第二幕・第八場(ブダペストの勤労者党本部会議室。 ゲレー、ナジ、カダル、アプロと、ミコヤン、スースロフがテーブルを挟んで座っている)
ミコヤン 「先ほどから話しを聞いていると、軍隊までが民衆の側に立って、秩序維持に乗り出したソ連軍に対抗しているではないか。 これでは、党と政府が何かしようとしても、何も出来ない状況だ。 しかも、民衆の暴動はブダペストだけでなく、ハンガリー全土に一挙に拡大しそうな気配となっている。 ゲレー第一書記、こうした事態になって、一体、勤労者党は何が出来るというのか」
ゲレー 「正直言って、全くお手上げの状態だ。 ソ連軍に長く駐留してもらっても、秩序が回復するかどうか疑わしい。私としては、出来るだけのことはしてきたつもりだが、施す術(すべ)もないといった感じだ」
スースロフ 「民衆は、あなたを代表とする勤労者党を、もう全く相手にしていないではないか。 軍隊までが離反してしまったのでは、万事休すだ。治安警察とソ連軍だけで、拡大する民衆の暴動を抑えられると思っているのか」
ゲレー 「出来るだけやってみるしかないだろう。 今の私には、そうするしか他に道はないのだ」
ミコヤン 「はっきり言わせてもらおう。 フルシチョフ第一書記を始め、われわれソ連共産党政治局の全員は、こうした“断末魔”のハンガリー情勢を回復するためには、もはや、あなたに勤労者党を預けておくわけにはいかないという結論に達したのだ」
ゲレー 「何を言われるか! 私だって、全力をあげて事態の解決に当たってきたのだ」
スースロフ 「あなたの努力は分かっている。しかし、ハンガリー国民の大多数が、あなたに代表される勤労者党を全く支持していないことは明白だ。 この際、あなたは潔く第一書記の職務を離れたらどうか」
ゲレー 「いや、私は辞めるわけにはいかない! 私が辞めれば、事態は一層悪化するかもしれない。 暴徒達はますます勝ち誇って、したい放題のことをするだろう」
ミコヤン 「いや、その逆だろう。あなたが辞めれば、暴徒達を少しでも鎮静化させることができる。 われわれも好き好んで、軍隊をブダペストに進駐させたのではない。あなた達の要請に応えて、秩序を回復するために軍隊を出動させたのだ。
われわれは、ハンガリー人と戦闘などはしたくない。秩序さえ回復されれば、すぐに撤退したいのだ。 ところが、第一書記、あなた達の一派が勤労者党を牛耳っている限り、一般民衆は、党や政府の言うことを聞こうとしないではないか。
ナジ同志が首相に就任して、多少事態が良くなってくると思っていたら、かえって、ますます悪くなってきたようだ。 ハンガリー国民はもう、あなた達を全く支持していないのだ。この国の秩序と安定を取り戻すためには、残念ながら、あなたとあなたの一派に、党の要職を辞めてもらうしかない。
そして、新しい党の指導者が、ナジ首相と協力して早急に党を立て直し、国民の要望に応えていく以外に、この国は救われないと思う。 このまま事態が更に悪化するようなら、ソ連としても黙って見ているわけにはいかない。さあ、早く決断してほしい」
ゲレー 「・・・・・・」
スースロフ 「あなたが気持良く第一書記を辞めてもらえば、われわれとしても、あなたの命と安全は責任を持って保証しましょう。 ハンガリーのためにも、又われわれソ連のためにも決断していただきたい」
ゲレー 「アプロ同志、どうすればいいと思うか」
アプロ 「もう、やむを得ませんな。お二人の意見に従い、潔く第一書記を辞める方が賢明かと思います。 この状態では、ソ連軍の力を借りても、とても暴動を鎮圧することは出来ません。混乱が一層大きくなるだけです。 第一書記が辞めれば、私も同じく責任を取って政治局から身を退きましょう。 もはや、それしかありません」
ゲレー 「そうか、君までがそう言うのか・・・」
ミコヤン 「決断してくれたか」
ゲレー 「・・・やむを得ん。辞めるしかないだろう」
スースロフ 「そうか、よく聞き入れてくれた。ありがとう」
ゲレー 「それで、私の後任には誰がなるというのだ」
ミコヤン 「そこにいるカダル同志しかいないだろう」
ゲレー 「カダル同志が?」
ミコヤン 「そうだ。政務はナジ同志に、党務はカダル同志にやってもらうしか、危急存亡の今のハンガリーを救う道は他にないと思う。 ナジ同志、カダル同志、私の考えに異論がおありだろうか」
ナジ 「私はその考えに賛成です。 カダル同志、第一書記をお引き受けしたらどうですか」
スースロフ 「あなたはまだお若いが、しっかりしているし、党員の信望が非常に厚いと聞いている。 動揺して崩壊寸前の勤労者党を立て直すには、あなたしかいないと思う。ナジ首相の協力を得ながら、党の再生のために尽力していただきたい」
カダル 「・・・・・・」
ミコヤン 「ゲレー同志、アプロ同志、あなた方にも異存はないでしょう」
ゲレー 「私は辞めるのだから、何も言うことはない」
アプロ 「勿論、異存があろうはずはありません。こういう事態になってしまっては、カダル同志に第一書記に就任してもらうしかないでしょう」
ミコヤン 「カダル同志、ここにいるわれわれ全員の意思だ。 ソ連としても、全力をあげてあなたを支援しよう。さあ、第一書記をお引き受け願いたい」
カダル 「光栄です。 ナジ首相も同意してくれるのなら、若輩で未熟ながらも、党の再生のために死力を尽くして頑張ります」
ナジ 「あなたが党をまとめてくれれば、私も首相として非常にやりやすい。これからは、カダル同志と“二人三脚”でやっていきましょう」
スースロフ 「よし、これで決まった。 あなた達二人が力を合わせてこの国の混乱を治め、秩序を回復してくれるのなら、われわれはすぐに軍隊を撤収し、ハンガリーとの間に、これまで以上の平等互恵の関係を樹立するよう努力しましょう。 早速、わが政治局に報告しなければ」
ナジ 「言うまでもありませんが、ソ連軍の進駐に対しては、ハンガリーの民衆の多くが反感を抱いており、あちこちで衝突が起きています。 私とカダル同志が中心となって、混乱した事態を収拾するよう全力をあげますので、ソ連軍の撤退については、速やかに処置を取ってほしいと思います」
ミコヤン 「勿論われわれも、わがソ連軍をいつまでもハンガリーに駐留させようとは思っていません。 国際的にもすでに非難を受けているし、西側陣営が“反共”攻撃に利用していることは百も承知です。 お二人の努力で、ハンガリーが秩序と安定を取り戻せば、ワルシャワ条約で取り決められた必要最小限の兵力を除いて、即刻撤退させる考えです」
ナジ 「それを聞いて安心しました。 私としてはこれから、国民各層の意見を十分に聞いた上で、新しいハンガリーの政治体制を樹立していく考えですので、あなた方もその点は温かく見守っていただきたいと思います」
スースロフ 「結構でしょう」
ミコヤン 「勿論それでいいでしょう。 それでは、お二人とも頑張って下さい。われわれは失礼することにします」
ゲレー 「私も早速、党中央委員会を招集して、カダル同志の第一書記就任の手続きを取ることにしよう。 アプロ同志、一緒に行こう」(ミコヤン、スースロフ、ゲレー、アプロが退場)
ナジ 「やれやれ、ゲレー第一書記が退陣してくれて、これでやりやすくなった。 カダル同志、これからは私と君の二人で、ハンガリーの混乱を一刻も早く治めていかなくてはならない。ソ連軍の撤退については、ミコヤン達も早急に手を打ってくれそうだ。 問題は、民衆の要望をどのように取り入れて、新しい政治体制を樹立するかという点にある」
カダル 「今度の暴動は、ラコシやゲレーの圧政に対して、民衆の不満が爆発したものです。 あなたは出来るだけ多くの国民の声を聞き入れて、民主的な政治体制をつくり上げていくべきです。 もはや、勤労者党だけの一党支配体制では、国民は納得しないでしょう。 広く政治勢力を結集していくようなやり方を取らないと、この混乱した情勢を収拾していくことは難しいと思います」
ナジ 「同感だ。 早速、明日から、労働者や学生、文化人、一般市民の代表と会って、新しい政治体制の確立について意見を聞いていきたい。君も言ったように、勤労者党だけの支配体制はもう終わりを告げたと言ってよい。 国民の大多数が望んでいる民主的で、開かれた政治体制をつくっていかなければならない。私もそうした方向で努力していくので、君にも大いに協力してもらいたいのだが」
カダル 「勿論ですとも。 ただ注意しなくてはならないのは、国民の不満が爆発してしまったために、とんでもない要求が次々に出されてくるという心配があります。 何でもかんでも受け入れるのではなく、法外な要求に対しては、毅然とした態度で退けるという“ケジメ”が必要でしょう」
