明治17年秩父革命

〈はじめに〉

 この作品は「レーゼドラマ」である。従ってフィクションではあるが、もとより史実に基づくことに留意した。 私が最も参考にした著作は、「秩父事件」(井上幸治著・中公新書)と「秩父困民党」(井出孫六著・講談社現代新書)である。他の参考文献・ビデオ等は以下の通りである。

「秩父事件〈佐久戦争〉を行く」(上條宏之編・銀河書房)、「秩父コミューン伝説」(松本健一著・河出書房新社)、「秩父困民紀行」(浅尾忠男著・新日本出版社)、「女たちの秩父事件」(著者多数・新人物往来社)、「『明治』という国家」(司馬遼太郎著・日本放送出版協会)、小説「花埋(うず)み」(渡辺淳一著・角川文庫)、「参謀本部と陸軍大学校」(黒野耐著・講談社現代新書)、「図説 日本の歴史14 近代国家の展開」(編集責任者・小西四郎、集英社)、NHK大河ドラマ「獅子の時代」(NHKソフトウェア発行)、「山県有朋」(岡義武著・岩波新書)、「山県有朋と富国強兵のリーダー」(戸川猪佐武著・講談社)、「伊藤博文と維新の元勲たち」(戸川猪佐武著・講談社)、「ルソー」(桑原武夫編・岩波新書)、「福沢諭吉と中江兆民」(松永昌三著・中公新書)、「錦絵 幕末明治の歴史9 鹿鳴館時代」(小西四郎著・講談社)、「日本史辞典」(角川書店)の『明治初期主要官職補任表』など。 

 更に、明治10年代を知る上での貴重な著作、インターネット上の資料なども参考にしたが、詳細は割愛する。文章の表現については極力“現代式”とすることに努めた。 なお、登場人物は『実在』と『架空』を含めて非常に多数に上るが、ご了解願いたい。(2006年1月21日)

主な登場人物

 日下藤吉(秩父の青年、このドラマの主人公) 日下ミツ(藤吉の母) 日下ハル(藤吉の妹)

 松本カヨ(藤吉の恋人、女医を目指す) 山中ハツ(松本カヨの友人、女教師を目指す)

 山中常太郎(ハツの父、高利貸し業者) 山中ヨネ(ハツの母) 山中彦太郎(ハツの兄、自警団員)

【秩父困民党の主要メンバー】

 田代栄助(総理) 加藤織平(副総理) 菊池貫平(参謀長、後の総理) 井上伝蔵(会計長) 新井周三郎(甲大隊長) 大野苗吉(甲副大隊長) 飯塚盛蔵(乙大隊長) 落合寅市(乙副大隊長) 高岸善吉(党の創立メンバー) 坂本宗作(党の創立メンバー) 井出為吉(軍用金集め方) 小柏常次郎(群馬出身のメンバー) 柴岡熊吉(大宮郷小隊長) 萩原勘次郎(三沢村小隊長)

 更に、新井駒吉、新井繁太郎、大野長四郎、木島善一郎、村竹茂一、新井蒔蔵、犬木寿作、島崎嘉四郎、新井悌次郎、大野又吉、伊奈野文次郎、新井寅吉、恩田卯一、横田周作、小林酉蔵、新井貞吉、大野喜十郎ら。 その他、農民多数。

【埼玉県庁・県警関係】

 吉田清英(埼玉県令) 伊藤栄(秩父郡郡長) 鎌田沖太(秩父大宮郷警察署長) 江夏喜蔵(埼玉県警警部長) 笹田黙介(県庁の書記官) 丸山署長(寄居警察署) 他に警察官多数

【秩父の地元民】

 川本平三、岩上慎次、村岡耕造、林善作、安藤貞一(以上5名は自警団のメンバー) 吉川宮次郎(高利貸し業者) 安藤久作(横瀬村の豪商) 他に地元民や猟師多数

【政府・陸軍関係】

 山県有朋(内務卿 兼参謀本部長) 大迫貞清(警視総監) 乃木希典(陸軍大佐・東京鎮台参謀長)

 春田少佐(東京憲兵隊) 隈元少尉(東京憲兵隊) 平田大尉(東京鎮台) 広瀬中尉(東京鎮台) 吉野大尉(高崎鎮台) 前川中尉(高崎鎮台) 他に陸軍兵士多数 

【長野県関係】

 菊池恒之助(困民党の同調者) 菊池藤助(困民党の同調者) 井上署長(岩村田警察署) 桑名四角之助警部補(岩村田署) 柿沼戸長(南佐久郡・海ノ口村)

第1幕

第1場 明治17年の7月下旬、埼玉県・秩父の小鹿坂(おがさか)峠。日下藤吉(くさかとうきち)と松本カヨが連れ立って歩いてくる。二人は立ち止まって話し出す。]

カヨ 「それで、藤吉さんは東京で勉強しようという気持は、もうなくなったのですか?」

藤吉 「いや、そんなことはない。勉強したい気持は十分にある。 しかし、家が借金で破産寸前になっていることや、秩父の酷(ひど)い現状を見ていると、それどころではないのだ」

カヨ 「残念ですね。二人で東京へ出て、励まし合いながら一緒に勉強しようと話し合っていたのに。でも、私は決めましたの、これから東京へ行くことにしています。 実は先日、父と大ゲンカをしたのです」

藤吉 「えっ、お父さんとケンカしたの?」

カヨ 「ええ。 父は横瀬村の安藤家にどうしても嫁げと言うのですが、私は絶対に東京へ出て勉強がしたいと抵抗したものですから大ゲンカになったのです。顔も合わせたことのない人の所へ、どうしてお嫁に行けますか。ねえ、そうでしょう?」

藤吉 「それはそうだが・・・しかし、お父さんとケンカしたら、この後とても大変なことになるじゃないか」

カヨ 「ええ、なかば勘当になりました。でも、それで良いのです。それで決心がつきました。だって家にいたら、近いうちに無理矢理お嫁に行かされてしまうでしょ。 それより、生意気かもしれませんが、私は一所懸命に勉強して世の中の何かお役に立てれば良いと思っているのです。 御一新(注・明治維新のこと)のお陰で、女もそういう考えを持っておかしくない時代になったのでしょう?」

藤吉 「それはそうだ、その考えは全く正しい。それに、カヨさんは頭が良いし、何事にも熱心に取り組むから、きっと世の中の役に立つ人になるに違いないと思う。また、僕はそういう前向きなカヨさんが好きなんだ」

カヨ(顔を赤らめて)「まあ、そんなに誉めないで下さい、恥ずかしくなります。まだ、思い立っただけですから」

藤吉 「それで、親から独立して何か“手づる”でもあるのですか?」

カヨ 「ええ。実は親戚の松本荻江(おぎえ)さんが東京女子師範学校の教師をしていて、以前からぜひ上京してきなさいと言ってくれているのです。 藤吉さんもご存知だと思いますが、荻江さんのお父さんの萬年先生は昔、この秩父で私塾を開いていましたが、今は東京師範学校の教授をされているんですよ。

