第一場(1971年1月上旬。 北京・中南海にある毛沢東の執務室。毛沢東、康生、江青、張春橋)
江青 「新年を迎えて、今年こそは陳伯達と、林彪グループを放逐する時が来たようですわね」
毛沢東 「まず、陳伯達を抹殺してやる。その後に、陳伯達批判を利用して、それに余り乗り気でない林彪一派を追い詰めていく。 黄永勝や呉法憲達の権限を奪い取っていけば、林彪自身も手足をもぎ取られたように、身動きができなくなるだろう」
張春橋 「じわじわと、林彪を追い込んでいくわけですね」
毛沢東 「そうだ、真綿(まわた)で首を絞めるようにな。 そうすれば、林彪だって何もできなくなるはずだ」
康生 「ただ心配なのは、林彪が苦し紛れに、とんでもない事を仕出かすこともありえますね」
毛沢東 「それはないだろう。林彪は唯一の副主席であり、私の“後継者”ということになっている。 彼がクーデタなど馬鹿げたことを考えるはずはない。そんなことをすれば、あの男は一巻の終わりだ」
江青 「でも、窮鼠(きゅうそ)、猫を噛むこともありますよ」
毛沢東 「いや、手足をもぎ取ってやれば、どんな虎やライオンでも大人しくなる。何もできなくなるはずだ」
張春橋 「それならいいのですが、主席だって劉少奇一派に追い詰められ、ついに文化大革命を発動して、乾坤一擲の勝負をかけたではありませんか。 林彪だっていざとなれば、何を仕出かすか分かったものではないと思います」
毛沢東 「ハッハッハッハッハ、いくらあいつでも、“紅衛兵”を創り出すことはできないだろう。 もちろん、わしも気を付ける。しかし、わし自身は、林彪まで抹殺したいとは思っていない。 なんといっても彼は、文化大革命でわしのために、粉骨砕身働いてくれたのだ。
彼がいなければ、とても劉少奇を倒すことはできなかった。その功労を思うと、林彪を抹殺するようなことだけはしたくない。 ただ、彼のグループの勢力が大きくなり過ぎたので、それを切り捨てようとしているだけだ」
江青 「でも、林彪は大変な野心家です。その点は、文革の最中にも、あなたが私に随分と指摘してくれたではないですか」
毛沢東 「それはそうだ。 誰だって野心は持っている。林彪だけではない。 だから、林彪の部下を切り捨ててしまえば、彼だって野心を捨てざるをえなくなる。手足をもぎ取られれば、誰だって何もできなくなるからな」
康生 「そうでしょうか。手足をもぎ取っていく段階で、向うが危機感を持って決起することだって考えられますよ」
張春橋 「林彪は何を考えているか分かりません。このところ、党の公式会議には、病気だと言ってほとんど出てこないではありませんか。 それに、林彪の家には、しょっちゅう黄永勝や呉法憲達が集まっていると聞いています。ひと頃は、陳伯達もよく行っていました。 彼が何を企んでいるのか、分かったものではないと思います」
毛沢東 「うむ、だから十分に気を付けることだけはしよう。 だが、こちらの狙いは、周総理も言っているように、林彪グループの力を弱めるとともに、アメリカとの関係改善をやり易くすることなのだ。林彪を撃つことではない。
彼が大人しくなって、党の大勢に従ってくれれば良いのだ。 ただ、君達が言うように、あのグループの動きは厳重に監視しなければならんな」
康生 「私の密偵組織によって、徹底的に監視します。もしもの事があったら、大変ですからね」
毛沢東 「うむ。それじゃ早速、陳伯達を批判する大集会を準備してくれ。 それから、黄永勝達のこれまでの罪状を洗いざらい調べてくれ」
康生 「分かりました。早速、取りかかります」
江青 「私にもやらせて下さい。こういうことは大好きですから」
毛沢東 「うむ、張春橋、君も手伝ってくれ」
張春橋 「はい、承知しました」
第二場(2月上旬。 北京・中南海にある林彪の居宅。林彪、黄永勝、呉法憲、葉群、林立果)
林彪 「もうすぐ北京で、陳伯達を批判する大集会が、党の公式な会合として開かれる。 われわれとしては、素直に陳伯達批判に同調しよう。そうした方が、敵を油断させ安心させるだろうからな」
呉法憲 「それはそうでしょうが、陳伯達批判に引っかけて、又われわれが追及されるようなことはないでしょうね」
林彪 「それは分からん。 しかし又、われわれが追及されてもいいではないか。大人しく、なすがままにしておくのだ。そうすれば、敵はますます油断するだろう」
黄永勝 「ただ心配なのは、われわれが追及、批判されることによって、解放軍の中に亀裂が生じることです。 副主席の威信や指導力に、陰りが出てくる恐れもあります」
林彪 「うむ、それは問題だな。そうした状況が生まれるかもしれない。 その時は、敵を一網打尽にする行動を急がねばならない。しかし、そこまで事態が急速に悪化するだろうか。 もっとじっくりと、情勢の推移を見極めていってもいいじゃないか」
葉群 「それは、一に敵の出方、攻撃にかかっていると思いますが、こちらとしては最悪の事態も考えて、早くクーデタ計画を煮詰めておく必要があると思います」
呉法憲 「そうです。クーデタ計画は、早く詰めておくのに越したことはありません。 どうでしょうか、副主席御夫妻と御子息が、保養のためという名目で蘇州に行かれては。 副主席は病気がちで、身体が思わしくないことになっていますので、寒さの厳しい北京を離れると言っても、疑われることはないでしょう」
林彪 「うむ、それはいい考えだ」
葉群 「結構なことですわ。病気療養のためと言えば、敵もわれわれの蘇州行きを認めないわけにはいかないでしょう。 蘇州へ行って、じっくりと計画を練ろうではありませんか」
林立果 「呉法憲将軍のアイデアは素晴らしい。 父が蘇州にいる間に、私は杭州や上海へ行って、腹心の部下や同志と一緒に、クーデタ計画の“青写真”を作ることにしましょう」
林彪 「そんなに具体的に青写真を作れるのか」
林立果 「大丈夫です。 お父さんがクーデタ計画のアウトラインを作ってくれれば、後はわれわれ同志の手で、完璧な戦術を立てることができます」
林彪 「しかし、時機や方法については、そんなに簡単に詰めることはできないぞ」
林立果 「もちろん敵の動向を見ないと、たやすく戦術を立てることはできません。 しかし、私としては一日も早く、クーデタ計画の“叩き台”を作りたいのです。叩き台さえできれば、後はそれをいかに応用するかということだけです」
葉群 「あなた、いいではありませんか。 早く青写真を作ってしまえば、後はそれをいくら改良しようとも、変更しようとも簡単にできます。要はまず、叩き台を早く作ることだと思いますが・・・」
呉法憲 「そうだ、それがいい。 御子息なら、仲間と一緒に素晴らしい青写真を作ってくれるでしょう」
林彪 「よし、そうしよう。それでは私が、蘇州でクーデタ計画のアウトラインをまとめる。 その上に立って、お前が具体的な戦術を立ててくれ。ただし、それを採用するかどうかは、情勢の推移を見て私が判断する」
林立果 「分かりました。ああ、ようやく私の出番がやって来た感じがします。 この一、二年、もやもやした思いで、周恩来や江青、それに張春橋達の図に乗った振舞いを苦々しく見てきましたが、これで、あの連中を叩きのめす機会がようやくやって来ました。 完璧なクーデタ計画を作ってみせますよ」
黄永勝 「いや、頼もしい限りだ。 御子息は副主席のためなら、たとえ火の中、水の中、どんな危険や苦労も厭わずに突進していくみたいですな。きっと、素晴らしい青写真が出来上がるでしょう」
林彪 「しかし、これは言うまでもないが、絶対に極秘にやらなければならない。 立果、娘達にも口外してはならんぞ」
林立果 「勿論ですとも。この話しはここだけのもの、妹達にも絶対に気付かれないようにやっていきます」
林彪 「うむ、娘達には、いざ決行という時になって、私から話してやる。それまでは、絶対に極秘だ」
葉群 「蘇州行きの件は、私から毛沢東に言っておきます。 黙って行ってしまうと、かえって疑われますからね」
林彪 「そうした方がいい。江青を通して、毛沢東に伝えてくれ。 その方が、あの女狐を立ててやることになる。後で騒ぎ立てられると困るからな」
黄永勝 「それでは、私どもは北京に残りますが、こちらの動静は逐一、副主席にご連絡しますからご心配なく」
林彪 「ああ、しっかりと頼んだぞ。 くれぐれも言っておくが、陳伯達批判が吹き荒れようとも、君達は大人しくそれに従っておればいいのだ。たとえ解放軍が矢面に立たされようとも、決して反論してはならない。 黙って大人しくしていれば、疑われることはないからな。 それでは、よろしく」
黄永勝 「承知しました」
呉法憲 「ご心配なく、それでは失礼します」(黄永勝、呉法憲が退場)
第三場(4月上旬。 北京・中南海にある陳伯達の家。陳伯達が部屋の中を行きつ戻りつしながら、モノローグ。 手に毒薬入りの小瓶を持っている)
陳伯達 「文化大革命とは、一体なんだったというのだ。なんでもありゃしない。 毛沢東と江青グループの権力を、強めてやっただけではないか。それ以外のなんでもないのだ。 俺は中央文革小組の組長として、出来るだけのことはしてやった。
ところが、文革が終って気が付いてみると、俺の周りにいた連中は“極左派”だということで、ほとんどが粛清されてしまった。 残ったのは、江青と張春橋、姚文元らのグループだけだ。 なんということはない。俺は文革の旗を振って、あいつらを押し上げてやっただけなのだ。
毛沢東は、俺が党内でナンバー4(フォー)の地位に就くと、かえって俺を疎んじるようになった。 文革でさんざん俺を利用しておきながら、文革が終れば、もう御用済みだというのか! あの独裁者はこれまで、俺の理論的才能を自分の都合の良いように使っておきながら、今になって、それを邪魔もの扱いしているのだ。
畜生! 勝手な奴だ。 国家主席を置いてなぜ悪いのだ。国家に元首があって当然ではないか。 あの男の勝手な都合で、国家元首を置いたり廃止したりしたのではかなわない。 林彪も林彪だ。自分がじわじわと追い詰められてきているのを知りながら、俺と手を取り合ってやろうともせず、臆病風に吹かれたのか、毛沢東の言いなりになっている。
馬鹿な奴だ。いずれあの男も、俺と同じような運命をたどるだろう。 その時になって気付いても、もう遅いというものだ。 畜生、毛沢東め! 俺は三十年以上もあの男に仕えて働いてきたというのに、たかが国家主席の問題でけで、どうしてこうも残酷な仕打ちを受けなければならないのだ。
血も涙もない悪魔! これがマルクス・レーニン主義者か。 これが共産主義者のやることか! これが偉大な毛沢東思想の権化のやることか! 江青のような“雌鳥”だけを可愛がって、自分の権力を守ることしか考えない醜い老いぼれめ!