ナジ 「それはそうだ。その点は私も注意していきたい。 国民の要望を全て聞き入れるわけにはいかない。ただし、私としては、出来る限りの民主化、自由化を図っていき、ラコシ達がやってきた暗い弾圧的な政治を改めて、明るく開かれた政治をしていきたいと思う。 その点については、君にも異存はないと思うが」
カダル 「勿論ですとも。 あなたも私もこれまで、嫌というほどラコシやゲレー達に痛めつけられてきた。あんなスターリニスト官僚どもの圧政は、もうこりごりだ。 今度の暴動と政変を良い機会にして、二人でハンガリー国民が納得するような、明るく自由な、民族自決の政治を推進していかなければならない。
そうやってハンガリーの政情が安定してくれば、ソ連だって、わが国民が反発するような馬鹿げた干渉は、もうしてこないでしょう。 勤労者党も生まれ変わり、ゲレー一派も御用済みということになる」
ナジ 「そのとおりだ。 君と私の間で、こんなにも基本的な見解が一致するとは・・・ありがとう。共に助け合ってやっていこう」(ナジが両手を差し出すと、カダルががっちりと握手する)
第九場(ブダペスト工科大学の一室。 メレー・オルダス、ペジャ・フェレンツ、他に4人の学生が話しを進めている)
学生一 「侵入したソ連軍に対して、労働者や学生、それに一般市民までが銃を取って戦っている。 これほどまでに、ハンガリー人が愛国の情に燃えて立ち上がったのは、歴史上かつてなかったことだ」
学生二 「しかも、25万もいるハンガリー軍は、大部分がわれわれの味方になっている。 マレテル将軍を始め、心ある軍人は皆、ソ連軍に対して矛先を向けようとしているのだ」
学生三 「ジュールを始め至る所で、労働者評議会や革命委員会が結成され、地方自治権力を確立している。これらは、いわば“コミューン”と同じものだ。 一般大衆は、そうした新しい地方自治組織に組み込まれていっており、これまでの腐り切ったスターリニスト官僚組織体制は、音を立てて崩れ落ちている。 今や全国の津々浦々で、新しいハンガリーが生まれようとしているのだ」
学生四 「そうした労働者評議会や革命委員会の声を、ナジ政権としても十分に聞き入れていかなければ、もはや新しいハンガリーの政治体制を構築していくことは出来ないだろう。 ハンガリーは真に生まれ変わろうとしている。その前には、どんなに重装備したソ連軍といえども、その力は片々たるものに過ぎない」
メレー 「たしかに、古いスターリニスト官僚体制は、今では勤労者党の一部と、治安警察が支持しているに過ぎない。 しかし、ソ連軍の力を過小評価することは、非常に危険だと思うがどうだろうか」
学生一 「そんなことはない。 ポーランドでも、共産党を中心に労働者、人民が一致結束してソ連軍に対峙したからこそ、“露助”どもはなんら策の施しようがなかったではないか。 ハンガリーも勤労者党と労働者評議会、革命委員会が団結して当たれば、ソ連軍などは粉砕されるに決まっている。 しかも、一般大衆や労働者は日一日と、評議会や革命委員会のもとに結集してきているのだ」
ペジャ 「ただソ連としては、ポーランドで一敗地にまみれた苦い経験から、ハンガリーだけは何がなんでも抑え込もうと考えている節がある。 われわれがナジ政権のもとに、強固な団結を保っていくことが出来れば、ソ連に乗じられる隙はないだろう。
しかし、小地主党や社会民主党などが、ありとあらゆる勝手な要求を持ち出してきて、ナジ政権の足並みを乱していくと、ソ連に口実を与えて、付け込まれる危険が生じてくるような気がするんだ」
学生二 「なに、小地主党や社会民主党などは過去の遺物にすぎない。 それより、ナジ政府が、労働者評議会や革命委員会の要望を次々に受け入れて、一大国民戦線を結成すれば、ソ連だって勝手な干渉をすることは出来ないはずだ」
メレー 「しかし、地方の革命委員会はすでに、ハンガリーの中立化、ワルシャワ条約からの脱退を叫び始めているじゃないか。 余りに急激に、それらの要求を政府に押し付けていくのは、ナジ政権を窮地に追い込むことになりはしないだろうか」
学生三 「メレー、君だって、ハンガリーの真の自由と独立を望んでいるのだろう? それなら、こうしてハンガリー人民が立ち上がった今こそ、自由と独立を勝ち取る願ってもないチャンスではないか。 今、少しでも臆病になったり、日和見的になったりすることは、われわれの勝利のチャンスを永久に失うことになる。押して押して、押しまくるしかないだろう」
学生四 「そうだ。 ナジは、われわれの要求や願望を、最も誠実に受け止め実行する男だ。カダルだって、全面的にナジに協力しているじゃないか。 ハンガリーにとって、これほど素晴らしい指導体制は今までになかったことだ。 表向きは、秩序の回復や職場への復帰を、ナジ政権は呼びかけている。
しかし、国民の大多数がわが国の中立化、ワルシャワ条約からの脱退、ソ連軍の完全撤退を強く求めていけば、ナジもカダルもそれらの要求を受け入れて、ソ連に当たっていくしかないだろう。 現に、ソ連軍の撤退について、ナジ政権はすでにモスクワ方と交渉を始めているじゃないか。 ハンガリーの自由と独立を本当に勝ち取るのは、今をおいて他にチャンスはないはずだ」
ペジャ 「それはよく分かる。しかしだね、ハンガリーの中立化やワルシャワ条約からの脱退まで持ち出すと、モスクワが黙って見ているだろうか。 ポーランドの場合は、ゴムルカ政権がそこまで要求しなかった。
あくまでも、社会主義陣営に留まった上での民主化や自由化、民族的自決を打ち出したに過ぎない。だからこそ、ソ連は不承不承、ゴムルカの要求を受け入れたわけだ。 ハンガリーが社会主義陣営から離脱することを、ソ連は黙って認めるだろうか」
学生一 「ユーゴを見たまえ。 チトーはコミンフォルムから追放されながらも、厳然としてユーゴの独立主権を守り抜いたではないか。 ユーゴに出来たことが、ハンガリーに出来ないわけはない。ワルシャワ条約などというものは、東ヨーロッパ諸国を、ソ連の衛星国にしようというものに過ぎない。
そして、西側諸国との戦争に衛星国を駆り立てようというものだ。 そんな条約に、ハンガリーがいつまでも組み込まれていて良いと君は言うのか」
ペジャ 「そうは思わない。 しかし、ワルシャワ条約から脱退するとなると、ソ連との戦争も辞さないという覚悟がいるぞ。それだけの力が、今のハンガリーにあるだろうか」
学生二 「君は“臆病風”に吹かれてしまったのか。 ナジ政府は今や、ソ連軍撤退の交渉を始めているじゃないか。 それに、ここ数日、勇敢なわがハンガリー人民の英雄的な戦いによって、ソ連軍は至る所で大損害を蒙っていると聞いている。 ソ連は、ポーランドへの軍事介入を諦めたではないか。
もし、ソ連軍が本格的にハンガリーに侵入してきたら、国際世論だって黙っていないはずだ。西側諸国だって、手を拱いて見てはいないだろう。 ハンガリーの独立を守るために、西側からの義勇軍さえ期待できる状況なのだ。 それに、何と言っても、わがハンガリー人民が一致結束してソ連軍に当たれば、必ず露助どもを追っ払ってやることができるはずだ」
学生三 「そのとおりだ。 われわれブダペストの学生自治会も、ジュールやセゲドの学生達に負けないように、明日、ナジ政府に対して、いろいろな経済的、文化的要求の他に、ハンガリーの中立化、ワルシャワ条約からの脱退の申し入れをすることになっている。
ナジ政府もわれわれの強い要望を受けて、かえって勇気づけられ、ソ連に対し毅然とした態度で臨むことができるわけだ。 それこそ、われわれの望む所ではないか」
第十場(ブダペストの勤労者党本部の会議室。 ナジ、カダル、アプロ)
ナジ 「毎日、朝から晩まで、労働者評議会や革命委員会、ペテフィ・サークルなど知識人グループ、学生自治会の代表達と会って、彼らの要求を聞いていると、正直言って疲れてくる。 彼らは次から次へと要求を出してくる。それに、小地主党や社会民主党の人達までが、いろいろと圧力をかけてくる。
それらの要求や圧力をいちいち受け入れていたら、とてもわが政府は持ち堪えられないだろう。 しかし、私は出来るだけ彼らの要求を尊重して受け入れ、新しい政治体制の中に取り入れていきたいと思う。 それこそ、ハンガリーが自由で、民主的な国家として生まれ変わることになるのだから」
カダル 「勤労者党の一党支配など、もはや国民は許さないでしょう。 いろいろな政党を組み合わせた連立政権の樹立こそが、混乱したわが国を安定させていくためには、緊急に必要なことだと思う。 しかし、ハンガリーの中立化やワルシャワ条約からの脱退などの要求に対しては、慎重に対処すべきでしょう。
あなたが、国民各層の意見を十分に聞いていこうという姿勢は、極めて民主的で公正なものだと思うが、そこには、おのずから“ケジメ”というものが必要でしょう。 旧地主や反動分子の言うことまで受け入れていては、社会制度自体が、昔のホルティ体制に逆戻りしてしまう危険がある。 その点は、十分に注意していかないと」
