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忘れ去られていたノート
忘れ去られていたノート

押し入れの整理をしていたら 〜僕は年に一度か二度、“整理をしなくちゃ!”と唐突に思い立つ事がある。それはある種のムシの知らせみたいなモノので、決まってそれは深夜の事だった。そして、なにかしらの整理をし終わると(まぁ 整理出来ているかどうかは別として、自分が納得するまでやり終えると)、“もしかすると明日死んじゃうのかも”と、思ったりするのです。でも、僕は今日も生きている。だから僕のその“ムシ”は、この国の政府が発表した出生率予測ぐらいいい加減なものではあるのですけどね。〜 一冊のノートが出てきた。
開いてみると・・・
流れる街の水無し川に浮かぶ船

その日、僕は一人の女性と逢うために、その女性が指定した公園のベンチに坐り約束の時間を待っていた。僕の坐るベンチから見える空には雲ひとつない青空で、日差しは柔らかく風はゆっくりと僕の顔に触れて北へ向かっていた。公園で人を待には絶好の日和と言えた。
何人の人々が僕の坐るベンチの前を通り過ぎて行く。ベビーカーを押す母親、腕を組んで歩く恋人同士、ネクタイを緩め鞄とコンビニエンスストアの袋を下げた営業マン風の男・・・そして、僕の坐るベンチの向いのベンチでは、タオルを顔にかぶせ水色の作業服を着た男(だと思う)が横になって昼寝に興じてる。一応にみんなこの公園に上手く同化していた。穏やかな火曜日の昼間だ。印象派の画家は、今日この日のこの公園をどのように描くだろう。
待ち人はまだ来ない。
腕時計に目をやると約束時間までにはもうしばらくあった。僕はその手をジャケットの左ボケっとに突っ込んでタバコのパッケージとライターを一緒に掴んで取り出し、パッケージからタバコ一本抜き取りそれを口に運んだ。
風が口に咥えたタバコを舐めて北に歩いて行く。僕はその風に気付かされたかようにキョロキョロと灰皿を探した。しかし、辺りに灰皿は見当たらなかった。すると空いた僕の右手は自然と口に咥えたタバコを抜き取りパッケージに戻していた。この穏やかな日和が僕をそうさせたのかもしれない。
僕は再び雲ひとつない青空を見上げひとつ息を吐いた。−本当にいい天気だー
「隣りいいかね」
そこへ男の声が突然耳に飛び込んで来た。その時まったく人の気配というものが僕には感じられなかったので、僕のその驚きはかなりの恐怖を含んでいた。僕はとっさに顔を前に降ろす。
最初に目に飛び込んで来たのは、声の主であろう人物の両腕に抱かれた猫だった。その猫は眠っているようだった。僕はゆっくり辿るように視線を上げ顔を探した。当然の事だけれど、顔はあるべき位置にちゃんと備わっていた。そのぐらいその呼びかけは僕を驚かせていた。
「いいかね」僕と目が合うと声の主は確認を取るように言った。
声の主は、ひと目で老人と呼ばれる歳に達しているだらろうという事がわかった。両耳の上に僅かに残る頭髪は真っ白だったし、顔や額には道路地図みたいな皺がいくつも深く浅く走っていた。それに、その年齢の人達に特有の穏やかさがあった。そのおかげで僕の恐怖にも似た驚きは静まりを見せてくれもした。この老人もまた今日のこの公園に相応しい人物だった。
「どうぞ」と、僕は言って少し右にずれた。
「済まないね」老人はそう言って僕の左に坐り抱いていた猫を膝の上に乗せた。猫は微動だひとつせずに眠り続けていた。
・・・なんて中途半端な文面が1ページ半に渡り綴られていた。そして、それは明らかに僕が書いたモノであろうという事がひと目でわかった。
そのミミズが酔っ払って這っているいるような字体は、どう考えても僕以外の者が書いたとは思えなかったし、なにしろそのミミズの酔っ払いの行進の痕跡を読み取れる考古学者は、世界中広しと言えども僕以外に考えられなかったのだ。(そこまで確信できる自分が悲しくもあるけど・・・)
しかし、いったいいつこんなモノを書いたのだろう?まったく覚えがなかった。と、いうか完全に忘れている。その中途半端な文のタイトルと思われる“流れる街の水無し川に浮かぶ船”って「いったいなんのこっちゃ?」って感じなのである。まったくわけがわからない。
けれど、次のページを捲ると、それがいつ頃書かれたモノなのか、ひとつの手がかりが現れた。そこには以下のようなモノが記されてあった。
4月4日(金) 対中日(ナゴヤドーム)
横浜 100 000 001
中日 201 000 00×
投=盛田6回(3)→島田2/3→森中1回1/3
●勝利投手=山本昌(1試合1勝) ●セーブ=宣(1試合1S)
○敗戦投手=盛田(1試合1敗)
本=立浪1号@(盛田) パウエル1号@(盛田)
コレには覚えがあった。そのノートにこのスコアを書いたという意味での覚えではなくて、僕はよく横浜ベイスターズの試合があった翌日、新聞を見てこのようなスコアを何かに書き写し、勝っていればその書き写しを見てニマニマし、負けていれば試合当日のプロ野球ニュースやその新聞から得た情報を書き写したスコアと照らし合わせ「この回にあと一本(ヒットが)出ていれば・・・」とか「あそこを抑えていれば・・・」と、悔しがったりしながら回想するのが好きなので、そういった意味での覚えがあるという事なのだけど。もうこうなると疑う余地なく完全にこのノートは僕の物だ。(それにしてもこの日の横浜は負けてますね。きっとぶつぶつボヤキながら悔しがってたんだろうな。手に取るようにわかります。ハイ。)
次のページを捲ってみた。(そのページにはこのスコアしか記されておらず、見開きの隣りのページにもなにも書かれていなかったので)けれど、そこには何も書かれれなかった。次のページも、そのまた次のページも何も書かれてなかった。結局そのノートに書かれていたのは“流れる街の水無し川に浮かぶ船”と題された文章といつかのスコアだけだった。

