![]() [2003年6月-7月] [HOME] 2003/12/21 【道】 人が成長を感じる時って、色々あると思うけど、私が一番感じる時は、昔の知人と会ったときだと思う。 昨日予備校のときの友人と久しぶりに会って遊んだ帰り道。阿佐ヶ谷駅のパン屋でバイトをしているその人を見かけた。高校二年から大学のはじめくらいまで、ずっと好きだった人。久しぶりに見るその人は、パン屋の制服に姿をかえていた。だけど、高校の時とちっとも変わらずに笑顔をふりまくその姿に、私はすぐに彼女だとわかった。 彼女はかなり頭が良かった。受験勉強をはじめる頃、私は彼女を目標においていた。すごい成績なのに、全然顔色も変えないし誇りもしない。そんな姿に憧れ、やがて好きになったのだ。だが、進路とはわからないもので、優秀だった彼女が浪人。私は第一志望に受かった。彼女は翌年も本命には合格できず、別の大学にいった。 そんな想いが一瞬、胸の内に去来し、ひとり感慨にひたり、たまらなくなった。 私の心は、もう彼女を求めていなかった。完全に過去の人になっていた。あの時、受験勉強にすごく気を病んで辛かった時に、わが胸に熱い力を与えてくれたあの人。もうそんな胸の高まりは戻ってこなかった。きのう彼女の姿を見たことであらためてそう確信したのだった。 過去の美しい記憶や辛い体験、楽しかった思い出は、自分の胸の中にのみとどめておきたいと思う。魯迅が『故郷』に書いているように、実際にもう一度それに触れると、あれだけはっきりしていた記憶なのに、急にひどくぼんやりとしたものに変わってしまうことがほとんどだ。 それは、自分が成長している証拠。過去に生きていない証。これからも、道を走る車のように、たくさんの人と出会っては、すれ違ってゆくだろう。並んで走ってゆく時間の長短は誰にもわからない。もしかしたら、信号待ちや給油中の一瞬の交わりだったりするかもしれない。だからこそ、その時その時を精一杯大事にしようと思うのだ。
2003/10/03【大学は出たけれど…】 昭和のはじめ、「大学は出たけれど」という言葉が流行になった。昭和の大恐慌で、当時はエリートであった大学卒の若者でも仕事が見つからない、職に就けないという時代のフレーズである。当時の大変さを考えれば、まったくおこがましいが、現代版「大学は出たけれど」も結構深刻な問題なような気がしてくる。 私は今大学三年でもうすぐ就職活動を始めなければならない。だけど、これからの進路を考えると、とてもシラケた気分になる。「志望理由は?」「入ってからやりたいことは?」って訊かれて、一体何人の人が心から自分の持っている夢を語ることができるだろう。だってなんだかんだ言っても、定職に就かないで食っていくことなんてけっこう簡単だし、そんなにお金を使わない生活をすれば、そこそこ安定した人生が送れるのだから。そういうところは、日本はよくできた国だと思う。 でも、それってこれから社会に出ようとする若者には、かえって辛いことかもしれない。ひと昔まえまでの、成長途中の貧しい日本には「三種の神器」や「持ち家マイホーム」といった、なんだかんだいってそれなりにみんなが夢みる目標があった。もっと昔なら「立身出世」というサクセス・ストーリーがあった。でも今はどうか。みんなが夢みることのできる目標や、誰しもが憧れることのできるサクセス・ストーリーなんてあるだろうか。 日本はとても素晴らしい国だ。とかく生きていくのには不自由しない。だけど、物やお金に不自由しなくなったかわりに、われわれは「夢」を失ってしまったんじゃないかと思う。 もうすぐ総選挙。政治家の人たちには、こまかな政策論争のみでなく、かつてのように国民みんなが夢みることができる「覚めない夢」というものを提示してほしいと思う。日本が長い長いトンネルから抜け出せないでいるのは、もうこれまでの「夢」からは覚めてしまったからだと思うのだ。 活力がほしい。私も今はまだそんな「覚めない夢」をさがしている途中である。