 萬年先生が一時、妻沼(めぬま)村に移って私塾を開いていた時に、子供の私はよく遊びにいったのですが、先生や荻江さんからとても可愛がられ、いろいろ教えてもらいました。その頃の縁もあって、今でも目を掛けてもらえるようです」

藤吉 「それは結構だ。カヨさんが可愛がられるのは、利口で勉強好きだからですよ。 それで、カヨさんは女子師範学校へ進むつもりなの?」

カヨ 「いえ、最初はそのつもりで、荻江さんのように教師になりたいと思っていたのですが、実はいま女医になりたいと考えているのです」

藤吉 「女医? 女医って、女の医者のこと?」

カヨ 「ええ、そうです」

藤吉 「えっ、女性でも医者になれるのかしら」

カヨ 「ええ、なれそうです。最近の荻江さんからの便りによると、彼女の友人や後輩の何人かが西洋医学を学んで、医師の国家試験を受ける準備をしているというのです。 私、それを聞いて、何か世の中のお役に立つとすれば、自分の進む道は女医ではないかと考えるようになりました。だって、女性は診察を受ける場合、男の先生よりも女医の方が、何かと気楽に安心して受けられることが多いと思いますよ」

藤吉 「それはそうだ。しかし、女性も医者になれるなんて、本当に新しい時代がやって来たというわけだね」

カヨ 「ええ、そう思います。私も少しでも多く、病気に苦しんでいる人達を助けて上げたいと思っているのです。 幸い東京には私立の医学校があるそうで、荻江さんの話しによると、彼女の知り合いで妻沼村出身の荻野吟子さんという優秀な方が、家庭教師をしながら苦学して医師への道を目指しているということです。そういう人を見習いなさいと、荻江さんに言われました」

藤吉 「そうか、それは素晴らしい。カヨさんも頑張って、ぜひ立派な女医さんになってほしいな。 それに比べると、僕なんか勉強したくても出来ない状況なんだ」

カヨ 「ごめんなさい、私のことばかり話してしまって。 藤吉さんは、代言人(注・弁護士のこと)になりたいと言っていたのに諦めたのですか? あなたならきっと立派な代言人になれるはずです。どうか諦めないで下さい」

藤吉 「うむ、諦めるつもりはないが、先ほども言ったように、“マユ”や生糸が暴落して家は破産寸前、高利貸しからの借金でオヤジは首が回らない状況で、死にたいと洩らしているほどだ。 カヨさんも知ってのとおり、秩父にはそういう家が沢山ある。借金と税の負担で、この地域は今や“どん底”の状態なんだ。それを何とかしなければならない」

カヨ 「私もよく知っています、本当に胸が痛みます。 先日も、父の友人の島田さんが高利貸しの取立てで店が破産し、一家で夜逃げしてしまいました。あそこのイネさんは、私の小さい頃からの友人で、今どこで何をしているのかとても心配です。こんなに酷い状況になってしまって、何か良い手立てはあるのでしょうか?」

藤吉 「良い手立てが見当たらないのだ。 実は去年末から、困っている農民を代表して、何人かが高利貸しに借金返済の据え置きや、10年ぐらいの年賦払いにしてほしいなどと申し込んでいる。しかし、あの連中はまったく耳を貸そうとしないのだ。本当に強欲な連中だ。

 そこで、郡の役所や警察署にも行って、高利貸しを何とか説得してほしいと願い出ているのだが、色好い返事はもらえていない。 役所などが言うには、個人間の金の貸借には一切口を挟むことができないというのだ。これではまったく話しにならない。 役人は結果的に高利貸しの味方になって、われわれ農民を見捨てているのだ。高利貸しの連中から“ワイロ”をもらっているのではという、悪い噂も出ているくらいなんだ」

カヨ 「それでは、明るい見通しはほとんどないのですか? こんな状態が続けば、自殺する人や夜逃げする人がますます増えるだけです。何とかならないのでしょうか」

藤吉 「うむ、何とかしなければならない。しかし・・・何もないのだ。だから、僕は自由党に入ろうと思っている」

カヨ 「えっ、自由党員になるのですか?」

藤吉 「そうだ、それしかない。秩父自由党に入って、政治運動に邁進するしかない。それ以外に、地獄のような現状を打破する方法は他にないと思っている」

カヨ 「自由民権運動によって、社会の改革を目指そうということですか?」

藤吉 「そうだ。 カヨさん、僕は半年ほど前から、フランスの自由民権思想に打ち込んでいる。中江篤介(兆民)先生らの本を読んでいるのだ。 そうこうするうちに、秩父にも自由党が最近誕生した。党員は何人いるか知らないが、同じ志を持った人達と協力して、住み良い豊かな日本を築いていかなければならない。そうしなければ、日本もこの埼玉県も秩父郡も疲弊して潰れていくだけだろう」

カヨ 「藤吉さんのお気持はよく分かります。 でも、最近の自由党による幾つかの暴動事件で、政府の取締りが非常に厳しくなっていますね。十分に気を付けていただかないと・・・」

藤吉 「それはよく承知しています、十分に気を付けましょう。 しかし、“われわれ”の運動は、あくまでも高利貸しとの話し合いや役所への請願といった合法的なものですよ。その点は心配しないで下さい」

カヨ 「ええ、分かりました。でも、ちょっと心配になったので、ごめんなさい」

藤吉 「カヨさんは女医の道を進んでいく、僕は暫くは政治運動に携わりますが、代言人への道を諦めたわけではありません。代言人になって、困っている人達を助けたいというのが願いだったのですから。 やがて機会が来れば、僕も東京へ出て勉強するつもりです。それまで、あなたも元気に頑張って下さい」

カヨ 「ありがとうございます。藤吉さんが一日も早く東京に出てこられるのを待っています」

藤吉 「ありがとう。僕らはきっと東京で会うことになるでしょう」

カヨ 「ええ、約束ですよ。(遠くを眺めながら)あの美しい武甲山とも暫くお別れです・・・でも、念願がかなって女医になれたら、必ずこの秩父に戻ってきます。だって、ここは私の故郷ですし、私はこの秩父が大好きなんですよ。 その時には、父も私を許してくれると思います。

 きょうは、この峠でお別れすることになりますが、藤吉さんのお話しが聞けてとても嬉しかったです。どうか、お身体を大切に。この次は東京でお会いできることを心待ちにしています」

藤吉 「ええ、必ずそうしましょう」(藤吉、カヨの両手を握りしめる。カヨ、顔を赤らめて俯く。) 

第2場 [8月上旬、石間(いさま)村にある加藤織平の家。 加藤の他に、高岸善吉、落合寅市、坂本宗作。]

落合 「おととい大宮郷でまた、破産した養蚕農家の橋本という者が首を吊って死んだということだ。これで自殺者は何人になるのだろう」

坂本 「10人を超えただろうか・・・そんなことは知らないが、このままではどうしようもない。 加藤さん、この前開いた“山林集会”を、もう一度大々的に早く開く必要があるのではないですか」