ナジ 「それは勿論そうだ。ホルティ体制に逆戻りさせようなどとは、誰も考えてはいないだろう。 そんな不純な反動分子の言うことは、もちろん退けていかなければならない。 しかし、私自身はいくら骨を折ろうとも、国民の多くの正しい意見は出来るだけ聞き入れ、民主的な政体を創っていきたい。 行き過ぎがあれば、その都度、あなた方のチェックを受けたいと思う。
それにしても、今のハンガリー国民の、新しい政治体制を創り出そうという情熱には、頭が下がる思いだ。 連立政権を樹立して、より広い範囲の国民の代表を新政府に迎え入れることに、第一書記もアプロ同志も異存はないでしょうな」
カダル 「それは先ほども言ったとおり、異存はありません」
アプロ 「私も賛成です。 それがハンガリーの再生と、秩序回復に役立つのであれば」
ナジ 「ありがとう。それでは一両日中に、連立政権樹立の政府声明を発表し、小地主党や社会民主党の代表にも入閣してもらうことにしよう。 第一書記、あなたにも国務大臣として入閣してもらいたいが」
カダル 「了解しました」
ナジ 「国民の多くの階層の代表が新政府に参加してもらえば、それだけ政権は安定し、国民の不満も解消されて治まっていくでしょう。 そうした民主的な政権こそ、最も柔軟性があり、長続きするはずだ」
カダル 「この際、勤労者党も生まれ変わるべきでしょう。 長い間のラコシ、ゲレー体制によって、勤労者党は国民大多数の信頼を失ってしまった。労働者評議会や革命委員会の声を十分に取り入れて組織を立て直し、名称も“社会主義労働者党”と変えて、再出発すべきであると思うがどうですか」
ナジ 「それは素晴らしい。 勤労者党の古臭いスターリニスト官僚政党のイメージを、一新する必要がある。第一書記の考えに大賛成だ。 党も新しく生まれ変わるために、ハンガリー社会主義労働者党と改称するのは、大変結構なことだと思う」
アプロ 「私も賛成だ。その点については、すでに第一書記とも話しが付いている」
ナジ 「アプロ同志、あなたも結局、ゲレー一派と手を切ってもらって、私も喜んでいる。 あなたのような党務のベテランが、第一書記を助けて党の再建に尽力してもらえれば、私としても非常に心強い。よろしく頼みますぞ」
アプロ 「承知しました。 ただ、総理、さっきも第一書記が言われたように、連立政権の樹立は結構だが、わが国の中立化とワルシャワ条約からの脱退については、慎重に対処してもらいたいのです。
いかに多くの国民がそれを要求してこようとも、ハンガリーが中立国となり、ワルシャワ条約から脱退することになると、今のところ柔軟で大人しく見えるソ連といえども、黙ってはいないでしょう。 今度こそ、本気で軍事介入してくるかもしれない。その点は、十分に注意してもらわないと・・・」
ナジ 「分かっています。その点は十分に配慮しましょう。 国民各層の意見をよく聞いた上でないと、軽々しく結論は出せないでしょう。ただ、ハンガリーが本当に自由で独立した国になるためには、中立に踏み切ることも覚悟しておかなければならないと思う」
カダル 「問題はソ連軍の撤退だ。 必要最小限の軍隊の駐留は、ワルシャワ条約から言ってやむを得ないが、24日に侵入してきたソ連軍の大部分が、まだハンガリー領内に留まっているのが現状です。こんな状態が続けば、ハンガリー人は誰でも反ソ的になり、ますます過激な方向に突っ走ってしまう恐れがある。 ソ連軍の撤退交渉を早く実らせないと、問題を一層こじらせることになりかねない」
ナジ 「撤退交渉は、マレテル将軍をわが方の代表に立てて、行なっているところだ。 ミコヤンもスースロフもこの前、色よい返事をしてくれたので、上手くいくと思うのだが」
カダル 「いくらハンガリーが社会主義陣営の一員だとはいえ、ソ連が長期にわたって、大部隊をわが国に駐留させることは許せない問題です。 モスクワに対して、毅然とした態度で臨んでいただきたい」
アプロ 「私も同感だ。 総理、しっかり頼みますぞ」
ナジ 「任せてもらおう。 早急に撤退を実現させるつもりだから」
第十一場(モスクワ・クレムリン内の一室。ソ連共産党政治局会議が開かれている。 フルシチョフ、ブルガーニン、モロトフ、カガノヴィッチ、ミコヤン、スースロフの他に、この日はマレンコフも出席)
モロトフ 「ブダペストにいるアンドロポフ大使からの報告によると、ナジは明日にも、連立政権を樹立するというではないか」
フルシチョフ 「そうらしい」
カガノヴィッチ 「そうらしいでは、済まされない問題だぞ。 小地主党や社会民主党、それに国民パルチザン党などの代表を入閣させると、勤労者党の指導体制は完全に失われるということじゃないか」
ミコヤン 「いや、ナジの下に勤労者党からカダルやロションツィ達も入閣するので、勤労者党の指導力が弱まるようなことはないだろう」
マレンコフ 「私は最近病気がちで、政治局会議に出席できなかったが、ポーランドといいハンガリーといい、一体どうなってしまったというのだ。 あのスターリンが存命中は、これほどまでにソ連の威信が、ぐらぐらと揺れ動くことはなかった。
今さら、あの人を誉め称えるつもりはないが、こんな状態では、地下に眠るスターリンもきっと眉をひそめているだろう。 実に嘆かわしいことだ」
スースロフ 「今は慨嘆ばかりしている時ではないでしょう。問題は、ナジとカダルの力によって、ハンガリーの情勢が好転するか、しないかということだ。 ハンガリーが連立政権になろうとも、社会主義陣営に留まり、その中で民主化を進めるというのであれば、ポーランドと同様、それを認めざるを得ない。
一番気になるのは、ハンガリーが反ソ的な方向に進むあまり、中立化を目指すことだ。よもや、そこまで行くとは思わないが、その危険がないとは言えない」
ブルガーニン 「君とミコヤン同志がブダペストへ行った時、その辺も含めてどんな状況だったのか聞かせてほしい」
ミコヤン 「ナジは国民の要望を出来る限り受け入れ、国民をなだめて秩序を回復しようとしていた。 だから、複数政党の代表を入閣させるのは自然の成り行きで、それ自体を“とやかく”言うことはできないだろう。 カダルもナジの方針を支持している」
スースロフ 「コルホーズの数も、ナジの政策で半減しているそうです。労働者の賃金も上げると言っているし、ノルマも緩和されている。 それは許せるとしても、小地主党を始め、ハンガリーの中立化やワルシャワ条約からの脱退を、ナジに強く迫っているグループがあるのも事実です」
モロトフ 「許せん! これまでソ連の恩恵を蒙りながら、ワルシャワ条約から脱退するなどとは、もってのほかだ!」
ミコヤン 「勿論、ナジもカダルもワルシャワ条約脱退の考えは持っていないと思う。 ただ気になるのは、それを言い出す連中が日毎に増えていることだ」
スースロフ 「しかも、その連中は、ソ連軍の撤退と絡ませてナジ政権に圧力をかけている。 ワルシャワ条約から離脱して、ソ連軍が一兵もいなくなれば、ハンガリーが西側陣営に傾いていくのは目に見えています」
カガノヴィッチ 「馬鹿な! こんなことを黙って見ていられるか! ソ連軍をもっと増強して、ナジに圧力をかけ屈服させるべきだ」
ミコヤン 「いや、そんなことをしたら、ハンガリー人民をますます怒らせ、一層反ソ的にしてしまうだけだ」
カガノヴィッチ 「それなら、どうしようというのだ。このまま黙って見ていろと言うのか! 大体、君やスースロフ同志、それに第一書記も、今度のハンガリー事件については対応が甘いぞ。そんな生ぬるいやり方で、もし取り返しのつかないような事態になったら、われわれは黙ってはいない!」
ミコヤン 「もとより、ハンガリーがわが陣営から離脱するようになったら大失態だ。そんなことは絶対にさせない。 ただし、軍事力で制圧するのは得策ではない。そんなことをすれば、ハンガリーを今以上の混乱に陥れ、西側陣営を始め国際世論が黙ってはいないだろう。
だから、角(かど)を立てないように、平和裡に事を解決するために、社会主義国家間の“権利の平等”に関する、ソ連政府の声明を発表したらどうだろうか。 その中で、国家の主権や相互利益の尊重などを明らかにして、ハンガリーを始め東ヨーロッパ諸国とソ連との平等な関係、立場を約束すれば良いと思う。
そうすれば、“被害妄想”に陥っているハンガリー国民も、ソ連に対する信頼を回復するようになるだろう。 要は、ソ連とハンガリーの信頼関係の確立しかないと思う」
スースロフ 「その中で、ソ連としても過去において、社会主義諸国との間に、過ちを犯してきたことを率直に認めるべきでしょう。 そうすれば、ハンガリーを始め東ヨーロッパ諸国と、再び友好関係を回復することが出来るはずです」
