6.平素の修練
武士道において学問とは,己の心のなかに道を正しくもち,外面ではその道にもとづいた言動を保持する以外のなにものでもない。
心のなかに道を正すとは,武士道の正義,正法の理にしたがってものごとを判断し,毛頭も不義,邪道へ傾かぬよう心得るとの意である。 したがって,聖人や君子の事績,書物などに明るく通じている人に師事して,詳細に学ぶのがもっとも有効であろう。
言動を正しく保持するには,およそ二法,四段がある。 すなわち,二法とは常法と変法であり,常法のなかに士法と兵法が,そして変法のうちには軍法と戦法があって都合四段となる。
まず,士法というのは朝夕手や足を清浄にし,よく入浴してその身をいつも清潔に保つこと。 毎日,早朝に結髪して,ときには月代も剃り,季節に応じた礼服を着用し,刀や脇差しは無論のこと,たとえ寒中といえども腰に扇子を絶やさない。
客と応対するときは,相手客の身分や地位にふさわしい礼儀を尽くし,無用の言葉は慎み,よしんば一椀の飯を食し,一服の茶を喫するにも,ぶざまにならぬよう心がけるのである。
己が奉公人の身であれば,非番の日や休憩の時間も無駄に過ごさず,読み書きに励み,その他武家の故実慣例にいたるまで心をくばり,日頃の立ち居振る舞いにしても,さすがは武士といわれるごとき態度を示すのが士法に適うというものである。
次に兵法とは,いかに士法において申し分ないとはいえ,武士として武器,武具などの取り扱いには,十分熟達していなければならない。 したがって,刀を抜いての勝負に練達することにはじまり,槍術,馬術,弓術,鉄砲による射撃,その他武術であればなにによらず興味を示し,稽古に励んで熟練し自信を深めることをいうのである。
上に述べた士法と兵法の二段の修行さえ十分にできていれば,常法,つまり日常的にはなんらの不足もなく,人々の目にも立派な武士,あるいはよい家来とうつるものである。
しかしながら,本来,武士は変事に対応することをもって,その本分としている。 変事とは世の騒動であって,この事態に立ちいたれば,甲冑礼なしの言葉どおり,日頃の士法をしばらくおいて,ふだんはご主君,殿様などと申し上げているお方をも,御大将とお呼びして,家中の上下の侍たちを軍兵,士卒などと呼び,全員が礼服を脱ぎ捨てて甲冑を着用,手に武器を携えて適地へすすむが,この有様を軍陣という。 そして軍陣におけるさまざまな仕様,仕方についての定めを軍法と称し,武士たる者がこれを知らぬようでは困るのである。
さらに次にいう戦法とは,敵味方が出合い,一戦におよぼうというとき,味方の陣容や配置,兵士の扱い方が的確かつ効果的であれば勝利,もし逆であれば戦いは敗北するが,その方法,手順の定石や秘法などを指している。
これもまた,武士として知らずに済ませることのできぬものである。 すなわち,この軍法と戦法のふたつをもって,変法の二段と称するのである。
上の常法と変法の都合四段の修行を成就した者を,最上の武士という。 常法の二段のみを会得していても,ただひとりのはたらきで済む状況だけならばともかく,変法二段の心得なくしては,侍大将,奉行などの思い役職はつとまらない。
このところをよくよく分別のうえ,武士としてあるからには,士法,兵法はいうまでもなく軍法や戦法の奥義にいたるまで,これを修行し最上の侍となるよう,およばぬまでも最善の努力を傾注する心がけが肝要であろう。
以上は,初心の武士の心得のため,申しおくのである。
我が愛読書:大道寺友山原著『武道初心集』(教育社新書,1989)より
大変そう思う度=90点。
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