俺はお前を呪ってやる。 お前がやった中国革命は偉大なことだったが、文革以後のお前のしたことは、陰険な“権力亡者”の血に汚れた仕打ちだけだ。 くそ爺い! 貴様がもっと早く死んでおれば、中国はもっと良い国になっていたというのに・・・なにが中国の赤い太陽だ! なにが中国の救世主だ!
お前がこれ以上生き長らえる限り、中国も中国共産党も、かえって混乱と血なまぐさい争いを繰り広げるだけだ。 そうは言っても俺自身、これまで毛沢東に従って、数限りない権謀術策と過ちを犯してきた。 そろそろ身を退く時が来たようだ。
この毒薬を飲めば、あの世に行ける。強制収容所にぶち込まれるよりは、いさぎよく死んだ方がましだ。 俺が死んだ後も、毛沢東の老いぼれが生きている限り、血にまみれた争いが続くだけだ。やりたいだけやれ! やってやってやりまくれ! 俺はあの世から、中国の血に汚れた歴史を見ていてやろう。
もう俺の役目も終った。荒れ狂う陳伯達非難の罵声を聞きながら、俺は死ぬ。 甲高い非難の罵声も、恐るべき弾劾の叫び声も、今の俺には、まるで鎮魂歌のように聞こえるのだ。疲れ切った心と身体を癒すには、死ぬことだけが最良の薬だ。 俺もあの哀れな劉少奇のもとへ行こう。(陳伯達、毒薬をあおる。舞台暗転)
第四場(4月上旬。 蘇州にある林彪の別荘。林彪、葉群、林立果。 林彪が「五七一(ウーチーイー)工作計画」書を読んでいる)
林立果 「“ウーチーイー工作計画”はどうですか」
林彪 「うむ、なかなか良く出来ている。 しかし、情勢分析は少し甘いようだな。そうとう希望的な“観測”が、あちこちに見られる。 これは、いざという時の叩き台だな」
林立果 「もちろん私も、武装決起がそう簡単に上手くいくとは思っていません。 これが、お父さんの考えているクーデタ計画の青写真になってくれれば、他に言うことはありません」
葉群 「でも、よくまとめてくれましたね。 あなたでなければ、これほど具体的な計画は作れなかったと思いますよ。感謝しています」
林立果 「ええ、空軍司令部の于新野や周宇馳、それに李偉信らと衆知を集めて練ったものですから、それほど悪い出来とは思っていません」
林彪 「なにはともあれ、ご苦労だった。この“ウーチーイー計画”を黄永勝達にも見せて、検討することにしよう。 とにかく、空軍が主力になるというのは良い考えだ。わが国は広いから、空軍の機動力を存分に使わなければ駄目だ。
それに陸軍は、われわれに味方しない者も大勢いると見ておかなければならない。 制空権さえ握っておれば、万一、南北両政権が対決するような事態になっても、十分に勝てる公算はある。 ご苦労だった、暫くゆっくりと休養を取ってくれ」 (その時、部屋の電話が鳴り、葉群が受話器を取る)
葉群 「もしもし、まあ、総参謀長ですか。お元気ですか・・・・・・えっ、陳伯達が・・・まあ、本当ですか。暫くお待ち下さい。 あなた、大変ですよ。陳伯達が自殺を図り、未遂に終ったそうです。 総参謀長です。とにかく、電話に出て下さい」(林彪、受話器を取る)
林彪 「もしもし、ああ、私だ。うむ・・・・・・そうか。 それで、陳伯達批判集会の方はどうだったのだ・・・・・・なに、そんなことまでやったのか。 よし、分かった。私はできるだけ早く北京に戻る。 クーデタ計画の叩き台もできたので、戻ったらじっくりと今後の対応策を話し合おう・・・うむ、それでは、ご機嫌よう」(林彪、受話器を置く)
葉群 「あなた、すぐに北京に戻るのですか」
林彪 「そうだ、事態は極めて深刻になってきたぞ。ここで、のんびりとしてはおれない」
林立果 「陳伯達が自殺を図ったのですか」
林彪 「うむ。 昨夜、自宅で毒薬を飲んで自殺を図ったが、幸い家人に早く見つかり、病院に運び込まれて、なんとか一命は取り留めたそうだ。 それにしても、可哀想に・・・」
林立果 「哀れなものですね。 あれほど毛沢東に可愛がられていた男が、そこまで追い詰められるとは」
葉群 「毛沢東の非情な仕打ちに、耐え切れなくなったのだわ。文化大革命で、あれほど“主人”に尽くしたというのに・・・可哀想に。 私達もいつ死に追いやられるか、分かったものではありません。 憎い! あの権力亡者の老いぼれが憎い!」
林彪 「それよりもっと悪いことは、陳伯達批判集会で、黄永勝や呉法憲らも名指しで非難されたというのだ。 毛沢東だけでなく周恩来も、われわれの仲間を公然と非難してきたそうだ。あいつらは陳伯達批判に連動して、われわれを窮地に追い込もうとしている。
可哀想に黄永勝達は、人民解放軍の幹部が大勢いる中で、面目を丸つぶれにされたのだ。 毛沢東はいずれ、黄永勝達を左遷しようと考えている。周恩来とぐるになって、われわれを追い落とそうとしているのだ。
畜生、こうなったら、こちらだって覚悟はできたぞ! 早速、北京に帰って、黄永勝らと対応策を話し合うことにしよう」
葉群 「あなた、五七一(ウーチーイー)計画を実行に移す時が来たと思いますわ」
林彪 「それは、まだ検討してみないと分からない。 とにかく、すぐ北京に戻る準備をしてくれ。もう、一日もおろそかに出来ない状況だ。 立果、お前も一緒に来てくれ。気の毒だが、休養を取るのは止めてくれ」
林立果 「勿論、休養などは取り止めます。喜んで北京に同行しましょう」
第五幕(4月下旬。 北京・中南海にある毛沢東の執務室。毛沢東、周恩来、康生、江青、張春橋)
毛沢東 「林彪のやつ、泡(あわ)を食って北京に戻ってきたが、その後の動きはどうかね」
康生 「相変らず、自宅に黄永勝達を呼んでは対策を練っているようです」
江青 「林彪一派が、私達の住まいに爆弾を仕掛けるという情報もありますよ。気を付けなければなりませんわ」
毛沢東 「それはデマだろう。 しかし、追い詰められたネズミは何をするか分からんからな」
張春橋 「主席、用心するのに越したことはありません。林彪一派は、本気で主席や総理の命を狙っているかもしれません。 あいつらは、陳伯達が自殺未遂に追い込まれ、黄永勝達が名指しで非難されたことに強い衝撃を受けています。 危機感と焦りから、何をするか分かりません」
毛沢東 「うむ、気を付けなくてはな。こちらとしては、いっぺんに彼らを追い詰めるのではなく、時間をかけて徐々にやっていけばいいのだ。 まず、黄永勝や呉法憲らの地位を剥奪し、それから、各行政区で力を持っている林彪系の幹部を、少しずつ消していけばいいのだ。
そうやって、林彪の手足をもぎ取っていった上で、来年中に中央委員会を開き、林彪を副主席から引きずり降ろしてやる。 どうだ、こういう方針でいいだろう」
康生 「結構ですね。 とにかく、解放軍の中で、林彪系の“第四野戦軍”出身の者が力を持ち過ぎています。この際、他の系列の軍人を次々に昇格させて、解放軍の中の林彪の勢力を弱める必要があります。 そうすれば、林彪に統括されている解放軍は亀裂を生じ、彼の降格もスムーズにいくと思いますが」
周恩来 「それから、アメリカとの関係改善を急ぐ必要がある。 ソ連に対抗する上でも、また、世界の中で中国が確固たる地位を占めるためにも、アメリカとの関係正常化を急ぐべきです」
毛沢東 「うむ、今年は国連に正式に加盟できそうだし、党内での林彪勢力の外堀を埋めるためにも、アメリカとの関係改善は是非やっていこう。 総理、ニクソン大統領の中国訪問を実現させる手立ては、順調に進んでいますかな」
周恩来 「外交部を通して、極秘の内に進めています」
毛沢東 「それは結構だ。 去年の暮れ、林彪にアメリカとの関係改善を匂わせてやったら、彼は真剣な顔付きで反対していた。 ニクソン訪中が決まれば、あいつは真っ青になるぞ。なにしろ、頭の固い男だからな。 われわれの革命的な外交方針に付いてこれないだろう。面白いことになるぞ」
張春橋 「ただ、党内には、反米親ソ派もかなりいますので、その点は上手くやりませんと」
江青 「対米関係は、周総理に全てお任せ致します。 私達は、もちろん反対するものではありませんが・・・」
