、忘れてしまう人もいます。

忘れてしまった人達の中には、こんなふうに考えようとする人もいます。

大島 ∋ ごま (または ごま ∋ 大島)

誰かに自分の全てを委ねようとする、あるいは誰かを自分のものにしようとす
るのは官能的 (シモネッタさん) かもしれませんが、この図式は相手がどんな
人だとしても実は現実的ではありません。人は他者の全てを包み込む事はでき
ないので、多分、いつまでも心が安まらない結果になるでしょう。心が安まら
ないのは相手を信じる努力が足りないからではなくて、人間の本当の姿を知ら
ないからなのです。

では、人の心と人の心が完全には一つになれず、包み込む事も包み込まれる事
もできないとしたら、人と人の心は本当には触れ合えないのでしょうか ?

ごまは、人と人が深く愛し合える理由も集合の性質にあると考えました。

ごま = {ポテチ′, よろずや′, linux′ ...}

の時、ごま全体とポテチは切っても切れない関係にあります。ポテチ′なしに
ごまは存在しないし、ごまなしにポテチ′も存在しないのです。もちろん、よ
ろずやや linux についても同じです。すると、ごまとポテチの関係が変化す
ればごまと linux の関係も変化すると考えられます。つまり、ポテチとの関
係が変わればごまもほんの少し変わり、ごまが変わるとごまと linux の関係
も変わります。そして、全ては関係性によって成り立っていると考えるのなら、
ダッシュを省略して、「ポテチが変化すれば linux も変化する」と言い換え
てもいいのです。

このように考えるのなら、ごまの全体はポテチとの関係に集約させる事もでき
るのです。なぜなら、ポテチはごま全体を通してよろずやや linux ともつな
がっているからです。

人と人の心が本当に通い合っていると感じる条件は、たとえば
(ごま ∩ 大島) ∋ ポテチ′
だけでもいいのです。ごまと大島さんの二人が一袋のポテチを分け合った経験 
(ごまが勝手に想像した場面です) だけで十分なのです。ごまはポテチ′を通
して大島さんの全体と、大島さんはポテチ′を通してごまの全体と触れ合う
事ができるのです。ポテチが夜明けのコーヒーに置き換わったとしても基本構
造は変わりません。

細かく言うと
(ごま ∩ 大島) ∋ ((ごま ∩ 大島) ∋ ポテチ′)′
なのかもしれませんが…、まあ、いいですね。

ごまは一つの宇宙です。大島さんも一つの宇宙です。一体誰が自分の生きてい
る宇宙の他に別の宇宙の存在するさまをリアルに思い描けるでしょう ? それ
はきっと人間の想像力の限界を越えているんです。ですから、人間にできるい
ちばん良い事は、他者に自分とは違う宇宙の存在を予感して畏敬の念を持つ事
かもしれません。それでも人と人は十分につながっているのです。

ごまはそんなふうに考えました。

「世界は一つだけどみんなが一つずつ別の世界を持っている。一つなのにたく
さんあって、たくさんあるのに一つのもの、僕達はそんな世界に住んでいるん
だ。」

異論を二つ。

・ のむちんは、
「キリスト教は創造主と人間の契約関係
仏教は人間が仏性に目覚め仏になれる」と言いました。
目指すところが違うと言うのです。
・ 和田さんは、
「実は仏教の関係も教義でさまざまであり、空理論を究極的に突き詰める
と華厳の「関係性一般」となり、宋学に繋がる天台では「関係総体」とな
る。」と言いました。
今回ごまの言ったのは「関係総体」ですね。

 

 

 

 

 

 

ああ、大都会の人の心の沙漠よ・・・

答えは果して見つかるのだろうか?(-。-)y-゚゚゚

ん?(゚゚)(。。)

 

 

 

(~Q~;)あへ===っ!!

こ、こ、これは!?

(/。\)イヤン!ハズカシイ

 

写真左がニューハーフのお姉さん方に囲まれてご満悦の金田氏です。


 ☆登場したみなさんのアドレスです。ぜひ遊びに行ってネッ♪

http://www1.kcn.ne.jp/~bean/anone/ ひとたん

http://www1.ocn.ne.jp/~yorozu 福田パパ

http://www.neko.dk 葉子さん

http://www.j-kaientai.com/ryouma/ のむちん

http://www.chabashira.co.jp/~kinta/cult/ml.html ごま

http://libera-dove.hoops.ne.jp/index.html めぐみさん


 

 

 

トップページへ戻る

メインページへ