モロトフ 「そんなことで、ハンガリーが治まるとでも言うのか」
フルシチョフ 「いや、治まるかどうか分からないが、それぐらいの努力はソ連としてもやらなければならないだろう。 あまり高圧的な態度に出れば、第三、第四のポーランド、ハンガリーが再び生じてくるかもしれない」
ブルガーニン 「なるほど。 それでは、社会主義諸国間における平等互恵に関する、政府声明を用意するとしようか。私もそれに賛成だ」
マレンコフ 「致し方ない。そうしたらいいだろう」
カガノヴィッチ 「やむを得んだろう」
モロトフ 「それで事態が好転するなら、そうするしかないな」
ミコヤン 「ありがとう、そうしてもらいましょう。 それでどうでしょうか、政府声明を発表した後に又、スースロフ同志と私がブダペストへ行って、ナジ政府と事態収拾についてもう一度協議するということで」
ブルガーニン 「それは結構だ。是非、そうしてもらいたい」
フルシチョフ 「うむ、そうしてほしい」
モロトフ 「その際、ハンガリー政府の意向を徹底的に調査してもらいたい。 ナジやカダルが、本気で中立化やワルシャワ条約脱退を考えているかどうかということを」
ミコヤン 「勿論ですとも。私にもいろいろ考えがある。 大体、ナジとカダルでは、民族主義的な面では一致しているが、社会主義の大義という面では、若干ニュアンスが違っているように見えます。 また二人とも、民主化、自由化については熱心だが、ナジは行き着く所まで突き進む癖(へき)がある。
それに対してカダルは、若輩ながら節度があり、“けじめ”を重んずる所がある。 いざとなれば、私としては、あの二人を“分断”することが出来ると思っています」
カガノヴィッチ 「ふむ、それは面白い。 今は一心同体に見えるあの二人だが、いざとなれば、どうなるか分からないのが人間関係というものだ」
ミコヤン 「それでは早速、ブダペストへ行くことにしましょう」
スースロフ 「私もミコヤン同志に同行します」
第十二場(ブダペストの勤労者党本部会議室。 ナジ、カダル、アプロと、ミコヤン、スースロフがテーブルを挟んで座っている)
ナジ 「ソ連軍の完全な撤退については、ハンガリー国民が一致して望んでいることです。 その点については、両国の軍事当局が具体的な撤退交渉をしていますので、あなた方も側面から積極的に協力していただきたい」
ミコヤン 「それは十分に承知している。 すでに、ブダペストに進駐していたソ連軍は、ほぼ完全に撤退したし、地方に散在している軍隊も、ハンガリー領から出ていく準備をしています。 両国の軍当局による撤退交渉は、順調に進んでいるはずです」
ナジ 「ありがとう。 それに、社会主義諸国間における“権利の平等”の原則について、あなた方の政府は明確な声明を発表された。その点について、ハンガリー政府としても満足しています。
しかも、その声明の中で、ソ連が過去において、幾つかの過ちを犯したことを率直に認めている点は、ハンガリー国民の反ソ的な感情を和らげる上で、非常に良い影響を及ぼすものと考えます。 それもこれも、あなた方の努力のお陰だと感謝しています」
ミコヤン 「いやいや、ハンガリーとソ連は、同じ社会主義国同士ではないですか。お互いに手を取り合って、やっていくのが本当の姿です。 ソ連も反省すべき点は反省し、両国間の権利の平等の原則を尊重していかなくてはなりません。
幸い、ハンガリーにおかれても、新たな連立政府が樹立され、また勤労者党も社会主義労働者党に改称され、政府も党も生まれ変わることになった。 ハンガリーとソ連の新しい友好関係を築いていく上で、今ほど良い機会は他にないと思っています」
ナジ 「結構ですね。ミコヤン同志の今のお考え、すぐにでも、ハンガリーの全国民に知らせてやりたい気持です。 われわれ連立政府の政策についても、あなた方は心良く支持してくれると期待してよろしいですね」
ミコヤン 「無論、新生ハンガリーの政治については、ソ連の政府、国民が一体となって支持するでしょう。 われわれも実は、ラコシ達の“強権政治”を常日頃、心良く思っていなかったのです。 ハンガリーが社会主義陣営の一員として、民主化、自由化政策を推進していくことは、大変好ましいと思っています。 大いに、新しい政策を進めていったら良いでしょう」
ナジ 「それを聞いて安心しました。 われわれとしては、各地に出来た労働者評議会や革命委員会の意見を十分に尊重して、すでに新しい政治を始めています。 コルホーズの削減や労働ノルマの緩和、政治犯の釈放や秘密警察の廃止など、民主化、自由化政策を進めています。
ハンガリーは新しく生まれ変わり、これまでと違って、明るく開放的な活き活きとした国家として再生するでしょう。 又、そうしていかなければ、わが国民は決して納得しないだろうし、おのおのの職場に復帰することもないでしょう」
ミコヤン 「それは結構なことだ。ポーランドもハンガリーも、今や甦ろうとしているわけですな。 それはそうとして、御国の一部の人達が、ハンガリーの中立化や、ワルシャワ条約からの脱退を要求していると聞いていますが・・・」
ナジ 「実はその点が、われわれの最も悩んでいる所なのです。 今日も、ジュールのトランスダニューブ国民評議会や、ブダペストの国民委員会の代表がやって来て、政府が中立宣言を発表するよう強く求めてきました。
中には、国連軍の介入を要請する者もいて、それは『とんでもない』と断りましたが、国民の多くが中立化や、ワルシャワ条約脱退を望んでいることも事実なのです」
スースロフ 「しかし、それは重大な問題ですぞ。 ハンガリーとソ連は、同じ社会主義国同士として、友好と信頼関係の上に立って、“運命共同体”の一員としてやってきたのです。 そのハンガリーが事もあろうに、オーストリアのような中立国になるとすれば、わが国だけでなく、同盟関係にある他の社会主義国も黙ってはいないでしょう」
カダル 「しかし、中立化がわが国民の総意ということになれば、われわれもそれを無視するわけにはいきません。 ハンガリーは、あくまでも社会主義国として再出発しようとしているのですから、中立国になろうとなるまいと、それは問題にはならんでしょう」
ミコヤン 「いや、そうはいきません。われわれは、ハンガリーがかつてのユーゴのようになってもらいたくないのです。 あくまでも、社会主義陣営の運命共同体の一員として、御国がやっていってほしいのです」
ナジ 「なかなか難しい問題ですね。 無論、われわれもワルシャワ条約を否定するものではない。東西間の“冷戦”の中で、ワルシャワ条約は、それなりに有効な力を発揮してきた。 しかし、わが国が仮に条約から脱退したとしても、わが国はあくまでも社会主義国として再出発するのですから、あなた方が考えるほどに、いわゆる“社会主義陣営の危機”を招くということにはならないでしょう。 ハンガリーは、資本主義国家に逆戻りするのではないのです」
スースロフ 「いや、御国の体制が変らないとしても、ワルシャワ条約から脱退することは、現在の社会主義陣営の統一と団結を乱すことになるのです。 その点については、すでに、東ドイツやチェコスロバキア、ルーマニアやブルガリアなどが危惧の念を表明しています。
そればかりでなく、中国もここ数日の間に、ハンガリーの動向に非常に神経質になっている。 われわれも、これら友邦諸国の関心や懸念を無視するわけにはいかない。事は、ハンガリーとソ連の間だけの問題ではなくなってきているのです」
カダル 「そうは言っても、社会主義諸国間における権利平等の原則を、あなた方自身が明らかにされたではないですか。 どの国にも、それぞれが自立し、自国の進むべき道を選択する権利があるはずです。ハンガリーの進路については、われわれの責任と権限において決めて当然ではないですか」
ミコヤン 「それは“理論的”には納得できても、東西間の冷戦という現実の中で、そうしたことが社会主義陣営内で認められるとは限らないでしょう。 われわれとしては、あなた方に自重を求めざるを得ないのです」
ナジ 「分かりました。勿論、われわれも好き好んで混乱を求めているわけではない。 中立化やワルシャワ条約からの脱退問題は、慎重に検討していくことをお約束します。ただし、ハンガリーがどのような道を選択しようとも、われわれは決してソ連に敵対するものではありません。
従って、事はあくまでも平和裡に、話し合いによって決めていきたいのです。 その点は、あなた方も了解していただけますね」
ミコヤン 「勿論ですとも。 大体、今回のソ連軍の出兵も、ゲレーやヘゲデューシュの要請に応じてやっただけのことです。その後、あなた方がソ連軍の撤退を要求してこられたから、今、その撤退交渉をしているではありませんか。