毛沢東 「いや、君達も大いに総理に協力してもらわないと困る。中国の将来を考えれば、アメリカとの関係改善は絶対に必要なのだ。 世界を米中ソの三国時代にするためにも、国際社会で中国が確固たる地位を得るためにも、アメリカや日本とは、早く良い関係にならなければならん。 その点は、総理の考えていることが正しい。君達は、積極的に総理に協力したまえ」
張春橋 「分かりました。 林彪を打倒する切っ掛けを作るためにも、積極的に応援していきます」
江青 「申し訳ありませんでした。 及ばずながら、私も協力させてもらいます」
康生 「私も出来る限りのことはやります」
周恩来 「ありがとう、よろしく頼みます」
毛沢東 「これで良しと、皆の足並みが揃ったな。 米中関係の問題は、党内できっと物凄い論争を巻き起こすだろう。だが、私は必ずアメリカとの関係改善を実現してみせる。 林彪一派を倒すことも、全てこの問題に関わってくるのだ。
陳伯達が失脚したあと、最大の敵は林彪しかいない。 林彪打倒という当面の目的を果たすためには、少なくともここにいるわれわれが、一致結束して掛からなければ出来ないことだ。 このことを肝に銘じてやって欲しい」
江青 「承知しました。 心を新たにして頑張ります」
張春橋 「主席と総理の指示に従って行動します」
第六場(5月上旬。 北京・中南海にある林彪の居宅。林彪、黄永勝、呉法憲、葉群、李作鵬、林立果)
林彪 「漏れ聞くところによると、毛沢東達はニクソン訪中を実現させるよう、内々に事を運んでいるようだ。 対米関係改善の話しは、すでに毛沢東から聞いているが、予想以上に事態の進展が早いようだな」
黄永勝 「困ったものだ。 ソ連との関係がどうなっても良いというのだろうか。やることが気違いじみている。無茶苦茶だな」
呉法憲 「それより、総参謀長が統括している中央軍事委員会弁事組に、毛沢東はいよいよ手を付けるようですね。 そうなれば、われわれは解放軍の中央から抹殺されてしまいます。早くこちらから手を打たないと、手遅れになってしまうでしょう」
葉群 「もう、あれこれ議論している段階ではないと思います。あなた、早く決断して下さい。 立果が作った五七一(ウーチーイー)計画は、十分に検討したではありませんか。 今度、公式の会議がもたれた時に、江青や張春橋達を一網打尽に逮捕して、毛沢東の手足をもぎ取りましょう。 もう、それしか他に手段はないでしょう」
林立果 「お父さん、お母さんの言う通りです。このままでは、目に見えてわれわれが不利になっていきます。 政治上は後手に回っていても、軍事行動では先手を取る。それしかないでしょう。 張春橋達を全員逮捕すれば、いくら毛沢東でも反撃することは出来ないでしょう。その上で、主席の退陣を要求すれば、毛沢東も受け入れざるをえない。
われわれの特殊部隊を、密かに北京に連れてきましょう。一か八かやってみることです。 もし万一失敗したら、われわれ空軍の力で上海方面へ逃げ、そこに臨時政権を創ればいいのです。そうなれば、ソ連だって北京政権を背後から牽制してくれるはずです。 やりましょう。もうやるしかないのです」
李作鵬 「しかし、極秘のうちに、特殊部隊を北京に連れてこれるかどうか、それは難しいのではないか。敵の情報網も大変なものだ。 もし事前に察知されたら、われわれの方が一網打尽にされてしまうぞ。しかも、北京軍区は、今や完全に毛沢東一派に押さえられているからな」
林立果 「だから、察知されないように、特殊部隊を少人数に分けて、徐々に北京に連れてくれば良いのです。 その場合、万一に備えて、山海関の飛行場に逃走用の軍用機を待機させましょう」
黄永勝 「しかし、それは危険だ。 山海関の飛行場だって、敵の監視下にある。飛行場で、われわれが逮捕されることだってあるぞ」
林立果 「そんなことを言っていたら、何も出来ないじゃないですか! 百パーセント大丈夫というクーデタが、どこの世界にあるというのですか! 半分でも成功の可能性があるなら、やってみることです。 こちらも危険なら、敵だって危険な状況にあるのです。これは生きるか死ぬかの大勝負ですよ」
李作鵬 「君の熱意はよく分かるが、それにしても危険が大きすぎる。敵の情報網を軽く見てはいけない。 こうやって、われわれが会合していることだって、敵はたぶん分かっているはずだ。まして、特殊部隊を北京に連れてくるなんて、間違いなく敵に知られてしまうぞ」
林立果 「それなら、他にどうしようというのですか。 なにか“名案”でもあるというのですか」
黄永勝 「名案はない。しかし、時機の問題だ。 今あわててやるよりも、時機を待てば必ずチャンスがくると思うのだが・・・例えば、毛沢東が北京を離れて地方に行ったところを狙うとか」
葉群 「毛沢東は今、物凄く警戒を厳重にしているのですよ。そんなフラフラと、地方行脚などをすることはないでしょう。 しかも、総参謀長をはじめ、われわれの同志が中央軍事委員会を追われたら、クーデタはますます難しくなります。 今のうちにやるのが最善だと思います。
立果も言ったように、軍事的に先手を打つことです。 今なら敵だって、まさかと思って油断しているはずです。極秘のうちに、特殊部隊を北京に入れましょう」
黄永勝 「いや、それはまずい。余りに危険だ。 北京周辺の解放軍が、どう動くか分からんでしょう。 もしそれをやるなら、保衛局長の汪東興や、毛沢東派の軍人を先に逮捕してからでないと、たとえ毛沢東達を一網打尽にしても、巻き返される恐れが十分にある」
林立果 「それなら、空軍を中心としたわれわれの部隊で、クーデタと同時に毛一派の軍人を撃つことにしましょう」
李作鵬 「それでも、毛一派の軍人を大半撃つことはできない。 しかも、われわれが北京にいたら、逆にわれわれの方が逮捕される危険が大きいと見なければならない。 副主席、五七一(ウーチーイー)を仕掛けるのはまだ早いと思いますが、どうでしょうか」
林彪 「うむ、葉群や立果の気持はよく分かるが、確かに危険が多すぎる。 さっきも総参謀長が言ったように、チャンスはまだまだ残っていると思う。 毛沢東だって、ずっと北京にいるわけではないだろう。もし彼が地方に出ることがあれば、その時こそ絶好のチャンスというものだ。
確かにわれわれは、今やギリギリの状況に追い込まれているが、絶望的な状態ではない。 敵にも必ず油断があるものだ。その機会をじっくりと待とう。 今、焦って手を出す方が負けるだろう。
それに、こちらだって反撃のチャンスはある。敵がアメリカとの関係改善を正式に打ち出してきたら、こちらは猛反対すればいいのだ。 たとえ党中央で、ニクソンの訪中受け入れを決めても、ソ連との関係を持ち出せば、こちらにだって“大義名分”が出来るというものだ」
林立果 「それは“政治論”じゃないですか。 要は、クーデタを成功させるかどうかということでしょう」
黄永勝 「いや、大義名分も重要だ。 アメリカとの関係に対抗して、ソ連との関係で論陣を張れば、こちらにも大義名分が出来る。その後の方が、クーデタはやりやすい。 党中央は無理やりニクソン訪中を決めたと、解放軍の中で逆宣伝してやれば、人心はおのずとわれわれの方に寄ってくるでしょう。 その方が、党内の動揺は大きくなるはずだ。
心ある者は、現代の“始皇帝”とヌエのような総理に幻滅を感じるだろう。 その時こそ、われわれが決起する絶好のチャンスというものだ」
葉群 「政治情勢がどうなろうと、軍事的にこちらから先手を打てないのは残念ですわ。 でも、私や立果の考えは、確かに焦りが高じている面もあるでしょう。 仕方ありません。もう少し、事態の進展を見ることにしましょうか・・・」
林彪 「そうしよう。 今はじっと我慢の時だ。準備さえ進めておけば良い。 そうすれば、必ずチャンスがやってくる。その時こそ、間髪を入れずにやるのだ」
林立果 「残念ですね。 今やれば成功すると思うんですが、悔いを残さなければいいが・・・」
第七場(6月下旬、北京。中国共産党政治局拡大会議が開かれている。 毛沢東、林彪、周恩来、康生、黄永勝、江青、葉群、張春橋ら多数の顔ぶれ)
