(この小説は、第96項目からの続きです。)
11)艶・・・妄想
11月も半ばに差しかかると、歌舞伎研究会は早稲田祭の準備に追われていた。百合子は長唄の発表会があるのでその練習に余念がなかったようだが、行雄はまだ“新入り”なので大したことをやるわけでもなく、展示会場の手伝いをする程度だった。
そんなある日、徳田誠一郎が久しぶりに行雄に声をかけてきたので、二人は仏文科の講義が終ったあとS喫茶店に入った。「家庭教師の方は順調にいっている?」と徳田が聞いてきたので、行雄は「問題ないよ」と答えた。「君に代ってもらって助かったよ、僕の方もどうにか上手くいっている」 徳田はそう言うと、某商社のフランス製品販売促進キャンペーンのアルバイトについて、おおむね順調に取り組んでいることを説明するのだった。
初めのうちはそのアルバイトも大変だったようだが、慣れてくるとスムーズに“こなす”ようになり、今では他のアルバイターより自分の方がずっと上手に処理していると、徳田は自慢げに語った。 あれこれ雑談を交わしているうちに、彼は「早稲田祭で、中野さんは長唄の発表会に出るんだってね」と言ってきた。
日頃、百合子には面倒見の良い徳田だけあって、さすがによく知っているなと行雄は思った。歌舞伎研究会の話しに移ると行雄も黙っているわけにはいかず、最近のサークル活動について幾つか説明すると、徳田は百合子から話しを聞いているせいか「君もだいぶ頑張っているようじゃないか」と言って、行雄を激励するのだった。
彼は今でも、俺と百合子の関係を気にかけていてくれるのかと思うと、行雄は有り難いと素直に受け止めたが、彼女との関係が進展しているわけではないので、それ以上は話したくない気持だった。 すると、徳田は「君も歌舞研のメンバーだから、中野さんの発表会を見に行くのだろう?」と聞いてくる。
「ああ、行くつもりだ」と行雄が答えた。「それじゃ、一緒に見に行こう。実は小野も誘っているんだ。彼女はフランスのことばかりに興味があって、歌舞伎といった日本の伝統的な文化のことにはまったく関心がない。あれでは駄目だ。 だから、小野にも一緒に行こうと誘っているんだ。せっかく、中野さんも出るというのだから」徳田がやけに熱心に言ってくる。
彼はその後、自分は能が好きで、水道橋の能楽堂にも時おり見に行っていると言う。徳田がそういう趣味を持っていることに行雄は驚くと同時に感心した。 普段はフランス流の“気障っぽさ”が目につく彼に、日本の伝統的な芸能を嗜む風情は見られなかったからだ。 結局、行雄は徳田とその彼女と一緒に、百合子の長唄発表会を見に行くことを約束した。
早稲田祭が始まって2日目、三人は大隈侯の銅像前で落ち合うと、歌舞研の長唄発表会が行なわれる本校舎の小講堂に向った。中に入ると、観客は“まばら”であった。長唄などは一般の学生には興味がないのだろう。 幾つかの演目があった後、百合子らの一団が登場してきた。三味線の音色に合わせて長唄が始まる。
もともと行雄は、長唄や浄瑠璃と言った三味線音楽には興味がないが、今日は唄方の百合子を見ようと思って来ただけである。徳田と小野はけっこう熱心に聴いているようだったが、行雄はやや退屈な感じになって、唄声がもれる百合子のおちょぼ口に目をやっていた。
そのうちに何気なく右の方を見たとたん、彼はギョッとして目を凝らした。数メートル先にいる中年の婦人の横顔が、いかにも百合子の顔付きに似ているのだ。 もしかすると、この婦人は百合子の母親ではないかと思うと、行雄は急に緊張してきた。
和服姿の彼女は恰幅が良く、背筋を真直ぐに伸ばして舞台に注目している。姿勢が良いのも百合子そっくりで、その視線は“娘”の方へ向いているようだ。少なくとも行雄にはそう思えた。この婦人は百合子の母に間違いない! そう確信すると退屈な感じは消え失せて、彼は緊張が一気に高まるのを覚えた。
行雄は居た堪れない気持になり、長唄が終了する直前になって徳田と小野に小声で話しかけた。「ごめん、急用を思い出したんだ。失礼するよ」 二人は唖然とした面持ちで行雄を見たが、彼は委細構わず席を立つと逃げるようにしてその場を離れた。
徳田と小野には申し訳ないと思ったが、百合子の母だと確信する女性がすぐ側にいるのでは、行雄はのんびりと演目を鑑賞する気持にはとてもなれなかった。自分の確信は誤りだったかもしれないが、人を見る目は誰にも引けを取らないという自負があるから、彼は己れの“直感”を信じたのである。
数日後、徳田と会った時に行雄は先日の非礼を詫びた。「急用だったんだって? それにしても中野さんが出ているというのに、先に帰ってしまうなんて白けたよ」 徳田が非難めいた口調で言ってきたのに対し、行雄は「ごめん。実は彼女のお母さんがすぐ横にいたようなんだよ」と弁解するしかなかった。
表面的にはこれと言った変化もなく、その年が師走を迎えた頃になると、行雄は翌年のことをあれこれ考えざるを得なくなった。百合子との関係がどうなろうとも、新しい年は自分の進路を決めなければならない。 大学院に進んでフランス文学の研究をするのか、あるいは出版社や新聞などマスコミへの就職を選ぶのか、どちらかに決めなければならない。
幾人かの友人の中では、高村宗男だけが新聞記者になるという明確な目標を持っていたが、その他はまだ進路が定まっていなかった。 アルバイトに熱心な徳田誠一郎にしても、社会に出て働くのか大学院へ進んで暫く様子を見るのか決めかねていた。橋本敏夫などは留年必至ということで、進路そのものを考えていない状況である。