スコアには“4月4日(金)対 中日”とある。“何年”かという事がわからないからアレなんだけど、“4月4日(金)”というとシーズンの開幕戦辺りだと思う。横浜の先発投手は盛田投手。盛田投手が横浜に在籍していたのは確か‘96年ぐらいまでだったから、その年の開幕投手をシーズンオフにトレードに出すという事はまずないので、このスコアは‘95年辺りの開幕戦だと思われる。と、なると、あの文章は‘95年4月以前に書かれたと考えられた。
‘95年・・・現在は2004年なので・・・少なくとも9年間このノートは誰の目(僕以外ないんだけどね)にも触れずひっそりと押し入れの中で過ごしていたということか?・・・やれやれ。

9年前と言えば僕の二十代最後の年だ。そして、僕はその誕生日の朝、地震の揺れで目を覚ました。そう阪神大震災がその日に起ったのだ。“1995年1月17日”
僕の暮す街は震源地の神戸からはそれなりに距離があったので被害なんて殆どなかったけど、その揺れは僕の眠りを覚まさすのには十分な(僕が暮らしていた家屋が古かったという事もあったのだけど)モノだった。
それから9年、壊滅的な痛手を受けた神戸の街も奇跡的な復興(いくら街の機能が取り戻せてきたとしても、その恐怖に直面した人々の心の傷は一生消える事はないのだけど・・・)を見せている。
僕はどうだ?沢山のモノを手に入れたような気もするけど、僕のポケットには砂時計のような穴があいていて、少しづつ少しづつ落としながら歩いてここまで来たようなきがする。それで結局、僕が9年間で手に入れたモノと言えば、脇腹の贅肉と生え際に増えた白髪ぐらいのモノなんじゃないのか?、、、やれやれ。。。。

虚しくなってきちゃった。話しを戻そう。
・・・とは言うものの、何故、あんな文章を書いたのか?やはり思い出せない。まぁ 「小説でも書いてみるか」と書き出したはいいけど、途中で息詰まって放ったらがしにしたってトコなのだろうと思う。(悲しいかな自分の事なので見当が付きます)
しかし、こうして出てきたのだ。続きを書いてみようと思う。それに、あまりにも『猫』は寝すぎだし、そろそろ『待ち人』も来てもいい頃だ。と、いう事で・・・

“流れる街の水無し川に浮かぶ船”

近日公開!




■ 追記(改正です)

“4月4日(金)対中日”とは、いったい何年の“4月4日(金)対中日”なのか?と、いう事を、インターネットで後からアレコレと調べてみたところ、僕が予測した‘95年というのはまったくの的ハズレで、正しくは‘97年の“4月4日(金)対中日”でした。ですから盛田投手が‘96年にトレードされたというのも見当ハズレ。盛田投手は97年シーズン終了後、近鉄バッファローズへトレードされてました。ただひとつ当たっていたのは、その試合が開幕戦(その年の開幕投手をトレードに出す事もあるんだね)だったという事・・・
ですから、あの文章(“流れる街の水無し川に浮かぶ船”)が書かれていたのは、‘97年の4月4日以前という事になります。いったい僕の回想はなんだったんだ?やれやれ。。。
それにしても適当な事ばかり言って本当に申し訳ございませんでした。謹んでお詫び申し上げます。と、共に、ここに改正させて頂きます

ここで盛田投手について少し書いておこうと思う。
盛田幸紀投手、1988年横浜大洋ホエールズ(現 横浜ベイスターズ)に入団。右バッターの胸元に抉り込むシュートを武器に活躍した投手だった。だが、‘98年近鉄バッファローズに移籍し新たな一歩を踏み出そうとした直後、野球人生だけでなく生命にかかわる髄膜腫に見舞われてしまう。しかし、不屈の闘志で‘99年のシーズン最終戦、奇蹟の復活を果し、一軍のマウンドに帰ってきた。そして、2001年にはオールスター戦にも出場し、2001年パシフィックリーグカムバック賞を獲得。現在は引退し野球解説者として活躍中。

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