毛沢東 「同志諸君、すでに論議は尽くしたと思う。 もうこの辺で、対米関係を改善するため、ニクソン大統領の訪中招請を正式に決めてほしい。 これ以上、論議を続けても、堂々巡りをするだけではないか」
林彪 「いや、私はそうは思わない。 米中関係という重要な問題を、この政治局拡大会議だけで論じて決めてしまうのは、極めて危険なことだと言わざるをえない。 中央委員会拡大会議や、もっと地方の上級幹部を含めた所で決めるべき問題ではないのか。
しかも、中国としては、アメリカとの関係改善を図れば、ソ連との関係がどうなるかという、重大な問題が残っている。 その辺の展望や指針がないのに、対米関係の改善を急ぐことは大変な冒険であり、余りにも軽々しい措置と言わざるをえない。 もっと広範囲にわたって、論議を尽くすべきではないのか」
周恩来 「ソ連との関係をいちいち気にしていたら、中国としては“独自の外交”を進めることが出来なくなる。 皆さん、よく考えてほしい。中国は今年こそ、国連に加盟できる状況になってきたのですぞ。 今や、国際社会に登場しようとしているわが国が、対ソ関係にこだわっているようだと、かえって国益に反することになる。 アメリカや日本との関係が、これまでのように冷却したままで良いと言えるだろうか」
黄永勝 「私にも一言いわせてほしい。 ベトナム戦争でアメリカと対決しているわれわれが、どうして、アメリカ帝国主義と仲良くしなければならないのだ。 そんな矛盾した話しはない。アメリカへの屈服ではないか!」
張春橋 「アメリカに屈服するのではない。アメリカとの関係を、少しでも改善しようということではないか。 そうすれば、いま総理が言われたように、国際社会に登場しようとしているわが国の立場は、より有利で確固たるものになり、ベトナム問題でも、かえって発言権が強まってくるはずだ」
葉群 「それでは、ベトナムをますますソ連寄りにしてしまう恐れがあるでしょう。 わが国はこれまで、折角ベトナムに肩入れしてきたというのに、アメリカに追従するような態度を取ることは、われわれにとって不利益になるに決まっています」
江青 「どうして、中国に不利益になるというのですか。 将来、アメリカから高度な技術や工業プロジェクトを導入することは、わが国にとって利益になるはずです。中国の国づくりにプラスになれば良いではありませんか。 ソ連こそ技術者を引き揚げさせたり、国境紛争を起こすなど、わが国に敵対する行動を取ってばかりいます」
黄永勝 「だからこそ、これ以上、ソ連との関係をこじらせてはいけないのだ。 社会主義国同士として、ベトナムで共に戦ってきたように、アメリカ帝国主義に立ち向っていくべきだ」
張春橋 「そういう姿勢こそ、ソ連をますます増長させ、中国の主体性を損なわせるものだ。 先程あなたは、われわれのことをアメリカに屈服するような言い方をしたが、あなた達こそ、ソ連に追従し屈服するような態度を取っているのではないか」
黄永勝 「何を言うか! いつ、われわれがソ連に屈服したというのだ。中国は中国だ。 ソ連と対等の立場で、アメリカと戦ってきたではないか! そういう姿勢を崩してはいけないというのだ」
周恩来 「そういう姿勢こそ、もう古いと言うしかない。 中国は独自の立場に立って、アメリカにもソ連にも対応していかなければならない。社会主義国同士などというのは、今や“現代の神話”になってしまったのだ。 中国はあくまでも、独自の革命的な外交路線を貫いていかなければならない」
毛沢東 「その通りだ。私も総理の考えに賛成だ。 世界はこれから、米中ソの三国時代に突入していく。いつまでも、古臭い社会主義インターナショナルの考えに捕われてはおれない。 大体、ソ連がわれわれのために何をしてくれたというのだ。
国民党との合作を強制してきたり、中国共産党の内部分裂を画策したり、わが国の東北地方を接収しようとまでしたではないか。今でも盛んに、中ソ国境で侵犯を繰り返している。 それらは社会主義以前の問題だ。民族対民族の問題ではないか。 だから中国は、ソ連とは全く独自の立場で外交を進めていかなければならない。
それが将来、国際社会で中国に確固たる地位を占めさせ、アメリカやソ連にも劣らない強大な国になっていく道なのだ。 もう議論を続けている段階ではない。アメリカとの関係改善は、必ずや中国を有利な立場に立たせ、ソ連に対する発言権や力を強くさせるものだ。 さあ、その方針をこの場で決めてほしい」
林彪 「いや、何度も言うようだが、それはまだ早い。もっと多くの党幹部をまじえて、この問題は徹底的に論議すべきだ。 これほどの重要な問題で結論を急ぐのは、過去に例のないことだ。この場は、ひとまず解散した方がいいのではないか」
毛沢東 「いや、解散する必要はない! それでは、私が党主席の権限と責任において、同志諸君に表決をお願いしたい。 アメリカとの関係改善を進めるため、ニクソン大統領を北京に招くことに賛成の諸君は挙手してほしい。(参会者の半数以上が挙手する) 賛成多数だ。それでは、ニクソン訪中の具体的な段取りは、国務院において早急に詰めてほしい」
林彪 (憤然として)「あんまりではないか! 論議はまだ尽くしていないというのに・・・」
黄永勝 「一方的な採決だ!」
葉群 「ひどすぎます」(林彪ら、席を立って退場)
周恩来 「党中央の決定に従って、国務院としては、ニクソン大統領訪中の段取りを進めていくことにします」(他の参会者も席を立って退場)
第八場(7月中旬。 北京・中南海にある林彪の居宅。林彪、黄永勝、葉群、呉法憲、李作鵬、林立果)
黄永勝 「周恩来め、ついにアメリカ帝国主義の“手先”に成り下がったか。 キッシンジャーとかいう醜いユダヤ系のアメリカ人を北京に呼んで、来年五月までにニクソンの訪中を実現させることで、話しを付けてしまった。 許しがたい暴挙だ」
呉法憲 「もはや、われわれとしては毛沢東一派と妥協する道は、完全に閉ざされてしまったですね。 あとは、副主席の決断を待つばかりです」
李作鵬 「政治局拡大会議で、ニクソン訪中にあれほど反対したというのに、毛沢東や周恩来は少しも聞く耳を持たなかった。 近いうちに、われわれへの粛清が断行されることは間違いありません。 この前、私はクーデタについて慎重な意見を述べましたが、その考えはここで取り消します。 こちらから、先手を打ってやるべきです」
葉群 「李作鵬同志も、ついに決意を固められたのですね。 これで、われわれ全員、クーデタ決行で足並みがそろいました」
林彪 「うむ、私も決心がついた。このまま黙っておれば、われわれが党中央から抹殺されることは、火を見るよりも明らかだ。 五七一(ウーチーイー)をやろう! B-52を撃墜しよう。こちらがやらなければ、やられるだけだ」
黄永勝 「敵も政治局拡大会議いらい、一段と警戒を強めている。北京に特殊部隊を投入することは無理な情勢となってきた。 そこで、私に良い考えがある。願ってもないことだが、毛沢東は近く、南方を中心に遊説するということだ。 もとより、われわれを失脚させるための世論作りをしようというわけだが、その機会を狙って殺すしか方法がないと思う。 どうだろうか」
呉法憲 「それはいい考えです。 私の空軍を使って、毛沢東が乗っている列車を空から爆撃するか、時限爆弾を仕掛けるかしましょう。 仮にそれが失敗しても、上海辺りに毛沢東が来たところを逮捕すればいいのです。 いくつもの作戦を、今から準備しておきましょう」
林彪 「そうだな。いずれにしろ、毛沢東が北京を離れる時が、絶好のチャンスだ。 ただ、どんな作戦でも、一度失敗したら取り返しのつかない事態となる。 だから、あの男が南方を遊説する間は、焦らずに唯一のチャンスをじっくりと待つことだ」
呉法憲 「分かりました。 その点は、御子息とも十分に打ち合わせた上で、最善の手段を取ることにしましょう。 立果同志、よろしいかな」
林立果 「勿論ですとも。 B-52が南方に来れば、それこそ、飛んで火に入る夏の虫です。それとも、袋のネズミですかね。 いずれにしろ、そうなれば、もうこちらのものです」