そうした中で、行雄は次第に大学院への道を諦めようという気持になった。一つにはフランス文学への関心が薄らいできたことと、それに付随するような形で学問研究の道に自信が持てなくなったからである。学者・研究者として立派な業績を挙げるというのは、自分にはとても望めないことだと思われた。従って、残るはマスコミ関係へ進んで働くだけである。
マスコミも多種多様だが、できれば活字文化を担う出版社への就職が良いのではと考えるようになった。そう考えると、すでに大手出版のI社への就職が内定しているO氏(敦子の婚約者)のことを思い出し、複雑な気持になった。 自分はO氏よりも優秀だろうか・・・どうも、そうとは思えない。O氏に負けないぐらいの仕事が出来るだろうか・・・どうも、自信がないようだ。 行雄はそんな取留めのないことを考えていたが、自分の適性から言って出版関係しか進む道はないだろうと思った。
冬休みに入ったある日、行雄は古い名画を専門に上映している池袋のM映画館に行った。グレゴリー・ペック主演のアメリカ映画「白鯨」を見たかったからだ。 彼はハーマン・メルヴィルの原作は読んでいなかったが、以前からグレゴリー・ペックが好きだったのでこの映画を見ようという気になったのだ。
エイハブという捕鯨船の船長が、モービー・ディックと呼ばれる巨大な白鯨を追いかけて大海原を駆け巡る物語だが、そこには、白鯨の悪魔的な魅力の虜(とりこ)になったエイハブの凄まじい執念が描かれていた。
モービー・ディックは捕鯨船の追跡を嘲笑うかのように、悠々と逃げ回る。エイハブがいくら追いかけても捕まらない。人間の力などはまったく問題にしていないようだ。 この白い怪物は逃げ回ると言うよりも、むしろ隙を見て捕鯨船に襲いかかってこようとしている。
そして、モービー・ディックと捕鯨船は運命の決戦を迎えることになった。巨大な宿敵を目がけて、エイハブは渾身の力を振り絞ってモリを打ち込む。 モリは白い巨体に突き刺さるが、エイハブの体はロープもろとも白鯨にからめ捕られる。彼は必死になってモリを再三射し込むが、やがてその姿はモービー・ディックと共に海の中に消えていく。
行雄はこの映画を見ているうちに、自分がエイハブだと思うと、巨大な白鯨は百合子そのもののように思われてきた。自分は白い体の“魔力”に捕らえられ、海底深く引きずり込まれていくような感じがした。いくら抵抗しても魔力には勝てない。自分も百合子の肉体の中に燃え尽きていくような妄想を抱くのだった。
映画を見たその夜、行雄は彼女の肉体を想像し目眩くようなオナニーに陶酔した。彼には同様の経験がある。 あれは1年ほど前だったろうか、バスの中で百合子から衝撃を受けた後、フランスの映画「カミカゼ」を何度も見たことがある。
この「カミカゼ」は、第二次世界大戦の末期、日本の「神風特別攻撃隊」がアメリカ海軍と死闘を繰り広げた戦いの記録映画である。 爆弾を抱えた神風特攻機が、戦力の圧倒的に優勢なアメリカ海軍の艦船を目がけて突入していくシーンは、極めて英雄的であり、同時に悲劇的であった。
自分と同年齢の若者が、死を決してアメリカ艦隊に体当たりしていく。玉と砕け散華する、死して護国の鬼となり神となるのだ。彼らの悲壮な心情を思う時、行雄は胸が締めつけられ涙なしには映画を見ることができなかった。 百合子だったら、この映画を見てどういう風に思うだろうか。きっと同じように涙にむせぶに違いない。
行雄はそんな思いを巡らせていたが、「カミカゼ」を何度も見ているうちに、海に浮かぶアメリカの巨大な航空母艦が、百合子の白く大きな肢体を連想させるのだった。 いつしか、日の丸の鉢巻を締めて特攻機に乗った自分は、大海原に人魚のように浮かぶ白い巨体を目がけて、決死の覚悟で突入していく。
海上からは砲弾が雨あられと激しく飛んでくるが、行雄の特攻機はそれを物ともせず巨大な空母に突っ込んでいく。そして、行雄は“白い巨体”に見事に体当たりし玉と砕け散ったのだ! 百合子の巨体に特攻機が突き刺さり、爆弾が破裂して彼女は火だるまになった。その妄想は行雄を陶然とさせ、彼は映画館の暗い空間の中で感動に打ち震えた。
あれから1年経っても、同様の妄想はしばしば訪れる。ボードレールの詩を読んでいても、『女の巨人』の膝から大腿部、そして腰から腹を伝って乳房へと、行雄は詩人と同じように這い上がっていく。見上げれば白い巨人は百合子だった。 彼女はまるで“子猫”をあやすように彼をもてあそぶのだ。巨人の手が“子猫”を握り締め豊満な乳房に押しつける。むせ返るような女の体臭に覆われて彼は窒息しそうになる。そういう妄想に耽る時、行雄は形容しがたい欲情と感動にしびれるのだった。
12)1963年
新しい年・昭和38年を迎えた。 行雄は気持も改まる思いで、今年中に自分の進路を決めなければと考えているうちに、にわかに百合子を誘って歌舞伎を見に行こうと思い立った。各劇場の正月公演を調べてみると、歌舞伎座では「助六」などの出し物が予定されていた。
彼は以前、歌舞伎研究会の資料で「助六」のカラー写真を見たことがある。その中で、女形役の最高峰と言われる揚巻の打掛け衣装は豪華けんらんを極め、ぜひ一度まぢかで見たいと思っていた。それは歌舞伎の美しさの頂点を極めるものであった。
その時、行雄は、大柄で色白の百合子が揚巻を演じたらどうなるだろうかと、勝手に空想したものだ。それは恍惚とした艶やかさの極致を想わせるものであった。 それ以来、百合子と二人だけで「助六」を見るのが彼の夢となっていたのだが、その夢が実現するかもしれないと思うと胸が躍ってくる。