2003-9-14【上がり下がり】 新聞に「韓国、景気後退局面入りか」という記事が出ていました。 上がり下がりが生活を左右する「景気」のようなものはあまり激しく乱高下してほしくないものの代表といえるでしょう。 それに対して、逆に、上がり下がりが激しくてもいいなと思うものもあるのではないかと思います。私の場合、それは「好奇心」なのではないかと思うのです。もっと言葉をかえれば、「外界に対するテンション」とでもいいましょうか。(余計にわかりにくくなっちゃいましたかね) 私は、ふとしたきっかけで何か考えついたり、思ったりすると、どうもそれに対して全力疾走してしまうタチなようなんですね。今回行ったヨーロッパツアーも定期試験が終わった日にパンフを見た瞬間「行く!」と決めていました。(おかげで金の工面には苦労しましたが…) 前にも書いたかもしれませんが、私は「じっくりと考えて成り行きを見据えてから…」ということがどうも苦手で、「こうするとどうだろう?やってみるか?」という声が絶えず頭の中にひそんでいるようなのです。そんな行動パターンだから後々考えると赤面してしまうような恥ずかしい経験が山ほどありますが…、なんというかそれも自分の財産なのかも、と思うようにしています。 そうゆうしょーもない経験(ここに書くのにも値しないような)というのは明らかに「失敗」の部類に入るものでしょう。でも、そのようにして自分で経験した失敗というのは、人からもらうアドバイスや世間の教訓とかよりもはるかに説得力があります。ぜったい同じ間違いは繰り返したくないという強い気持ちが湧きますから。 逆に、そんなふうにしてやったことが、うまくいけばうまくいったで、その時はとってもいい気分になれるし、自分の貴重な成功のひとつとなるのですから、どちらに転んでも長い目で見ればプラスなのです。 だから、「好奇心」というものに対しては、景気のように過熱しそうになったら冷やすなんていうようなことはしないほうがいいと思うのです。はちゃめちゃなアイディアが浮かんだとして、それがやりたくなったなら、やればいいのだと思います。どんどんチャレンジしていけばいいのです。それが出来るのは人生でもすごく限られた期間しかないのかもしれないのですから。(でも、もちろん命をなくさない程度にしておいてくださいよ)
2003-8-24【リスクへの処方箋】 今日買い物をして家に帰ってみると、昨日たしかにかばんに入れておいたと思った国際電話のカードと200ドルがないということに気付いた。瞬時に青くなって疲れも吹き飛んだ。 「これはまずい…」と必死で探したのだが見つからない。思い当たる節といえば、買い物の途中に休憩した喫茶店でトイレに立った時だ。無用心にもかばんを席に置きっぱなしにして席を離れていた。海外に行く前に日本でやられるなんて、なんてバカなんだろうと落胆のどん底にたたき落とされてしまった。 しかしそれも束の間、親に言おうか隠しておこうかと迷っていたら、まったく見当違いのところからカードもドルも無事に発見された。なんのことはない。ただの勘違いだったのだ。だがこの小事件は私のたるみきった心を引き締めるのに大いに役立ってくれそうである。やっぱり、いつでもどこでも注意は怠ってはいけない。 旅行でもなんでもそうだが、「リスクは分散したほうがいい」とよくいう。分散しておけば一つがダメになっても他には被害がおよばないから、より安全であるということだ。だが、これもほどほどにしておかないと、かえって危険なこともあるということもあるとわかってきた。 さっきの"紛失未遂事件"もその節がある。はじめてのヨーロッパだからと危ないことがいっぱいあるのだと気にしすぎるあまりに、私は持ち金を分散させすぎてしまうところだった。ポケットに入れるサイフ、マネーベルト、首からさげるポーチ、そしてウエストポーチの内側に札入れという始末。さらに極めつけは靴底に万札をしこもうとまでしていた。 だが、よく考えるとこれは効率が悪いということにすぐ気づく。