林彪 「ただ、十分に気を付けてくれ。 あいつは昔から、ゲリラ戦を闘い抜いてきた神出鬼没の男だ。しかも、幾たびか死線をくぐり抜けてきた強運の男だからな。 ああ、ついに毛沢東を討つ時が来たのか・・・
思い起こせば、あの“長征”いらい、私の師であり、中国解放の星と崇めてきた男を討つのだ。 これも歴史の皮肉と言おうか、運命の悪戯(いたずら)と言うべきか・・・しかし、やらねばならん。やらなければ、こちらがやられるだけだ。 諸君、世界をあっと言わせる日が近づいたぞ」(一同、事の重大さに黙して語らず)
第九場(8月上旬。 北京・中南海にある毛沢東の居宅。 毛沢東、江青、張春橋)
江青 「どうしても行くというのですか」
毛沢東 「ああ、行かねばならない」
江青 「本当に危険ですよ。林彪一味は何をするか、分かったものではありません。 あなたにもし万一のことがあったら、私はどうなるのでしょうか」
毛沢東 「ハッハッハッハッハ、お前も年を取ったな。取越し苦労をするな。 わしはこれまで、どんな危険もどんな苦労も乗り越えてきたのだ。 天はいつも最後には、わしに味方してくれた。今度だって、必ずわしが勝つことになっているのだ。 しかも、わしは党主席だぞ。わしが敗れるようなことがあるもんか」
江青 「それは分かっています。あなたが敗れるようなことはありません。 でも、私が心配しているのは、林彪一味が何かとんでもないことを、例えばあなたの暗殺などを、考えているような気がしてなりません」
毛沢東 「そんなことはあるもんか。 林彪は、根は正直で純情な男だ。劉少奇や陳伯達のように陰険ではない。 わしは、病いを治して人を救うつもりで、あの男を矯正してやるのだ」
江青 「いつまでも、あの男があなたに忠実だと思っていたら、大間違いですわ。 康生同志の報告でも、林彪一味は何かを企んでいるようだと言っています。 お願いです、南方への遊説は取り止めて下さい」
毛沢東 「くどいな、お前は。わしは行くと言ったら行くのだ。 すでに、上海をはじめ地方の革命委員会には通告してある。今さら、止めるわけにはいかない。 なあ、張春橋、そうだろう」
張春橋 「はあ・・・」
江青 「張同志も心配そうですよ」
毛沢東 「いや、わしだって馬鹿ではない。十分に気を付けるさ。(その時、電話が鳴る。毛沢東が受話器を取る) ああ、もしもし、総理か・・・・・・なにっ・・・分かった。それじゃ、すぐに列車で行くことにしよう・・・・・・大丈夫、心配はご無用、行かないわけにはいかないからね。 何かあったら、また連絡を頼みますよ。それでは」(毛沢東、受話器を置く)
江青 「総理から、どういうお話しですか」
毛沢東 「なに、わしが乗る飛行機に、時限爆弾が仕掛けられているかもしれないというのだ。 だから、汽車で行くことにするよ」
江青 「それごらんなさい! あなたは狙われているのです、汽車も駄目です。南方行きはすぐに止めて下さい!」
毛沢東 「うるさい! ここで、わしが南方行きを止めたら、どうなるというんだ。 林彪一派はますます図に乗って、広州や上海に手を回すぞ。それに、もし連中が時限爆弾を仕掛けたのなら、これを機にあいつらを叩きつぶす絶好のチャンスだ。
今度こそ、わしの最後の闘争となる。 ここで臆病風に吹かれていたら、あいつらの“思う壷”にはまるだけだ。わしは行く。 張春橋、君は一足先に上海へ行って工作を始めてくれ」
張春橋 「私が行くのはいいのですが、主席がいま行かれるのは、果たして・・・」
毛沢東 「ええい、つべこべ言うな! 総理にも言ってある。早く汽車の準備をさせろ!」
張春橋 「承知しました。 それでは汽車の準備をさせ、私が一足先に行くことにしなす」(張春橋、退場)
江青 「あなたには、いくら言っても無駄ですね」
毛沢東 「いいか、さっきも言ったように、これはわしにとって最後の闘争になる。 わしの人生と党生活において、おそらく最大の運命の岐路となるものだ。 長い間、わしと行動を共にした林彪を倒すか、それとも、わしが倒れるかの瀬戸際の戦いが始まったのだ。
天はきっとわしに味方してくれるだろう。 万一、林彪一派の暗殺計画があろうとも、ここで怖じ気づいたら、悔いを後世に残すことになる。 もう、わしも、どうせ長くは生きられない身だ。わしに、最後の闘争を十分にやらせてくれ」
江青 「仕方ありませんわ。 あなたの強運を祈っています」
第十場(9月上旬。北京・中南海にある林彪の居宅。 林彪、黄永勝、葉群、林豆豆)
林彪 「今度こそ、上手くいくはずだ。 豆豆、お前にも、驚かないように前もって言っておくが、毛主席は間もなく死亡する」
林豆豆 「えっ、お父さん、それは本当ですか」
林彪 「本当だ。 呉法憲同志や立果が、全ての手筈をとって、間もなく毛主席の乗った汽車を爆撃することになっている」
林豆豆 「まあ、なんということを!」
葉群 「驚くのも無理はないでしょう。 でも、豆豆、いま毛沢東を葬らなければ、もうすぐ私達の方が破滅してしまうのですよ」
林彪 「お前も、毛主席が南方でいま、何をしているかよく知っているだろう。 私のことを“反党分子”だと決めつける演説を行なっているのだ。 彼は間もなく、上海で党の中央会議を召集して、私やお母さん、それに私の仲間を罷免し、抹殺しようとしているのだ」
林豆豆 「お父さんと毛主席の間が、上手くいっていないことは知っていましたが、そんなにも事態は深刻になっているのですか」
林彪 「そうだ。事態は、毛沢東が倒れるか、私が倒されるかのどちらかなのだ。 毛沢東死亡のニュースが入る前に、お前にはそのことだけを言っておきたかった」
葉群 「だから、あなたをここに呼んで話しているのです。 毛沢東が死んでも驚いてはいけません。 そうなっても、こちらとしては、打つ手は全て打ってあるのです。分かりましたか」
林豆豆 「でも、あんまり重大なことなので、私には何がなんだかよく分かりません」
黄永勝 「お嬢さん。要するに、どんなショッキングなことが起きても、あなたはお父さんやお母さんと一緒に、冷静に行動してくれれば良いのです。 それを前もって、あなたに言っておきたかったのだ」
林豆豆 「そうですか。 もちろん私は、父や母と一緒に生きていくしかありませんが・・・」
林彪 「うむ、そう覚悟しておればいいのだ」(その時、電話が鳴る。葉群が受話器を取る)
葉群 「もしもし、はい、私です・・・ああ、あなたですか・・・はい、いま代わります。 あなた、呉法憲同志です」(葉群が、受話器を林彪に渡す)
林彪 「ああ、私だ、上手くいったか・・・・・・なに! そんな馬鹿な・・・よし、それじゃ、こちらで総参謀長と相談して次の手を考える。 君も至急、こちらに来てくれないか・・・うむ、それじゃ後で。(林彪、受話器を置く) 毛沢東の乗った汽車の爆撃は未遂に終った」
黄永勝 「どうしたのですか!」
葉群 「そんなことが・・・」
林彪 「上海空軍の師団長がB-52暗殺の重責に耐えかねて、自分の妻に目を針で突かせ、飛行寸前に取り止めたというのだ。馬鹿な奴だ!」
葉群 「なんと臆病な男なんでしょう。 自分の目を傷つけるくらいなら、思い切ってやればいいのに」
黄永勝 「困ったぞ。他にいい手段があるだろうか」
林彪 「仕方がない。最後の手を打つしかなくなった。 われわれの暗殺計画はまだ漏れていない。だから、B-52はこのまま上海に入るはずだ。 そこで、あいつを解放軍の手で拉致し、すぐに始末するしかない。 それ以外に、残された方法はないだろう」
黄永勝 「うむ、それしかないでしょう。 空からの爆撃が未遂に終ったのなら、あとは陸軍の手で“からめ取る”しかない。よし、すぐ手を打ちましょう」
林彪 「事は急を要する、直ちにそうしてくれ。上海空軍の師団長は、すぐに片づける。 それにしても、われわれの暗殺計画が“ばれる”のは、もはや時間の問題となってきた。毛沢東が上海にいる機会を逃せば、万事休すだ」