われわれとしても、今後は、二度と軍事介入するというような非常手段は、まったく考えていません。 ナジ総理が言われるように、あくまでも平和裡に、話し合いによって両国間の問題を解決しようと考えているのです。その点は、十分にわれわれを信用してもらいたいのです」
ナジ 「それを聞いて安心しました。 話し合いによって問題を解決していくことから、両国間の信頼関係も本当に揺るぎないものとなっていくはずです。われわれとしても、あなた方の誠実な対応を信じています」
スースロフ 「その点はご心配なく。 われわれ二人もフルシチョフ第一書記も、クレムリン内の“強硬派”の意見を抑えながら、こうしてあくまでも、話し合いによって問題を解決しようと努力しているのですから」
カダル 「ナジ総理と同様、私もあなた方の誠意ある姿勢を信じています。 そういうことはないでしょうが、もし万一、ソ連が再び軍事介入するようなことがあれば、不肖このカダルも武器を手に取って、ハンガリー国民の先頭に立って戦いますぞ。その点はお忘れなく」
ミコヤン 「分かりました。 あなた方のお気持は細大漏らさず、わが政治局のメンバーに伝えておきます」
スースロフ 「ただし、先ほどミコヤン同志も言われたように、十分に自重していただきたい。私としては、それだけしか言うことがありません。 それでは、われわれ二人は失礼するとしましょう」(ミコヤン、スースロフが退場)
ナジ 「ミコヤン達は自重しろと言っていたが、われわれに警告を発したつもりなのだろうか」
カダル 「そのようにも受け取れる。 しかし、ハンガリーの進路は、あくまでもわれわれ自身で決めることだ」
アプロ 「そうだ。彼らの言うことに、いちいち左右されていてはかなわない。 われわれの背後には、一千万のハンガリー国民がついているのだ。ソ連の脅しや干渉に屈してたまるものか。 ナジ総理、あなたは自信を持って政治を進めていってほしい。わが党も、あなたを全面的に支援しますからね」
カダル 「アプロ同志の言われるとおりだ。 あなたは、全国民の声を十分に聞いた上で、ハンガリーの進路を決めていただきたい。党の方は、私やアプロ同志にお任せ願いたい。 党内を必ず取りまとめて、新政府の政治を存分にバックアップしますから」
ナジ 「ありがとう。あなた方の協力が得られるなら、何も恐れるものはない。 ミコヤン達の態度も、非常に柔軟そうに見えた。私としては今こそ、ハンガリー国民の声を十分に聞いて、新しい政治の進路を切り開いていくつもりだ」
第一場(ブダペストのウィラキ家の応接間。 メレー、ノーラと、ノーラの母親のアニコー)
メレー 「お母さん、退院できて良かったですね。病状もすっかり回復しましたね」
アニコー 「ありがとう、オルダスさん。もう、あまり咳き込まなくなったし、熱も治まってきたようです。 デアーグ先生の話しですと、このままゆっくりと療養していれば、きっと快方に向うということです。 でも、肺炎って怖いものですね」
メレー 「そうですか、それは結構なことです。 僕もこのところ、政治のことで頭が一杯でしたが、お母さんの病気がどうなっているか、とても心配でした。 でも、ノーラがお母さんに付いているから、きっと大丈夫だとは思っていました」
ノーラ 「私は何もできないけど、お母さんにもしものことがあったら大変と、それだけが気がかりだったわ。 3年前に、お父さんに先立たれたというのに、もし今、お母さんに亡くなられたのでは、私はどうして良いのか分からないもの」
アニコー 「でも、あなたにはオルダスさんがついていてくれるから、いいじゃありませんか。 私は安心して、いつでもあの世へ行くことができるわ。お父さんだって、きっと天国でお前のことを安心してご覧になっていると思うの」
ノーラ 「ええ、それはもうオルダスがいてくれるもの」
アニコー 「ホッホッホッホッホ、ノーラったら、オルダスさんのことになると、すぐに“のろけて”しまうのね」
ノーラ 「あら、いやだ。お母さん、私はのろけてなんかいませんよ。 だって、本当にオルダスがいてくれるんですもの」
アニコー 「それが“おのろけ”ですよ。 でも、オルダスさんにはいろいろお世話になりました。 良いお医者さんを紹介してくれたのもあなたでしたし、お見舞いの品も随分頂いて恐縮しています」
メレー 「いえ、大したことではありません。僕なんか政治のことで忙しくて、このところお母さんには失礼ばかりしていました。 早く世の中が落ち着いてくれたら、もっと頻繁にお伺いできるんですが」
ノーラ 「でも、お父さんもあの世で、きっと喜んでいてくれると思うわ。 お父さんだって根っからの愛国者だったし、ラコシ一派には随分弾圧されてきたんですから」
アニコー 「そうね、二回も投獄されたことが、お父さんの健康をひどく害したことは事実だわ。 あの人は鉄鋼関係の技師だったから、ラコシ一派の滅茶苦茶な“増産計画”に注文を付けただけで、査問委員会にかけられ、なんの罪も過ちもないのに、反政府分子と烙印を押され投獄されたんですからね。
あの人がいなくなった後に、誰が現場の専任技師になっても、結局、ラコシ一派の増産計画を達成した人はいなかったのですよ。 いえ、むしろ、鉄鋼の生産は減少したくらいでした」
メレー 「まったくひどい“ノルマ”でした。 生産設備も何も改善されないのに、現場の実情を無視して、一方的に大増産を命令してくるんですからね。あれが、ラコシ一派の典型的な官僚行政だった。 それに少しでも注文を付けたり、抗議しようものなら、すぐに反政府分子ということで槍玉に挙げられてしまうんだから」
アニコー 「お父さんは正直な人だったから、無理なものは無理だと言ったし、現場の労働者の立場も考えて、ひどすぎるノルマには反対したんですよ。そうしたら、又すぐに二度目の投獄でしょ。 あの時は、拘留中にどれほど拷問を受けたか分かりません。 チトー主義者だと罵られ、反逆罪に問われるところでした。本当に恐ろしい時代でした。
生産量を“水増し報告”するウソつきの技師ばかりが優遇されて、正直な人達が虐待されたんですからね。 あんなことでは、生産設備も労働環境も少しも改善されないばかりか、賃金も上がらないのですから、労働者の勤労意欲も一向に上がらないわけですね」
メレー 「でも、そうした官僚的なやり方も、もうおしまいです。これからは、現場の技術者や労働者の声をよく聞き入れた、合理的で民主的な生産体制が出来上がってくるでしょう。 僕も工学技師の卵ですから、新しく生まれ変わるハンガリーの行政に大いに期待しているんです」
アニコー 「そうですね。 ああ、お父さんが生きていてくれたら、生まれ変わったハンガリーにどれほど喜んだことでしょう。拷問で痛めつけられ、職場を追われ、あの人は悶々とした中であの世へ行ってしまったのです」
メレー 「でも、お母さん、もう大丈夫です。 ナジもカダルも、ラコシ達が権勢を振っていた頃は、自分達も投獄され辛酸をなめてきたのです。カダルなどは身体の“あちこち”に、拷問の古傷を残しているというじゃありませんか。 彼ら新しい指導者は、ハンガリーをきっと自由で立派な国家として再生させてくれるでしょう。
われわれ国民も新しい指導者を信頼し、彼らに協力して、新生ハンガリーの国づくりのために頑張っていけばいいのです。 ハンガリーの夜明けは、すぐそこまで来ているのです」(その時、ドアをノックする音。 続いて「今晩は、ペジャ・フェレンツです」という声が聞こえる)
ノーラ 「あら、フェレンツだわ。今頃、なんでしょう」(ノーラがドアを開けると、ペジャが入ってくる)
ペジャ 「夜分、どうも失礼します。 オルダスがこちらにいると聞いたので、やって来ました」
メレー 「フェレンツ、どうしたのだ、こんなに遅く・・・」
ペジャ 「学生自治会からの情報だ。 ナジ政府は明日にも、ハンガリーの中立とワルシャワ条約破棄をソ連に通告するだろうというのだ」
メレー 「えっ、そんなに早く中立化を宣言するのか」
ペジャ 「間違いないらしい。つい先ほど、自治会の代表のところに、社会主義労働者党の幹部から連絡があったということだ」
メレー 「そうか、政府は決断したのだな」
ペジャ 「ナジもカダルも、中立化やワルシャワ条約からの脱退については、慎重に対処してきたが、労働者評議会や革命委員会の強い要求に、結局、応えざるを得なくなったらしい」
メレー 「しかし、ミコヤンやスースロフは、ハンガリーがまさか中立化するとは思っていなかっただろう。 彼らにとっては、ひどいショックじゃないのか」
ペジャ 「それはそうだろうが、ソ連軍の撤退交渉をしている最中に、東部国境を越えて相当数のソ連軍部隊が新たに侵入してきたことが分かり、それが労働者評議会や革命委員会のメンバーを非常に怒らせ、政府を激しく突き上げることになった。 学生自治会の同志も憤激しているし、ペテフィ・サークルの人達も政府に決断を迫ったようだ。 だから、ナジもカダルも時ここに至って、ついに決意を固めたということだ」
