自衛隊の“イラク派遣”に反対する

1) 11月29日、イラクのティクリート近郊で、日本の外交官2人が何者かに銃撃されて死亡するという痛ましい事件が起きた。 3月のイラク戦争開始以降、日本人に初めて“犠牲者”が出たことになり、国民は大きな衝撃を受けたのである。 2人の外交官は、戦後のイラクの復興や人道支援等に、使命感を持って仕事に当たっていた極めて優秀な人材であったという。まことに哀切の念に耐えない。

 出てはならない犠牲者が出たことで、イラク問題は否応なく我々に「思考」を突き付けたと思う。イラク問題をどう考えればよいのか。 自衛隊の派遣が大きな課題になっているいま、この問題を避けて通れなくなった感がする。

2) そもそも、イラク戦争はどうして起きたのか。また、この戦争は“正義”の戦争だったのだろうか。 ある人は正義の戦争だと言い、他のある人は正義ではないと言う。アメリカ、イギリスが起こしたこの戦争を、フランスやドイツ、ロシア等は非難し、日本等はこれを支持した。

 世界的に賛否両論が渦巻く中で、米英軍は短期間にフセイン政権を打倒し、イラクを事実上占領した。 人類の歴史は、有り体に言えば「弱肉強食」「優勝劣敗」「勝てば官軍、負ければ賊軍」なのかもしれない。 しかし、近代以降は特に、戦争には“大義名分”が必要となっている。果たして、イラク戦争には大義名分があったのだろうか。

 思い起こしてみよう。 米英両国は、イラクに大量破壊兵器(生物・化学兵器)があると断定し、その除去を目的として戦争を起こした。それが両国の大義名分である。 ところが、占領までして徹底的に探索しているのに、半年以上たっても未だに大量破壊兵器の存在が認められていない。

 これはどういうことなのか。米英両国の大義名分は崩れてしまったのか。 もし、このまま大量破壊兵器の存在が確認できなければ、この戦争も占領も、米英の立場から見たとしても不正であり違法ということになる。それが“道理”というものだ。 従って、両国は今でも、目を皿のようにして、必死になって大量破壊兵器の痕跡を探しているだろう。いや、探さなければならない。 幸いにして、その痕跡が見つかれば良いが、見つからなければ両国は非難されて当然である。

3) 米英軍のイラク侵攻は、武力行使を認める国連安保理の“新たな決議”がないまま行なわれた。 これについては、正当か不当かいろいろ議論があるところで、アメリカ、イギリスと、フランス、ドイツ、ロシア等では見解の相違があり、その是非を問うても水掛け論になるばかりなので止めよう。

 但し、はっきり言えることは、米英両国は最後の最後まで、安保理の“新たな決議”に固執していたことは事実で、それが叶えられないと分かると(両国は少数派だったから)、過去の安保理決議を持ち出して、武力行使は正しいと国連で力説したのである。

 理屈はいくらでも付けることができる。それはそれで良いだろう。 要するに、米英両国は、特にアメリカは、イラクに対して戦争がしたくて仕方がなかったのである。正確に言えば、「フセインのイラク」に対してと言った方がいいだろう。

 もとより、フセイン元大統領はかつて、クウェートに侵攻して湾岸戦争の原因をつくった独裁者だから、嫌いな人も多いだろう。私も大嫌いだ。 しかし、今回のイラク戦争はフセインが起こしたものではなく、あくまでも米英両国が起こしたものである。その是非はともかく、その事実は明白である。

4) イラク戦争の是非を問うのは止める。 但し、一つだけ言っておきたいのは、米英両国にとって、この戦争は「自衛のための戦争」ではなかったことである。 なぜ、そんなことを言うのかというと、われわれ日本人にとって、正義の戦争とは、事実上「自衛のための戦争」しか認められていないからだ。

 われわれは他国から攻撃を受けた場合にだけ、自衛戦争をするだろう。それだけは、国際社会も認めてくれるだろう。 しかし、アメリカやイギリスは、イラクからミサイル攻撃を受けたわけではない。自衛とはまったく関係のない“正義”を理由に、戦争を起こしたのである。 この点が、日本の立場とは大違いであることを指摘しておきたい。