黄永勝 「すぐに、上海方面の解放軍の同志に指令を出します。 副主席は、呉法憲や御子息に新たな命令を出して下さい」
林彪 「うむ、そうしよう。 豆豆、毛沢東はあと数日生き長らえることになった。お前は、お父さんやお母さんのためにも、このことは決して口外してはならんぞ」
葉群 「いいですね、今が一番大事な時ですよ。 あなたは勿論、私達と一緒にやっていくのです。 『空軍報』の記者の仕事は、暫く休んでいなさい。分かりましたか」
林豆豆 「はい、分かりました。記者の仕事は、体調が悪いという理由で暫く休みます。 このことは、決して他の人にはしゃべったりしません」
第十一場(9月11日。北京市郊外にある某アパートの一室。 疲れ切った林豆豆が、苦しげな表情でモノローグを続ける)
林豆豆 「ああ、なんということでしょう。 私の愛する父や母、それに兄が、私の尊敬してやまない毛主席を殺そうとしている。そんなことは夢にも考えられないことだった。 でも、現実は、明日にも毛主席が捕えられ、殺されようとしている。
私は、このことは誰にも口外しないと、父や母に約束した。 でも、恐ろしくて眠れない夜が続いている。私はどうすればいいのだろう。 こんなに心が苛まれたことは今までにない。こんなに苦しい思いを味わうくらいなら、いっそ死んでしまう方がましだ。
ああ、私の運命はどうなるのだろう。 これまで二十年以上も、父や母から慈しみを受けながら、なんの悩みもなく育ってきた私が、いま地獄の苦しみに責め苛まれるなんて・・・私はどうすればいいのだ。
このまま黙っていれば、毛主席は間違いなく殺される。 反逆・・・そうだ、父や母は反逆を犯そうとしている。 反逆という大きな罪を、父や母は犯そうとしている。でも、父や母は、いま毛主席を討たなかったら、逆に滅亡してしまうだろう。
私を長い間育ててくれた父や母、それに兄も、この世から消えてしまうのだ。 そうなれば、私は独りぽっち・・・でも、私がこのことを誰にも言わなければ、この世で最も恐ろしい罪が犯されてしまう。 中国共産党史上、前例のない党主席の暗殺という大罪が・・・
ああ、私はどうすればいいのだ。 このままでは毛主席は殺され、周総理も葬り去られるだろう。そうなれば、中国は・・・中国は一体どうなるのだろう。 もし、父や母の暗殺計画が失敗したら・・・私に罪はなくとも、大罪人の娘ということで、私の運命も終わりだ。
私も中国共産党員の一人・・・これほどの大逆事件を黙って見ていていいのだろうか。 たとえ、それが父や母の手によるものであろうと、罪は罪、悪事は悪事ではないか・・・ああ、天よ、私に強い心を持たせて下さい! どうか、正義の心を奮い立たせて下さい!
大義、親を滅すと言います。 劉少奇の娘が父を裏切ったように、林彪の娘も父を裏切るのでしょうか・・・ああ、天よ、私に“非孔の誉れ”を示させて下さい。 今日、私はこのことを周総理に話します。そのことを決意します。
私は、父を母を兄を裏切ります。 これほどまでの苦しみ、これほどまでの苛酷な運命を私に押しつけた天よ、どちらを選ぼうとも、私は罪を犯すことになるのです。どうか、私の罪を許して下さい。 いえ、どうか、私を親不孝の罪人として、末長く罰して下さい!」(林豆豆、号泣しながら倒れ伏す)
第十二場(同じく9月11日の午後。北京・中南海にある周恩来の執務室。 周恩来と李先念)
李先念 「素晴らしい天気ですね、北京秋天の季節になってきましたな。 毛主席も、上海方面で演説を順調にこなしていると聞いています」
周恩来 「そうだね。 主席にもしもの事があったらと心配していたが、無事に進めているようだ」
李先念 「至る所で林彪を陰に陽に批判して、地固めをしているようです。 主席はあさって、南京経由で北京に戻ってくるでしょう」
周恩来 「そうなれば、北京であろうと上海であろうと、近いうちに中央委員会総会を開いて、今度こそ林彪一派を払拭することができる」
李先念 「随分、やりやすくなりますな。 頭の固いソ連寄りの軍人どもを切り捨てれば、われわれの仕事もずっと良く“はかどる”というものです」
周恩来 「まったく文化大革命のせいで、林彪一派の軍人がのし上がってきたために、中国の近代化も、国際的な躍進も予想以上に遅れてしまった。 この遅れを取り戻さなくてはいかん」
李先念 「そうです、そうです。 林彪自身にも、早く引導を渡さなければ・・・ところで、今日はこれから、日本の自民党訪中団ともお会いする予定ですね」
周恩来 「うむ、川崎秀二さん達と会う予定だよ。 日本とも、これからいよいよ交流を深めて、早く国交正常化を実現しなくてはならん。 ニクソン訪中を世界に発表したから、日本国内の動きもだいぶ変わってくるだろう。 佐藤内閣も、苦しい立場に追い込まれたと言えるな」
李先念 「日中関係の展望も明るくなってきましたね。これも、総理の政治力のお陰です」
周恩来 「いやいや・・・(その時、机の上の電話が鳴る。周恩来が受話器を取る) もしもし、ああ、そうだ。 えっ、林彪の娘が・・・すぐ、つないでくれ。・・・もしもし、ああ、私だ。・・・・・・なにっ! それは本当か・・・・・・よし、どうも有難う。
君には絶対に迷惑がかからないよう、私が保証する。安心したまえ、よく知らせてくれた。 君は中国の危機を救ったのだ、なにも恥じるところはない。 また何かあったら、すぐに知らせてほしい。それでは。(周恩来、受話器を置く) 一大事だ! 林彪の部隊が上海で毛主席を逮捕し、殺害しようとしている。いま、林彪の娘が知らせてくれた」
李先念 「なんということを・・・」(周恩来が卓上のブザーを押すと、女性秘書がすぐに入ってくる)
周恩来 「日本の川崎さん達とは、急用で会えなくなった。会見は明日以降に延期してほしいと伝えてくれ」
女秘書 「承知しました。そのようにお伝えします」(秘書が執務室を出ていく)
李先念 「総理!」
周恩来 「私はすぐに上海に電話をする。早く主席とつながればいいが・・・君はすぐ、汪東興をここに呼んでくれたまえ。 林彪一派を逮捕するのだ! 一刻も猶予はできない、絶対に内密にすぐやってほしい」
李先念 「承知しました」(李先念、急いで退場)
第十三場(同じく9月11日の夕刻。上海市革命委員会の一室。 毛沢東と王洪文)
毛沢東 「やれやれ、君には随分世話になったな。 万事、手際良くやってくれたので、わしの遊説も実に順調にこなせた。明日はここで、最後の大演説をぶってやるぞ。 君は、張春橋や姚文元らとは仲良くやっているのかね」
王洪文 「はい、張春橋同志らとは、いつも心を一にして仕事をしてきました」
毛沢東 「そうか、上海の連中は若くて頭のいいのが揃っているな。頼もしいぞ。 いずれ、君達が中国を支えていくことになる、頑張れよ」
王洪文 「はい、有難うございます。 主席から、そのような御言葉を頂いて光栄です」
毛沢東 「なに、わしも先はそう長くない。君達のような若い人に、これから頑張ってもらわないとな。 ところで、明日の演説会には相当集まるだろうな」
王洪文 「はい、何万という聴衆が集まる予定です。 ただ、主席、気になりますのは、解放軍の警備がだいぶ物々しいことです。 革命委員会の方からは、それほどの警備陣を頼んでもいないのに、今日、何千という解放軍兵士が、上海駅から演説会場にかけて配備されました。 その数は、さらに増えそうな気配です」
毛沢東 「ふうむ、えらく仰々しいな」
王洪文 「ですから、この“過剰警備”は解放軍の一存でやっていることで、林彪副主席の指示があったのではないかと思われます」
毛沢東 「副主席の指示でか・・・」
王洪文 「はい。 ですから、私としては考えたくありませんが、林彪閣下からの指令があれば、あの解放軍の部隊は、革命委員会の意向とは関係なく動くことになります」
毛沢東 「・・・・・・」
王洪文 「率直に申し上げますが、私は心配です。 主席は、この度の南方遊説で、陰に陽に副主席を批判する演説をされてきました。 そして明日も、ここで同じような演説をされるわけですが、主席の周辺にはごくわずかの警護員と、革命委員会の警備員しかおりません。 ですから、もし万一、副主席が“その気”になりまして・・・」
