郷里の裏山、鬼子嶽山。この山には約四百年間、波多氏
が築城し、栄えていた時もあった。
 いまものその城跡が残っている。
村の南にある日向地山私の生まれ故郷の佐里村は、鬼子嶽山とこの日向地山との間に僅かに開けた戸数三百戸足らずの小さな村です。日向地山の麓を有田郷の黒髪山に源を発する松浦川が流れていて、この川で泳いだり、釣りをしたり、うなぎ取りの籠仕掛けたりした良く遊んだ。山多い里だったので、冬には鳥の罠でよく小鳥を取ったし、春には、目白や鶯を取り、友達同士で良く鳴き声を競ったものだった。                                       
この山深い一軒家で、三十数年暮らしました。右側が生
まれた家、同じ敷地内にある鬼子嶽稲荷神社。竹の子を
持った写真は、左側の神社の写真の左側奥が竹の子山
になっています。
  (佐賀県東松浦郡相知町佐里)
     上写真の左奥。鬼子嶽稲荷神社商売繁盛、病気平癒
の祈願者が多く、近郊の人たちの尊崇を受け、参拝者
も多い。

: 境内には、桜やつつじが植えられていて、春は花で
境内が包まれる

下のディゼルカーは、鳥居のすぐ前を走ってる。
家の前を走る筑肥線のディゼルカー、田舎のため乗客が少ないので一両編成です。                          
鬼子嶽城が隆盛を極めたきっかけとなった窯跡。鬼子嶽
七窯の一つ飯洞窯跡。
上記の登り窯で焼かれたものと思われる。
竹の子が生えてるところが急坂だったので、ちょっと苦労したがそこは昔取った杵柄。
郷里に帰ったとき、竹の子掘りに興じ、子供の頃を懐か
しむ。
川に落ちて死にそうになっていたので、持ち帰って餌付けをしたら、凄く懐いてしまいました。                                        
高雄観音山ゴルフ場にて。台湾の仲間と一緒、仲間八人。
毎年一回五泊六日、四ラウンド。台湾でゴルフやってまし
た。 皆はプロ並だけど、疲れた疲れたと言いながらも、
楽しさ一杯でした。十年ちょっと続きました。まだ続いてい
ます。私は会員ですが、もう四ラウンドなんか出来っこあり
ません。引退しています。
ゴルフ仲間と高雄でゴルフを終え、高雄の島で海鮮料理で夕食に舌鼓を打つ。美味しかったこと。                                    
仲間と高雄でゴルフを終え、台南で二日目のゴルフ、
戦い前の台南観光のひと時。
漁港の夜明けです。清清しい気持ち。

   (長崎県北松浦郡福島町塩浜免)
福島町里いろは島に面した棚田の風景。いろは島と相俟って見事な景観。                                         
福島町土谷の棚田です。
ここ土谷の棚田の夕日は、近郊に知れ渡った名所。この棚田の夕日をカメラに納める自称カメラマンやプロカメラマンが集まる。私が訪問した五月にも、凄いカメラの放列。数えてみたらびっくりするような見事なカメラが百数十台。                      
   そのカメラの放列の傍には、福島特産の甘夏柑を売ってる農 家の人、ジュースを売ってる人もいた。                           
         
次第に沈む夕日の情景です。2
次第に沈む夕日 3
唐津城の麓を流れる松浦川の右岸から浜玉町まで
弓なりになった海岸線沿って、延々五キロに及び、
白砂青松が続いています。この壮大なパノラマを望
めるのは、唐津城の天守閣からか、鏡山、浜玉町の
一角からのみです。
  (佐賀県唐津市鏡山からの眺望)
この写真は浜玉町の東の外れから見た虹ノ松原と鏡山の遠望。        
この唐津城は、豊臣秀吉が朝鮮征伐の時築いた名護
屋城の解体の際、その資材を持ち込み築造されたと
言います。
 この城は、先の虹ノ松原と城の西側の海岸線とが
両翼に見えることから、舞鶴城とも呼ばれています。
湊港の沖合いに立つ二つの岩、立神岩と呼ばれている。周囲六メートル高さ三十メートルを超える巨大な玄武岩だ。見る角度によっては、寄り添っているように見えることから「夫婦岩」とも呼ばれている。岩がシルエットになる日没時が特に美しいと言われる。                               
 名護屋城天守閣跡から、加唐島、馬渡島、朝鮮半島
を望む。前方の島々の間には、秀吉軍の軍船が旗印
や幟をはためかせて海のおもを塞いでいたと言われる。
唐津くんちの主役曳山展示場。各町内ごとに意匠を凝らした漆の一閑張りで作られ、金銀を施した豪華絢爛なものであ
る。                                      一番山の赤獅子から七宝丸まで十四台ある。               この十四台の曳山が十一月の一、二、三の三日間、町の若衆の手で、町中をえっさえっさの掛け声で練り歩くさまは、壮観と言わざるを得ません。                                  
   
