夢見る頃を過ぎても・・・1

1988年2月

希望に満ちていたはずの高校生活も、もはやハルマゲドン目前。
あと10年もすれば地球は滅亡してしまうんだ・・・だからこそ好き勝手生きなきゃ!
そう信じきっていたのが、僕らの世代。(小学生で流行った五島勉の影響が物凄い)
進学の為の上京を目前に控え、僕はなんだか落ち着かない日々を過ごしていた。
高校時代は、ほぼ全ての時間を音楽とバイトに費やし、
大学入学の望は遥か彼方に消え去っていた。
全てを掛けていたはずのバンド活動も、マイナーなミュージシャンの前座や、
コンテストの地方大会ではそれなりに良い所までゆくものの、
到底プロになれるはずも無く(いまいち情け無い・・・)
いきおい、仲間はバラバラになってしまう事が事実上確定してしまっていた。
それでも、青春の思い出と言うには陳腐すぎるが、
流行に乗って自主制作テープを作成、一縷の望みを託しレコード会社に送ったりもした。
結果は・・・結果はさんざんな物で笑うしかなかったのだが、
青春の1ページを飾る思い出としては、そう悪くも無いんじゃないかな、
と自分たちを無理やり納得させてみた。
色々な意味で、今までの生活全てに別れを告げる解散ライブ。
それに、付き合って間もない彼女の誕生日
僕の脳みそじゃエンプティの赤マークが点灯していた。
注: 文字用の領域がありません!
1988年3月
燃料切れでも時間は進む。そうこうしているうちに3月も終わりに近づき、
バンドの解散ライブの日。地元のホールを借り切ってのワンマン。
田舎で入場料が安い事もあり、なんと250人を動員。
地元のアマチュアバンドとしてみればかつて無い程の動員数だ。
苦労したオリジナルテープ(8曲入り・)も思いの他盛況で200本完売 。
まあ、後輩を脅かしつけて、押し売りした分がかなりあったのも事実です。
ライブ恒例の打ち上げは、Gのアキラの家でお好み焼きパーティー。
メンバー5人、ボーヤをやってくれた友人と朝まで飲み明かした。
この面子で酒を飲む事は、もしかするともう無いのかな?
なんて少しセンチな気分になってしまったのは、僕だけじゃなかったはずだ。
ライブが終わり、一気に気の抜けそうなもんだが、
目前には付き合いはじめて間もない、愛しい彼女の誕生日が待っていた。
プレゼントを散々迷った挙句、オリジナルのバースデーソングを送る事に決め、
そそくさ、自主制作の合間にテープを作っていた。
それだけじゃ何か物足りないような気がしていた時、
「モノ・マガジン」に、紙にパンチングをして曲が流せるオルゴールが載っていた。
「これはイケル」という閃きので、何とかオルゴールをゲット。
誕生日には物凄い大荷物を抱え彼女の元へ行ってきた。
彼女の反応は?って・・・もちろん感激して涙流してくれたさ。
なにせまだだったから僕も必死だったのである。
まあ、そんな恥ずかしいプレゼントは、後にも先にも唯の一度きりだった。
だからあんまりからかわないでくれ(汗
注: 文字用の領域がありません!
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