加藤 「うむ、早く開こう、今度は和田山でやるのが良いかな。 それにしても、秩父自由党への加入者は確実に増えているだろうね。それが聞きたかったんだ」

高岸 「大丈夫です、私の所ではこの一週間に3人が入りました」

坂本 「私の所でも最近、2人入りましたよ。そら、加藤さんも知っている日下という旦那の息子で、藤吉君というのがきのう入党しました。 彼は代言人になりたかったようですが、今はそれどころではない、自由党に入って直ぐに政治活動を始めたいと言ってましたよ」

加藤 「そうか、日下さんの息子がね。その子は幾つになるの?」

坂本 「20歳になると言ってましたが、やる気満々という感じです」

加藤 「うむ、それは頼もしいな」

落合 「わしは連絡係で忙しかったが、それでも2人入れた。役所の取締りがうるさいから、入党を絶対に口外するなと言っておきましたけどね」

加藤 「うむ、そのとおり。自由党の組織を拡大するためには、妨害されないように隠密に進める必要がある。秘密党員を増やしていくことだ」

高岸 「それにしても、高利貸しの暴利をむさぼる手口は酷いな。6年前に利息制限法ができ、日歩違約金を禁じて年利2割の制限を設けたが、これがまったくの“ザル法”になっている。 土地を担保にして金を借りる場合、高利貸しに証書を渡すが、5円借りると1ヵ月に25銭の利子が付く。 ここが問題だ。これだと3ヵ月で75銭、1割5分の利率となる。そうなると、1年で6割もの利息を払わなければならない。こんな馬鹿げたことがあるか! 年利2割の制限をはるかに超えているではないか」

坂本 「それよりもっと“あくどい”のが、初めから証書金額の2割、3割を差し引いて貸すやり方だ。こちらが10円を借りる場合、7円か8円しか渡されず、10円分の利息をがっちりと取られる。 それに返済期限を3ヵ月と決められた場合、もし返せなかったらどうなるか。借用証書を作り直して、その間の利息分が元金に加えられる。

 それを二度、三度繰り返すと、元金が“雪だるま式”に増えて利息も大きくなる。とても返し切れないで1年近く経ってしまうと、額面10円の借金が何と26円以上にもなってしまうんだ。こんなアホなことがあるか! 実際は7円か8円しか借りていないというのに」

落合 「まったく酷い。これじゃ、借金した人間はほとんど破産してしまう。誰だって高利貸しをぶっ殺してやりたいと思うわけだ」

高岸 「極悪非道も極まれりだ。これを法廷に訴え出ても、民事裁判は証拠を元にする裁判だから、借用証書が証拠となって農民が勝ったためしがない。 早く借金を返せと言われるばかりで、そのうちに抵当物件である土地を差し押さえられて破産ということになる。裁判官だって高利貸しから借金したり、ワイロを受け取っているというぞ。 もう、この世も終りだな」(4人の間で暫く沈黙が続く)

加藤 「本当に酷い世の中になったものだ。君達の怒りや憎しみはよく分かる。これじゃ、徳川幕府の時代よりも悪くなってしまった。何のための“御一新”だったのか。 あれもこれも元はと言えば、あの松方正義が大蔵卿になって以来、猛烈な緊縮財政を推し進めてきたからだ。高利貸しも悪いが、政府も悪い。 金詰まりになって生糸や絹が暴落し、地価も何もかも下落してしまった。だから、政治を正さなければならない。われわれは自由党に拠って立って闘いを進めていくしかない。 何年も後に国会が開設されるのを待っていては遅い。民衆の声を汲み上げて、いま直ちに国会を開くよう求めていこうではないか。 群馬県やその他の地域の同志達も、同じ要求を掲げて闘っているところだ」

坂本 「それは当然です。一番悪いのは政府だ、特にあの松方の野郎・・・薩摩の“イモ侍”め! 言いたかないが、あいつは子供を20人以上も作っているんですぜ。新聞の話しによると、天皇が『お前は子だくさんだそうだが、何人子供がいるのか』と聞いたら、あの野郎は『調査して、後日ご報告致します』と答えたそうだ。(他の3人が笑う) 自分の子供の人数も分からんような奴が、大蔵卿になって重要な経済政策を担当しているのだから、もうこの国も終りだ!」

落合 「まあまあ、宗作さん、話しが少しずれたようだ。“薩長”の藩閥政治を批判するのは良いが、われわれがまずやらなければならないことは、この秩父での政治闘争だ。 次の山林集会をどうするか、役所や警察、高利貸しへの運動、同志達の糾合をどうするかを詰めていこう」

加藤 「そのとおり。私が松方財政の悪口を言ったものだから、坂本君もついそれに乗ってしまったようだね。(笑) まずは次の山林集会を大々的に開こうではないか。人数が多く集まれば、それだけ役所や高利貸しへの圧力が強まる。それを元にして運動を高め、負債の延期や地租の軽減、地方税の廃止なども要求していこう。

 われわれの運動は、地域の単なる“百姓一揆”のようになってはいけない。困っている人は他にも大勢いるのだ。隣の群馬県や長野県の農民にも呼びかけていこう。 運動の輪が広がれば、それだけ闘争は力強くなり本物となるのだ。そうなれば、郡の役所だけでなく中央政府もわれわれを無視できなくなるだろう。もとより、自由党本部だって何らかの応援をしてくれると思う」

高岸 「加藤さん、それが井上伝蔵さんの話しによると、今年に入って群馬事件や加波山(かばさん)事件などの武装蜂起があったので自由党本部は困ってしまい、農民の蜂起を抑えようとしているということです。だから、党本部には多くを期待できないでしょう」

加藤 「井上さんがそう言っているのか・・・彼は大井憲太郎先生とも親しいから、多分そうなのだろう。 しかし、党本部がどうであろうとも、われわれの闘争を弱めるわけにはいかない。われわれが怯(ひる)めば、秩父の農民の生活はますます悪くなるばかりだ。 どんなことがあっても、闘いを強化していかなければならない。そうでなければ、高利貸しや役所の言いなりになるだけではないか」

落合 「そのとおりです。さらに多くの農民に呼びかけていこう」

坂本 「党本部が何と言おうとも、次の山林集会を成功させましょう」

高岸 「もとより、これは秩父の農民の闘いだ。民衆の力がどんなに凄いか、高利貸しや役所に思い知らせてやりましょう」 

第3場[8月中旬、上吉田村にある高利貸し・山中常太郎の家。 常太郎と妻のヨネ。]

ヨネ 「あなた、借金をした農民がきょうも何人かやって来て、ご主人に会わせてくれとか、返済を延期してほしいなどと言ってきましたよ」

常太郎 「まったく困ったものだ。 返済は延期できないと、この前はっきりと言っておいたのに。ほんとに図々しい奴らだな。借用証書にも返済期限がちゃんと書いてあるじゃないか」

ヨネ 「1年とか2年の年賦払いにはできないのですか?」

常太郎 「それは無理だ、そんなことをしている仲間はいない。もしそんなことをしたら、同業の連中に迷惑をかけることになる。 借りたものをきちんと返すのが、当り前じゃないか。それに、仮りに年賦払いに変えたところで、あいつらはまた返済を延ばしてくれと泣きついてくるに決まっている。だらしない奴らだからな」