 さて、問題は、これから日本はどうすべきかということである。結論から言うと、日本はイラク問題に深入りすべきではない。 先程も述べたように、イラク戦争は米英両国、特にアメリカがしたくて起こしたものである。(したくてしたくて、仕方がなかったのである) 要するに、これは“アメリカの戦争”であって“日本の戦争”ではない。

 どんなに厭な独裁者であろうとも、相手が嫌がっているのに、こちらから戦争を仕掛ければ責任は全てこちら側にある。(相手が先に“暴発”してくれれば、戦争の大義名分は整うのだ。) 従って、今回の戦争の後始末は全て、米英両国が負うべきものである。

5) 日本の責任でもないイラク戦争の後始末に、自衛隊を派遣しようということだが、これには大変な疑問がある。 イラク特別措置法に基づいてということだが、その第9条で「イラク復興支援職員及び自衛隊の部隊等の安全の確保に配慮しなければならない」とある。 日本の外交官2人が射殺されたというのに、今どうして安全が確保されているというのか。

 誰が今のイラクを安全だと思うだろうか。そんなことは小学生でも分かることだ。 従って、最近(12月上旬まで)のどの世論調査を見ても、自衛隊の派遣に反対というのが8割、ないし8割以上に達している。 派遣に積極的に賛成しているのは、わずか1割程度しかない。これは当然の結果であり、2人の外交官の惨殺によって、その傾向はより鮮明になると思われる。

 こんな状況の下で、国民が反対したり慎重な姿勢を示している中で、自衛隊員はどうして喜び勇んでイラクへ行くことができるだろうか。 国民が圧倒的に支持、応援してくれるならば、彼ら自衛隊員も誇らしい気持で行くことができるだろう。しかし、全くそんな状況になっていないのだ。

 我が国が他国から攻撃を受ければ、自衛隊も国民もこぞって国土防衛に当たるだろう。その時こそ、自衛隊員は先頭に立って奮闘してくれるだろう。 しかし、米英両国が勝手に起こした戦争の後始末を、なぜ喜んでやれと言うのか。日本国民の安全や生命、財産の保護と全く関係のないことではないか。

 日本はアメリカと同盟関係にあるから、何でもしなければならないという理屈はない。 イラク復興支援のため、日本は総額50億ドル(約5500億円)の拠出をするそうだが、かつて湾岸戦争の時に、130億ドル(当時のレートで1兆7000億円)もの巨額の財政援助をしたというのに、なんら感謝もされず、屈辱を味わうという苦い経験を持っている。

 従って、今回は「SHOW THE FLAG!」「血を流せ!」ということで、自衛隊を出した方が“安上がり”だとでも言うのだろうか。 いやしくも、そんな考えが根底にあるとしたら、とんでもないことだ。「国土防衛を本務とする自衛隊」に対する侮辱以外の何ものでもない。断じて許すわけにはいかない。

6) 現行憲法ではもちろん、海外派兵は認められていない。「専守防衛」が国是だからだ。 但し、国際間の協力として平和維持活動(PKO)や緊急援助活動には、自衛隊員が派遣されている。また「後方支援」ということで、輸送や補給などでの部隊派遣も行なわれている。

 これらの是非はともかく、自衛隊が海外に派遣される場合、戦闘行動は原則的に認められていないから、いつも携行する武器の種類、使用基準などが問題になる。 自衛隊の活動は、憲法や自衛隊法で大きな制約を受けており、現行憲法下ではこれは当然かもしれない。

 しかし、仮にイラク特措法で「非戦闘地域」に派遣されたとして、たまたま戦闘が起きた場合はどうするのか。現場の指揮官の判断にもよるが、逃げまどうしかないのか。 自発的な戦闘行動は禁止されているから、正当防衛のものとの“線引き”が極めて難しい。イラク特措法の基本原則には「対応措置の実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない」としている。

 武力の行使をしないというなら、いっそのこと武器の携行を止めたらどうなのか! 非戦闘地域に限定され、さらに医療などの人道復興支援と安全確保支援に活動が限定されているのなら、なにも自衛隊が出動する意味はない。文民やNGO等の活動で十分である。 つまり、武器を持たない自衛隊が行って、文民的な支援活動をする方がよほど特措法の精神に沿うことになる。