だって5ケ所にも分散させたら、それぞれの所に気を配らなければならず心配で疲れるし、結果として周囲への注意が緩慢になってかえって危険だからだ。自分は小心者で、小額でも盗られたくないケチんぼなのでなおさら面倒なことになっていたはずだ。分散させるにせよ2・3ヶ所くらいが適当というものだろう。 同じようなことは他でもある。私が議員会館でお手伝いしている事務所の先生の日程管理にも「リスクの分散」の弊害がけっこうあるのである。 多忙な中でも代議士はできるだけ支持者の方と会う機会をもたなければならない。だから、重要な日程を最優先に入れてゆくが、直前になって空いているすき間の時間のスペースにそういう結婚式とか座談会などという行事を無理につめこんでゆくのである。だから行くかどうかわからなくても案内状は当然出席となる。ムリならあとで断るか代理をたてるかするだけだ。 だが、何件もこういうものがくるので、当然全部は把握できておらず必ず不手際がおこる。地元と東京で調整してもしきれない繁雑な事務だから仕方ない。 けど、出席と思ってた方にしてみれば、なんて不誠実な対応だろうか。できるだけ時間を有効に使うために、多くの機会をキープしておくのはわるいことではない。むしろ自分も学びたいところだ。だが、ちゃんと把握できないのに欲張ろうとすると、今日の自分みたいに冷や汗をかくことになってしまうのではないだろうか。このようなことが何件かあれば、それはあまりいただけない結果を生むことになってしまうと思うのだが。 とにかく、「リスクの分散」を考えている人は、まずリスク分散ありき!というような考え方は避けて、分散するなら自分でちゃんと無理なく把握できる範囲内までに抑えるようにするとうまくいくのではないだろうか。もっとも、いくら分散してみたところで結局はどこかでひとつにつながっていたりするので、あんまり安心してはいけないのも大事なことだ。
2003-8-17【ちょっとしたこと】 今日電車に乗っていて気づいたことがあります。 けっこう電車の運転士さんや車掌さんって個性豊かですよね。 私はいつも通学に地下鉄の東西線とJRの総武線を使ってます。今日はお盆休みだし、休日だったので昼間の車内には人影もまばらで、私はでーんと座席にふかぶかと座り込んでボーっと本を読んでました。 そうしてふと気づいたのです。阿佐ヶ谷の次の駅は高円寺。いつもは立ちながら本を読んでいるせいでしょうか、足がもつれるくらいにかなり体を揺さぶられるのですが、今日はそれがありません。おどろくほどスムーズに止まってくれるのです。「あっ…」っと思いました。ほとんど抵抗なく電車はスピードを落としてホームに滑りこんでいき、最後の最後でちょこっと抑揚程度に決めのブレーキをかけてぴしゃっと停車。ほんとに職人的うまさというんでしょうか、いつもこれくらいデリケートな運転の人だったらなーと感心々々でした。 その次の中野からは地下鉄に入るので直通電車でも運転士は交代です。私はすこしさびしくそのブレーキの名残りを惜しみました。やっぱり中野からはいつものブレーキが私の体を揺さぶっていきました…。 車の運転をしている人だったらわかると思いますけど、なかなか止まる時のブレーキ加減って難しいんですよね。自分も意識していても乗っている人に「おっと」と思わせてしまうことがよくあります。この電車の運転士さんはすごく気を使ってくれているんだなってわかってすごくうれしくなりました。普段乗っている電車のほとんどでは、皆さん結構ブレーキに体が揺さぶられることが多いと思います。あれって疲れているときとか、満員電車のときとかだとなかなかストレスになりますよね。たぶんこの運転士さんはそういった不快感をお客さんに味わわせたくないと思って繊細な運転を心がけているのでしょうね。 そういうちょっとした気遣いって、いろんなお仕事にもあることなんでしょうけど、電車とか普段よく使うものほど、意識しないせいからか、あんまり気づかれないところがあると思いました。 