親バカ”共産主義者・金日成。スターリン、毛沢東との大きな違い

1) 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の建国者・金日成(キムイルソン)のことに触れたい。 と言っても、ここで彼の足跡や業績などを述べるのではない。私がここで指摘したいのは、金日成の「共産主義者」にあるまじきネポチズム(縁者びいき)のことである。

 そう言うと、勘の良い人はすぐにピンと来るだろう。息子の金正日(キムジョンイル)が国家権力の継承者となっているからである。 およそ、共産主義(社会主義)国家で、このような事例は他にない。 それは当然のことで、共産主義とネポチズムは最も相容れないものだからである。しかし現実は、北朝鮮は“父と子の国家”となっているのだ。

 20世紀の共産主義世界で、スターリンと毛沢東は代表的な指導者として有名である。いずれも金日成の大先輩であり、1950年の朝鮮戦争の時は、二人とも(ソ連、中国の国家指導者として)物心両面で、大変な支援を北朝鮮に行なっている。 このため金日成は、二人の大先輩には深い恩義を感じていたはずだ。

 スターリンと毛沢東はまた、独裁者としても有名である。「共産主義国家(社会)」では本来、理論的に独裁者というものが生まれるはずはないのだが、そこが理想と現実の大きな違いで、人間のおぞましさ、浅はかさ、醜悪さから独裁者が数多く誕生している。 それ自体が、“共産主義の悲しさ、はかなさ”の象徴みたいなものであろう。

2) 共産主義と独裁の話しはともかくとして、スターリンや毛沢東のような大権力者でも、やってはならないことで慎んだことがある。それこそネポチズムだ。 私が知る限り、スターリンの息子(長男のヤコフ)は、第2次世界大戦でドイツ軍の捕虜となり後に銃殺された。また毛沢東の息子(長男の岸英)も、朝鮮戦争の義勇兵として戦死している。いずれも一介の兵士としてである。

 スターリンや毛沢東なら、いくらでも息子を特別扱いできたのに、それをしなかった証しである。これこそ、真の共産主義者としての矜持《プライド》だろう。 それに比べると、金日成は生前において、息子・正日を人民軍最高司令官元帥にまでしてやっている(だから金正日は「将軍様」と呼ばれるのだ)。スターリンや毛沢東とは、えらい違いである。

 父親たる者、誰だって息子は可愛いだろう。 だから、会社のオーナーが息子を跡継ぎにすることは幾らでもあるし、それは極めて普通のことである。しかし、ネポチズムが最もあってはならない共産主義国家(社会)で、そういうことが平気で行なわれるというのは、正に異常である。

 一体、北朝鮮は共産主義国家なのか。 否、それどころか、金日成・正日親子が権力を“私物化”した独裁国家にすぎない。 まして、最近においては、正日の息子達が3代目跡目相続をめぐって暗闘を繰り広げているといった噂さが伝わってくると、もう馬鹿馬鹿しくて話しにならない。

3) 私は若い頃と違って、今はまったく共産主義者ではないが、もしマルクスやレーニンが生き返って“父と子の国家”北朝鮮を見たら、呆れかえって何も言えないだろう。 いや、スターリンや毛沢東のような大権力者も驚くに違いない。二人に比べれば、金日成などははるかに格下(かくした)の男なのだから。

 朝鮮人というのは「家族主義」が強すぎるのだろうか。 儒教精神が浸透しているとはいえ、歴代の韓国大統領もしばしば、権力をめぐる身内の汚職で裁判にかけられたりしている。ネポチズムは朝鮮民族に特に顕著なのだろうか。

 スターリンや毛沢東は、その独裁ぶりによって死後、いろいろな非難や批判を受けた。それは確かだが、少なくとも息子の処遇については、公正な共産主義者としての模範を示している。「二人に比べれば、金日成などははるかに格下」と言ったのは、20世紀の国際共産主義運動において、スターリンと毛沢東は善し悪しは別として、金日成などが足元にも及ばないほどの影響力を持っていたからだ。

 確かに金日成は、日本帝国主義から朝鮮を解放・独立させた民族の“英雄”だろう。それはそれとして認めるが、共産主義の倫理・道徳から見れば、単なる“親バカ”に過ぎない。 息子に権力を譲るネポチズムは、絶対に許されないからだ。

 北朝鮮のチュチェ(主体)思想は、人民大衆を主体とするものだが、まさか“金王朝”を主体とするものではなかろう。権力を私物化した体制なら、18世紀以前の絶対君主制となんら変わらない。 共産主義が最も唾棄すべきことである。

 私が若い頃(何時だったか覚えていないが)、「チョンリマ(千里馬)」という映画を見たことがある。 北朝鮮の国家建設を高らかに謳い上げた映画だったと思うが、学生時代の私は大いに感動した記憶がある。一時的に、北朝鮮や金日成に憧れたことがある。

 若気の至りと言ってしまえばそれまでだが、その当時は、在日朝鮮人を始めその日本人妻らが、大いなる希望と夢を抱いて、続々と“チョンリマの国”へ渡っていったのだ。誰がそれを責めることが出来ようか。 理想の共産主義社会に憧れるのは、悪いことではない。

 しかし、金日成は、里帰りを希望した日本人妻に激怒して、彼女らに苛烈な弾圧を加えたという。それがどこまで真実なのか、あのような閉鎖的な“父と子の国家”では調べようもない。 ともあれ、権力を私物化した金日成・正日親子の独裁体制のもと、呻吟を続ける北朝鮮の民衆は哀れとしか言い様がない。(2004年4月2日)

付記・・・先日、たまたま産経新聞を読んでいたら、北朝鮮には「革命の血統」という言葉があると知り、思わず笑ってしまった。 「革命の伝統」という言葉は20世紀によく使われたが、「革命の血統」というのは初めてである。私の勉強不足だが、金日成から息子・正日に権力が移譲される時に、よく使われたそうだ。

「血統」とか「血筋」という言葉は、封建社会や王侯・貴族の時代には極めて相応しいものだが、18世紀以降の社会主義・共産主義の思想ではまったく聞いたことがなく、まして「革命の血統」などというのは、これほど“非革命的”な言葉はない。

「血統」や「血筋」を大切にするというのは、正にネポチズム(縁者びいき)の根源にあるもので、共産主義思想が最も嫌ったものだ。 否、封建社会に対抗して、同様に生まれてきた近代の自由主義、民主主義だって、最も忌避したものである。

 そういう“封建的思想”が根付いている所に、現代の北朝鮮の特徴があるのだろうか。「封建的社会主義」という言葉がもしあるとするなら、北朝鮮に最も相応しいのではないかと考える。(2004年5月31日)

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