幽霊

 祖母が亡くなったのは、社会人として一番働く気持ちの強かった3年目の冬、それも年末のことだった。

 いわゆる、「虫の知らせ」といったものはまったく感じなかったのだが、いわゆる正月休みは出勤ということが決まっていたにも関わらず、晦日に先輩に「じゃぁ、また来年な」と帰り際に言われ「明日も会うでしょうが」と応えたことが、今考えるとそれだったのかもしれない。結局のところ、先輩が冗談交じりでいった通り、次にあったのは年が明けてからだった。

 祖母の逝去の知らせは夜中の10時頃、寝入りばなの電話であった。普段から、祖父母はいつ亡くなってもおかしくないのだからと思っていたのだが、いざその時となると、やはり気が動転したらしく、自宅の電話番号を忘れてしまい、先輩のところの留守電も電話を掛け直した。

 次の日、ほぼ始発の電車に乗り、1時間かけて東京駅につくと急いで新幹線ホームへと向かった。折り悪く、すでに自由席は座れない状態ではあり、いつもなら次の編成にするのだが場合が場合だけに、すぐに乗り込み、新潟駅ですぐに降りられるようにと出口付近に大きな荷物を置いて立ちふさがった。今考えると、さぞかし邪魔だっただろうなとおもう。

 実家へつくと、すでに家の中はあらかた片づけられており、いつでも葬儀ができるようになっていたが、時期がじきだけに遺体を火葬にするには三が日が明けてからでないと、火葬場がやっておらず、また坊主のほうも来ては暮れないという話だった。仕方が無いので、葬儀屋が祖母が納められている棺桶にドライアイスをつめてくれた。
 そして、5夜にわたって「通夜」と呼ばれるものが行われた。とはいってもただ単に、棺桶の前に炊かれているお線香を絶やさないようにするだけというものである。さすがに、5夜もあると一人で行うのは辛いので分担してやることになった。そして、大晦日の夜は私が担当となった。

 大晦日ということで、隣町では新年と同時に花火を上げるという話であった。新潟とはいえ、年々雪が降らなくなってきている地域だったし、昼間は快晴といってもいい天気だったので、参加者にはさぞかし楽しいイベントになるであろうと思われた。

 柱時計から零時をつげる鐘がなった。3回までなった時に、突然「ドーン」という音とともに家中の電気が全て消えた。と、同時に外は雷雨となり、また風も吹き出し始めた。それは、だんだんと強くなり、5分もたたずに嵐になっていた。

 私は、多少の恐怖とともに少々の期待を持った。幽霊。そう、まさに幽霊の出現に似合う場面ではないか。もう、これは出るしかないであろう。祖母であろうと、それ以外の者であろうとかまわない。この様な一生に一度あるかどうかのような、お膳立てが整った時を逃したくはない。

 私は待った。

 そして、朝を迎えた。

 結局、幽霊は私の前には現れなかった。


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