ヨネ 「あなたの言うことは分かりますが、でも、ますます怨みを買うばかりですよ」

常太郎 「それは仕方がない。こっちだって、遊びや物好きで金貸しをやっているわけではない。きちんとした商売なんだ。 こっちだって生活がかかっているんだ」

ヨネ 「それは分かりますが、周りの人達はあなたのことを“強欲ジジイ”などと陰口をたたいているんですよ」

常太郎 「勝手に言わせておけ!」

ヨネ 「何と言われようとも私は覚悟しています。でも、あなたの身に、もしものことがあったら大変ですからね。 先日も大宮郷で、金貸しの人が斬られて大ケガをしたばかりです」

常太郎 「ああ、何件も起きているよ、殺されたのもいるんだ。 だから、わしだって外出する時はいつも刀を身につけているんだ。刃傷沙汰に屈してたまるか」

ヨネ 「物騒な世の中になってきましたね。 この前も、わが家の塀に『強欲ジジイは死ね!』という張り紙がしてあったのですよ」

常太郎 「放っておけ、警察にはちゃんと届けてある」(そこに、娘のハツが部屋に入ってきて座る。)

ハツ 「お父さま、お母さま、お話ししたいことがあります」

常太郎 「なんだ、急に改まって」

ハツ 「はい、実は私、決心致しました」

常太郎 「ということは、小鹿野(おがの)の横井さんの所へ嫁入りに行くということだな」

ハツ 「いえ、それは無いことにして下さい」

常太郎 「なんだと、馬鹿な」

ハツ 「いろいろ考えましたが、私は嫁には行かず、東京へ出て勉強をしたいと思っています」

常太郎 「馬鹿! 何を言ってるんだ」

ヨネ 「ハツ、それは本当なの?」

ハツ 「ええ、本当です。 お父さま、お母さまにはご心配をかけるかもしれませんが、それがハツの本心ですので、どうぞお許し願いたいと存じます」

常太郎 「駄目だ、駄目だ! 何ということを言うのだ、お前は」

ヨネ 「一体、どうしてそんな考えを持つようになったのです?」

ハツ 「はい、実は友人の松本カヨさんが先だって東京へ立ちまして、いま“女医”になるため医学校に通って勉強しています。 カヨさんからの便りによりますと、いま多くの女子が希望を持って、いろいろな学校で勉強に励んでいるということです。 御一新となって文明開化が進む中、これからは日本の女子も大いに勉強して、世の中の役に立つよう努力すべきだと彼女は言っています。 私、カヨさんの便りをいただいて胸が熱くなりました。私、このままで終りたくないのです。 ですから、どうか私を東京へ・・・」

常太郎(ハツの言葉をさえぎって)「駄目だ、駄目と言ったら駄目だ! 女が勉強して何になる! 馬鹿な考えはよせっ!」

ヨネ 「女医って、医者のこと? お前は女医さんになりたいの?」

ハツ 「いえ、私はカヨさんと違って、学校の教師になりたいのです。そのために、勉強して東京女子師範学校を受験したいと思っています」

常太郎 「なんだと、女は教師にも医者にもなる必要はない! お前は幾つになったというのだ、もう18歳ではないか。 早く嫁に行って子供を産むのが当り前じゃないか。一体、何を考えているんだ。東京へ行くなんぞ、もってのほかだ。まかりならん!」

ハツ 「女が勉強して悪いのですか?」

常太郎 「なんだ、その言い方は。それが親に対する言葉か、この親不孝ものめ! もう話しにならん、俺は寝るぞ!」(常太郎、憤然として部屋から出ていく)

ヨネ 「私も、お前に早く嫁に行ってほしいと思うのだけどね。 あのカヨさんは、お前の親友だし良い人よ。でもカヨさんに影響され過ぎたのでしょ?」

ハツ 「ええ、確かにそれもあるかもしれません。でも、私は前々から勉強が好きだったし、お嫁に行く以外にも何か道はないかと考えていました。 それが、カヨさんの便りではっきりと決心がついたのです。ですから、どうか東京へ行かせて下さい」

ヨネ 「どうしても東京行きが駄目だとなったら、どうするの?」

ハツ(きっぱりと)「私は家を出て行きます」

ヨネ 「そんな・・・困ったものだね。 わが家は外からは負債農民に責められるし、内からは娘に反抗されるし、この先、一体どうなるのだろう」 

第4場[8月下旬、小鹿野町(おがのまち)裏の和田山の山林に、100人ほどの農民が集まっている。 その中心に加藤織平、高岸善吉、落合寅市、坂本宗作、日下藤吉らがいる。]

加藤 「先ほどから言っているように、高利貸しへの陳情はそれぞれが個別に進めてほしい。 私ら4人は皆さんを代表して、これまでどおり郡の役所や警察へ請願に行く」

農民1 「高利貸しにいくら話しを持って行っても、ラチが明かない場合はどうするのですか?」

加藤 「連中に圧力をかけ続けることが大切なのだ。 いずれ、高利貸しの代表にわれわれが直(じか)談判する時がくる。それまでは、至る所で個別に高利貸しに圧力をかけていくのだ」

農民2 「正直言って、もうやってられませんよ! どんなに言っても、あいつらは折れてこない。うちも破産寸前なんですよ。ぶっ殺してやりたいくらいだ!」

高岸 「いやいや、暴力は駄目だ。 いくら相手が憎いからといっても、いま暴力をふるえば警察に逮捕されるだけだ。“当分”は話し合いで、連中を説得していくことが大事なのだ」

農民3 「そんなことを言っても、少しも良くなりそうもないですよ。わしはもう夜逃げしたいくらいだ。 このままじゃ、どうしようもないというのは皆が分かっていることでしょ」

農民4 「うちは、娘を売り飛ばそうかと思っている。だって、やってられないんだ! 来月には破産して、田畑を全部持っていかれるんだぜ。もし娘を売るようになったら、俺はあの吉川(注・高利貸し)の“強欲ジジイ”の家に火を放って叩き壊してやる!」

落合 「まあ、待て。諸君の怒りや憎しみは痛いほど分かる。 俺だって、どれほど腸(はらわた)が煮えくり返っていることか。爆発する時はいつでも爆発する。 しかし、今はまだそういう時ではない。われわれの運動を盛り上げていって同志を集め、いずれは群馬県や長野県、神奈川県、はては関東一円の農民達にも呼びかけて“世直し”を実行していくのだ。 皆が苦しんでいる。だから、皆が必ず世直しに立ち上がる時が来るのだ」

農民5 「じゃあ、自由党は何をしているのですか。あなた方も自由党員でしょ? 何もしてくれてないじゃないですか。国会の開設が決まっているから、もう役目は終ったというように何もしようとはしない。 自由党は苦しんでいる農民のことを忘れたのですか!?」

坂本 「そんなことはない。いや、ないはずだ。 しかし、もし自由党本部がわれわれを見捨てるならば、その時こそは、われわれがそれを乗り越える新しい組織、闘う党をつくっていくだけだ。そういう覚悟を持って闘っていこう!」

