18歳以上を“成人”にせよ!

 少年犯罪の凶悪化が、極めて深刻な社会問題になってきている。14歳の少年が児童の首を切り裂いたり、同じく14歳の子供達が、ホームレスの男性を長時間殴打して殺すなど、恐るべき事件が続発している。 また、「人殺しを経験したい」と主婦を刺殺したり、高速バスを乗っ取って車内で女性を刺殺するなど、17歳の凶悪犯罪も続出した。

 戦慄すべき事件があまりにも多発するので、少年法があわてて改正され罰則が強化された。 しかし、この程度の少年法の改正で、昨今の異常な事態が治まるとは、ほとんどの人が考えてはいないだろう。 何かが大きく狂ってきている。教育現場でも、家庭でも、社会でも、大人達は自信を失いつつある。どうしてこういう風になってしまったのだろうか。

 戦後の教育が悪いとは言えない。 自由と人権、民主主義を尊重する戦後の教育は、広く国民に支持されてきた。 戦前の「天皇陛下のために」命を捧げよといった教育が、良いはずはない。しかし、現実の教育現場では、教師が自信を持って子供達を指導しているのかどうか、疑わしくなることが多い。

 イジメの問題一つを取ってみても、教師は真正面から子供達に対峙しているだろうか。 勿論、真剣に取り組んでいる先生も多いだろうが、中には「見て見ぬふりをする」先生も多いらしい。 これでは困ったことだが、昔に比べて肉体的にも知識の面でも成長が早まっている現代の子供達に、教師は対応できにくくなっているのではないか。

 教師だけでなく、家庭における親の立場も、昔に比べると弱々しい。 戦後教育を受けた両親が今、家庭の中で子供達を養育している。子供達の人権や自主性を重んじるのはいいが、ともすると放縦で無責任な、自分勝手な人間に育てている風潮がある。

 しかし、大多数の教師や親は、真面目に親身になって、子供達を教育し養育していると思うし、そう信じたい。 問題があるとすれば、それはあまりにも複雑になった現代社会における、子供達のあり方にあると思う。

 これほど激しい情報化社会の中で、子供達は本当の自主性を持っていないと、どこへ流されていくか見当もつかない。 あらゆる情報や誘惑が氾濫している。現代社会で、これらを規制することは容易なことではない。しかも、情報化はますます激しさを加えている。

 若い頃は誰でも過ちを犯す。私自身も何度も過ちを繰り返してきたが、未熟な者が過ちを犯すのは、ある意味で当然である。 こう言うと、子供達を甘やかすのかと非難されそうだが、最大のポイントは子供達の自主性にあると思う。 ある時期、親や教師や友人が何を言っても、子供が聞く耳を持たないというのは避けられないことだ。

 問題は子供達の“意識”なのである。意識が高いか低いかでいろいろ違ってくる。 意識改革は早ければ早いほど良い。それには、子供達に本当の自主性を早く持ってもらうことである。 そのために、私は成人年齢を、今の20歳から18歳に引き下げるべきだと思う。まず第一に、社会環境から変えていかなければならない。

 18歳になったら選挙権を与え、酒もタバコもよいとし、犯罪を行えばマスコミにも実名が出るという風にすればいい。 要は早く“自主性を意識”してもらうことだ。(自立心の強い永世中立国・スイスを始め、アメリカ、ドイツ等では18歳で選挙権、投票権が与えられている。) 酒やタバコを早めてどこが良いのか、と言う人が当然いるだろうが、現実は中学時代から、面白がって酒やタバコを嗜む子供も多い。 一方、20歳を過ぎても酒やタバコをやらない人も多い。要は個人差なのである。

 余談になって申し訳ないが、私の社会経験から言うと、酒やタバコ、諸々の遊びなどは、歳を取ってから始めた人の方が、概して深みにはまっている。 それらを早く体験した人の方が、免疫がつくのか、バカバカしいと思って早く止めているのが多い。 男性と女性とは違うかもしれないが、男の場合は概してそんなものである。  話がそれてしまったが、肝心なことは、早く自主性を意識して欲しいということである。

 江戸時代以前、武家社会の子供達は、11歳から遅くとも16歳の間に、元服をする。元服とは、成人になることである。庶民の間でも16世紀の頃から、前髪を剃って元服をしたという。 肉体的にも知識の面でも、現代の子供よりずっと劣っていたであろう昔の子供達が、早々と成人になっていたのである。それこそ、古人の知恵というものだ。

 私はなにも昔に習えと言っているのではない。時代があまりに違うのだから、比較のしようがない。 ただ、はっきり言えることは、昔の子供達の方が、今よりずっと早く成人の意識を持ったということである。それは意識改革なのである。

 成人式に関する世論調査によると、20歳になっても、自分は大人になったと感じていない若者が過半数を優に超えるという。要は意識が低いのである。 時代が異なるとはいえ、昔の子供の方が、ずっと意識が高かったであろう。 肉体的にも知識の面でも、現代の子供より劣っていたはずなのに、昔の子供達は意識、すなわち精神の面では現代よりずっと成長していたはずだ。

 私はなにも、昔のように14〜5歳で成人しろと言っているのではない。それではあまりに可哀想だ。 せめて18歳で成人して欲しいと言っているのだ。 選挙権がどうだとか、酒やタバコがどうだとかいうのでなく、早く意識改革をして自主性を持って欲しいと願っているのだ。 20歳になっても、大人と感じていない若者が多いというのは、要するに「大人になりたくない」という甘えではないのだろうか。 パラサイト・シングルが増えるわけだ。

 冒頭で少年犯罪の凶悪化のことを取り上げたが、自分の年齢が刑事罰の対象にならないことを認識したうえで、凶行に及ぶ少年が増えているという。 大人の社会もなめられたものだ。 何度も言うが、今の子供達は肉体的に成長が早く、悪知恵も含めた知識は豊富だが、精神の面ではかなり幼稚で、甘えを持っているのが多いと言わざるをえない。 その点だけから言えば、江戸時代以前の、幼くして元服した(元服させられた)子供達に、少しは見習え!と叫びたくなる。

 親や教師や、我々社会人も反省すべき点は数多くあると思うが、社会環境の急進展にはついて行けない面も多い。 我々も大いに努力するとしても、あとは子供達に早く本当の自主性を持ってもらいたい。 そのためには、意識改革を早めるために、成人年齢を18歳に引き下げ、社会的な諸条件を整備する必要があると思う。 その上で、今後は教育改革も考えていこうではないか。(2002年1月28日)

(追記・・・この問題については、「続・18歳以上を“成人”にせよ!」を参考にして頂きたい。)

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