小遣いの他にも、家庭教師のアルバイト料が入って行雄は2万円ほど持っていた。歌舞伎座の最上等の席で、百合子と一緒に観劇することは十分に可能なのだ。そう考えると矢も楯もたまらない気持になり、彼は百合子にすぐに電話をかけて誘おうと思った。
しかし、これまで彼女に誘いをかけて何度失敗しただろうか! 百合子の家を訪れたいと言って、厳しく撥ねつけられたことが二度ほどある。付き合いを再開しようと申し入れて、罵倒されたこともある。それを思い起こすと、行雄はどうしても怖じ気づいてくるのだ。その日、彼は電話をかけるのをためらって一日を過ごした。
翌日も行雄は躊躇しながら、百合子との想定問答をあれこれと考えていた。しかし、いくら想定問答を考えてもラチが明かない。冬休みはもうすぐ終ろうとしている。彼女の都合を聞いて、歌舞伎座の良い席を早く予約しないと「助六」の観劇自体が難しくなってしまう。これ以上無駄な時間を費やしているわけにはいかない。
行雄は追いつめられた気持になり、ついに電話の前に立った。恐る恐る受話器を取り上げると、彼は覚悟を決めてダイヤルを回し始める。最後の「4」の数字を回す時には緊迫の極に達した。やがて、呼び出しのコール音が聞こえると、誰が電話に出てくるのか全神経が集中する。
出てきたのは百合子の母であった。行雄は努めて冷静に落ち着いた声で、取り次ぎを頼んだ。程なくして百合子が電話に出てきた。「村上ですが、今年もよろしくお願いします。 実はこの正月に歌舞伎座で『助六』を見ようと思っているんだけど、もし良ければ君と一緒に行ければと思って電話したんだ。ああ勿論、代金は僕が持つということでどうだろうか・・・」
彼女の前ではしばしば引っ込み思案になることがあるが、行雄にしては珍しく率直に滑らかな口調で申し入れをしたつもりである。ところが、百合子からの即答がない。とたんに彼は不安と焦燥に駆られてきた。暫くして彼女が答えた。「わたし、『助六』は去年見たばかりです。今のところ行くつもりはありません」
百合子の返事は極めて“ぶっきらぼう”で素っ気ないものであり、その声音は冷ややかで何の温もりも感じさせないものであった。被告が裁判官から冷厳な判決を言い渡されたようなものだ。 期待を裏切られ、短気な行雄は逆上し冷静さを失って叫んだ(これが彼の最大の欠点なのだが)。「君は生意気なんだ! 生意気だ! 生意気だ!」 目の前が真っ暗になった感じである。
すると、百合子は早口になって一気にまくし立てた。「あなたは芯がないんです! どんどんどんどんずれて行くんです。何を考えているのかまったく分かりません。わたしにはまったく分かりません。あなたは本当に芯がないんです・・・」 行雄は意識が“もうろう”とする感じで、そのあと百合子が何を話しているのかよく理解できない状況になった。
彼女が行雄を非難していることだけは確かで、それ以外には何もないようだ。これ以上、電話で何を話すことがあるだろうか・・・「もういいよ、どうでもいいんだ! さよなら」 行雄はそれだけ言うと、電話をガチャンと乱暴に切った。彼は、今度こそこれで全てが終ったのだと思う。
もう二度と百合子とは付き合わないし、また付き合ってはならないと思った。リング上で叩きのめされたボクサーのような気分ではあったが、二度とリングに上らなくても済むのだという安堵感のようなものが込み上げてきた。極めて空しい気持と共に、何かから解放されたような気分に浸ったのである。
行雄は一瞬、これを機に歌舞伎研究会を退会しようかと考えたが、せっかく入会しているのに、百合子とのこんな“いさかい”で辞めるのは沽券に関わりそうなので、暫くは留まろうと思い直した。 それにしても、彼女から「あなたは芯がないんです」と言われたことが耳の奥にこびりついて離れない。
俺には“芯”がないのか。 芯がないということは、真実でも誠実でもないということだ。百合子は俺のことを「どんどんずれて行く」とも言った。どんどんずれて行くというのは、信頼が置けないということだ。彼女の非難が心に重く伸しかかり、行雄は沈うつな気分になった。しかし、このあと彼は開き直った。
俺が芯のないデタラメな人間だと言うのなら、もうどうでもいい。百合子のことはどうでもいい。俺は彼女のことなんか一切構わずに勝手にやるだけだ! これから何をしようと俺の勝手だ! 悲しみと怒りが込み上げてきて、行雄は“破れかぶれ”になった。
百合子への面(つら)当てから、彼はとんでもないことを思い付く。よしっ、女を買いに行ってやろう。俺もいい年をして童貞だなんて、ふざけるな! 金はちゃんと持っているぞ、彼女と歌舞伎座に行くための資金がここにあるぞ! 2万円もあるのだ、それで女を買えばいい! これこそ破廉恥でデタラメな考えだったが、行雄は“はらいせ”のために、断固として女を買いに行く決意を固めた。
翌日の夕方、彼は新宿に出かけた。駅で下りて旧赤線地帯の方へ歩いて行くと、真冬の冷たい風が時たま吹き抜ける。身体が寒々としてくるのでコートのポケットに両手を入れていたが、歩くうちにだんだん猫背になってくるようだった。
寒さと空腹感から行雄は熱いものが食べたくなり、途中のラーメン店に立ち寄った。50円の醤油ラーメンを平らげると、身体全体が暖まり心も落ち着いた気分になった。 店を出ると日暮れにはまだ時間が少しあったので、彼は喫茶店に入った。
