鬼子嶽城悲話 関連写真集

  これは小説ですので、フィックションですが、城や土地名、産物等は実際のものを参考にして書いて居ります。

佐賀県東松浦郡相知町佐里と北波多村の中間に鬼子嶽山があり、そこに約四百年間、波多氏の城がありました。
 その城下は耕地が少なく、台風常襲地帯で、洪水が出やすく、また、一寸日照りが続くと旱魃に見舞われ、城下
の人々は、貧しい生活を余儀なくされていました。
 その苦しみの中で、どうしたら城下の人々の暮らしが良くなるか、歴代の城主は悩み続け、遂に焼き物を生産す
ることで、その悩みから解き放され、豊かな城下に変わり、人々の顔に笑顔が戻ってきました。
 しかし、それも秀吉の朝鮮出兵で急変して行ったのです。


 
  


  相知町山崎付近から鬼子嶽山を望む。

  南東には特に切り立った断崖があり、攻めるに
は難しく、守は易い要害堅固な山城の典型的な
 城である。 
  (向かって右端に姫落しと呼ばれる所がある。)

  (佐賀県東松浦郡相知町佐里)

















唐津市、鎮西町、呼子町、北波多村、相知町周辺地図   









名護屋城跡。               

  天守閣跡から馬渡島、加唐島、朝鮮半島を望む沖合い
 には秀吉軍の軍船がひしめき、色とりどりの幟が翻り、 
   秀吉の威光を偲ばせた。                      

    (東松浦郡鎮西町)                    








 

飯洞甕下窯跡                                

(北波多村稗田)                                 
(山崎猛夫氏著 鬼子嶽盛衰記より)     

この窯で多くの焼き物が焼かれた。今も数多くの陶片が    
出土する。登り窯としては朝鮮式の割竹式登窯としては    
最古のものとされています。胴木間から七の間まであり、   
全長十八メートルということが分ったいます。         


















 写真上は、奥高麗筒茶碗               

 利休所持三筒の一つと称されている。十六                 
 世紀末帆柱窯で焼かれたものと思われる。                 













  彫唐津茶碗                              

  このての陶片は、飯洞甕下・上窯から出土する。十六世紀末の作。          












日向地山                           

鬼子嶽山と日向地山との間の狭い地に佐里村はある。  
この山の裾野を黒髪山を源とする松浦川が流れていて、  
この川には、鯉や鮒、鯰に鰻、川えび、もくずかにその   
他多くの魚類が生息し、村人の中には漁をして生活し   
ているものもいた。                        

(相知町佐里村)      


                                            
                              



波多氏の菩提寺で、孫四郎と又次郎が子供の頃勉学に
   通っていた。                             


(北波多村徳須恵立薗)




鬼子嶽城復元見取り図






鬼子嶽城北東側の姫落しと呼ばれる岩の上から
唐津方面を望む






名護屋城城郭見取り図
学研歴史群像から








                                                 トップ頁へ


                                  長編時代小説 秀吉異聞 鬼子嶽城秘話 (マガジンID:0000121254)

メールマガジン登録

                                                メールアドレス:
                                            
メールマガジン解除
                                           メールアドレス:
                                            

                                              Powered by まぐまぐ