メレー 「それは重大な事態だな。ソ連は黙ってはいないだろう。 こうなれば、ソ連軍との戦闘も覚悟しなければならんじゃないか」
ペジャ 「それはどうなるか分からん。ソ連軍の越境も、ナジ政府を牽制するのが目的だろう。 だから、ハンガリーが中立化しようとも、すぐにソ連軍がブダペストに進駐してくるかどうかは分からない」
メレー 「いや、ソ連は絶対に黙ってはいないはずだ。政府は少し楽観的すぎるんじゃないのか」
ペジャ 「そんなことを今、ここで議論していても始まらない。 オルダス、すぐに大学に来てほしいんだ。すでに、同志達が何十人も集まっている。 政府が中立とワルシャワ条約破棄を宣言したら、われわれは即座に、それを支持する態勢を整えなければならないだろう」
メレー 「しかし、僕個人としては、今の段階で中立化は早すぎるし、危険だと思うんだが・・・」
ペジャ 「そんなことは言ってられないよ。政府がそういう方針を固めたのは、間違いないんだから。 せっかくノーラの所へ来ているのに悪いのだが、これから大学へ一緒に行ってほしいんだ」
メレー 「うん、分かった。 お母さん、ノーラ、フェレンツの言うことが本当なら大変なことです。僕らはこれからすぐに工科大学へ行きますので、悪しからず・・・」
アニコー 「大変ですわね。 でも、こういうご時世ですから、あなた方が情熱を持って行動されるのは当然でしょう。お気を付けて」
ノーラ 「お元気で、それでは又」(ノーラ、メレーに寄って口づけする)
メレー 「また来ます。ご機嫌よう」
ペジャ 「失礼します」(メレー、ペジャが退場)
第二場(ブダペストの首相官邸。 ナジ、カダル、ソ連のアンドロポフ大使)
ナジ 「大使、ソ連軍が新たにハンガリーの東部国境を越えて、進攻してきたことをご存知ですな」
アンドロポフ 「いえ、存じておりません」
ナジ 「こんな重大なことを、大使であるあなたが知らないというのはどういうことですか」
アンドロポフ 「早速、本国に照会してみます。 私個人としては、新たな軍の越境行動などはあり得ないと思いますが」
ナジ 「何を言われるか! 現在、両国の間で、ソ連軍の撤退交渉が行なわれているという時に、貴国の軍隊が再び越境してきたのですぞ。わが国の軍当局がそれを確認しているのだ! ハンガリー政府としては、新たなソ連軍の越境行動に抗議し、それを直ちに中止するようソ連政府に対して要望します。 あなたはその旨、早急に本国政府に伝えてもらいたい」
アンドロポフ 「それはすぐに伝えます」
ナジ 「それから、更にこう伝えてもらいたい。 もし、新たな進攻部隊がハンガリー領内から撤退しないようなら、これはワルシャワ条約に違反するものである。なぜなら、この進攻はハンガリー政府が要請したものでもなければ、受諾したものでもない。
直ちに撤退しないようなら、ハンガリー政府としてはワルシャワ条約を廃棄し、ハンガリー人民共和国の中立を宣言する用意がある。 このように伝えてもらいたい」
アンドロポフ 「なんですって! ワルシャワ条約を廃棄し、中立を宣言するというのですか」
ナジ 「そうです。ソ連軍の新たな侵入は、ソ連政府自らがワルシャワ条約の条項を踏みにじったものだ。 ハンガリー政府としては、それを黙って見過ごすわけにはいかない。当然のことではないですか」
アンドロポフ 「総理、あなたはワルシャワ条約の重要性と中立宣言の重大さを、勿論ご存知でしょう」
ナジ 「勿論、承知している。 だからこそ、私やカダル第一書記は、条約からの脱退や中立化を求める世論を極力抑えてきたのだ。 しかし、ソ連政府自らが条約を破るような行動に出るのなら、ハンガリー政府としても、もはや国民の世論を抑えてばかりではいられない。 重大な決意をもって臨むほかはない。その点を“しか”とモスクワに伝えてほしい」
アンドロポフ 「分かりました、早速伝えます。 ですが、総理、もしも貴国がワルシャワ条約を廃棄し、中立を宣言することになれば、ソ連とハンガリーの友好関係に重大な支障を生じかねませんが、その点は当然留意しておられますね」
ナジ 「勿論ですとも。その点は十分に承知している」
カダル 「わが党も、政府と一体となって決意していることを伝えてもらいたい。 もしも、ソ連軍が再びブダペストに侵入してくるようなら、不肖このカダル・ヤノシュ、ハンガリー国民の先頭に立って“素手”でも戦いますぞ」
ナジ 「また、もしソ連軍が撤退しないなら、ハンガリー政府としては直ちに、国連の安全保障理事会に提訴する考えである。 その点も伝えてもらいたい」
アンドロポフ 「国連に提訴?」
カダル 「当然ではないか。わが国が他国から“侵略”されるのを、黙って見ているわけにはいかない」
ナジ 「広く国際世論に訴えて、わが国の独立と安全を守る考えだ」
アンドロポフ 「分かりました。 それでは早速、大使館に戻り、以上の点を本国政府に伝達します!」 (アンドロポフ、退場しながら、小声でモノローグ)「いやはや、マジャール人め、相当頭に来ているようだな・・・」(アンドロポフ、退場)
ナジ 「第一書記、あれで宜しいんだね」
カダル 「勿論ですとも。わが国の断固たる決意を伝えれば、ソ連としても軍隊を退かざるを得ないでしょう。 今が瀬戸際の最も重要な時です。ここで、ひるんではいけません」
ナジ 「そうだ。国民はわが政府を支持している。 ハンガリーが不退転の決意を示し、一致結束して当たれば、大国ソ連といえども強盗のような真似はできないはずだ」
第三場(モスクワ、クレムリン内の一室。緊急政治局会議が開かれている。 フルシチョフ、ブルガーニン、マレンコフ、モロトフ、カガノヴィッチ、ミコヤン、スースロフ)
カガノヴィッチ 「なんたることだ! アンドロポフ大使からの報告だと、進駐したソ連軍が撤退しない限り、ハンガリーはワルシャワ条約を廃棄し、中立を宣言するというじゃないか。 これは、図に乗ったハンガリーが、わが国に対し挑戦していると言ってよい。
ハンガリーなんぞに、ここまで“なめられて”たまるか! ソ連軍をもっと増強して、直ちにハンガリーを制圧する以外に道はない。 第一書記、ぼやぼやしている時ではないですぞ」
フルシチョフ 「うむ、それは承知している。 しかし、他の東ヨーロッパ諸国が、わが軍による武力制圧を、一致して支持してくれるかどうかということが問題だ」
モロトフ 「東ドイツ、チェコスロバキア、ルーマニアは軍事介入に賛成している。 しかも、最初はハンガリーに同情を示していた中国までが、ここに至って、あの国をむざむざ西側陣営に追いやる必要はないと、強硬な意見を述べるようになった。
ここで、ハンガリーを失えば、ソ連は毛沢東の“笑い者”になるだろう。 ただでさえ、われわれに対して傲慢な毛沢東が、ますます手に負えない存在になってしまう。 ここは、意を決して、カガノヴィッチ同志が言われるように、武力制圧する以外に手はないと思う」
マレンコフ 「そのとおりだ。西側陣営や世界を気にしていては、何も出来ない。 ハンガリーが国連に提訴しようとも、安全保障理事会では、拒否権を使って突っぱねればいいのだ。 西側陣営が介入してくることは、まずあるまいと判断して良い。
なぜなら、イギリスとフランスは今、スエズに軍隊を派遣して、エジプトと戦争をしている最中ではないか。 ハンガリーに手を出す余裕などないはずだ」
ブルガーニン 「マレンコフ同志の言われるとおりだ。 イギリスとフランスは今、エジプトを侵略している。 アメリカは内心“やきもき”している所だが、策の施しようがないといった状況だ。西側陣営は明らかに、スエズ動乱で団結を乱している。
これほどの好機が又とあるだろうか。しかも、世界の耳目と関心は、今やスエズ戦争に釘付けとなっている。 国連では、イギリス、フランス、それにイスラエルが非難の集中砲火を浴びている。 この機を逃して、ハンガリーを制圧するチャンスは他にない!」
ミコヤン 「まったく同感です。 わが軍がハンガリーを制圧しても、口うるさいイギリスやフランスは今、エジプトを侵略しているのだから、われわれを非難する資格などは全然ない。 強盗をしている奴が他の強盗の悪口を言ったって、誰も相手にはしないでしょう」
カガノヴィッチ 「われわれは強盗ではないぞ。 社会主義陣営の統一と団結を守るために行動するのだ」
ミコヤン 「いや、私の“たとえ”が適切でなかったが、少なくとも英仏両国は何も出来ないはずだ。 アメリカだって、スエズ問題で手一杯で何も出来ないだろう。 後はソ連として、ユーゴとポーランドを事前になんとか説得しておくことです」
スースロフ 「ミコヤン同志が言われるとおり、ユーゴとポーランド、とりわけチトーの了解を事前に取り付けておく必要があるでしょう。 これは出来れば、第一書記自らがユーゴに乗り込んで、チトーと話し合うのがいいと思いますが・・・」