ホットコーヒーをゆっくり味わっていると、窓の外もすっかり暗くなってきて、ネオンサインの明りが鮮やかに点滅している。ここは新宿の歓楽街のど真ん中なのだと思う。 彼は点滅する赤や黄色、緑色などの明りをぼんやりと眺めていた。
俺はこれから女を買いに行く。そう決意すると、行雄は戦場に初めて出陣する“若武者”の気分になってきた。 彼はふと、全学連のデモの先頭に立って、機動隊の厚い壁に初めてぶつかっていったことを思い出した。あの時は正直言って怖かったが、武者震いする思いだった。それと同じような気分ではないのか。
あの時と違って今は、俺のやろうとすることを誰も阻む者はいない。機動隊も放水車も催涙弾も何もないではないか。 女を買いに行く・・・こんなに簡単に楽に出来るものがあるだろうか。懐に金さえあれば出来るのだ。彼は自分にそう言い聞かせた。
腹ごしらえをして身体も暖まり、コーヒーを満喫して行雄は十分に“戦闘態勢”を整えた。後はやるだけである。 彼は喫茶店を出た。胸を張ってゆっくりと歩き出す。やがて旧赤線地帯に近づいてきた。せっかく暖まったはずなのに、夜風が首筋に冷たく感じられる。今夜は特に冷えるのだろうか・・・
暫く行くと、髪を短く刈ってサングラスをかけた若い男が街角に立っている。見るからに“いかがわしい”感じのその姿を認めると、行雄はビクリとして身体が緊張してきた。素知らぬ振りをしてその前を通り過ぎようとすると、若い男が声をかけてきた。
「おにいさん、いい所があるよ」 彼は半裸の女の写真を色刷りしたチラシを手渡そうとしたが、行雄はそれを無視して逃げるように足を速めた。若い男はなおも「おにいさん、おにいさん」と言って追いかけてくる。行雄は怖くなって逃げ出した。
「ふん、童貞野郎!!」 背後から悪罵が浴びせられた。行雄は気が動転し心臓がドキドキと鼓動を打ち始めた。こんな所でこういう悪罵を受けるのは初めてだ、彼は恐怖心で一杯になった。“若武者”になった気分で歓楽街に乗り込んできたのに、この不様な動揺はどういうことだろうか。
忌々しいチンピラめ、あんな奴とは絶対に関わるものかと思いながら進んでいくと、旧赤線地帯に入った。道沿いに居酒屋風の店が軒を連ねている。行雄は歩を緩めて周囲を注意深く窺った。 店の奥から通りに目をやる“おばさん”風の女性が何人もいる。あんな女とやるのかと思うと、彼は情けない気持に襲われた。
もっと若い女性がいるはずだと思いながら、次々と飲み屋の前を通っていったが、店にいるのはほとんど中年の女ばかりで、中には老婆のような者も数人いる。 行雄はすっかり嫌気がさしてしまった。彼を嘲弄するかのように、タバコを吹かしながらニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべる太った年増もいる。
その女と目を合わせると嫌悪感で一杯になった。こんな所に来るんじゃなかったと思うと、行雄は逃げ出したい気持になってきた。 どうして俺は女を買いに来たのだろうかと、軽い自責の念が込み上げてくる。売春婦に童貞を捧げるなんて、何て馬鹿な奴だ俺は・・・彼は百合子を想い出した。
彼女への“面当て”から俺はここに来たのだ、なんと恥ずべき行為だろう。そう思うと、百合子の幻影が一段と美しく神々しく輝いてくる。恥知らずめ! 行雄は心の中で自分を罵倒した。彼はもう周囲の飲み屋には目もくれず、次の四つ角を折れて新宿駅の方へ向かおうと足を速めた。
その時、10メートルほど先の飲み屋の前に、大柄ででっぷりと肥えた中年の女が現われ、行雄の行く手に立ちはだかるように道の中央に出てきた。 彼女は無表情というか、むしろ愚鈍な顔付きでこちらを見ていたが、やがて薄ら笑いを浮かべると二、三歩彼の方に近づいてきた。
行雄はギョッとして立ち止まるとこれまでにない恐怖感に襲われた。間違いなく売春婦だと思うと、心臓の鼓動が早鐘のように打ち始め、膝がガクガクと震えてきた。その女に食い殺されるのではという妄想が湧いてくる。彼は目眩がしてその場に倒れ込みそうな予感がした。
女がさらに一歩近づいた時、行雄は我を忘れて駆け出していた。彼は彼女の側を駆け抜けると、四つ角を右に曲って一目散に走った。しかし、膝の震えが止まらないので思うように走れない。酔っ払いが千鳥足で走っているようなものだ。
道順もよく分からないまま喘ぎながら走った。道行く人達が不審な目で彼の後ろ姿を追っているようだった。 10分経ったのか、20分経ったのか時間の意識がないまま、行雄は新宿駅にたどり着いた。その時、彼はようやく安堵の息をついたのである。
女を買いに行って失敗してから、行雄は自己嫌悪に陥った。俺はなんと破廉恥な人間だろうか、“はらいせ”のためとはいえ、やってはならないことをやろうとしたのだ。彼は真剣に反省すると共に自分を責めた。虚脱感が一段と募るばかりだった。
しかし、新学期が始まると直ぐに期末試験が近づいてきたのが幸いであった。彼はそれで気が紛れることになり、試験の準備と対応に追われるうちに自己嫌悪は薄らいでいった。 教室で百合子と会ってもほとんど気兼ねすることもなく、歌舞伎研究会の会合にも滅多に出席しなくなった。
期末試験に全力を注いだので、結果は素晴らしい出来だった。わずか2課目の「良」を除くと他は全て「優」の成績で終り、漠然とした空しさの中にも行雄は自信を取り戻したように感じた。 そして、百合子と断絶状態のまま春休みに入ると、彼は旅行の計画を練り始めた。