藤吉 「皆さん、私は若輩ものですが、いま坂本さんが言われたように、自由党がもし何もしようとしないのなら、私達が新たに闘う党をつくって立ち上がるだけです。自由民権運動の旗頭になるのです。 その担い手は皆さんであり、その運動は広く国民の中に浸透していくでしょう。そういう新しい時代が来ているのです。 自由民権運動は、あのフランス大革命の精神であった自由、平等、博愛の理念をわが国にも実現しようというものです。そういう理想を持って、私達は闘っていかなければならない。 フランス大革命を準備した思想家、ジャン・ジャック・ルソーは・・・」

農民6 (藤吉の演説をさえぎって)「おい、ちょっと待ってくれ、若いの。 俺達はいま、高利貸しや役所、警察などへの闘いをどうするか議論しているんで、そんな勿体ぶった話しをしているんじゃない。あすにも破産するというのが何百人もいるんだ! それをどうするかというので集まったんだ」

藤吉 (ムッとしながら)「私の家だって破産寸前なんです!」

加藤 「分かった分かった。(藤吉を制しながら笑う) 諸君、日下君は若いので勘弁してやってくれ。彼もやる気満々なのだ。きっとわれわれの良き同志として、諸君と共に闘ってくれるだろう。 そこで、今後の闘争方針だが、こういう山林集会を次々に開いていこうと思う。次はどこが良いのか・・・」(その時、周囲で警戒に当っていた警察官10人ほどが登場)

警官1 「おい、いつまで集会を続けるのか。 政治的集会は警察に届け出が必要なんだぞ。これは無届けの集会である!」

加藤 「いや、これは政治的な集会ではない。農民達が自主的に集まっただけだ」

警官2 「何を言うか! さっきから聞いていれば、自由党がどうの、フランス革命がどうのと政治的な話しをしていたではないか。無届けだから、明らかに『集会条例』に違反する。直ちに解散しなさい!」

加藤 「それは、話しのついでに出てきた“些末”なことだ。われわれは、合法的な請願行動や陳情をどうするか話し合っていたのだ。どこも悪い所はない!」

警官3 「いや、明らかに政治的集会だ。 われわれは君達の発言を全て記録している。これを上司に報告すれば、政治的集会と判断されるに決まっている。集会条例第6条によって、直ちに解散しなさい」

加藤 「ふん、何かというと集会条例だな。分かったよ、きょうはこれで“閉会”としよう」

落合 「これは政治的集会でも何でもない。ただ生活をどうするか、借金対策をどうするか話し合っていただけだ。これからも、どんどん開いていくぞ」

警官4 「早く解散しなさい!」

坂本 「ふん、俺達の暮しがどんなに苦しいか、分かっているだろう。それなのに、警察は全く知らんふりをしている。警察は民衆のためにあるのではないのか! まあ、きょうはこれで“お開き”としよう。あばよ! さあ、みんな、帰ろうとするか」(集会の参加者、全員が退場)

第5場[9月初旬、石間村にある加藤織平の家。 加藤の他に、高岸善吉、落合寅市、坂本宗作。そこへ、井上伝蔵が部屋に入ってくる。]

井上 「やあ、お待たせしました」(井上が4人の前に座る)

加藤 「井上さん、お久しぶりです。きょうは、これまでのわれわれの運動の報告と今後の取り組みについて、じっくりとお話ししたい」

井上 「結構ですね、風雲急を告げてきましたな」

高岸 「そのとおりです。先日、和田山で集会を開いたところ、予想以上に多くの農民が集まり盛り上がりました。 警察が来て解散させられましたが、何とかしなければという熱気で“ムンムン”してましたよ」

井上 「それは良い、いよいよ秩父全体が立ち上がる時が来ましたね」

加藤 「そこで相談なのですが、これまでの自由党という“枠内”での運動では、収まりきらないほどエネルギーが高まっているのです。 正直言って、党本部は何ら適切な方針をわれわれに示してこない。大井先生もただ、あなたに蜂起は止めるようにと言ってきただけと聞いていますが」

井上 「そうなんですよ、大井先生はそれしか言ってこない。暴挙は慎めということでしょう」

落合 「それがおかしい。井上さん、秩父の農民はもう限界に来ているんですよ。 党本部がはっきりとした指針を示さなければ、われわれはどうすれば良いのですか。まさか、運動を収束せよということではないでしょうね」

井上 「そういうことではないでしょう。しかし、党本部はいま、改進党攻撃に躍起となっていたり、全国10万円の資金カンパに全力をあげようと言っているだけです。 地方の運動には、何の方針も与えようとはしていません」

坂本 「それでは話しになりませんな。そんな党には、もう頼ることはできない」

井上 「私もそう思います。 聞くところによりますと、政府の弾圧が厳しいので、ひとまず党を解散して出直したらどうかという意見も出ているのです」

高岸 「そんな・・・そんな無責任なことがあるか! われわれを“見殺し”にする気なのか」

落合 「冗談ではない! われわれが一所懸命やってきたというのに、解党するだって? そんな自由党だったら、もう当てにはならない!」(5人が暫く沈黙する)

加藤 「いまの話しを聞いていると、自由党はもはや頼りにならないということだね。あとは、われわれ自身の力で何とかしなければならんということだ」

井上 「そういうことでしょう。私も党本部へ話しを上げるのが嫌になりました」

坂本 「それならば、われわれで闘う党をつくろう。秩父困民党と言ったようなものを」

高岸 「そうだ、それしかない。秩父困民党をつくろう!」

落合 「俺も賛成だ、新しい党をつくろう。運動を収束して、農民達を裏切るようなことは絶対にできない!」

加藤 「私も賛成だ、新しい党をつくって闘いを進めていこう」

井上 「私も同じ意見です。 ただし、そうする場合、新党をまとめる“党首”が必要となります。加藤さん、それはあなたが引き受けてくれますね?」

加藤 「いや、私では相応しくない。私は陰にいる方が、何かと働きやすくて良いのだ。 もう少し年長で、人望のある人を党首に据えるべきだと思う。私は党首という“柄”ではない、きっぱりとお断りします」

坂本 「それならば、誰か他に良い人はいるのだろうか?」

井上 「加藤さんがお断りになったのなら、年長で人望のある人と言えば一人しかいません」

高岸 「それは誰ですか?」

井上 「大宮郷の熊木にいる田代栄助さんです。もう50歳を超えていますが」

加藤 「ああ、あの人なら知っている。田代さんなら党首に持って来いの人だ。 実は私もいろいろ考えていて、こういう事態になるなら、田代さんのような人が一番良いと思っていた」

高岸 「田代さんって、どういう人です?」

井上 「“侠客”ですよ、親分肌の人で子分が何百人もいる。強きをくじき弱きを助ける典型のような人です。 仕事は一応、養蚕業ですが以前、自由党に入ろうとしたこともあります」

