11.年功に安住するな

 昔から,「出家と侍」といい習わしてきたが,仏門の家風と武門の作法は酷似するところがある。
 しかし,学問の仕方についてみれば,武家における修行の仕方は,仏門の人々に比べて,はるかに劣っているといわねばならない。

 仏門では,平僧の頃から師のもとを離れ,諸寺,諸山を遍歴して多くの学僧,名僧のおしえをうけ,参禅しては修行を積みかさね,単寮,西堂,あるいは長老,和尚となって,本寺,本山の住職になっても少しも恥ずかしくない程度に学問をきわめ,そして出世のときをまつのである。 これは修行のありかたとして,もっともであり最高といえよう。

 武門においても同様でありたいが,修行中の武士はほとんどが無役で,たとえ出先や末端で奉公する者でも,親の跡目や隠居後の家督を相続し,相応の禄もあって,衣食住にはいささかの不自由もない。
 だから,若輩者でも妻子をもち,朝寝,昼寝で日を過ごし,武士のつとめである武術さえ鍛錬するのを怠る。 ましてや,いまでは縁遠くなった軍法,戦法などは見向きもせず,無為に歳月をおくるうちに白髪となり,髪もうすくなって,なんとなくもっともらしい年齢,格好となる。
 その頃になると,欠員補充のために選ばれて役に就くのだが,これが使番のごときごとき軽い役目であっても,はやばやと行き詰まってしまうのである。

 武家の諸役とて限度があり,けっして無数の役柄があるわけではない。 したがって,無役で毎日が別段なすべきことのないうちから,主君のお考えで,いつなりと役目を仰せつかるであろうと心にとめて,日常から,種々の役目の内容やつとめ方に関心をもって,もし親類縁者のなかに役儀に通暁の人がいれば,会った折には無用の雑談をするのではなく,将来の参考にすべき事項を,いくどとなくたずねて覚えるのである。 あるいは,古い覚書,絵図なども当面は必要がなくとも,借り受けて目をとおすとか書写しておくべきである。

 それにもかかわらず,そうした認識や自覚もないまま,采配の許される役職に就いていることで増長し,諸士の座上をけがすなどは全く不届き至極といわねばならない。

 禅門にたとえると,無役の平僧が朝寝,昼寝をもっぱらとし,教義の学問を怠ったままで出世の年齢をむかえたとしよう。 それは頭が禿げたことによって,長老,和尚となり,身に色衣をまとい手に払手をにぎって,数多くの弟子,庶民に説教するに等しい。 このような不埒な和尚でも,大切な法要の席で失敗すれば,当然,恥もかき引っ込まざるを得なくなる,これがために,多くの人々に難儀のふりかかることは,まずないであろう。
 他方,武家において,和尚役にあたる士大将,者頭,奉行が采配をふり違えたときはどうなるであろうか。 ことわるまでもなく,軍勢の動向の良否が合戦の勝負に直結するのだから,味方の士卒の生命を損ない,その被害はきわめて大といわねばならない。

 ここのところをよく考え,武士として学問修行をするからには,無役の平士で暇のある時分から,武術はいうにおよばず,軍法,戦法にいたるまで奥義を究めるよう心がけ,他の役目とて同様であるが,たとえ采配をにぎる役柄を仰せつけられても,十分につとめられるよう励んでおくべきである。

 以上は,初心の武士の心得のため,申しおくのである。

わが愛読書:大道寺友山原著『武道初心集』(教育社新書,1989)より

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