たとえば、車掌さんのアナウンスもそう。 律儀にぜーんぶの路線の乗り継ぎ時間まで言ってくれる人もあれば、ブスッといかにも不機嫌そうに次の駅の名前しか言わない人もいますよね。アナウンスのボリュームだって個性がありますね。走行中の雑音に負けないくらいの音量ではっきりとアナウンスする人もいれば、いつものお客さんの耳にやかましくないように聞こえるか聞こえないかくらいの音量で済ます人もいる。気遣いのしかたも十人十色の感がありますね。 意識してみると、ほんといろいろな「声」があってけっこう耳を楽しませてくれます。あれって通勤電車が発達した日本ならではの文化、というか「光景」なのではないでしょうか。そうした「光景」ってやっぱり仕事を愛してないと出来ないことだと思います。お客さんに喜んでもらえれば…って気持ちがあればこそそのようなサービス精神が発揮できるわけですから。 でもそんな一コマもどんどん消えていく運命にあるようです。最近の新型電車にはみんな自動音声案内のアナウンスがついていて、機械が正確にしゃべってくれます。たしかに聞きやすいし、山手線のなんか英語アナウンスもあって語学の勉強にもなるけど、私はすこしさびしい気がするのです。知らぬ間に都市部のほとんどの駅の改札も自動改札に切り替わりました。ちっちゃいころ、電車を降りると聞こえてきたあのカチカチカチ…というキップ切りの姿ももう記憶の中のことになってしまいました…。 そうした合理化によって、われわれ利用者や職員の人々の利便性の向上がはかられているのはわかります。便利さって、一度味わってしまうともう前のものには戻れないように、自分もたしかに今の電車のほうが便利でいいです。でも、アナウンスや改札、構内係や食堂など、ちょっとしたところで「人間味」の見せ場があったのが、時代とともにどんどん減っていって通勤・通学、鉄道のある風景がどんどん無機質になっていくのは、やはりちょっと残念です。 今回は電車についてのことを話題にしましたけど、同じような、ちょっとした見えそうで見えない気遣いが、身のまわりにはまだまだたくさんあると思います。みなさんもそういう「ちょっとした気遣い」のようなものを探してみてはいかかがでしょうか。そういう人間味って、些細なことでも見つけたときはすごくすがすがしいいい気分になれますよ。
2003-8-10【生産と消費】 経済学には「限界効用逓減の法則」というものがある。のどが渇いているときの最初の一杯のジュースはおいしいが、それが「もう一杯…」となっていくとどんどん満足度が減っていくというものである。 どうやらこの考え方は、消費者理論を超えて日本の社会全般にも言えそうな気がしてくる。 例えば不良債権の問題である。先般ようやく整理回収機構(RCC)が始動し、「九州産業交通」、「ダイヤ建設」、「三井鉱山」などが再生の第一号としてとりざたされている。債権を塩漬けにしたままにするよりも、リスクを覚悟で資産の流動性を確保しようとする流れ自体は好ましい。これも一つの価値の生産であり消費が促されるからである。 だが、考えてみてほしい。もしも公的資金が注入されている銀行が危機に陥った取引先企業の債権放棄をしたり、RCCが不良債権の評価を誤って買い取り差損を生じさせたりして損失が出てしまえば、それらはすべてわれわれ納税者の税金によって救われるのである。それは過去にも住専、銀行、信組など各種ノンバンク、金融機関へ繰り返し行われてきた。 われわれ国民(=納税者)は、その金額があまりにも大きすぎて感覚がマヒしてしまっているのではないだろうか。小さい借金というものは往々にしてよく覚えている。後々まで忘れないものである。だが、数千億円のレベルになるとどうであろう。もはや個々人で考えられる領域を越えてしまったのかもしれない。 りそな銀行には1兆9,600億円が投入され、朝銀には9,600億円である。たしかに融資が焦げ付かなければそれはそれでいいかもしれない。