9.陰口は利くな

 主君をもって奉公している武士は,同僚や友人の身の上について,よくない事柄を見聞きしても,陰で噂をせぬ心がけが大切である。
 なぜならば,己とて聖人,賢人ではないのであるから,長年の間には何かの失敗や,心得違いをせぬともかぎらないし,必ず起こるとの前もっての慎みからだ。 とりわけ,家老,年寄りなどと称される諸侍の上位にある人を,職分は重く俸禄は高いのだから,人柄,知恵,才覚なども相応であるべきが当然,などと批判するのは,一応は筋のとおった理のようでも,実はそうではないのである。
 そのわけを次に述べよう。

 天下を治められる将軍家のもとにおける老中などの職分の人々は,それぞれの時代の数多い大名のなかから,人品骨柄の良さをもって選ばれたのだから,すでにその職にあるほどの人なれば,さして劣悪な人物であるわけがない。
 しかし,一国一郡を治める諸大名の家中においては,俸禄,家柄ともに家老職に就けるにふさわしい武士は,多くいる家臣のなかにもあまりいないものである。 そこで,厳しい選考もできかね,家柄と俸禄からみてふさわしいと思える人を選んで,家老や年寄の列に加えるのである。 これには,次第に職務にも慣れ年功を経るにしたがって,やがては役目も十分に勤めるようになるであろうとの,主君のご判断によって任命される場合だってある。
 上のごとき事情から,任命された家老,年寄といった人のなかには,職分とその責任を果たすには,些少もの足りぬ人物がいる場合も当然あり得るのだ。 とはいえ,それを見,聞き咎めて批判し,謗り嘲るなどはまったくの心得違いなのである。
 具体的に説明すると,草や木の類でも,よく花が咲き実を結ぶ年もあれば,一向にそうでない年もあろう。 人間とて同様で,賢明な親にいたらぬ子が生まれ,また逆に,親をしのぐ優秀な子の生まれるのも,古今東西,世の習いなのである。

 主君とても,不十分なところに気づかぬのではないが,その者の先祖代々からの忠孝をおわすれなく,家柄に応じて役職につけられたのだから,家臣としては,まことに有難く感謝せねばなるまい。
 したがって,万一,そうした家老や年寄から,理不尽で納得し難い無理をいわれ,聞き捨てはならぬと思っても,極力,反論をひかえて適当な応対で済ませておくものである。 なぜなら,これが主君のご命令であれば,いかにご無理があろうとも,ひと言の反論も許されないであろう。 家老,年寄についても,本来は主君のご名代の身分。 言葉とて主君のご命令と同じ重みをもっているのである。
 とはいえ,主君と家臣の身分の相違は歴然としているのだから,一応は当方の意見をできるだけ穏やかに申し述べるがよい。 ただ,己にどのような道理があろうとも,家老や年寄などの重役に対し言葉にかどを立てて,言いたい放題というのでは,主君にむかって無礼であると判断するのが武士というものであろう。

 およそ家老,年寄などの諸役は,主君のご判断で仰せつけられるのであるから,その面々を悪し様に罵るのは,主君を誹謗するのと同じである。
 また,非難をしていても,いつの日かその役目の人の力を借りねばならぬ事態が起こるやもしれず,ときにはご機嫌を伺い,手を揃え,膝を屈して,ひとえに依頼せねばならぬ場合もあろう。 つい昨日まで,非難,嘲笑していた同じ口で,いかに己が用があり困っていようとも,武士としては膝を屈して,依頼や援助の言葉などいえたものではない。
 少なくとも,そうした深謀遠慮がなくてはならないのだ。

 以上は,初心の武士の心得のため,申しおくのである。

わが愛読書:大道寺友山原著『武道初心集』(教育社新書,1989)より

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