まだ寒さが残る季節だったので温暖な南の方に憧れ、1年前に行った九州は避けて四国への旅を考えた。 しかし、独りで行くのは寂しさが募る恐れがあるので、彼は友人の向井弘道を誘ってみることにした。話しをかけてみると向井も心良く応じてくれたので、二人は3月上旬を過ぎた頃に出発した。
坂出(香川県)に行雄の叔父夫妻が住んでいるので、そこを拠点として四国中を旅することになり、二人は叔父の家に一泊したあと予讃線に乗って愛媛県の方から回ることにした。もっぱら電車とバスを利用するしかなかったが、風光明媚な所は時間の許す限り歩き回った。
高知県では足摺岬から室戸岬にまで足を伸ばした。徳島県を経て坂出に戻った時は二人とも相当に疲れていたが、ひと休みすると、従弟に案内されて金刀比羅宮や栗林公園、小豆島にも赴いた。 2週間以上にわたる四国旅行だったが、向井と一緒の旅は楽しかったし、叔父の一家にも温かく持て成されて行雄は“憂い”を忘れることができた。
1年前、百合子に呪いの絶交状を出して九州を旅行した時は、独りだったせいもあるが、しばしば彼女の幻影に悩まされたものだ。 しかし、今回は友と連れ立つ旅だったので嫌なことは全て忘れることができた。彼は向井にも叔父の一家にも感謝しながら帰路についた。
家に戻ると、久乃が待ちかねていたかのように、森戸敦子の結婚式の写真を何枚も見せてくれた。敦子の母が数日前に送ってきたというのだ。 大学のチャペルでO氏と結婚式を挙げた時のもので、幸せ一杯という感じで花のように美しい笑顔を見せる彼女が写っていた。
敦子はまだ大学生だというのに、もう満開の幸福をつかんでいる。彼女との交友の思い出が幾つか甦ってきたが、行雄はそれらを打ち消すように思いを改め、心の中で「敦子ちゃん、おめでとう。ずっと幸せになってよ」と潔く念じた。
13)就職戦線
大学4年の新学期が始まって一週間ほど経ったある日、高村宗男が声をかけてきた。「おい、就職説明会があさって開かれるというが、一緒に聞きに行かないか?」と言う。 新学年がスタートしたばかりだというのに、もう就職の話しが出てくるのかと行雄は“せっつかれる”思いがした。
彼が志望していた出版関係の就職試験は、秋口にならないと始まらないので“のんびり”していたが、高村の目指す新聞社などはもっと早く試験を行なうというのだ。 高村が誘ってきたのと、何か就職の参考になれば良いかと考え、行雄は彼と一緒に説明会に出てみることにした。
当日の午後、就職説明会は本校舎の大教室で開かれたが、出席してみると驚いたことに、超満員の学生で会場は溢れ返っていた。両脇の通路にも学生がぎっしりと詰めかけて身動きが取れないほどだ。何か熱気のようなものが伝わってくる。遅れて行った行雄と高村は、教室の壁に押し付けられるようにして聞くしかなかった。
やがて、講師であるN経済新聞社の某部長が現われ説明会が始まる。眼鏡をかけた小柄で神経質そうな彼は、「日本経済の現状と就職戦線の見通し」と題して話しを始めた。経済成長率がどうのとか有効求人倍率がどうのとか、行雄のような文学部の学生にはまったく縁のない話しが出てくる。
会場に早く来て着席している学生は多分、政経学部や商学部、法学部といった所の者がほとんどなのだろう。講師の話しに熱心に耳を傾けているようで、メモをとったりしているのが多くいた。 行雄には彼の話しは良く理解できなかったが、東京オリンピックを翌年に控え日本経済はまずまずの上昇基調にあるが、就職戦線は未だ厳しいものがあるということらしい。
一時間余りにわたる講演が終って、学生達はぞろぞろと大教室を出ていく。行雄はようやく“人いきれ”から解放される思いがしたが、説明会の熱気に圧倒された余韻が消えない。「すごい人数だったな」と高村に声をかけると、「早稲田は人が多いんだよ」と彼は答える。
「君は新聞社(の試験)を受けると言っていたから、だいぶ参考になっただろう」と聞くと、高村は「さあね、俺は記者になりたいだけさ」と答えた。 二人は外に出ると大隈講堂の方へ歩いていった。「君は出版社を目指しているようだが、今年は採用が少ないようでけっこう大変みたいだな」「そうか・・・」行雄は相づちを打ったが、一抹の不安が胸をよぎる。
「宮部や山西達も出版社を受けると言っていたが、なにせ試験が遅いだろう。もし落ちたら、もう1年大学に残ってしまうのじゃないかと心配していた。もっとも、俺が行きたい新聞社も沢山受けに来るから大変だけどね」 高村の話しに、行雄は就職戦線の厳しさを改めて思い知らされた。
この頃から彼は、就職試験に備えて過去数年間の試験問題集を調べることになった。また、マスコミ関係を受験するには、どうしても時事問題を知っておく必要があるので、新聞を出来るだけ丹念に読んだりテレビニュースをよく見たりするようになった。
歌舞伎研究会の会合にはたまに出席していたが、百合子とはまったく没交渉で口もきかない。授業で彼女と一緒にいる時も挨拶も何もしないのだから、二人の関係は完全に冷えきっていた。 ある日、行雄が教室でぼんやりしていると、口の軽い宮部進が「君はまるで“老人”みたいだな」と冷やかしてきた。
行雄は一瞬ムッとしたが、いつも生気のない様子で黙々としている自分を顧みると、そう言われるのも無理はないと思い、宮部に返す言葉もなかった。 この時期、彼は意気を阻喪して溌溂とした精神をまったく失い、いつも“悲哀”のうちに過ごしている風であった。だから、老人みたいだと言われるのだろう。これも全て、百合子との関係が上手くいっていなかったからである。