だが、そのような大風呂敷をいつまでも広げていることはできないのである。国の予算の歳入・歳出構造をこのまま放置した場合、10年後には国債の発行残高は現在の約2倍の900兆円にも達するという。これもさきほどの論理でいけば、「日本人の個人金融資産は1,400兆円もあるのだから大丈夫だ」というふうに平然と論じられているのだから恐ろしい。 他方で、企業の不正隠しや、「官」・「民」・「政」の間の便宜供与の問題も叫ばれて久しい。もはや新しい話題ではなくなった。事件が起きるたびに、誰もが「またか…」とは感じるものの、変わらない現状に不満を抱きつつ忍従するしかないというのが現実であろう。 そうした日本社会の行きづまり、「またか…」と思う閉塞感を打ち破るにはどうしたらいいのだろうか。 経済界は「失われた十年」を、リスク覚悟で(痛みをこらえて)、持てる資源をフル活用して「新しい価値」を創造しようとしている。例えば特許や著作権など付加価値の高い「文化力」の分野においては、日本の関連輸出はこの10年間で3倍にもなっている。大ブームとなった「ポケモン」などは関連市場を含め世界全体で2兆3,000億円もの経済波及効果をもたらしたという。 「新しい価値」の創造や付加価値の高い産業へのシフトには、われわれ国民が高い文化力と教育水準を維持する必要がある。そのためには新しい時代の活力を創造し、閉塞感という「お化け」を打ち砕いていかなければならない。そもそも日本人はちまたで言われているほど創造性のない国民ではない。安藤忠雄や小沢征爾のような少数の異才のみでなく、日本文化はポップミュージック、自動車、家電、食べ物、モード、アート、伝統文化、アニメに至るまで幅広く面的な広がりをみせている。まちがいなく日本の文化は世界の大衆文化のけん引役のひとつである。 政府もこのほど「知的財産大綱」をまとめた。戦後、「重厚長大型産業」から「電機・輸送機器」そして「マイクロエレクトロニクス」へと産業はシフトしてきた。いうなればこれまでは新たな価値の創造に成功してきたわけである。「トン−キロ−グラム」へとどんどん製品は軽くなってきた。そしてこれからは「グラム」よりさらに軽い「コンテンツ産業」つまり特許や著作権などわれわれの「頭の中身」で勝負していかなければならなくなっている。 以上のことに共通して言えることは、要は「いかに効率よく生産して」、「いかに効率よく消費するか」というサイクルである。「生産と消費」の上手なサイクルを組み立てることによって国民の閉塞感、組織の不正、不良資産や債権の発生を抑制し、新たな価値を供給し、有効な需要を創出するのである。それがゆくゆくは日本の国際競争力の強化・文化的魅力にもつながるであろう。 これまでケインズ経済学式の論理でもって論を展開してきた。さんざん使い古された理論なのでもう聞き飽きたという方もいるかもしれない。だが、私はまだまだ捨てたものじゃないなと思うのである。なぜなら「またか…」と思う閉塞感や感覚のマヒは、冒頭述べたジュースの話、「もう一杯…」となっていくとどんどん満足度が減っていくという「限界効用逓減の法則」そのものなのだから。「生産と消費」の視点からの考察はけっして無駄なことではないし、新しい理論構築の可能性だってありうると思うのである。 すいません。駄文でしたね。
2003-8-03【寛容の心】 「少年が本当に罪を反省していたのなら、なぜ平然と事件後も中学校へ通うことができたのでしょうか。…なぜ少年の保護者の方は、ひとことの悔やみの言葉も私たちにくださらないのでしょうか」。 先日の長崎男児誘拐殺人事件での被害者の幼児の両親の手記である。日本人の道徳論として、「寛容の心」をもつことは当然の美徳としてあるだろう。だが、たとえ少年といえども、殺人、強盗、放火、強姦などの凶悪犯罪までを私たちは許してしまっていいのであろうか。 私がちょうど十四歳のとき、神戸の「サカキバラ事件」が起きた。補導された少年は保護観察処分となった。