光が目の前を泳いで行く。闇をいく本もの線が飛び交う。
シュン。シュン。シュン。
音と光はいつまでも続くかのように闇に存在する。むし暑い夜の裏庭を別世界へと変えていた。
「何してるの!」
突然の声。逃げ出す子供達の足音。さっきまでの祭りが嘘のように庭は静けさに包まれる。
「他の患者さんに迷惑でしょ。病院で花火なんかしちゃだめ」
看護婦の怒鳴り声が響き続ける。
「ごめんなさーい」
反省の色のない声がどこかですると同時に、一筋の光が彼女に向かってくる。すぐそばをかすめると、後ろの
方で爆発。ロケット花火。
「きゃあ」
悲鳴があがる。
「やっほーい」
数人の喜びの声があがると、裏庭はまたひっそりと静寂を取り戻した。冷静になった看護婦が走り出す。
「あんた達、待ちなさい」
その時にはもう、闇の中にはひとっこ一人残ってはいない。
「すごく怒鳴ってたよ。まずくない?」
まだ、息が整わないまま国が言う。
「余裕。余裕。顔も見られてないじゃんよ」
ぼくも激しい呼吸で答えた。
「でもさあ、見つかったらみんな怒られちゃうんじゃないかなあ」
「だから、大丈夫だって。もしばれたら、俺のせいにしておけばいいって」
「でもさあ・・・」
「ああ、いらいらする。どうしてお前はいつもうじうじすんだよ。やったもんは仕方ないだろ」
思わず声をあらげる。
「・・・」
国は黙ってしまう。
いつもこのパターン。ぼくは別に国をいじめたいわけではない。けれど、はっきりしない態度に
かんしゃくをおこしてしまう。そして泣きそうな顔になる彼を見て、後悔。本当に気が短い自分に
腹が立つ。あっ、また怒ってる。いかん。いかん。
「まあ、どうにかなるって」
ぼくは明るく国に言った。
「隆ちゃんがそう言うなら平気かなあ」
国も気を取り直して、うつむいていた顔をあげた。
「平気、平気。さあ、もう部屋へ戻ろうや」
ぼくたちはそれぞれの病室に向かって歩き出した。
ぼくと国は小さい時から入院している。ぼく達は普通に学校に通っていれば、もう小学校五年生だ。しかし、ぼくは
一年生から、国はもっと小さな時から病院にいた。二人とも心臓が生まれつき悪く、日常生活に支障がある。
だから、ぼく達はいつも死ととなりあわせに生きている。
いつまで生きてられるかわからない・・・。
死はぼく達にとって日常だ。もちろん、恐怖することもある。胸が苦しくなると、全身からいやな汗がふき出る。
心臓が止まっていく自分が脳にありありと浮かびあがる。
だが、ぼく達は、自分達の境遇を悲観してはいない。しっかりと受け止めていた。人間とはなんて都合良くできて
いるのだろう。何年も病院で生活し、発作をおこすと、慣れてきてしまう。嘘をつけ、と言う人がいるかもしれない。
けれど、それが現実なのだ。慣れてしまえばこっちのもの。後はうまくつきあっていくだけだ。うじうじ、めそめそして
も何も面白くはない。いかに楽しく生きていくかに、ぼく達の関心は向いている。
まあ、えらそうなことを言っても一人だったらうじうじ、めそめそしていただろう。人間なんてしょせん弱っちい生物
だ。一人では怖いことも、二人ならあっさりできてしまう。そう、国がいるから楽しくやれる。ぼくのいつ終わるかわか
らない日々は、いつも楽しく流れていく。
国の病室に行くと彼はまだ寝ていた。そっとベッドに近づく。小さな寝息が聞こえる。
「わっ!」
耳元で大きな声を出してやった。あわてて跳ね起きる国。大笑いのぼく。国の様子に部屋中の子供達が笑い出し
た。もう、大騒ぎ。きょとんとした顔で国がいることが、より一層、面白さを引き立てた。笑いはどんどん加速してい
く。廊下中に声が飛び出した瞬間、
「静かにしなさい!」
出た。鬼看護婦の沙織だ。ぼく達にとって目下、最大の敵だった。昨日、みんなで花火をやっていた時も奴に
ジャマをされた。
怒鳴り声が号令となって、物音は消えた。
「朝から騒ぐんじゃないの!」
みんな、下を向いて反省したふりをする。怒られなれているぼく達には、こんなものどうということはない。
沙織はぐるりと部屋を見まわした。
「それとあんた達、昨日、裏庭で花火やったでしょ」
ほんの短い時間、緊張した空気が流れる。すぐさま、ぼくは口を開く。
「やってないよう」
わざと生意気に言う。沙織がかんしゃくをおこした。
「嘘、おっしゃい。あんた達以外だれがあんなことやるのよ」
「知ーらない」
ぼくはべっと舌を出す。
彼女の顔がどんどん赤くなっていく。爆発は時間の問題。三・二・一・くる!