落合 「俺も知っている。田代さんは他に“もぐり”で代言人の仕事もしているから、大勢の人が世話になっているんだ」

坂本 「それなら人望もあるし、党首に最適任ではないですか」

加藤 「そうだ、最適任だ。田代さんを党首にいただこう」

落合 「大賛成だ。早速、田代さんにその旨お願いに行かなければならない。どうします?」

井上 「私が“言い出しっぺ”だから行きますが、できるだけ多くの人で説得した方が良いでしょう」

加藤 「そうしよう。まず、井上さんに行ってもらって話しをし、その後、われわれ全員で田代さんを説得しよう。 秩父の現状がどうなっているかは、田代さんも良くご存知のはずだ。窮民を一緒に助けようと言えば、義理と人情に厚いあの人ならきっと受けてくれるに違いない」

高岸 「賛成です、私も田代さんにお願いしましょう」

坂本 「私もだ」

落合 「困民党が人望のある新しい党首を迎えれば、ますます団結を固めて闘うことができるだろう」

第6場[9月初旬、上吉田村にある日下庄右衛門の家。 座敷に庄右衛門の遺体が横たわっており、妻のミツ、娘のハルが傍らで嘆き悲しんでいる。そこへ、息子の藤吉が慌ただしく駆け込んでくる。]

藤吉 「父さんがほんとに亡くなったのか!」

ハル 「兄さん、遅いじゃないの。これを見て・・・」(ハルが泣き伏す)

藤吉 「何ということだ。(遺体の側に駆け寄って)父さん! 父さんたらっ! 何で死んだんだ!」(暫く沈黙)

ミツ 「けさ、座敷の鴨居に首を吊っているのが見つかったんだよ。ほんとに可哀想に・・・」(ミツがむせび泣く)

藤吉 「畜生・・・山中のせいだ。あいつのせいで、父ちゃんは亡くなったんだ! くそっ、あの強欲ジジイめ」

ミツ 「きのう、山中の息子が督促に来てね、これが最後だと言って帰っていったんだよ。父さんは平然とした顔をしていたけど、観念したんだね」

藤吉 「畜生、山中の野郎・・・いまに見ていろ! 必ず復讐してやるからな」

ハル 「うちは破産してしまうの?」

藤吉 「そんなことはさせるもんか! うちが破産するくらいなら、強欲ジジイをぶっ殺してやる!」

ミツ 「藤吉、気持は分かるけど、血迷ったことはしないでね」

ハル 「兄さん、乱暴なことは止めて。まず葬儀のことを考えなくては」

藤吉 「うむ・・・しかし、いまに見ていろ。俺は必ずやる、必ず怨みを晴らしてやる」

第7場[9月上旬、阿熊にある新井駒吉の家。 新井の他に、井上伝蔵、高岸善吉、坂本宗作、小柏常次郎(群馬県の自由党員)がいる。そこへ、新井繁太郎に伴われて田代栄助が入ってくる。]

繁太郎 「皆さん、お待ちどうさま。田代さんにお越しいただきました」

駒吉 「遠いところをどうも。さあさ、こちらにお座り下さい」(駒吉の勧めで、田代が部屋の中央に座る)

井上 「何かとお疲れでしょう、本当によく来られました」

田代 「いや、年は取っても、足はまだまだ丈夫ですよ」(笑)

井上 「ご苦労さまです。 ところで、きょう皆さんに集まっていただいたのは外(ほか)でもない、われわれの運動の中心に、ぜひ田代さんをお迎えしたいと思ってのことです。このことは、私らの首領である加藤織平さんも賛同しているものですが、きょうは、群馬県から小柏常次郎さんにも参加していただきました。 皆さんの忌憚(きたん)のないご意見を聞かせて下さい」

高岸 「それでは、私からまず言わせてもらいますが、井上さんがいま述べたように、われわれの運動の中心、つまり新しい党の“党首”に、田代さんにぜひ就任していただきたいということです」

田代 「ちょっと待って下さい。私は皆さんの運動には全面的に協力しますが、党首になれというのは、余りに責任が重くて自信がない。 それは、加藤さんとか他の方にやっていただかないと」

坂本 「いや、田代さん、これはわれわれ全員の一致した要望なのです。加藤さんは自ら、田代さんの補佐役に回りたいとはっきりと言っています。その辺を、ぜひお分かり願えればと思いますが」

田代 「そういう風に考えていただくのは光栄だが、年は取っているし、なにせ私は政治のことはよく分からない。 私は単なる“一侠客”ですよ。侠客が党首になるのはどうかと思うが・・・」

高岸 「いや、加藤さんだって侠客ですよ。問題はそういうことではないのです。ご承知のように、われわれの運動は秩父の農民をあげての闘いであり、さらに民衆の広い支持を受けなければ成功しません。 民衆の支持に立った闘いであれば、それに相応しい人望のある方が“トップ”になってもらわねばならない。それには、いつも弱い者の味方になって活動されてきた田代さんを除いて、他に適切な人は見当たらないのです」

小柏 「いま、秩父の農民あげての闘いと言いましたが、この運動は秩父や埼玉県だけのものではないのですよ。わが群馬県も、埼玉同様に借金に苦しむ貧しい農民が大勢いて、返済の延期や税の軽減を求めて立ち上がろうとしています。 秩父の人達が決起すれば、山づたいに群馬の農民も必ず立ち上がるでしょう。 また、確かな筋から聞いたところによると、長野県や山梨県でも農民達が決起する動きを見せています。これは自由民権運動の偉大な闘いなのです。 田代さん、貧しい人達を助けてやって下さい。みんな、高利貸しや役所に苦しめられているのですよ」

田代 「それはよく分かるが・・・」

坂本 「どうかお願いします。おとといも、私の村の日下庄右衛門という者が首をくくって死にました。このまま放っておくと、犠牲者はますます増えるばかりです。 何とかしなければならない。私達もいろいろやってきましたが、もう限界に来ているのです。新しい党の党首を決めて、その下で皆が団結して闘っていくだけです。そうしなければ秩父も埼玉も、いや群馬も他の全ての地域の農村も潰れてしまいます。 どうか、われわれの“統領”になって下さい」

田代 「うむ・・・」(暫く沈黙が続く)

井上 「田代さん、皆の気持、熱意が伝わりましたか。私からも切にお願いします。 あなたは弱い人達、苦しんでいる人達を見捨てるような方ではありません。そのお心に甘えるわけではありませんが、これは皆の総意なのです。党首を引き受けていただければ、われわれは全力を挙げて、あなたを支えていく覚悟です。どうか、党首を引き受けて下さい」

駒吉 「私からも、よろしくお願い致します」

繁太郎 「田代先生、どうかお引き受け下さい」

田代 (暫くして)「それほどまでに言われるなら、やむを得ませんな。一応、お引き受けしましょう。しかし、私には身に過ぎる役だが・・・」

坂本 「ああ、良かった。ありがとうございます」

高岸 「私どもは全力で支えていきます」

田代 「ただし、私が心配なのは、展望もなく“暴発”してしまうことだ。 この闘いは秩父だけでは成功しない。群馬や長野、山梨など広い地域で農民が呼応して立ち上がらなければ、線香花火のような一揆で終ってしまう。その点は、十分に注意してもらわないと」

小柏 「よく分かりました。われわれ群馬県の人間も皆さんと協力して早速、長野県や山梨県にも働きかけていきましょう。自由と解放を求める人達は大勢いるのですから」

井上 「私達も、他の地域の同志達に働きかけてみます」

第8場[9月上旬のある晩、上吉田村にある山中常太郎の家の前。“覆面”をした日下藤吉が小刀を持って待ち伏せしているところへ、山中常太郎が帰ってくる。]