憂愁の日々を送っているうちに、悲哀を忘れさせる催しが開かれた。5月に入ると、文学部で軟式野球のクラス別対抗試合が行なわれたのだ。 もともと行雄は野球が好きだったので、彼はこの対抗試合に飛びついた。日頃の憂さを晴らすには持って来いの行事だ。
クラス委員である彼は、俄然張り切ってメンバーを揃えることになったが、仏文科の学生などというものは個人主義の傾向が強く、団体競技に最も相応しくない連中である。 しかも、ふだん授業に出てこない者が多いため、9人以上の選手を集めるのは一苦労だった。
幸い、ピッチャーは「稲尾はこうやって投げるんだ」と得意気に語っていた徳田誠一郎に決め、キャッチャーには、これも高校時代に少し野球をやっていたという古屋実を当てることにして、なんとかバッテリーを確保することができた。
あとの野手は、誰がどこを守ろうともその日次第ということになり、行雄はライトやセンターの外野の他にも、サードやショートの内野も守ることにした。彼はすっかりやる気になって、父の国義が会社の野球大会で使っていたというユニフォームを借りて出場することにした。
打順やポジションは監督役のクラス委員が決めることだが、行雄は絶えず一番バッターで打つことにして打撃ボックスに入った。 ユニフォームを着ているのは敵味方を通じてほとんどいなかったから、どうも目立つらしい。口うるさい宮部が「村上は全学連のデモの時よりも張り切っているぞ」と“ちゃかす”のだった。
柔弱な学生の多い文学部の中では、早めに準備や態勢を整えた仏文科Bクラスのチームはわりに強かったようだ。 一回戦の独文科Aチームを難なく打ち破り、二回戦はエースの徳田がアルバイトで急に休んだので慌てたが、高村、橋本、宮部らの継投で国史科Bチームをなんとか下した。
キャッチャーで四番バッターの古屋は、さすが高校時代に野球をやっていただけに、大柄でがっちりした体格を活かしてホームランを含む長打を連発した。リードオフマンの行雄もシュアなバッティングでヒットを2本放ち、また選球眼を活かしてフォアボールを選んでは出塁した。
三回戦の相手は、強敵と目される国文科Cチームだった。しかし、この時は徳田がマウンドに復帰し安定した投球をしたので、緊迫した投手戦のゲームになったが2対1の僅少差で勝つことができた。 もっとも、前回アルバイトで欠場した徳田に対しては、行雄らメンバーが「勝手に休むなよ」と釘を刺したのである。
この頃になると、勝ち進んできたためにクラス内の意気が揚がってきた。特に“主砲”の古屋は、苦戦した三回戦でも決勝のタイムリーヒットを打っただけに「このままいけば優勝だ!」と気勢をあげる。それを聞いていた堀込恵子が「頑張ってね、私達も応援に行くわ」と、ニコニコ笑いながら声をかけてきた。 しかし、彼女の後ろに座っている中野百合子は、何の関心もないかのように押し黙って俯いていた。行雄は内心、面白くない女だなと思った。
準々決勝の相手は社会学科Aチームだったが、これも古屋、橋本、高村らが良く打ったので快勝した。行雄も盗塁したりスクイズバントを決めるなど小技を発揮して勝利に貢献したが、この日は打撃の方はそれほど良くなく、また盗塁した時に足を少し挫いた。しかし、プレーをしている時は楽しいもので、全ての憂いは消し飛んだ感があった。
数日後、大学近くの某私立高校のグラウンドを借りて、準決勝の試合が行なわれた。相手は優勝候補と目される英文科Bチームである。このチームはそれまで圧倒的な強さを発揮して勝ち進んできており、高校時代に野球をやったり、草野球に興じるメンバーが何人もいるようだった。
しかし、こちらも古屋や徳田のような経験者を擁している、絶対に負けるものかという意気込みで試合に臨んだ。 プレーボールになると、駆けつけた堀込や渡辺悦子、山西美佐らのクラスメートも盛んに声援を送ってくれる。こんなことは滅多にない。仏文科Bチームは燃えるような気持になった。
一回の裏、こちらの攻撃となり行雄が左のバッターボックスに入ると、彼女らの応援の他に私立高校の女生徒までが校舎の屋上から“黄色い”喚声を送ってきた。彼は少し照れ臭くなったが、相手のピッチャーと向かい合った。素晴らしいストレートやカーブが来る。アウトコーナーを衝くボールに手を出し、第一打席は三塁ゴロに倒れた。
見事な制球力を持つ相手ピッチャーに、仏文科Bチームはなかなかヒットが出ない。徳田も良く投げていたが、味方のエラーもあって三回に2点、四回に1点を取られる。 こちらは三回裏に初めてヒットが出て、次の打者もフォアボールを選んで出塁、行雄の当たり損ねのショートゴロの間にようやく1点が入った。
この後、英文科Bチームは六回に2点を追加、こちらは五回のチャンスに1点止まりで、向うが優勢のまま最終回の七回裏を迎えた。クラスメートの女の子達は、相変らず熱心に応援してくれる。 最終回、相手のピッチャーに少し疲れが見えたところでこちらが1点を追加、二死だがなおランナーが二、三塁のところで行雄に打順が回ってきた。
彼は球速がやや衰えたストレートに的を絞り、3球目を強振した。ボールはピッチャーの頭上を越えてセンター前のヒットになり、三塁ランナーが生還、二塁ランナーも三塁を回って一気に本塁に突っ込んだが、センターの好返球によってタッチアウト、ゲームセットとなった。試合は英文科Bチームが5対4で勝ったのである。
準決勝で敗退したのは残念だったが、行雄は野球を思う存分やれて楽しかったし満足していた。主砲の古屋は、この日はあまり活躍できなかったので悔しがっていたが、メンバーは皆、クラスメートの女性が最後まで応援してくれたのが嬉しかったようだ。
