1) 新聞報道によれば、自民党の憲法調査会が11月17日、憲法改正草案大綱の素案をまとめたという。 前文を含む現行憲法の全面改正を目指すものだそうで、まず、その熱意と努力に深く敬意を表するとともに、改正支持の筆者として心より歓迎するものである。
その内容を見れば、高く評価すべき点が多々ある。 安全保障や国防については、憲法9条を改正して「個別的、集団的自衛権を行使するために、必要最小限の戦力を保持する『自衛軍』の設置」を提唱している。私自身は、もっと明快に『国軍』と明記した方がよいと思うが、現行憲法より数段前進していると評価したい。
また基本的人権に関しては、“新しい権利”として「名誉権」「プライバシー権」「知る権利」「犯罪被害者の権利」など、時代が必要とする諸権利をうたっており、諸手を挙げて賛同するものである。
さらに嬉しいのは、地方自治に関して新たに「道州制」の導入をうたい、「自治体を道州、市町村、自治区(仮称)に分ける」と提唱していることだ。 これは21世紀の日本のあり方にとって最も重要な制度であり、大賛成である。
また憲法改正の手続きの緩和を主張しており、国会が国民投票を提案できる条件を、現行の衆参両院の総議員の「3分の2以上」の賛成から「過半数」の賛成に改めるなど、前向きの姿勢を示している点も評価したい。
2) 以上、自民党の素案について賛同する点をいくつか挙げた。憲法改正論議がますます高まることを心から願うものである。 しかし、自民党案に賛同できない、あるいは反対せざるを得ない点もいくつかあるので、指摘していきたい。
その第一は、国家の独立と安全を守ることを「国民の責務」としている一方で、「非核3原則」を新憲法に盛り込もうということだ。 国際情勢が極めて流動的であり、予見できないことが多々起きるというのに、日本がいかに平和国家であろうとも、「非核3原則」を憲法に記す必要はまったくない。これは自分の手を自ら縛ることである。自縄自縛だ。
隣りの中国はすでに核大国であり、また朝鮮半島(北朝鮮と韓国)には核武装の恐れがある。 核は国防上、最大のテーマである。核については、フリーハンドでなければならない。従って、自分の首を絞めるようなことをしてはならない。「非核3原則」を新憲法に盛り込むことなど、絶対に容認できない。
「核の抑止力」についてくだくだと述べる時間はないが、「核の抑止力」こそ平和を保障していることは、現実の国際政治を見れば明らかである。 時間のある方は、参考までに以下の拙文を読んでいただきたい。(「ド・ゴールと毛沢東・・・右と左の核武装主義者」)
3) さて自民党素案で、次に問題なのが、「国会は二院制を維持するが、衆議院の優越性を強化する」ということである。これは極めて矛盾をはらむ文章だ。 二院制を本当に維持したいのなら、参議院の存在価値を高めるべきである。 衆議院の優越性を強化するということは、将来、一院制に移行しようという含みがあるのか?
私はもともと参議院を廃止する一院制論者だから、そういう含みがあるとすれば納得するが、上記の素案の文章は矛盾に満ちたものと言わざるを得ない。 但し、道州制が導入されれば、今と異なる「二院制」が誕生しても少しもおかしくはない。道州制の下では、「連邦議会」的な第二院がむしろ必要になってくるかもしれない。
最後に、最も根本的な問題を検証していこう。それは天皇制の問題だ。 自民党の素案では「皇位は世襲で、男女を問わず皇統に属する者が継承する」とあり、女性天皇の誕生を容認している。私もこれには大賛成だが、問題は天皇を日本国の「元首」と位置づけたことだ。
「元首」とは何か。元首とは国家を代表する人を言う。 天皇が元首となれば、それは「君主制」ということだ。日本は君主制国家なのか? 断じて違う。 日本は国民主権の民主主義国家である。それならば、国民の代表が元首になって当然である。これは民主主義の“イロハ”だ。
小泉総理(自民党総裁)が一時、熱心に説いていた「首相公選制」はどこに消えてしまったのか。 公選で選ばれた首相(事実上の大統領)こそ、国民の代表である。そして近い将来、「大統領制」を導入することで日本の民主主義政治は完成する。
そういう展望が少しもないようでは、自民党の素案は19世紀の「立憲君主制」と同じ類いのものだ。少なくとも「首相公選制」を、憲法改正の大きな柱として提唱してほしい。 憲法改正が現実のものとなるまでには、まだまだ十分に時間がある。さらに充実した改正試案が出されることを願ってやまない。 (2004年11月19日)