藤吉 「山中! 親の仇だ、覚悟っ!」(藤吉が小刀で常太郎の肩に斬りつけると、常太郎はよろめく)

常太郎 「誰だ! お前は」

藤吉 「黙れ! このウジ虫め!」(藤吉がさらに斬りつけると、常太郎も脇差の刀を抜いて応戦。二人は暫くもみ合う)

常太郎 「名を名乗れ! 卑怯もの・・・」(肩から血が流れ、常太郎は家の玄関口へと逃げる)

藤吉 「待てっ! 逃げるか、このクソ親爺!」(藤吉が常太郎の背中に斬りつける。常太郎が倒れる)

常太郎 「ウッ・・・誰か、誰かいるか、暴漢だ!」(その時、玄関から常太郎の長男・彦太郎が刀を持って飛び出してくる)

彦太郎 「この野郎! よくもやりやがったな、これを受けてみろっ!」(彦太郎が刀を振って突進、藤吉としばし斬り結ぶ)

藤吉 「しくじったか、畜生」(藤吉、素早く退散する)

彦太郎 「父さん、大丈夫ですか?」(常太郎を助け起こす)

常太郎 「だ、だいじょうぶだ、早く傷の手当てを・・・」

第9場[9月中旬、大宮郷の警察署。 署長の鎌田冲太警部(薩摩藩出身)に、秩父郡長・伊藤栄と高利貸し・吉川宮次郎が訴え出ている。]

伊藤 「署長、何とかならないですか。 このところ又、農民達の山林集会が激しくなる一方、金貸し業者が何人も襲われたりして、非常に不穏な情勢になっている。大変だとは思いますが、治安の悪化を何とか防いでほしいですね」

鎌田 「ご要望の件はよく分かります。われわれも最善を尽くしており、山林集会は厳しく取り締まっていますが、あちこちでやられると堪りません。何せ秩父は広いので、警察官の数が十分ではないのです。全域で40数人しかいませんからね」

伊藤 「私も各町村の戸長(こちょう)に対して、万全を期すよう指示していますが、外部から過激な連中や自由党員らが入ってきて煽っているようですな。困ったものです」

鎌田 「自由党の中央は、幾つもの過激な行動が失敗したうえに、こちらが取締りを強化したので手を引いていますが、問題は自由党から“あぶれた”連中ですな。この連中は何を考えているのか分からない。 密偵を放って、いろいろ調べているんですがね」

伊藤 「ということは、自由党の本部の方は手を出していないということですか?」

鎌田 「そうです。むしろ過激な行動は慎むようにと、指示していると聞いています。暴発されるのが怖いので、困っているんですよ。だから党本部はいま、党員の目先を朝鮮の“民主化闘争”へ向けさせようとしているぐらいです。 日本も朝鮮や清国からは痛い目に遭ってきたので、党員のエネルギーを外国へ向けさせようということでしょう。これは、こちらにとっても有り難いですがね」

伊藤 「そうですか、自由党は国内の過激な闘争を止めるわけですね?」

鎌田 「そうでしょう。 国会開設の目標は達成したし、活動資金は苦しくなるし、余計な騒動に巻き込まれて弾圧されては本も子もないし、近いうちに、ひとまず解散しようということでしょう」

伊藤 「ほう、それは好都合ですな」

鎌田 「だから、党から“あぶれた”連中が絶望的になって、何をするかがかえって心配なのです」

伊藤 「なるほど」

吉川 「署長、そのとおり心配です。 われわれ金貸し業者も身に危険が迫っているので、協力して対応を考えているのですが、どうも上手くいっていません。先日も、上吉田で山中さんが襲われ大ケガをしましたが、犯人はまだ逮捕されていないのですね」

鎌田 「うむ、彼の所では破産した農民が沢山いるからね。しかし、下手人は『親の仇だ』と言ったというから、相当に絞り込めるでしょう。いま捜査しているので、もう少し待って下さい」

伊藤 「そういう個別の話しはともかく、何かもっと具体的な良策はないのですか?」

鎌田 「これは私からのお願いですが、警察の能力に限界がある以上、各町村で“自警団”のようなものを早急につくってほしいのです。そうすれば地域の安全にも役立つし、われわれも自警団と直接連絡を取り合うことができるのです。 どうですか?」

伊藤 「うむ、それは名案だ。隣組のようなものはあるが、町全体、村全体の自警団はまだない。早速、検討しましょう」

吉川 「署長のお考えは素晴らしいですね。 伊藤郡長、ぜひ前向きに検討していただいて、各戸長に指示してもらえれば幸いです。私の息子達も自警団に入れますよ」

伊藤 「うむ、私ももちろん賛成だ。急いで実現したい」

鎌田 「ありがとう。とにかく、皆が協力して治安を取り戻さなくてはいけない」

第10場[9月中旬、石間村にある加藤織平の家。 加藤の他に、落合寅市、高岸善吉、坂本宗作、日下藤吉。)

坂本 「藤吉君、やはり君が山中のクソ爺を斬ったのだな」

藤吉 「そうです、父の仇ですから」

落合 「ふうむ、向うは犯人は君だという目星を付けただろう」

藤吉 「ええ、山中も息子の彦太郎も私の声を聞いていますので」

高岸 「警察の探索が始まるとまずい。君はとりあえず身を隠した方が良い。小柏さんにお願いして、群馬なりどこかへ逃げたらどうか」

藤吉 「ええ、身を隠したいと思います。ただ、家が破産しましたので、母や妹のことがどうなるか、それが心配です」

加藤 「大丈夫だ、私が差し当たり面倒を見よう。心配しなくても良いよ」

藤吉 「ありがとうございます」

落合 「なあに、まったく問題はない。“織平親分”に任せておけば、何の心配も要らんよ」

藤吉 「助かります、感謝します」

加藤 「藤吉君は宗作さんについて、ひとまず群馬へ行けば良い。あそこの同志達のお手伝いをしながら、時機が来るのを待つのだな。群馬に潜んでいれば、捕まるわけがない。 それよりも今後の対応だが、近いうちに警察に大規模な請願行動を取る。今のところは“合法的”な手段でやるが、こちらの要求はまず蹴られるだろう。その後にさらに、高利貸しへ個別に当たっていく。

 そうしながら山林集会を次々に開いて、困民党の組織を拡大していくのだ。幸い、田代さんも党首を引き受けてくれた。私は副党首を受け持つので、田代さんと話しを詰めていくが、皆さんも同席してほしい。 今のところは合法的にやっていくが、いずれ“にっちもさっちも”行かなくなるだろう。その時こそ、われわれは覚悟を決めなければならない」