翌日、野球で高揚した気分が抜けない行雄は、応援に来なかった百合子に宛てて“これ見よがし”に手紙を出した。極めて子供っぽい振舞いではあったが、彼は自分の活躍ぶりを自慢げに披露した上で、彼女の親友である渡辺悦子が応援に来ていたというのに「なぜ中野さんは来なかったのか、残念である」と、皮肉を込めて書いたのであった。
野球大会が終るとやっと落ち着いた気分になり、行雄は学年末の卒業論文をどうするか、そろそろ題目を固めておかないといけないと考えた。高村はバルザックに決まっていたが、徳田に聞いてみると、彼も中山教授との関係ですでにポール・エリュアールに固めていると言う。
行雄は高校時代、ロマン・ロランから強い影響を受けたこともあって仏文科に進学してきたので、当初はこの文豪をテーマに卒論をまとめようと考えていたが、百合子との関係で自分の“堕落ぶり”を嫌と言うほど体験したため、自分はロマン・ロランのような高貴な人を扱うにはまったく相応しくないと、考えを改めていた。
このため、もっとポピュラーで親しみやすい作家が良いのではと思い、アルベール・カミュやアンドレ・ジッド、アンドレ・マルローらを視野に入れて考えていたが、橋本がマルローをやると聞き、カミュについては宮部の他に何人もの学生が取り組むというので、次第にアンドレ・ジッドでもやろうかという気持になった。彼は卒論の題材で、他のクラスメートと同じになりたくないと考えたのだ。
そんなことを考えているうちに、6月中旬のある日、行雄は文学部の掲示板にO製薬会社の新入社員募集の案内を目に留めた。そこには採用試験の日程などが記されていた。 彼は就職試験シーズンが到来したことを肌で感じ、試しに受験してみるのも良いかなと思ったが、マスコミ関係ではないので見送ることにした。
それから数日して掲示板を見た時、行雄はハッとして立ち止まった。そこには、東京のFテレビ局の就職案内が出ていたのだ。よく読むと、7月上旬に法政大学の会場を借りて就職試験を実施すると書いてある。 マスコミ関係では初めての求人案内だ。彼は出版社を目指していたが、同じマスコミなら受験してみるのも良いかと考えた。
念のためクラスメートと話してみると、宮部らの他に、新聞社志望の高村までがFテレビ局を受けてみると言う。これで行雄も決心がついた。 そうと決まると、彼は卒業論文のことなどはすっかり忘れて、マスコミ受験に必要不可欠な「時事問題集」などを読み始めた。受験するからには、合格してやるぞという気持になっていたのだ。
やがて、Fテレビ局の採用試験の日が来た。行雄は高村や宮部と共に、試験会場となる法政大学に赴いた。受けに来た学生は千人ほどいるのだろうか、試験は幾つかの教室に分散して行なわれた。行雄は高村と同じ試験会場だったが、宮部は他の会場へ行った。
出てきた時事問題の中には事前に勉強したものも相当あり、行雄は「しめた!」と思ったが、分からないものや難しい出題も少なくなかったので、結果に自信は持てなかった。 しかし、外国語の受験では英語、フランス語、ドイツ語の中で、フランス語を選択して受けたところ、それほど難しいとは思わなかった。
その他の課目の出題も受けて試験が終ると、行雄は高村、宮部と一緒に帰路についた。宮部と行雄はまずまずの出来だという感触でいたが、高村は「いやあ、けっこう難しかったな。でも、新聞社の試験の予行演習だと思えば参考になったよ」と、さばさばした表情で語った。
Fテレビ局の試験を終えて、行雄はアンドレ・ジッドのフランス語の文献を集め始めた。翻訳本ではジッド選集を持っていたが、原文もある程度読んでおかないと格好がつかない。丸善書店や紀伊国屋書店に出かけて、「地の糧」や「背徳者」「狭き門」などポピュラーなものから集めていった。
ジッドの文章は平易で分かりやすく、フランス語の“見本”みたいなものだから行雄は好きだった。これなら自分でもそれ程苦労しなくても読めると思ったが、いずれにしろ就職がどうなろうとも、卒論を仕上げないと卒業できないのだから、まずは引用しやすいポイントの文章を洗っていくことにした。
法政大学での試験から一週間ほど経って、Fテレビ局の社屋で一次試験の合格発表が行なわれることになった。新宿区河田町にある社屋を訪れると、建物の外に掲示板が設置されていて、合格者の受験ナンバーの一覧表が貼り出されていた。
千人ほども受験したのだから、不合格になっても気は落とすまいと自分に言い聞かせながら、行雄は掲示板に近づいた。何人かの学生も見に来ている。少し緊張していたが、ダメでもいいと思いながら一覧表に目を通していくと、自分の受験ナンバーが載っていたので行雄は「やった!」と感じた。合格者は全部で60人ほどいる。
一覧表の脇に、合格者が二次試験の「面接」を受けるための手続きなどが記されていた。彼はすぐに「そうか、まだ面接が残っているぞ」と自分に言い聞かせた。これで合格ではない、最終的な合否はまだ先のことなのだ、就職試験とは面倒臭いものだと思わざるを得なかった。
一次試験の結果は、宮部も高村も不合格であった。宮部は手応えを感じていただけに残念がっていたが、高村は「いい勉強になった」と言って気にも留めていなかった。 行雄は母にFテレビ局の一次試験に合格したことを告げると、久乃は「それなら、すぐに石山さんの所へ行きましょう」と言う。