フルシチョフ 「うむ、それは良い考えだ。 それにしても、イギリスとフランスがスエズ運河を取り戻そうと、エジプト侵略に血眼になっているとは、正に“天の助け”だな。 日頃うるさいあの両国も、今度ばかりは一言も文句が付けられないぞ、ハッハッハッハッハ。
よし、それでは、ユーゴが万が一にも離反すると困るので、私が早速チトーに会いに行こう。そして、チトーの了解さえ取り付けたら、後は機を見て一気にブダペストに進駐することだ。 ただ問題は、ナジを倒した後に、誰を後継首班にするかということだ。ラコシやゲレーではどうしようもないし、かと言って、カダルもナジと一緒に行動しているし・・・」
ミコヤン 「いや、私の考えでは、なんとしてもカダルを取り込むしかないと思います。他にハンガリーには適当な人材がいません。 何がなんでも、カダルを取り込む方策を練りましょう」
モロトフ 「カダルを上手くろう絡できるというのか」
スースロフ 「飴と鞭(むち)の手を使って、カダルを虜にするしかありませんな」
マレンコフ 「よし、それではそうしたらいいだろう。 君達二人は、二度もブダペストへ行って向うの内情にくわしいはずだ。カダルが社会主義の大義という面では、ナジと幾分姿勢が違うことは、この前聞いている。 あの二人の間に楔(くさび)を打ち込むことが出来れば、それに越したことはない」
フルシチョフ 「うむ、それではミコヤン同志とスースロフ同志、もう一度ブダペストへ行って、カダルに当たってもらいたい」
ミコヤン 「了解しました」
スースロフ 「やってみましょう」
第四場(ブダペストの首相官邸。 ナジがいる所に、国防相のマレテル・パール将軍が入ってくる)
マレテル 「総理、お呼出しにより参りましたが、どういうご用件でしょうか」
ナジ 「将軍、一体、ソ連軍の動きはどうなっているのかね」
マレテル 「東部国境から進攻してきたソ連軍は、一向に撤退する気配を見せていません」
ナジ 「うむ、アンドロポフ大使からの報告によると、ソ連政府はハンガリーにいるソ連人の生命と安全を保護するために、やむなく必要最小限の兵力を投入しており、それを認めてほしいとわが政府に連絡してきた。
確かに、地方の各都市では、武器を持った労働者達がソ連人を威嚇しているのは事実だが、それにしても、相当の大部隊がブダペストを目指して進んでいるようだ。 まさかソ連が、本格的に軍事介入してくるとは思えないが、どうも気がかりでならない。 将軍はどう思う?」
マレテル 「わが国は昨日、ワルシャワ条約を廃棄して中立を宣言したのですから、こちらの要請もないのに、ソ連の大軍がハンガリー領内に続々と進入してくれば、これは正しく“侵略”です。 ハンガリー軍としては、20万の将兵が一致結束してソ連の侵略軍と戦う以外にありません」
ナジ 「いや、そういうことではなく、ソ連は本気で軍事介入を目論んでいるかどうかということなんだ」
マレテル 「それは分かりません。 ソ連軍の撤退交渉については、先方も誠意ある態度で臨んでいるように見えますが、真意がどうなのかはつかむことができません」
ナジ 「ふむ・・・ ソ連政府はここ数日、柔軟な姿勢を見せている。昨日、わが国の中立とワルシャワ条約廃棄を宣言した後でも、ソ連は特に抗議らしいことは言ってこなかった。 しかし、かえって不気味な感じがするな・・・ しかも、わが政府は国連に対し、ソ連軍駐留問題で提訴している。
この問題では、いかにスエズ戦争で忙しい国連といえども、大多数の国がわが国に同情を示している。 従って、国際世論を無視し、ハンガリー国民と戦闘までして、ソ連が“中立国”であるわが国に侵略してくることはあり得ないと思うのだが、そう考えるのは楽観的すぎるだろうか」
マレテル 「さあ・・・楽観的とは思えませんが、なにしろ、相手はロシア人のことです。彼らは腹の中で、何を考えているか分かりません。 こちらが強ければ攻めてこないでしょうが、弱いと見れば、なり振り構わず付け入ってくるのが連中のやり方です。
正直言って、ハンガリー軍の上層部や治安警察の中には、依然としてモスクワに忠実なスターリニストが大勢います。 従って、ソ連がこちらの団結が弱いと見越したとなると、何を仕掛けてくるか分かったものではありません。
さらに、問題は社会主義労働者党の中にもあります。 党は本当に一丸となって、総理の政治路線を支持しているのでしょうか。 ポーランドの場合でも、ソ連はロコソフスキーにクーデタを起こさせようと、陰謀を企んだではありませんか。
幸い、あれは失敗に終りましたが、わが党は本当に一致結束して、総理を支持してくれると信じて良いのでしょうか。 老婆心かもしれませんが、その点が心配です」
ナジ 「うむ、確かに党内には、まだ“隠れスターリニスト”どもが“うようよ”している。 しかし、カダルもアプロもミュニッヒも、新しい指導部は私を全面的に支持しているし、これまで私の政治路線によく協力してきてくれた。 党が私を裏切るようなことは、絶対にないと断言してもよい」
マレテル 「それを聞いて安心しました。 ただし、カダル第一書記はともかくとして、あのアプロやミュニッヒ達は、これまでの経歴から見れば、油断のならないオポチュニストですからね。十分に御用心された方がいいと思います」
ナジ 「うむ、しかし、アプロ達はラコシやゲレーとは違うからな。勿論、十分に用心するとしよう。 ところで、明日のソ連との撤退交渉はどこで行なわれるのだ」
マレテル 「先方は、テケルのソ連軍司令部にしてほしいと言ってきました」
ナジ 「テケルだって? キリアン兵舎にソ連軍の代表団を呼んだらどうなのだ」
マレテル 「いえ、向うが是非そうしてほしいと言っていますので、緊急の折でもありますし、テケルに行くつもりでいます」
ナジ 「うむ、それでは、ソ連軍の早期撤退を実現するよう頑張っていただきたい」
マレテル 「承知しました。全力をあげてやってみます。 それでは、総理、私はこれで失礼してキリアン兵舎に戻ります」
ナジ 「うむ、御機嫌よう」(マレテルが退場)
第五場(ブダペストの社会主義労働者党[旧勤労者党]の本部。 カダル第一書記の執務室。カダル、アプロ、マロシャン、ミュニッヒ)
マロシャン 「ハンガリーが中立国になり、ワルシャワ条約から脱退したというのに、ソ連軍の撤退交渉は一向に進展していないようだ。 いや、むしろ、ソ連軍は増強されつつあるという情報が入っている。ソ連は、本気で軍事介入するつもりじゃないのだろうか」
ミュニッヒ 「そういう心配もある。もしそうなったら、いくら20万のハンガリー軍が抵抗しても、又、いくら国民がゲリラ闘争をしても、精強なソ連の機甲部隊に太刀打ちできるわけはない。 第一書記はどうお考えですか」
カダル 「ソ連軍が何十万も攻めてきたら、到底、勝つことは無理だ。 しかし、ナジ総理やマレテル将軍は、ソ連軍が介入してくるとは考えていないようだ。われわれも、それに望みを託す以外にないでしょう」
マロシャン 「しかし、ナジ総理の情勢分析は甘いとしか考えられない。 中立国になりさえすれば、国際法の立場から侵略されないと思っているのだろうが、ナチス・ドイツだって、どこの軍事大国だって、これまで“いざ”となれば、中立国を侵犯してきた歴史があるではないか。 ソ連だって、その例外と思える根拠は何もないのだ」
ミュニッヒ 「大体、ナジ総理は一般民衆の声を聞き入れすぎて、冒険をしたとしか思えない。極めて軽率だよ。 一国の総理たるものは、民衆の威勢のよい要求をむしろ抑えて、慎重に対処していくべきなのに、総理といったら、民衆の進軍ラッパにそのまま乗っかって、自分が突っ走ってしまうんだからな。
ワルシャワ条約廃棄と、中立化を決めたこの前の党幹部会の時も、ルカーチを始め何人もが、もっと慎重にやるべきだと主張したのに、ナジ総理は『もう時間的な余裕がない』などと言って、自分の方針を強引に決定させてしまったではないか。 第一書記もアプロ同志も黙っていたままでしたが、ああしたやり方で、本当に良いと思っているのですか」
カダル 「私は、ナジ総理に終始協力することを約束しているのだから、基本的には、あれで仕方がなかったと思っている。 ただし、あの時の党幹部会の決定については、確かに急ぎすぎた“きらい”があったと言えるかもしれない」
マロシャン 「ナジ総理は、国民に迎合しすぎますよ。 なるほど、ハンガリーはこれから民主化を進めていかなければならないが、それは何も、民衆の意見や要求を一から十まで受け入れるというものではないはずだ。 政府は高い立場から見て、是々非々の姿勢で、民衆の要求を取捨選択していかなければ、混乱や摩擦が広がるだけだ。
