『あれこれ、なんでも聖書考』
筆者が日ごろ思っていることをやさしく自由に著してみようとするものです。その著したいことは神による創造、即ち、神がこの世界と人とを造られたことと、その真の目的とする、来るべき世界と、永遠の都、新エルサレム建設のことであります。従ってキリストとその教会がテーマとなります。 『幻影の古代民族史』
歴史以前の時代、すなわち紀元前において、様々な面で優れていた民族として知られているフェニキア人に焦点を当てるものです。絢爛たる都市国家をつくったギリシア文明はフェニキアから受けたものによると言われています。また、ソロモンによるエルサレムの第一神殿の建築に当たって、実際の工事に携わったのと、それを完成させたのはフェニキア人によるものでした。石造りの神殿を建て、その内部を床から天井までレバノンの杉板で覆って、すべての面に金を被せたのと、そこに置かれた聖なる器具をつくるための莫大な金や青銅や高価な資材を世界中から運んできたのもフェニキア人でした。 聖書のダニエル書には、バビロン、ペルシア、ギリシアと続く帝国が、その後に興るローマ帝国の時代に、天の神が永遠に続く国を興されて、全世界を支配なされることが預言されている。その預言とは、金の頭と、銀の胸と腕、青銅の腹と腿、鉄の強さの脛と一部は鋳造物からなる足によって作られた巨大なる偶像が、人手には依らないで切り出された岩が転がってきて、その足にぶつかることにより、粉々に打ち砕かれてしまうということであった。そして、その岩は瞬く間に山となって、世界中に満ちてしまうという、バビロン王ネブカデネザルが見た夢の説き明かしの通りになることでした。(巨大な偶像とは金のバビロニア、銀のペルシア、青銅のギリシア、鉄とその鋳造物からなるローマ帝国をあらわすものであった) ローマ皇帝ユリアヌスをして「ガリラヤ人(イエス)よ、汝は勝てり」と言わしめ、ついにはキリスト教をして当時の世界であるローマ帝国の国教となしてしまったのはフェニキア系の人々によるところが少なくなかった。それは、ローマ帝国においてのキリスト教会の分布がフェニキア系の人々の分布とほぼ重なっているということによっている。しかし、ダニエルの預言がローマ帝国の時代に実現したのは本当のものの型としてであって、真の神の国の建設は今の時代に掛かっている。ともあれ、アジアの東端に住んでいる日本民族は東方のフェニキア人と呼ばれるような彼らとの共通点を幾つか持っている。そう思うことは一つのロマンだけのものかもしれない。しかし、そうであってほしいと筆者は願っている。したがって、この本は学術的なものではなくて空想的な思考によって書かれるものになると思います。 現代のように急速に国際化が進むようになって来たのを見ると、日本民族と呼ばれる人々が存在するのは、それが良くとも、悪くとも、あと半世紀以内のことかもしれない。 また例外が有り得ないように日本人も世界中の他の民族と同じように急速に没落しているだけではなくて、堕落して行く道を辿っているかのようにも思われてならない。(終わりの時代に世界中が悪くなって行くことは、その一つのしるしとして聖書に書かれている)そんな状況の中で、この国に住む日本人と呼ばれる人々が最後のフェニキア人であると呼ばれるようになることに期待するのは空しいことなのだろうか。 『シンセツ聖書学』
聖書に出てくる特徴のある幾人かの人を一人づつクローズ・アップさせて、それぞれを短編の物語風なものにしてみようとするものです。 『比較来世観』
聖書と親鸞の宗教観の相違を眺めて見ようとするものです。 『その他』
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