 このように、自衛隊の活動は大きな制約を受けており、その任務は“軍隊なのか、軍隊でないのか”さっぱり分からない。 特措法とは直接関係ないが、犠牲者を出した大使館の警備をしてもらう方が、はるかに意味があるのではないか。

 もちろん特措法では、第17条で「武器の使用」の条件を記している。 しかし、武器の使用とは「武力の行使」のことである。 武器がなければ、武力を行使することは出来ない。(素手で戦うことは、一般的に「武力の行使」とは言わない。)

 それならば何故、基本原則で「・・・武力の行使に当たるものであってはならない」と明記したのか! 矛盾するではないか。“きれいごと”ばかり言って、全てを曖昧にしようという政府の姿勢が読み取れる。 これでは、派遣される自衛隊員は堪ったものではない。

7) イラク特別措置法に幾つもの矛盾点がありながら、与党関係者は「時間がない」「間に合わない」などの理由で、特措法を改正しようとか、新法を制定しようといった動きを全く見せていない。 日本は「法治国家」である。法に矛盾点があるなら、直ちに改正などの処置を講ずべきであり、それをしないというのは怠慢以外の何ものでもない。

 最近では、緊急時には「超法規的措置」も可能だという議論も出ているが、これはあくまでも“例外的”なもので、簡単に「超法規的措置」が取られたら大変なことになる。 従って少なくとも、政府・与党は、今の「イラク特措法」に代わる新法案を直ちに提出することが、最低限必要なのである。

 さらに、自衛隊の存在と活動範囲については当然、憲法9条との関係が問題になる。 私は憲法改正に大賛成の人間だから、まず憲法改正をしてから、自衛隊の“海外派兵”の是非を論ずべきであると言いたい。 憲法改正をなおざりにしたまま、いまイラクに自衛隊を派遣しようというのは「法治国家」にあるまじき行為である。(海外派兵は、現行憲法で禁じられているから)

 大前提は、憲法改正にある。(勿論、これは9条だけでなく、その他の条文もより民主的、進歩的にしなければならない) しかる後に初めて、自衛隊の海外派兵の是非が問われなければならない。 本末転倒は世の中を混乱させるだけである。

8) 自衛隊のイラク派遣が決まったのは、先の総選挙(11月9日実施)で自民・公明の与党勢力が勝ったからである。 小泉内閣は選挙前、投票に影響が出る恐れがあるため、自衛隊の派遣については具体的に何も示さなかった。しかし、自民党が選挙に勝てば、自衛隊のイラク派遣は行なわれるに違いないと、多くの人が予測していたところである。

 従って、自民・公明の与党勢力が勝利したことで、自衛隊の派遣は当然の成り行きだったと言えるだろう。 私は「イラク特措法」に基づく自衛隊派遣に反対だったから、総選挙では勿論、自民党には投票せず、派遣に反対する民主党に一票を投じた。 しかし、選挙で自民・公明両党が勝ったのだから、国民は自らの選択を甘受しなければならない。 自民・公明両党に投票した人は、今頃になって自衛隊の派遣に反対しても、もう遅いのだ!!

 そんなことを言っても詮方ないが、事態がここまで来た以上、自衛隊に犠牲者が出ないことを祈るばかりである。 特措法によって自衛隊は「非戦闘地域」に派遣されるのだから、もし万一、隊員に犠牲者が出たとすれば、小泉純一郎内閣の責任は重大である。その時は、責任を徹底的に追及されて当然である。 (2003年12月18日)

 余談「先の総選挙について」・・・“元政治記者”である私から見れば、総選挙直後に各マスメディアが「民主党躍進」を大きく報じていたが、自民・公明両党が絶対安定多数を確保したのだから、選挙は与党側の勝利だったということである。

 自民党自身は辛勝だったが、小泉・安部ラインでなければ、もっと後退していただろう。 逆に民主党は菅・小沢ラインが、それほど集票能力を発揮したとは言えない。投票率の低さが指摘されているが、それは民主党の魅力が今一つ足りなかったからと言えるだろう。

 いずれにしろ200議席に達しなかったのだから、民主党は躍進したとはいえ、いささかも勝利したとは言えない。 2大政党制への期待、強い野党出現への願望が辛うじて民主党を押し上げたという結果だった。

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