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〜パソコン’〜 「いつぞやのパソコンでございます」 その小さな生き物?は、しおらしく両手を前にしてお辞儀をした。 頭部はCRTディスプレイで、そこから伸びるインターフェースは、 彼が小脇に抱えるスーツケースのようなハードウェア装置に直結している。 僕は重たいアパートのドアにもたれかかるようにして、その生き物を見下ろしていた。 まだベッドを出てから一分も経っていない。突然のチャイムで目が覚めたのだ。 パソコンは微妙に斜めに身体を揺らしながら、そんな僕を見上げている。 「中に入ってもよろしいでしょうか?実は先ほどからもう足のほうが・・・」 彼の膝は生まれたての草食動物のようにがくがくと震えていた。少し小憎らしい動きだ。 僕は黙ったまま「駄目だよ」と、一言呟いてドアを閉めた。 ガタンという大きな音がアパート全体のコンクリートに響いて、僕の視界からパソコンは消えた。 リビングに戻り、コーヒーを炒れてソファに腰をかけた。そしてテレビをつけた。 どこかで見たことのある女優が、スウェーデンだかデンマークだかを訪れるという旅番組だった。 僕はボリュームをミュートし、代わりに先日買ったボサ・ノヴァのCDをかけた。 そのようにして二時間ほどが経過し、僕はその間に朝食を摂り、洗濯機を廻した。 気になったので、再び僕は玄関のドアを開けてみた。 案の定、そこにはまだ先ほどのパソコンが立っていた。ハンダを焦がしたような匂いがする。 「入れよ」と言うと、パソコンは何度もへこへこと頭(CRT)を下げながら中に入ってきた。 入ると同時にパソコンは前のめりになって倒れこんだ。 「すみません、すみません、足が、足のほうがもう」 僕はパソコンをソファに寝かせた。パソコンはぶーんという金属音を鳴らしていた。 「一体何のようなんだ?こっちも暇じゃないんだ」 パソコンは僕のほうをじっと見上げ、何度か謝ると、静かに全てを語り始めた。 「忘れてしまっても無理はありません。なにしろ坊ちゃんはまだ小学二年生でしたから」 「私が初めて坊ちゃんの家にやって来たのは、お父上が工場を創められて間もなくのころでした。 私はお父上のお仕事、つまり工場全体のシステムの管理を任されたのです」 パソコンはベランダから覗く空を眺めながら、懐かしそうにそう言った。 「当時はまだ我々パソコンも高価なもので、ご近所からも大変珍しがられたものでした」 「それで?」 「私はそこで丸五年働き、事業の拡大に伴ってそこを去りました。 それから海を渡り、遠くシンガポールに私は新天地を見出しましたのです」 パソコンはそこで何度か咳き込んだ。 「シンガポールでは電話局のデータベースサーバとして四年間従事しました。 そして次は中国です。とある大学の教授に拾われ、彼の持つ巨大な水槽の水温の管理を経験しました」 「何が言いたいんだ。さっきも言ったとおり、僕は暇じゃないだ」 僕がそう言っても、返ってくるのは鈍いぶーんという金属音だけだった。 「私の中にずっと眠ったままでいるんです。まるで海の底に沈んだ宝石箱のように」 その言葉は重く、そして鋭い刃がねのように空間と時間を分離させた。 「CドライブからProgramFiles/PictureFiles/bmpと進んでみてください。そこに眠っています」 パソコンに言われた通り、僕はそのアドレスを進んでいった。 フォルダを開く度に、カリカリとハードディスクが回転する。 そして目的のbmpフォルダまできた。がしかし、そこには何のファイルも格納されてはいなかった。 「何もないじゃないか」と、僕。 「隠しファイルになっているのです」と、パソコン。 フォルダ・オプションから隠しファイルを表示してみる。すると、奇妙なアイコンのファイルがひとつ現れた。 「開くのです」 ファイルの上でダブルクリック。数秒のアイドルタイムを経て、アプリケーションが起動する。 思わず僕はあっ、と声を上げてしまった。 そこには僕が小学三年生の頃、父親の目を盗んで描いたビットマップ画像が保存されていた。 子供の描いた絵だけあって、いったい何が描かれているかはよく解らない。 ただ、絵の下のほうに書いてあったタイトルだけは何とか読み取れた。「ぼくとパソコン」と書いてある。 正確にはソの字が左右逆ではあったが、確かにそう描いてあった。 「私の宝物です」 パソコンは僕の手を握りしめてそう言った。 「何かのメディアにバックアップしてください。それが私の望む最後の希望であります」 僕はAドライブにフロッピーを挿入し、そのファイルをカットしてペーストした。 「採ったよ、確かに」と僕はパソコンに言った。 パソコンは何も返してはくれなかった。ただぶーんという音を発しているだけであった。 しかし、そのうちにその音も消えていき、最後はしゅるるるるるといって全ては切れてしまった。 【おしまい】 |