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忘れ去られていたノート |
■押し入れの整理をしていたら 〜僕は年に一度か二度、“整理をしなくちゃ!”と唐突に思い立つ事がある。それはある種のムシの知らせみたいなモノので、決まってそれは深夜の事だった。そして、なにかしらの整理をし終わると(まぁ 整理出来ているかどうかは別として、自分が納得するまでやり終えると)、“もしかすると明日死んじゃうのかも”と、思ったりするのです。でも、僕は今日も生きている。だから僕のその“ムシ”は、この国の政府が発表した出生率予測ぐらいいい加減なものではあるのですけどね。〜 一冊のノートが出てきた。 ■開いてみると・・・ 流れる街の水無し川に浮かぶ船・・・なんて中途半端な文面が1ページ半に渡り綴られていた。そして、それは明らかに僕が書いたモノであろうという事がひと目でわかった。 ■そのミミズが酔っ払って這っているいるような字体は、どう考えても僕以外の者が書いたとは思えなかったし、なにしろそのミミズの酔っ払いの行進の痕跡を読み取れる考古学者は、世界中広しと言えども僕以外に考えられなかったのだ。(そこまで確信できる自分が悲しくもあるけど・・・) ■しかし、いったいいつこんなモノを書いたのだろう?まったく覚えがなかった。と、いうか完全に忘れている。その中途半端な文のタイトルと思われる“流れる街の水無し川に浮かぶ船”って「いったいなんのこっちゃ?」って感じなのである。まったくわけがわからない。 ■けれど、次のページを捲ると、それがいつ頃書かれたモノなのか、ひとつの手がかりが現れた。そこには以下のようなモノが記されてあった。 4月4日(金) 対中日(ナゴヤドーム)■コレには覚えがあった。そのノートにこのスコアを書いたという意味での覚えではなくて、僕はよく横浜ベイスターズの試合があった翌日、新聞を見てこのようなスコアを何かに書き写し、勝っていればその書き写しを見てニマニマし、負けていれば試合当日のプロ野球ニュースやその新聞から得た情報を書き写したスコアと照らし合わせ「この回にあと一本(ヒットが)出ていれば・・・」とか「あそこを抑えていれば・・・」と、悔しがったりしながら回想するのが好きなので、そういった意味での覚えがあるという事なのだけど。もうこうなると疑う余地なく完全にこのノートは僕の物だ。(それにしてもこの日の横浜は負けてますね。きっとぶつぶつボヤキながら悔しがってたんだろうな。手に取るようにわかります。ハイ。) ■次のページを捲ってみた。(そのページにはこのスコアしか記されておらず、見開きの隣りのページにもなにも書かれていなかったので)けれど、そこには何も書かれれなかった。次のページも、そのまた次のページも何も書かれてなかった。結局そのノートに書かれていたのは“流れる街の水無し川に浮かぶ船”と題された文章といつかのスコアだけだった。 ■スコアには“4月4日(金)対 中日”とある。“何年”かという事がわからないからアレなんだけど、“4月4日(金)”というとシーズンの開幕戦辺りだと思う。横浜の先発投手は盛田投手。盛田投手が横浜に在籍していたのは確か‘96年ぐらいまでだったから、その年の開幕投手をシーズンオフにトレードに出すという事はまずないので、このスコアは‘95年辺りの開幕戦だと思われる。と、なると、あの文章は‘95年4月以前に書かれたと考えられた。 ■‘95年・・・現在は2004年なので・・・少なくとも9年間このノートは誰の目(僕以外ないんだけどね)にも触れずひっそりと押し入れの中で過ごしていたということか?・・・やれやれ。 ■9年前と言えば僕の二十代最後の年だ。そして、僕はその誕生日の朝、地震の揺れで目を覚ました。そう阪神大震災がその日に起ったのだ。“1995年1月17日” ■僕の暮す街は震源地の神戸からはそれなりに距離があったので被害なんて殆どなかったけど、その揺れは僕の眠りを覚まさすのには十分な(僕が暮らしていた家屋が古かったという事もあったのだけど)モノだった。 ■それから9年、壊滅的な痛手を受けた神戸の街も奇跡的な復興(いくら街の機能が取り戻せてきたとしても、その恐怖に直面した人々の心の傷は一生消える事はないのだけど・・・)を見せている。 ■僕はどうだ?沢山のモノを手に入れたような気もするけど、僕のポケットには砂時計のような穴があいていて、少しづつ少しづつ落としながら歩いてここまで来たようなきがする。それで結局、僕が9年間で手に入れたモノと言えば、脇腹の贅肉と生え際に増えた白髪ぐらいのモノなんじゃないのか?、、、やれやれ。。。。 ■虚しくなってきちゃった。話しを戻そう。 ■・・・とは言うものの、何故、あんな文章を書いたのか?やはり思い出せない。まぁ 「小説でも書いてみるか」と書き出したはいいけど、途中で息詰まって放ったらがしにしたってトコなのだろうと思う。(悲しいかな自分の事なので見当が付きます) ■しかし、こうして出てきたのだ。続きを書いてみようと思う。それに、あまりにも『猫』は寝すぎだし、そろそろ『待ち人』も来てもいい頃だ。と、いう事で・・・ 近日公開! ■ 追記(改正です) ■“4月4日(金)対中日”とは、いったい何年の“4月4日(金)対中日”なのか?と、いう事を、インターネットで後からアレコレと調べてみたところ、僕が予測した‘95年というのはまったくの的ハズレで、正しくは‘97年の“4月4日(金)対中日”でした。ですから盛田投手が‘96年にトレードされたというのも見当ハズレ。盛田投手は97年シーズン終了後、近鉄バッファローズへトレードされてました。ただひとつ当たっていたのは、その試合が開幕戦(その年の開幕投手をトレードに出す事もあるんだね)だったという事・・・ ■ですから、あの文章(“流れる街の水無し川に浮かぶ船”)が書かれていたのは、‘97年の4月4日以前という事になります。いったい僕の回想はなんだったんだ?やれやれ。。。 ■それにしても適当な事ばかり言って本当に申し訳ございませんでした。謹んでお詫び申し上げます。と、共に、ここに改正させて頂きます。 ■ここで盛田投手について少し書いておこうと思う。 ■盛田幸紀投手、1988年横浜大洋ホエールズ(現 横浜ベイスターズ)に入団。右バッターの胸元に抉り込むシュートを武器に活躍した投手だった。だが、‘98年近鉄バッファローズに移籍し新たな一歩を踏み出そうとした直後、野球人生だけでなく生命にかかわる髄膜腫に見舞われてしまう。しかし、不屈の闘志で‘99年のシーズン最終戦、奇蹟の復活を果し、一軍のマウンドに帰ってきた。そして、2001年にはオールスター戦にも出場し、2001年パシフィックリーグカムバック賞を獲得。現在は引退し野球解説者として活躍中。 |
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