野球と言えば巨人である。少なくとも全国に放送網をもつテレビ業界ではそうなっている。なぜ、巨人なのかはわからないが昔からそうなっているようだ。
小さい頃は父親の影響で、野球をするのは好きだったが見るのは嫌いだった。裏番組でアニメなどを放送している時は照る照る坊主をさかさにつるしたものだった。
野球と言えば高校生である。少なくとも夏の間は世間で野球と言えば高校野球である。高校野球は好きだった。休みの間、朝から夕方、時には夜までやることもあったがラジカセやレコードプレイヤーの無い我が家では最高のBGMだった。どっちが勝とうが負けようが関係無い、いつ見ても手に汗握る場面だったりといいこと尽くめであった。
いつしか、野球と言えば南海ホークスを指すようになった。すくなくとも自分だけは野球=南海ホークスであった。今でもそうだが。
きっかけは母親が買ってきた帽子だった。今はどうか知らないが、当時男の子は全員プロ野球の帽子を被っていた。巨人、広島、中日、阪神と当時のセ・リーグのAクラスにいるチームが9割だったなかで自分だけがパ・リーグの帽子だった。いや、近鉄がいたかもしれないが、それでも万年Bクラスのチームの野球帽を被っていたのは自分だけだった。
最初は嫌で仕方なかった。当時の自分は田舎の子供達の例に漏れず巨人ファンだったのだ。巨人戦しか放映しない、負ける試合より勝った試合の方が印象に残る、なにより世界のホームラン王がいるチームである。強いものに憧れるのは子供(にかぎらないだろうが)の宿命みたいなものである。だから、母親に巨人の帽子を買って来て、と頼んだ日曜日の夜愕然としたものだ。恥ずかしくて明日は学校に行けない、行きたくないと本気で思ったりもした。今から考えると馬鹿みたいだが、田舎と言うのはそういうものだ。そうじゃないかもしれないが。しかし、元はと言えば母親に任せた自分が悪い。野球のやの字も知らない母親だってのはわかっていたはずだ。そして、お願いしたものでは無く自分の感性で衣類を買う人だってのもわかっていたはずだ。それに、せっかく母親が買ってきてくれたものだ、被らないなんてことしちゃいけない。子供心にそんな気持ちが沸いてきた。
そうして帽子を被りはじめたある日、珍しいことに田舎の球場でプロ野球の試合があると言って父親がチケットを買ってきた。プロ野球選手をこの目で見られるという夢のような話に舞い上がり、すでに頭の中は巨人対何処かになっているという白昼夢まで見ていた。
当日、友人一家2組とプロ野球観戦へ。球場へ向かう途中は興奮して仕方が無かった。乗り物に弱いのにその時は全然気分が悪くはならなかったくらい興奮していた。球場につくとわくわくして中に入り、グラウンドへと目を凝らして見た。そこには好きな黒とオレンジの帽子はなかった。巨人戦ではなかったのだ。唖然とした。そして、驚きに変わった。自分が被っている帽子と同じ帽子を被っている人達がグラウンドにいたのだ。珍しく田舎に来たチームとは南海だったのだ。なんだか、嬉しくなった。あまり、有頂天になっていたのか、小さい頃のことだから忘れたのか相手のチームも勝敗も憶えていない。が、それ以来南海ホークスというチームが好きになっていた。
14年前南海ホークスは無くなった。経営不振で球団が南海鉄道からダイエーへと移った。自分がファンになった頃は万年Bクラスだったが、それまでは優勝争いさえできるチームだった。野村克也という名捕手が育った球団だった。巨人のV10を阻止した球団だった。寂しかった。阪急ブレーブスのファンもこんな気持ちでいたのだろうか、素直に次の球団を応援できるんだろうかと思った。
それから10年、球団は新しくなっても中身は変わらないように見えた。しかし、少しづつ中身も新しくなっていたのだ。当時のエースを放出してベテランながら走攻守がそろった選手を獲得した。彼には、チームリーダーとしての役割も求められていた。常勝球団のエースも獲得した。彼は若い投手と捕手の教育をしてくれた。新しい酒に古くても刺激のある酒を混ぜたカクテルは優勝という格別の味をもたらした。
かつてのエースやチームリーダーはもういない。しかし、彼らの残したものはとてつもなく大きな財産となっている。そして、「黄金の世代」の高校球児が大学・社会人を経て大きく成長してプロとなった。あの時の酒の味に負けないものを作り出すため、刺激のある酒が混ぜられた。
2003年3月28日。日本プロ野球のペナンとレースの開幕。
新しい物語が始まる。