10.常在戦場の心
身分や地位の高下と問わず,武士の役目と申すのは戦陣と普請のふたつである。 戦国乱世にあっては,日夜,ここの陣あそこの戦といった有様で,一日として武士たる者は安逸に過ごすときをもたなかった。
戦となれば,必ず付随して普請があり,ここの要害かしこの塹壕,あるいは出城,付城などと昼夜をわかたぬ突貫工事で,上下ともにその辛苦たるや,並大抵のものではなかった。
泰平の世においては,戦陣もなければ付帯の普請もない。 そこで武将の下の各侍に,いろいろの役が定められ,諸人は,そこにおればよい程度の任務が与えられているのだが,人々はこれが武士の本来の役儀であるかのように錯覚し,肝心の戦陣や普請といった役目を忘れ,夢にも思わなくなっている。
時折,公家御普請のお手伝いが主君に申しつけられ,出費がかさむので家中の上下各侍にも支出が割り当てられるが,家臣のなかには,少しの出金にも渋面をつくり,不服面をして苦情をいう者もいるが,これなどは武士の重要なつとめが,戦陣と普請にあるのをわきまえぬ不心得によるものである。
戦国の時代に生まれた武士は,幾度となく戦場に出陣,夏の炎天に甲冑の上から照りつけられ,冬は寒風に素肌を吹きさらされて,ずいぶんとつらい思いをしたものである。 しかも,その暑さ寒さから逃れるすべもなく,雨にうたれ雪をかぶって山中や路上で就寝,食物とて玄米飯と塩汁よりほかになく,また,対陣,城攻め,籠城の辛苦は,難儀や苦労をとおりこした悲惨なものであった。
それからみれば,治世における番役,供役,使役ごときは,いとも気楽なつとめといえよう。 この簡単な役目さえまっとうできぬようで,果たして戦場での辛苦を耐え忍べようか。 心ある武士から軽蔑されはすまいか,と恥ずかしく思わぬのであろうか。
およそ武門に生まれたからには,昼夜甲冑を離さず,山野海浜をすみかとせねばならないのに,天下泰平の世に生を受けたがゆえに,身分の高い者も卑しい者も,ひとしく夏は蚊帳を吊り,冬は暖かき夜具,蒲団にくるまる。 朝夕は好みの飲食をして安楽に過ごしているのだから,これをもって大いに幸福と感謝すべきで,座敷内での番役,近所への供役,使役を苦労とか大儀に思う理由などはまったくないのである。
これについては,甲斐国・武田信玄の家老のなかで,とりわけて合戦上手で名を知られた馬場美濃守という武将は「戦場常在」の四文字を書いて壁に掲げ,平成の座右の銘としたと伝えられている。
以上は,初心の武士の心得のため,申しおくのである。
わが愛読書:大道寺友山原著『武道初心集』(教育社新書,1989)より
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