「もう、頭きた」
沙織はすごい勢いでぼくをつかまえると、尻をぶち始めた。
「痛いってば。もうしません。ごめんなさい」
ぼくは大げさに声をあげる。本当はちっとも痛くない。ズボンの中にはもう一枚ショートパンツをはいている。全部
予定通りの行動。これで沙織の怒りもおさまるだろう。もう少しの我慢。沙織の手を降りまわす速度におとろえが見
えてきた。よし、そろそろおしまい。
「もうあんなことするんじゃないわよ」
肩で息をしながら彼女が言う。
「はーい。わかりました」
ぼく達のいたずらの恒例行事。これさえやっておけば、何をしても心配ない。
「あの…」
入り口の方で声がする。見ると新人看護婦と中学生ぐらいの少女が立っていた。
部屋に別の空気が流れ込む。その少女は真っ白なワンピースを着ていた。背中まである長い髪は一糸の乱れも
なく風になびく。キラキラと光が反射して、波のようだった。純白の肌は青味がかり、透けている。ワンピースの白が
くすんで見える。口をちょこんととがらせて、少女は心細げに立っていた。この世のものとは思えない、はかなさでそ
こに存在していた。
じっと瞳を閉じていた。
ぼく達はみんな言葉を失った。
綾はすぐにぼく達の仲間になった。
彼女は目が見えない。生まれつき角膜にキズがあり、小さなころから光のない世界に生きている。ここに来た
のはその手術のためだった。
「今度はどんないたずらするか」
「隆ちゃん。いっつもそんなことばっかり言ってるよね」
「うるせえよ。お前だってのりのりでやってるじゃんよ」
「ぼくは違うよ。いたずらなんか…」
国が口ごもる。
「いたずらなんか?」
「いたずらなんか…面白い」
「ほうら見ろ」
「うふふ」
綾が笑う。それにつられてぼくが笑う。国も笑う。みんなも笑う。みんなみんな笑った。
ぼく達の世界に綾が生まれた。
綾は自分から何も要求しない。 いつもぼく達の後ろにいた。ぼく達の言葉と音を聞いていた。 走り回る足音に
耳をすまして一緒に走った。
今日は街の花火大会だ。 みんな屋上にあがる。空いっぱいに広がる花火を楽しみに屋上に人が集まる。ぼくは
国をつれて一番に行こうとした。
「綾も誘おうぜ」
国は黙っていた。ぼく達は綾の病室へ急いだ。綾はぼんやりと空を見ていた。いや、空の方を向いていた。
「綾、一緒に花火見よう」
言葉が音になった瞬間、ぼくは自分の愚かさに気がついた。国が言葉につまった意味も初めて理解できる。なん
て馬鹿なんだ。 ぼくは忘れていた。 自然にとても自然にぼく達といる彼女の真実を。
ぼくは綾が好きだ。 楽しいことも、美しいものもぼくの好きなもの全てを彼女に教えたかった。 それだけだ
った。 きれいな花火を彼女に見せたい。 そう思った。
「ごめんね。 あんまり体調良くないの。 私はやめとく」
綾は笑顔で答えた。
ぼくは、何も言わず部屋に向かった。
国も黙って部屋に戻った。 ごめん、国。
外では花火の打ちあがる音と、みんなの歓声が響いていた。
ぼくは病院に来て、初めて花火を見なかった。
太陽はぼくをあざ笑うかのように照っている。 ぼくと国は裏庭にいる。 二人とも何も喋ろうとしない。 重苦しい
沈黙が続く。
「おれ、悪気なんかなかったんだ」
許しを乞うようにぼくが口を開く。
「そんなこと、わかってるよ」
国も小さな声で答える。
「本当なんだ。 綾を悲しませるつもりなんか、全然なかったんだよ」
「だからわかってるって」
「もう、どうすればいいのかわかんない。 綾、おれのこと一生許してくれないだろうな」
「そんなことないって」
「どうしてわかるんだよ。 絶対そうだ。 もう口も聞いてくれないかもしれない」
「何言ってんの。 隆ちゃん」
「そうだ、そうに違いない。 おれなんかいない方がいいんだ」
「いい加減にしなよ!」
国が大きな声で言った。 驚いて、ぼくは返答ができない。
「やっちゃったことは仕方ないじゃないか。 うじうじしててもどうにもならないよ。 隆ちゃんがぼくに教えてくれたん