毛沢東 「そんな馬鹿な。わしは副主席を、あからさまに攻撃するような演説はしていないぞ。 しかし、確かにわしは“丸腰”だな・・・だからといって、明日の演説を中止するわけにはいかないだろう」
王洪文 「はい、それは予定しておりますので。 しかし、明日の演説会は革命委員会が主催するものですから、いつでも取り止めることはできます。 そこで、主席、場合によっては・・・(その時、卓上の電話が鳴る) 失礼します。(王洪文が受話器を取る) もしもし、えっ、周総理から。ええ、毛主席に代わります。 主席、北京から周総理の緊急電話です」(毛沢東、受話器を取る)
毛沢東 「ああ、私だ。うむ、元気だよ・・・・・・本当か!!・・・分かった、すぐ脱出の手配をとる。 明日中に、なんとしても北京に帰る・・・大丈夫、なんとかなる。いや、なんとかする。 有難う・・・運を天に任せる。うむ、必ず会おう。それでは。(毛沢東、受話器を置く) 君が心配していたことが現実となった。 おのれ、林彪め!」
王洪文 「それではやはり、副主席は主席を逮捕しようとしているのですか」
毛沢東 「そうだ、わしは油断し過ぎていた。 あいつは追い詰められて、最後の手を打ってきたのだ。 数日前、わしが乗っていた汽車を上空から爆撃しようともしていたのだ。 おのれ、畜生! あの半病人め、気違い! 明日、わしを逮捕して殺すつもりだ! 事故死と見せかけてな」
王洪文 「・・・・・・」
毛沢東 「なんとかならんか。これでは、袋のネズミだ。 まず、明日の演説会を中止すると、革命委員会から通達を出したらどうだ」
王洪文 「主席、それではかえって、敵に感付かれたと察知される恐れがあります。 演説は予定通りやると見せかけておいて、明日の早朝、ハイヤーで清南駅へ行きましょう。 清南駅に行けば、特急が停まりますので、それに乗って北京へ戻るしか他に方法はないと思います」
毛沢東 「うむ、そうやって敵を出し抜くしかないな。 昼頃までここで、うろうろしていたら捕まるだけだ」
王洪文 「私にお任せ下さい。今夜のうちに車を一台用意します。 深夜に車を飛ばしますと、かえって解放軍に怪しまれます。 主席は明日早朝、革命委員会の幹部が車に乗っていくように変装して下さい。それしかありません! あとは運を天に任せるだけです」
毛沢東 「分かった。周りが解放軍の兵士だらけでは、そうするしかないだろう。 わしは必ず北京に帰る。 帰ったら、林彪め、息の根を止めてやるぞ! わしの暗殺を企むとは、最大最悪の反党行為だ。 目に物見せてやる!」
王洪文 「それでは、私はこれから万全の措置を講じますので、どうか、お心安らかにお願い致します」
毛沢東 「有難う、よろしく頼むぞ」(王洪文、一礼して退場)
第十四場(9月12日朝。清南駅。 毛沢東、王洪文が車から降りてくる。他に運転機関士)
毛沢東 「上手く脱出できたな。 天はわしに味方してくれたぞ」
王洪文 「ここまで来れば、もう大丈夫です。 主席の幸運をお喜び申し上げます。あとの処置は、張春橋同志と私にお任せ下さい」
毛沢東 「いやあ、命拾いしたぞ。 君には本当にいろいろ世話になった、有難う。あとで恩返しをしたい」
王洪文 「党員として、主席をお守りするのは当然の義務です」
毛沢東 (直立不動の機関士に向って)「おい、機関士、全速力で北京に向ってくれ! 途中の駅に停まるな! 途中下車の乗客はここで降ろしておけ。 緊急事態だ、全速力で頼むぞ」
機関士 「はい、かしこまりました!」
毛沢東 「王洪文同志、それでは今度、北京で会おう!」
王洪文 「再会できることを楽しみにしています」
毛沢東 「よし、それじゃ、元気でな」(王洪文、深々と頭を下げる。 毛沢東、機関士を従えて奥に退場)
第十五場(9月12日午後。 山海関の南、北載河にある林彪の別荘。 林彪、葉群、林立果)
林彪 「遅い。 もうそろそろ、B-52逮捕の知らせが入ってもいいのだが・・・」
葉群 「きっと、上手くいっているはずです。 昨日の連絡では、毛沢東は上海に着いて、革命委員会の一室に入ったという報告があったのですから」
林立果 「それにしても遅いですね。 もうとっくに、B-52の演説は終っているはずなのだが」
林彪 「逮捕した後に、なにかトラブルでも起きたのだろうか。 相手が毛沢東となると、事故死に見せかけて殺すのも大変だからな」
林立果 「解放軍の上海部隊司令に、電話を入れてみましょうか」
林彪 「うむ、そうしてくれ」(林立果、受話器を取り上げてダイヤルを回す。暫くの間)
林立果 「もしもし、上海部隊の司令につないでくれ・・・もしもし、林立果です。 B-52はどうなったですか・・・えっ、いない!? どこに行ったんですか・・・・・・そんな馬鹿な! どうして中止になったのですか・・・分かりました、失礼します!」(林立果、受話器を乱暴に置く)
林彪 「毛沢東はいないのか」
林立果 「行方不明です! しかも、演説は中止になったということです」
林彪 「見破られたか!」
葉群 「誰かが密告したのだわ!」
林彪 「こうしてはおれん、すぐにトライデント・ジェット機を山海関にまわすよう手配しろ!(林立果、受話器を取り上げる) 待て、その前に豆豆に電話を入れろ。あの子は、こちらの連絡を待っているはずだ」(林立果、ダイヤルを回す)
林立果 「もしもし・・・もしもし・・・通じない、おかしいな。もしもし・・・豆豆はいませんよ」
葉群 「豆豆がいない!? あの子が、今になって雲隠れするなんて」
林彪 「そうか・・・豆豆が裏切ったのかもしれん。 あれ程、こちらの連絡を待っているようにと言っておいたのに」
葉群 「まさか、あの子が。 私の“おなか”を痛めたあの子が裏切るなんて、そんな馬鹿な・・・あの可愛い子が私達を裏切るなんて、そんな・・・」(葉群、泣き崩れる)
林立果 「豆豆め、馬鹿な奴だ! あれほど可愛がってやったというのに」
林彪 「無念だ、わが子にまで見放されるとは。 仕方がない、すぐにトライデントを山海関に呼んでくれ」(林立果、再びダイヤルを回して話し始める)
葉群 「私達はソ連に亡命するのですね」
林彪 「やむを得ない。 私は反米主義者だ、ソ連が受け入れてくれるだろう」
葉群 「二度と中国には戻れないでしょうね」
林彪 「そうなるだろう・・・モスクワの大地が、私達の住処(すみか)となるのだ」
葉群 「でも、毛沢東の手によって処刑されるよりはマシですわ」
林彪 「うむ、それはそうだ。 それにしても、あの男を葬るのに失敗するとは、悔いを千載に残すことになったな」
葉群 「総参謀長達はどうしましょうか」
林彪 「もう司直の手が伸びているだろう。 可哀想だがやむを得ん、放っておくしかない」
林立果 (受話器を置いて)「山海関の飛行場にトライデントをまわすことができました」
林彪 「よし、それじゃ、すぐに行こう。一時も無駄にはできんぞ」(林彪ら三人、急いで退場)
第十六場(同じく9月12日夜。北京・中南海にある毛沢東の執務室。 周恩来、汪東興、江青がいる所に、毛沢東が入ってくる)
江青 「あなた、よく御無事で!」
周恩来 「おお、主席、心配していました」
毛沢東 「九死に一生を得たぞ。 林彪を逮捕したか」
汪東興 「黄永勝や呉法憲達はすでに逮捕しましたが、林彪夫妻は北京を出て、北載河にいます。 従って今、公安部隊が北載河に急行しています」
毛沢東 「あの男を必ず逮捕しろ、いいか」
汪東興 「大丈夫です、必ず逮捕します」
毛沢東 「極悪非道の裏切り者め、わしを殺して共産党と中国を乗っ取ろうとしても、そうはいかんぞ!」
周恩来 「もう、われわれの勝ちです。 それにしても、危なかったですね」
毛沢東 「うむ、上海で張春橋と王洪文に助けられた。彼らがいなければ、わしは今頃、殺されているところだった」
江青 「林彪一派を徹底的に断罪してやりましょう。 これで、党内もすっきりしますわ」(その時、電話のベルが鳴る。汪東興が受話器を取る)