それなのに、総理のやり方は、まるで民衆におもねりへつらう態度に終始している。 ああやれば、国民の人気を勝ち取ることは出来るだろうが、行政はかえって混乱し、収拾がつかなくなる場合だってある。 ナジ総理は、自分が“英雄”になったつもりで、人気取りばかりに気を遣っているとしか思えない。
国内政治の面だけなら、混乱が起きても後で十分に修復することが出来るだろうが、外交問題で軽率なことをやれば、国家の命取りにもなりかねない。 今回のワルシャワ条約廃棄、中立宣言も、民衆の声に押し流された、極めて危険な選択だったと思わざるを得ない。 事を急ぐあまりに、ソ連の出方についての分析が、十分に行なわれていたとは思えないのだ」
アプロ 「それは、確かにそうだ。 私も基本的には、中立国になるのは反対ではない。国民の大多数がそれを望んでいるのなら、最終的にはそういう方向にハンガリーが進んでも良い。 しかし、ソ連の出方など、社会主義諸国の対応振りがはっきりしていない内に、ワルシャワ条約を一方的に廃棄して中立国になったのは、極めて危険な賭けだと思わざるを得ない。
私も、もっと慎重にやるべきだと、ナジ総理に言っておくべきだった。その点は、私も反省している。 ただし、ナジ総理は、あなた方が言うような単なる人気取りの政治家ではない。彼は、むしろ“理想家”肌の政治家なのだ。
これが良いと思ったら、一にも二にもそれに飛びついていく男なのだ。骨も実もある政治家だが、ただ理想家だけに、現実の情勢を無視して突っ走る危険がある。 今度の場合だって、そういう面が現われたと言えなくもない」
ミュニッヒ 「アプロ同志、今は政治家・ナジを論評している場合ではないですぞ。 私の不吉な予感では、ソ連は間違いなく軍事介入をしてくるとしか思えないのです。そうなったら、われわれはどうすべきなのだ。 銃を持って、愛国の情熱に盲(めくら)となっている民衆と共に、強大なソ連軍と戦わなければならんのか、それとも・・・」
カダル 「それともだって? 私はアンドロポフ大使にもはっきり言ってやった。『もし、ソ連軍がブダペストに侵入してきたら、私は国民の先頭に立って素手でも戦う』と。 われわれは、ラコシやゲレー達のような、腐り切ったスターリニストではないはずだ。
ハンガリーを愛し、自由で民主的な社会主義国家を目指している、愛国者だという自負があるではないか。 われわれが断固戦うという決意を、ロシア人にはっきりと見せつけてやれば、ソ連といえども容易に攻め込んでくることは出来ないはずだ。
ユーゴだってポーランドだって、そうした断固たる姿勢を示したからこそ、ソ連も諦めて手を引いたではないか。 ナジ総理をとやかく言うのもいいが、すでに采は投げられたのだ。もはや、われわれは、中立国・ハンガリーの一員として行動するしかないと思う」
マロシャン 「第一書記の言われることはよく分かります。 しかし、ハンガリーとソ連は、同じ社会主義国同士ですぞ。敵対していがみ合うよりも、仲良く友好関係で結ばれている方がいいに決まっている。 ソ連がわが国を収奪して支配下に置かない限り、同じ社会主義陣営の友邦同士として、共存していく方が望ましいではありませんか」
カダル 「すると、あなたは、ハンガリーが中立国になることに反対なのか」
マロシャン 「いや、中立国でやっていけるなら、それもいいでしょう。 しかし、ソ連は、わが国が中立国になることを絶対に望んではいないでしょう。だから、われわれとしては・・・」(その時、カダルのデスクの上にある電話が鳴る)
カダル 「ちょっと、待って・・・(カダルが受話器を取る) もしもし・・・えっ、アンドロポフ大使ですか・・・ええ、しかし・・・・・・分かりました、暫く考えさせて下さい。後でご返事します。 それでは」(カダル、受話器を置く)
ミュニッヒ 「アンドロポフ大使から電話ですか」
カダル 「そうです。 至急に是非、ソ連大使館に来てほしいということだ。一体、なんだろう。 政府に用があるなら、ナジ総理の所へかけるはずだが・・・」
マロシャン 「それで、暫く考えさせてほしいと答えたわけですね」
カダル 「うむ」
ミュニッヒ 「すぐ行った方がいいではありませんか」
カダル 「それが、『ナジ総理には、絶対に内密にして来てほしい』と言うのだ。その点が気になる」
マロシャン 「これは、何か重大な意味が隠されている。 思い切って行くべきでしょう」
カダル 「しかし、ナジ総理に内密というのが面白くない。一体、どういう了見なんだろう」
ミュニッヒ 「それは分かりませんが、第一書記を特に指名してきたのは、何か重大なことに違いありません。 情勢は切迫しています。アンドロポフの求めに応じて、すぐに行かれてはどうですか」
カダル 「・・・」
マロシャン 「まさか、第一書記を“生け捕り”にしようというのでもないでしょう。 ブダペストは、まだ完全にこちらの統制下にある。安心して行かれるのがいいでしょう」
カダル 「そんなことは心配していない。私はいつでも、ハンガリーのために死ぬ覚悟は出来ている。 しかし、どうしたらいいものか・・・アプロ同志、あなたはどう思いますか」
アプロ 「お二人が言うように、これは重大なことに違いありません。 構わんでしょう、一つ条件を出して、われわれも同行させてもらうということで、ソ連大使館に行きましょう」
カダル 「うむ・・・よし、それでは行くとしよう。 あなた方も同行するという条件で、アンドロポフに連絡しよう」(カダル、受話器を取り上げ、ダイヤルを回し始める)
第六場(テケルのソ連軍司令部。 マレテル将軍らハンガリーの軍人数人と、ソ連軍のマリニネ将軍ら数人が、長いテーブルを挟んで座っている)
マレテル 「貴国の軍隊の撤退問題については、ようやく原則的な合意に歩み寄ってきたようだ。 後は、細部の技術的な問題だけが残っているようだが、そのように理解してよろしいだろうか」
マリニネ 「そう理解されて、よろしいでしょう」
マレテル 「それでは、撤兵の具体的な期限を明示すべき時がきたと思うが、その問題の協議に入ってよろしいですか」
マリニネ 「結構でしょう。 ただし、先ほどから何度も言っているように、ハンガリーにいるソ連人の生命、安全については、万全の保障措置を重ねて確約してくれますね」
マレテル 「それは万全の措置を取ることを約束し、すぐ文書にしてあなたに提出します」
マリニネ 「ありがとう。 それでは、撤兵の具体的な期限を明示する問題について、協議に入りたいと思うが・・・」
マレテル 「その前に一つ、うかがっておきたい事がある。 われわれは今、貴国軍隊の撤退問題について交渉しているが、わが国の東部国境から、数個師団と見られる貴国軍隊が新たに越境し、デブレツェンからソルノクに至る付近に、進駐しているという重大な報告が先ほど入った。 これは一体どういうことなのか、説明してもらいたい」
マリニネ 「いや、そのような話しは一切聞いていない。 なにかの間違いではないですか」
マレテル 「いや、わが地方軍司令部からの報告だから、間違いない。撤兵交渉をしている最中に、貴国軍隊がハンガリー領内に新たに侵入してきたとなると、これは破廉恥極まる重大な問題だ。 この撤兵交渉自体が、まったく無意味なものとなる。しかと御返答願いたい」
マリニネ 「そんな新たな越境行動など、私は本国政府から何も聞いていない。 そんなことはあり得ないと思うが・・・」
マレテル 「それなら、この件については、直ちに本国政府に照会してもらいたい。 貴国軍隊の新たな越境があれば、この交渉自体がまったくの“茶番”ということになりますぞ! 一体、あなた方は本気で・・・」 (その時、ソ連秘密警察長官のセーロフ将軍が、緑の軍帽をかぶった、20人ほどのソ連内務省の民兵を引き連れて入ってくる)
セーロフ 「マレテル将軍、ならびにハンガリーの代表団諸君、あなた方を全員逮捕する!」(ソ連の民兵達、一斉に機関銃を構える)
マレテル 「なんだ、これは! われわれは撤兵交渉をしているのだぞ。誰の命令と権限によって、われわれハンガリー代表団を逮捕しようというのか!」
セーロフ 「そのことを、ここで一々言う必要はない。 さあ、大人しく外に出てもらいたい」
マレテル 「なんだと! 謀られたか・・・おのれ!」(ハンガリー側の2人の警備兵が、機関銃をソ連側に向けようとするが、その瞬間、ソ連の民兵達10人ほどが襲いかかり、格闘の末に取り押さえられる)
ハンガリー代表団員一 「謀略だ! こんなことが許せるか!」
ハンガリー代表団員二 「汚いぞ! これがロシア人のやり方か!」
マレテル 「やむを得ん、私が甘かった。ロシア人の誠意を信じていたのが間違いだった。 さあ、どこへでも勝手に連れていくがいい!」(セーロフの先導に従って、ソ連の民兵達、マレテルらハンガリー人に機関銃を突き付けたまま、連行して退場)《この後は、第119項目に続きます》