当時の少年法では十六歳以上でないと刑事処分はできなかったからだ。それを踏まえて2000年に少年法は改正されたが、今回の事件では罪を犯した少年は十二歳であった。現行法では十三歳以下では刑事責任能力を問えず(刑41条)。家裁の審判となる。 少年犯罪の被疑者の処遇が、ふたたび問題として浮かび上がっている。非行からの社会復帰・更正を重視すべきか、社会からの隔離・封じ込めを重視すべきかで、いまだに論争が続いている。 この問題を考える上で注目すべき指標を三つほど挙げてみたい。 一つ目は、少年の刑法犯は、現在(90−00年代)よりも80年代の方が多かったということである。そして少年による殺人件数も50−60年代がピークであった。少年犯罪が増えているとは一概には言えないのであり、一事件を強調しすぎて実態を正しく見ないのは間違いである。 二つ目は、少年の刑法犯には十四歳から十九歳までまんべんなく分布が見られるということである。少年刑法犯の検挙件数全体の約四分の三が中学、高校生によって占められていることからみても、刑法を改正し刑事罰の対象年齢を十三歳ないし十二歳に引き下げる議論には一定の合理性がうかがえる。 そして最も注目すべき点は、少年人口千人あたりの刑法犯少年が16.0人と、50−70年代の平均と較べて約1.4倍に増えていることである。この傾向は80年代から見られ始め90年代前半に一時収束したが、近年また高まっている。この点において現代社会の社会的病理が浮かび上がってきている。 以上を総合すると、少年に対する刑罰年齢を引き下げることがまず早急に必要であるといえる。少年の更正を重視するにせよ、社会からの隔離を重視するにせよ、犯罪者の責任能力を年齢のみで判断するのではもはや少年の凶悪事件には対処しきれない。よって、犯罪者の年齢を問わず、家裁が刑事処分相当と判断した時には検察官送致(逆送)にして刑事処分にできるように少年法を改正すべきである。 ひとえに「少年」といっても時代は移り、社会も変わった。大人も子供も交流を深めることがなかなか難しい時代である。だが、罪を犯した少年の社会復帰・更正を重視するあまりに、凶悪犯までも保護の対象とするのは誤りだ。それでは、どうやって被害者や被害者の家族は救済を受けるのか。なにも悪いことをしていないのに命を奪われた側はまったくやりきれないではないか。不幸にも犯罪に巻き込まれてしまったとしても、せめて被害者の納得のいくような刑罰が科されなければ、どうやって被害者の無念を晴らせるだろう。かけがえのない命を奪うという行為にはそれだけ重い代償が科されなければならない。 加えて、私たちが肝に銘じなければならないことがある。少年法や諸法令の改正はあくまでも「対症療法」にすぎないということだ。その原因である社会的病理そのものを究明しなければ同様な事件がまた繰り返されてしまうだろう。 よって、とりかえしがつかないところまでエスカレートしてしまう前に子供達に「挫折」を体験させて自分の限界をわからせることが大切だろうし、そのときに温かい言葉をかけてあげられる大人たちの存在も必要であろう。また、あらためて子供や保護者に注意を促さなければならない。海外と較べても日本の子供はとかく潜在的に被害者になりやすい。平気で夜に一人歩きが出来る日本の安全神話を過信してはならない。 今回の事件の教訓はいたって単純だ。 「罪を憎んで人を憎まず」という大岡裁きの名文句をお借りしたい。どんな事件であれ、まず罪の重さがもっとも大きな比重をしめなければならないのである。たとえ少年であっても、犯した罪に相応した罪刑が科されなければ被害者が報われない。次の犯罪に対する抑止効果も弱まってしまう。「社会が悪い」、「親が悪い」…などという前に、「起こしたことに責任をとらす」、子と親の関係でも、罪と罰の関係でも。そうすることによってしか不条理な事件は得心のいく解決をみないのではないだろうか。
[TOP ][2003年6月-7月] [HOME]
|