汪東興 「もしもし、うむ、私だ・・・なんだと、いない!・・・・・・山海関へ行ったらしい? よし、すぐ追跡しろ! (汪東興、受話器を置く) 林彪夫妻は北載河を離れて、山海関の飛行場に向ったようです。 どうも、トライデントで国外へ脱出するようです」
毛沢東 「くそっ、ソ連へ逃げるつもりだな。 山海関で取り逃がしたら大変だ。すぐ、北京の空軍部隊に指令を出して、ジェット戦闘機で追跡させろ!」
汪東興 「承知しました! 一個分隊で追跡させます」(汪東興、受話器を取ってダイヤルを回し始める)
毛沢東 「あいつがソ連へ逃げ込んだら、うるさくなる。撃墜だ! 戦闘機で撃墜しろ!!」
汪東興 「はい」
毛沢東 「畜生、どこまであいつは、わしを手こずらせるんだ!」
第十七場(9月13日早朝。 山海関の飛行場。林彪、葉群、林立果、男性秘書、ボディガード)
林彪 「ようやく、山海関に着いたな。 いよいよ中国ともお別れだ」
葉群 「ソ連に行けば、又なんとかなるでしょう。 向うには、毛沢東を憎んでいる同朋も大勢いることだし、ソ連共産党が私達を手厚く保護し、“反毛宣伝”に大いに利用してくれると思います」
林彪 「うむ、北京のソ連大使館には内密にすでに連絡してある。 ソ連が、われわれを歓迎してくれることは間違いない。又、新しく第一歩から出直すしかないな」
葉群 「社会主義陣営を裏切った毛沢東と、それに追随する周恩来とは、所詮、私達は一緒にやっていくことは無理だったのです。 これで気持をすっきりとさせ、やり直すということですね」
林彪 「ただ残念なのは、豆豆がわれわれを裏切ったのと、黄永勝達を見殺しにしてしまったことだ。 これは一生、忘れたくても忘れられん」
葉群 「豆豆のことは、もう諦めましょう。あの子は親を見放したのですから、毛沢東にはきっと手厚く保護されるでしょう。 それも、あの子が選んだ道、あの子の運命なのです」
林彪 「豆豆・・・私が最も愛していた娘(こ)だ。 その娘に裏切られるとは・・・いいだろう、それも私の身から出た錆だ。 全て運命の悪戯と思えばいい」
林立果 「さあ早く。トライデントが飛び立つ準備ができましたよ。 敵の追跡も間近に迫っているはずです。急ぎましょう」
林彪 「うむ。 さらば中国よ、中国大陸よ。もう二度と、私はこの地に降り立つことはないだろう。 さあ、行こうか」(林彪、葉群ら一行を促して退場)《続く》
第十八場(同じく9月13日。北京・中南海にある毛沢東の執務室。 毛沢東、周恩来、康生、江青)
毛沢東 「汪東興からの連絡はまだか」
康生 「まだ入りません」
毛沢東 「上手くやってくれると良いが・・・」
江青 「きっと上手くいくでしょう。 トライデントよりはジェット戦闘機の方が、性能もスピードも上ですもの」
毛沢東 「あいつがソ連に亡命すると、事が面倒になる。ソ連は林彪を最大限に利用するからな。 副主席に裏切られるほど、毛沢東の指導力は落ちたなどと宣伝するに決まっている。 なんとしても、林彪を撃ち落とさなくてはならん」
康生 「運を天に任せるしかありませんな」
周恩来 「しかし、万が一にも、林彪がソ連に脱出できたとしても、恐れるには当たらない。 中国とわが党は、主席の下で完全に団結を取り戻すんだから」
江青 「そうです、総理のおっしゃる通りです。 林彪一派を除いた、新しい体制が出来上がるではありませんか」(その時、卓上の電話が鳴る。 康生が急いで受話器を取る)
康生 「うむ、汪東興同志か。私だ、康生だ・・・・・・よしっ、よくやってくれた! 間違いないな。 有難う、詳しいことは又、あとで報告してほしい。ご苦労さま。(康生、受話器を置く) やりましたぞ! 林彪が乗ったトライデント機を、外モンゴルのウントルハン付近で撃墜したそうです!」
江青 「まあ、上手くいきましたわね!」
周恩来 「これで何も言うことはない」
康生 「主席、総理。おめでとうございます」
毛沢東 「良かった、われわれは勝ったぞ!」
周恩来 「党の高級幹部だけには、すぐに連絡しましょう」
毛沢東 「うむ、そうしてほしい」
江青 「なんと危うい勝利だったこと・・・これで枕を高くして眠れますわ」
毛沢東 「林彪はついに死んだ。 これから二度と、このようなことがあってはならない。党の統一と団結を取り戻すのだ」
康生 「林彪の罪状を徹底的に洗いざらいにしてから、この事件を公表することにしましょう」
毛沢東 「うむ。林彪一派を全て粛清し、党の体制を立て直してから公表するのが一番だ」
周恩来 「当面は、来月の国慶節パレードは中止ということにしよう。 衆人環視の中で、林彪が天安門の上に現われないと、今度の“政変”がいっぺんに表ざたになってしまう恐れがある」
康生 「その通りです。 私から、公安当局を始め関係部局に対し、国慶節パレード中止の通達を出すことにします」
江青 「文化大革命に最も因縁深かった劉少奇も、陳伯達も、そして林彪も姿を消して、これで文革は終わりを告げることになりますね」
毛沢東 「うむ、そう言えるかもしれない。 しかし、わしは文化大革命はまだ終ったとは思えないのだ。 新しく偉大な、社会主義中国を建設しようという壮大な試みは、まだ始まったばかりだと思う。
文化大革命、これは不断の永続的な革命を言うのではないか。 絶えず生まれ変わり、絶えず蘇る革命、それが本当の文化大革命というものではないだろうか・・・(一同、黙したまま静聴)
わしは五十年以上も革命を実践してきたが、まだ革命を完全に遂行したとは思っていない。 わしは生きている限り、中国革命に続く文化大革命を、実践していかねばならないと思っている。 文化大革命は、本当に勝利したのだろうか。
勝利したとも言えるし、これからだとも言える。 いま、長年の盟友であり、戦友でもあった林彪が亡くなったことで、わしの気持を諸君になんと説明したらよいのか分からない。(舞台全体が暗くなり、毛沢東だけがスポットライトを浴びる)
わしは勝ったのだろうか・・・林彪の野望を挫くことによって、わしは何を得たのだろうか。 権力を保持しただけなのだろうか。もし、そうなら、それは余りに空しい。 文化大革命、いまだ成らず・・・わしはさらに闘い、さらに革命を続けなければならないのだ」《完》 (2003年12月10日)
《参考文献・・・「文化大革命」(竹内実編・ドキュメント現代史16・平凡社) 「毛沢東」(大森実著・人物現代史9・講談社) 「江青外伝」(ラウ・ルウン著 杉田茂訳・新国民社) 「中国の政治と林彪事件」(武内香里、森沢幸著・日中出版) 「毛沢東、文化大革命を語る」(竹内実編訳・現代評論社) 「夢と爆弾」(高木健夫著・番町書房) 「中国文化大革命」(ウイリアム・ヒントン著 藤村俊郎訳・平凡社) 「毛沢東を批判した紅衛兵」(エクトゥール・マンダレ他編 山下祐一訳・日中出版) 「文化大革命の内側で」(ジャック・チェン著 小島晋治、杉山市平訳・筑摩書房) 「登小平伝」(和田武司、田中信一著・徳間書店) 「毛沢東の悲劇」(柴田穂著・サンケイ新聞) 「毛沢東の私生活」(李志綏著 新庄哲夫訳・文春文庫) 「日本語大辞典」(講談社) 「広辞苑」(岩波書店)》
後書き・・・今から23年前に上梓した戯曲を、手直ししてようやくホームページに掲載することができた。 歴史劇としてはスケールの大きさ、躍動感において、他の戯曲に劣らないものと自負している。「文化大革命」を始めとする中国現代史の“真実”が、いずれ明らかになることを切望して止まない。
23年前、この戯曲を自費出版した時、漫画研究家の石子順氏から、熱い激励の言葉を頂いたことを思い出す。 石子氏は、私の自宅にわざわざ電話を入れて下さり、過大評価とも言える絶讃の言葉を述べられた。あの時の感動が今でも忘れられない。
この戯曲を賞讃して頂いたのは、日本広し(?)といえども石子さんただお一人であり、この場を借りて深く感謝の念を表わしたい。 23年前の彼の熱い激励の言葉が、私にずっと“勇気”を与え続けてくれたのだから。