「ベートーヴェン」か、「ベートーベン」か

1) 師走になると、ベートーヴェンの第九交響曲(合唱)が鳴り響く。あまりにも有名なこの作曲家のことはさておき、私がここで問題にしたいのは、名前の表記の仕方である。 あなたは「ベートーヴェン」と書きますか、それとも「ベートーベン」と記しますか。

 そんなことはどうでも良いと考える人達とは、ここでお別れしなければならない。どちらでも、実体は変わらないのだから。 しかし、モノにこだわる私としては、どうしても続けなければならない。興味のある方だけが読んでいってほしい。これは日本語の表記に関することである。

 結論から先に言うと、私は「ベートーヴェン」が良いと思う。なぜなら、彼は「Ludwig van Beethoven」だからである。 いろいろな辞書や人名辞典を調べると、「ベートーヴェン」と「ベートーベン」はほぼ半々に分かれる。しかし、私は「ベートーヴェン」の方が妥当だと思う。

 その理由は簡単だ。Beとveは文字が違うし、発音も異なるからである。それがカタカナ表記においては違って当然であり、むしろ差異がある方が正しいと思う。 同様のことでは例えば、愛と美の女神「Venus」がある。

 これを「ヴィーナス」と書くか「ビーナス」と記すかは勝手だが、文字や発音から考えれば、当然「ヴィーナス」が妥当であろう。 逆の事例を考えれば、もっと理解しやすい。例えば「Berlin」は「ベルリン」と書くが、「ヴェルリン」とは絶対に書かない

 つまりbeとve、biとvi、baとvaなどは文字も発音も違うのだから、表記の仕方が違って当然であり、むしろ差別化するべきだろう。 あとは感覚(センス)の問題もある。「ベートーベン」や「ビーナス」などと表記されると、私などはあの「ベートーヴェン」や「ヴィーナス」が、いたく軽んじられ、安っぽく扱われているように感じてしまうのだ。

 同様に「Virgin」も「ヴァージン」なら良いが、それが「バージン」などと表記されると、“処女”の有り難みもどこかへ消えていくようで、性生活が自由奔放になっている現代では、処女は文字どおり“有り難し”と感じてしまうのである。

2) 話しが少し脱線したようだが、基本はそういうことである。ただし、外国の人名や地名等で、ve、vi、vaなどが「ベ」「ビ」「バ」と表記されるのに慣れてしまったのも多い。 例えば「Davis」は「デーヴィス」と書くよりも、「デービス」と記す方が一般的だろう。

 また「Venice」は「ヴェニス」と書くよりも、今や「ベニス」の方が多いかもしれない。もともと「ヴェニス」はイタリアの「Venezia」のことだから、本来なら「ヴェネチア」ないしは「ベネチア」と書くべきだろうが、英語名の方が一般化してしまった。

「Violin」や「Viola」も、「ヴァイオリン」「ヴィオラ」と表記するより、「バイオリン」「ビオラ」と書く方が多くなっているようだ。(もっとも、厳密に「ヴァイオリン」「ヴィオラ」と記す人も少なからずいるが・・・)

 このように、カタカナ表記には基準となるルールが明確になっていない。 しかし、「B」と「V」の区別ぐらいはあっても良いのではないか。 区別を付けたくても、できないものもある。例えば「R」と「L」の場合である。

 外国語では「R」と「L」は、文字と発音がはっきりと違う。しかし、日本語ではラ、リ、ル、レ、ロで一緒くたに表記する以外にない。日本語に差別化する能力がない限り、これは仕方のないことだ。

 表記も、表現と同じように基本的には自由である。しかし、そこには一定のルールがあって然るべきだ。 煩雑になることはもとより好ましくないが、差別化、区別化できるものを放っておくというのは、日本語の深み、味わいにとって決して好ましくない。 子供の言語能力や思考能力、識別化の発達のためにも、ルールを考えることは有効だと思う。

3) カタカナ表記の問題で、ささやかな提言をした形だが、ことはカタカナだけではない。漢字の表記にもある。 国民に大きな影響力がある新聞やテレビの場合、もっと考えるべきではないか。

 例えば「萎縮する」「高嶺の花」「凌辱する」「激昂する」は、「委縮する」「高根の花」「陵辱する」「激高する」と表記される。 この中には、言葉の本来の意味から遠く隔たっているものがある。要するに“当て字”なのだ。

 そこまでして、当て字をする必要があるのか。本来の意味から明らかに逸脱するような当て字なら、しない方が良い。 漢字を真面目に勉強しようという若い人達にとっては、有害無益である。 なぜ、このようになったのか。

 難しい漢字を排除して、できるだけ平易な表記を目指す気持は分かるが、意味がまったく逸脱するような当て字なら止めた方が良い。「新聞協会」には、漢字の専門家がいないのか。言語学者や出版関係の人が見たら、唖然として声も出ないだろう。

 私事で恐縮だが、私は今のところ週に一度、某テレビ局で情報系番組の“チェック係り”をアルバイトで担当している。 その職場で出版社出身の女性・Kさんが常時働いているが、彼女は新聞等の当て字の表記に慨嘆している。私ももっともだと思い、一言付け加えた次第である。

 最近、人名用漢字などの許容範囲が拡大された。新聞、テレビ等でも漢字、カタカナの表記が豊かになりつつある。 日本語の表現、表記がより深みを持ち、味わいのあるものになっていってほしい。 最後に一言・・・言葉は発展するものだ。(2004年12月28日)

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