 



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 プロフィール

住 所  神奈川県横浜市戸塚区川上町 497 6-102

氏 名  本 名 石橋 秀幸   筆 名 佐賀 健児

年 齢  ないしょ



子供の頃の思い出

 お正月には、凧揚げ独楽回しに興じ、三月頃になると、裏山の孟宗竹林に入り、出来るだけ節の長い竹を切り倒して、目白籠作りに夢中になり、それが出来上がると、目白や鶯取りに山に入っていました。
 四月から五月にかけては、村の南のはずれを流れる大川にえび釣りに出かけます。日曜日など一日中釣りに専念していました。一日百匹位釣ることもありました。翌日は大変なご馳走のえび料理が弁当のおかずとして入っていました。
 六月から八月にかけては、つけ針と言って、夕方から付近を流れる小川の土手に短い竹の枝に紡績の糸の先に釣り針をつけ、餌をつけて放り込んでおき、翌朝早く上げに行くと、大きなうなぎやなまずが釣れているのです。これもそのひの夕食の膳に上がります。
 夏休みも過ぎ、秋風が吹き始める九月の終り頃からは、付近の山に入り栗取りや山芋堀です。
 十一月の中頃からは、小鳥のいそうな山に入り、小鳥罠を二十も三十も仕掛けて行きます。それを仕掛けている間は、学校からの帰り道道草を食うこともなく急いで帰り、仕掛けておいた罠を見て回ります。五羽や十羽は大抵掛かっているのです。これも大変なご馳走です。
 今思えば、戦争ごっこにメンコ、いろんな遊びをしていたことが次から次に思い起こされます。
 懐かしきは、故郷の山や川です。こんなこと書いてしまって年がばれちゃうかな。


 
今までは小説を書くのが楽しかったけど、パソコンやスキャナーを買い求めてからは、パソコンとスキャナーを駆使して挿絵を入れた本作りが面白くて夢中になっています。
 今、三百枚ほど進んでいるミステリー小説がありますが、これが中々進みません。これではだめだと、ワープロを開いては見ますが、( 小説はワープロで書き、パソコンに移しています。パソコンでやると折角書き上げていざ保存と言うところでパソコンが固まってしまい今までの分が水泡に帰したことがあるからです) 原稿用紙半分か一枚くらいも書いたら、嫌になってパソコンでメール遊びをしたり、本来怠け者なんですね。
 ああ、自己嫌悪に陥ってしまいそう、情けない何とかしなければ、あせればあせるほどペンは進みません。便利なパソコンだけど、私を堕落させてしまった。
 神様何とかしてー。



  
二月十五日

 
今日は再び子供の頃に帰り、色々書いてみよう。小学三年生までは、いじめられっこで、教室でも、運動場でも片隅で過ごしていました。その原因は、小学校に入るまで、山の中の一軒家で友達もなく、兄弟ばかりで遊んでいたから、友達の付き合い方がわからなかったからだと思います。
 でも、三年生になって、学級で一番悪がきだった子と原因を忘れましたが、大喧嘩となりました。私は、その時転んで、右の腕の関節をはずし、骨折院に通うことになりましたが、喧嘩は勝ったのです。
 その日から、友達が一杯でき、学校へ行くのが楽しくなり、片隅で縮こまることはなくなりました。
続きはまた書きます


生活の中での色々な場面写真集