だろ」
涙を目に浮かべて必死で言う。 ぼくの視界もゆがむ。
「何か考えよう。 綾ちゃんが喜んでくれること、考えよう。 いたずらの天才の隆ちゃんなら思いつくはずだよ」
綾が喜ぶこと? ぼくが綾に見せたかったもの? 花火。 ぼくの大失敗を生み出した花火。 そうだ。
こんなことに負けてたまるか。 決めた。
綾に花火を感じさせてやる。
ぼくは国と一緒に病院を抜け出した。 向かう先は近くのおもちゃ屋。
「隆ちゃん、どこ行くの」
「花火を買う」
「えっ」
「打ちあげ花火を買えるだけ買う」
「どうするの?」
「綾に花火を触らせてやるんだ」
「?」
「いいから、ついてこいって」
店に打ちあげ花火は2本しかなかった。
練習は一本。 一本でみつけなくてはいけない。 綾が花火に触れる高さを。
ぼく達は急いで病院に帰った。
「いいよう」
十階建ての屋上から国の声がする。
地面に置いた花火の導火線に火をつける。
ジッ、ジジジ、ジューーー。
導火線はみるみる短くなる。
ボン。
音を立てて火薬が飛び出す。
シュー。
空へ昇っていく音。
パァーン。
破裂。 明るい空に色が飛び散る。
「八階の窓のとこだよ」
国が大きな声で叫ぶ。 よし、三階の窓から打ちあげれば丁度屋上の目の前で、花、開くはずだ。
「国、おりてこい」
ぼくは国をよんだ。
「でも、危なくないかな」
国が屋上から叫ぶ。
「何が」
「火傷しちゃうかも」
「平気だよ。とにかくおりてこいよ」
虫採り網の網をはずす。 棒の先にしっかりと板を取りつける。 そして、接着剤で花火をつけた。
「本当に平気?」
不安そうな国の声。
「昔、本で読んだんだ。 店で売ってる花火は、安全のためにすぐ温度が下がるって。 だから火花を触っても
火傷はしないんだ」
「でも、もし・・・」
「だから、おれがそばにいるんだよ。 やばい時はおれの体でかばうから大丈夫」
「・・・わかった。 けど、隆ちゃんも気をつけてね」
「ああ」
ぼく達は夜を待った。
「あのさ」
声がうまくでない。 伝えるべきことはわかっているのに、声帯はその通りにふるえてはくれない。
「なあに?」
綾はいつもとかわらない、やわらかい声で聞く。
「うんと、えーと、夕食の後さ」
「夕食の後?」
「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけでいいから、おれにつき合ってくれないかな」
綾はくすりと笑うと言った。
「何があるの?」
「それは、うんと、・・・とにかくつき合って」
「ええ、いいわよ」
彼女はにっこりとほほえんだ。
夕食は何の味もしなかった。 もともと病院の食事はうす味だ。 けれど、今日の食事は全く味がしない。 ぼくは
流しこむように夕食をおえた。
ぼくは綾の前を歩く。 綾はぼくの後ろを歩く。 階段をのぼる音だけが響く。 ぼく達は何も喋らなかった。 ただ
静かに足音だけが存在した。 ぼくと綾はいた。
屋上には誰もいない。 音も光もない。 この瞬間、綾とぼくのあいだには何一つの差異もない。 ぼく達は同じ
だ。 ぼくの感じるものと彼女が感じるものは同化している。
「おうい」
ぼくは下を向いて、闇に叫んだ。
「いくよお」
返事がする。
しばらくの静寂。
ジッ、ジジジ、ジュー。
ボン。
「えっ?」
綾が声をあげる。
「声を出さないで」
ぼくは制する。
シュー。
目前に花火が飛んできた。 それはスローモーションだった。 ゆっくりと頭のすぐ上まであがる。
そして、
パァーン。
静寂の破壊。 光の塊は一瞬にして、粉雪へと変貌していく。
「何?」
綾とぼくに雪は降り注ぐ。 ほのかな熱をたずさえて、肌の上に舞い落ちる。 あたりは花火に包まれる。
「花火」
ぼくは笑って言った。
綾は口をとがらせて、きょとんとしていた。
ぼくの心臓は初めてのリズムを刻んで、動き出した。
二〇〇〇年八月一九日 有賀 隆夫