彼にはそんな気持はまったくなかったが、石山というのはFテレビ報道部の副部長で、行雄の兄・国雄の早稲田大学時代の先輩だから、二次試験の面接で便宜を図ってもらうために伺おうというのだ。行雄は「そんなことをしなくてもいいじゃないか」と反論したが、久乃はどうしても一緒に行こうと言う。
母が熱心に促すので、“世間知らず”の行雄もとうとう折れて石山の家へ伺うことになった。 行雄は石山太郎と面識があった。それは彼の小学、中学時代に、石山が国雄の案内で何度か村上家に来たことがあるからである。国雄が大学の雄弁会で石山の世話になっているというので、父の国義が彼と談笑しているのを見たことがある。
また中学時代だったか、当時ラジオのN放送局報道部員だった石山が重いデンスケ(録音機)を担いでやって来て、何のテーマだか知らないが街の声を取材したいからと言って、国雄にインタビューしていたことがあった。 行雄はそんなことを思い出しながら日曜日の午後、久乃に連れられて東京・中野区内の石山の家を訪れた。
彼は背が高くて痩身だったが、昔と同じように目がギョロリと輝き精悍な顔付きをしていた。年の頃は36〜7歳といったところだろうか。「Fテレビを受けるのなら、早く言ってくれれば良かったではないですか」 快活な声を上げて彼は久乃に語りかける。「いえ、この子はなにぶん何も話しませんので」久乃が答えた。
彼女はこの後、息子が二次試験の面接を受けるので、型通りに「宜しくお願い致します」と挨拶してから石山と雑談を交わした。 国雄の生活ぶりや彼の家族の話題が中心だったが、やがて石山は、国雄と一緒に父の国義から酒をご馳走になったことなど昔話しを持ち出して、久乃と談笑していた。
そのうちに話題はテレビのことに移った。「ところで、行雄君はテレビ局に入って何がしたいの?」 石山の問いにすぐには答えられなかったが、何か言わなければならない。「僕は文学部なので、ドラマとか・・・ドキュメンタリーみたいなものをやりたいのですが」行雄が辛うじて答える。別に明確な目標があってテレビ局の試験を受けたわけではない。
「ふむ、ドラマね・・・」石山の顔に一瞬、怪訝(けげん)な表情が浮かんだ。彼は報道の副部長だから、ドラマなどには関心がないのだろうか。行雄はそう考えたが、他に答えようがない。 仕方がないので「まだはっきりした目標はありません。テレビ局に決まったわけではないので」と続けると、石山が笑い出した。
「そりゃあ、そうでしょう。いろいろな職場の研修を受けていくうちに、大体の方向が決まっていくものですよ、お母さん」彼は久乃の方を向いて語った。彼女はまた「なにぶん宜しくお願い致します」と返事をするのみだった。
石山の奥さんがテーブルに二度目のお茶を運んできて、今度は4人で四方山(よもやま)話しとなったが、一時間ほどして久乃親子は席を立つことになった。 帰宅の途中で行雄が「石山さんにあんなお願いをして、迷惑だったんじゃないの」と文句を付けると、久乃は「親しくさせてもらっている人に何も知らせないのは、かえって相手に失礼なことなのよ。それが“世間”なの」と答えた。
それから数日して、Fテレビ局で第二次試験の面接が行なわれた。会社の中堅幹部と見られる5人ほどの面接担当者が、あれこれと質問してくる。 行雄はできるだけ背筋を真直ぐに伸ばして、口頭試問に答えていった。テレビ局で何をやりたいかという質問に対しては、「ドラマ作りをしたい」とはっきり答えた。
事前に身上調書を提出させられていたので、それに基づく質問も幾つかあった。少し戸惑ったのは、眼鏡をかけた“理屈っぽい”感じの担当者が「君の思想信条の欄には『汎神論』と書いてあるが、『汎神論』とは何なのか、分かりやすく説明してほしい」と質問してきたことだ。
そんなことまでは聞かれないだろうと思っていたから、行雄はやや緊張して答え始めたが、説明しているうちに時間がどんどん過ぎていくような気がして、もっと簡潔に答えられないものかと焦ってきた。それでも腹を固めて丁寧に説明を終えると、その担当者はニヤリと笑った。少し嫌な感じがしたが、詮ないことである。
他の質問にはだいたい要領よく端的に答えたつもりだが、「汎神論」の時の答弁が長すぎたようで、面接試験の後それだけが気がかりだった。 しかし、第二次試験の結果発表は早かった。2日後には合格者の自宅に電話で通知があり、行雄もFテレビ採用の内定を受けたのである。
彼にはまだ出版社への未練が残っていたが、テレビ局への就職が内定したことで気持は大きく変った。早めに就職先を決めてしまえば、後が楽である。 また出版社の入社試験は秋以降と遅いから、それにこだわってもし落ちたら、就職浪人か留年の恐れが出てくる。
テレビ局も悪くはないと思った。どんな仕事に就かせられるか分からないが、テレビはこれから発展するマスコミ産業だ。その当時、テレビ受像器は一般家庭に急速に普及してきており、前年の昭和37年には、全国のテレビ保有台数は一千万台に到達していた。さらに翌年の東京オリンピックに向けて、保有台数が飛躍的に伸びると共に“カラー化”も実現することが予測されていた。
テレビの将来は大きく開かれていると行雄は思った。 それに、Fテレビの初任給が約3万円というのも魅力があった。この当時の大学卒の初任給は、せいぜい2万円程度というのが相場だったからだ。 とにかく就職が第一である。社会主義流の言葉を借りれば「働かざるもの、食うべからず」だ。行雄はFテレビに入社することを決め家族に伝えると、父母も兄も大いに喜んでいた。(第149項目へ続く)