同窓会

 実家に同窓会の案内が来たのは、暦の上では夏も終わる9月の頃だったように思うが、はっきりしない。あまり、興味が無いからだろう。案内の葉書が来たがどうする?と母が電話をしてきた。興味がないから行かない、と応えると、せっかくの同窓会なんだから行きなさい。懐かしいでしょ、という。そうはいっても、10年も会わない、連絡も取ったことのない連中に興味もなければ、懐かしいという感情だけでは動かないほどの出不精なので、やはり行かない、欠席で返信してくれるようにお願いした。それでも母は、電話口でまだなにか言っていたようだが、おぼえていない。

 同窓会には確かに懐かしい顔ぶれが出たようではある。幼馴染で、同窓生でもある友人が出席したので、ある日、飲みながら話を聞いた。やはり、10年もたつと姿形は変わるようではあるが、気持ちはどうやら10年前、いや、ともすれば学生時代の頃に戻るようで、いろいろと、馬鹿なことをやっていたようだ。そういう話を聞くと、ああ行けば良かったかな、とも思う。

 同窓会に出ない、というと変な顔をされることがある。出た方が良いよ、という人もいる。何故?、という問いかけに、懐かしいでしょ、でも、10年も会っていないんだから、再会するのは20年目でも、30年目でもたいした違いなんかないだろう。死なない限りいつでも会えるのだから、と応えると、何か言いたげな顔をして黙ってしまう。みんな、僕の天邪鬼ぶりには、慣れっこなのだ。

 田舎のことだから、ほとんどが地元で働いているか、専業主婦となっているかしているので、いつでも好きな時に会って、飲んだり遊んだりできるので、同窓会なんて改まった席を設けなくてもしなくてもいいように思うのだが、どうも、世の中そうは行かないようだ。そういう、「かたち」にこだわる人達がいて、そういうのは大抵僕たちの親の世代なんだけど、僕たちの親の世代は逆に、「集団就職」といって中学卒業と同時に遠くへ働きに出た人達の方が多かったのだからそれはそれで、意味のある集まりだったのだろうとは思うが、僕たちは先にも書いたように、地元に残った人の方が多いのであまり意味は無いようなきがするのだ。
 遠くへ行った人だって、けっして全員と仲が良かったわけじゃないし、僕と言えばどちらかといえば会いたくない奴の方が多いくらい付き合う人を選んでしまっていたので、例え懐かしいという感情があっても、あいつとは顔を合わせたくない、という感情がまず先に来てしまうのでやはり、同窓会にはどうも乗り気にはなれないのだ。

 多感な中学時代にできたしこりが消えるのに、10年という歳月は長いようで短い。僕は、二度と顔を見たくないあいつが来るのなら、同級生と二度と会えなくてもいい、という気持ちになるのだ。例え、二度と会えなくなった友がいるとしても...。


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