高岸 「そうです、合法的なやり方で時を稼ぎながら、困民党の組織を強大なものにして行きましょう。長野県の方はどうしましょうか?」

加藤 「それは、田代さんと相談してからだ。あの人の考えを聞きたい」

坂本 「田代さんは党首を引き受けてくれたが、いつも全体的な情勢を見ている所があるから、いざ決起という時に応じてくれるかどうか心配だ」

落合 「それは今から云々する問題ではない。井上さんだって慎重な所がある。 機が熟してくれば、あの二人だって決断するだろう。問題はやはり、群馬県と長野県の動静だ」

高岸 「小柏さんは積極的だが、長野県の方がどうもねえ・・・」

加藤 「よし、早速一両日中にも、田代さんと話し合おう。その間に、宗作さんは藤吉君を連れて群馬へ行ってもらえれば良いのだが」

坂本 「分かりました、そうしましょう」

藤吉 「承知しました、いろいろお世話になります。僕は群馬でも長野でも潜伏します」

第11場[9月下旬、大宮郷警察署の署長室。 鎌田署長らのいる所に、高岸善吉、落合寅市の他、数人の農民代表が入ってくる。]

高岸 「署長、きょうは最後のお願いに来ました」

鎌田 「さあ、どうぞ」(蒲田が席を勧めると、高岸、落合ら全員が着席する)

高岸 「すでに再三お願いに来ましたが、きょうは秩父28カ村の代表としてわれわれが参上したものです。 各村の総代の委任状をここに持って来ました。従って、これが最終的な請願となりますので、お取り計らいのほどよろしくお願い致します」

鎌田 「うむ、これが最後とあらば、腹を割ってお話ししよう」

高岸 「まず、総代連名の請願書を持って来ましたので、署長にお渡しします。(請願書を鎌田に手渡す) そこに書いてあるように、何度もお願いしていることですが、第一点は農民が高利貸しや金貸し会社から借金しているものについて、返済は4年間据え置くこと、また返済方式は、月賦ではなく10年の年賦払いに変えてもらうよう、署長の方から貸し主に説得していただきたいということです」

鎌田 「その点はすでにお答えしているように、個人間の金銭の貸し借りについて、公の警察が介入すべきものではないと考える。 裁判所の判断においても、同様の見解が示されているのだから、警察が金貸し業者を説得することは不適当だと考える」

高岸 「これまでどおりのお答えですな」

鎌田 「それに、この請願書には各村の戸長の奥書きがない。また、総代連名の委任状というのは不都合である。一名ずつの委任状を持って来なければ、受理できない。従って、この請願書はお返しする」(鎌田、請願書を高岸に返す)

高岸 「また随分、“杓子定規”な取り扱いですね。警察がわれわれの請願をもう受け付けないというなら、この先、どうしろと言うのですか?」

鎌田 「これから先は、個別に金貸し業者とだけ交渉してもらいたい。警察は、この問題については一切介入しない」

落合 「それが最終回答ですか。 こんなに農民達が苦しんでいるというのに、警察は何もしてくれないのですか」

鎌田 「やむを得ん、警察は“民事”には介入できない」

落合 「それならば、今後は高利貸し達と徹底的にやりますよ」

鎌田 「やるのは良いが、穏やかにやってほしい」

落合 「穏やかにだって? そう言われたって知りませんよ」

鎌田 「何を言ってるんだ! もう何人もの金貸し業者が斬られたりしているんだ! 警察は徹底的に取り締まるぞ!」

落合 「それは、高利貸しの連中が何も話しを聞いてくれないからですよ。われわれの知ったことではない」

鎌田 「何を言うかっ! 裏で煽動しているのはお前達だろう!」 

高岸 「まあまあ(鎌田と落合をなだめるようにして)、署長の言われるように、できるだけ穏やかにやって行きましょう。 しかし、農民の倒産件数がどんどん増えて、首を吊ったり夜逃げをする者が数多く出ています。農民達は非常に苦しんでいます。せめて、そのくらいは理解していただかないと」

鎌田 「その点は、よく分かっている」

落合 (小声で)「ふん、何も分かっていないくせに」

鎌田 「何か言ったか?」

落合 「いや、何でもないですよ」

鎌田 「それと、この際だから言っておくが、山林集会は政治的なものだから止めてほしい。もし続けるようなら、どんなことになるかぐらいは覚悟してほしい」

落合 「それは脅しですか」

鎌田 「脅し? 何を言うかっ! 集会条例に照らして言ってるんだ」

高岸 「これ以上は、お話ししても仕方がありません。これが最後のお願いになりましたが、われわれは引き上げます」

鎌田 「ああ、ご苦労さん」(高岸、落合ら全員が署長室から出て行く)

落合 (小声で)「こんど来る時は、この警察署をぶっ壊してやるぞ」

第12場[10月上旬、上吉田村にある山中常太郎の家。 息子の彦太郎が10人ほどの農民と談判している。彦太郎の傍らにヨネも同席。]

彦太郎 「きょうは父が大ケガをしているので、私が代りに話しをお聞きしましょう」

農民1 「若旦那、わしが借りていた30円については返済の期日となりましたが、ご承知のように、マユの値段も生糸の値段も暴落してしまって、とてもじゃないがお返しできません。 利息分を元金に加えてもらって、返済を暫く延期してもらいたいのですが」

農民2 「私が借りた20円も、そうしてもらいたいのです」

農民3 「私の分も、是非そうしてほしいのですが」

彦太郎 「それは困る。証書もあることだし、きちんと払ってもらわなければ、こちらだってやっていけない」

農民4 「しかし、払えないものは払えない。証書を書き直して、返済を暫く据え置きにしてもらえませんか?」

彦太郎 「こちらだって仕事でやってるんですよ、困ったな。 それじゃ、せめて利息分ぐらいは先に払ってほしい」

農民5 「いや、私どもはその日の食事代にも事欠いているんですよ。メシも食えない状況だというのに、利息分も何もあったものではない」

彦太郎 「それでは、裁判所に訴えるしかないですな」

農民6 「私どもに破産せよ、死ねということですか!」

彦太郎 「そうは言ってないが、こちらとしては訴えるしかないでしょう。他に何か良い手立てがあるというのですか?」

農民1 「ありますよ。この際、借金の返済を4年間据え置きにして、10年の年賦払いにしてもらえれば良いのです」

彦太郎 「とんでもない! 何を戯(たわ)けたことを言うんですか、冗談じゃない! 私を若造だと思って“なめる”のは止めてもらいたい」

農民2 「その点は先日、われわれの代表が警察へ請願に行った際、個別に金貸し業者と掛け合えと言われたのですよ。だから、こうしてお願いしているのです」

彦太郎 「とても応じるわけにはいきません。他の同業者も同じ対応をするに決まってます」

農民3 「ふん、それじゃ話しにならない。だから、あんたの父さんは誰かに斬られるんだ」

彦太郎 「なんだと、それが貸し主に対する態度か! 許さんぞ!」

ヨネ 「彦太郎、大きな声を出さないで(彦太郎を制する)。 皆さん、きょうはいくら話し合っても“ラチ”が明かないと思います。改めて話し合うということで、きょうはお開きにしてもらえませんか」

農民4 「仕方がないですな、そうしましょう」

農民5 「よく考えて下さいよ。このままいくと、私どもは皆倒産して飢え死にするだけです。何とかしてもらわないと、とんでもないことになりますよ」

農民6 「われわれが限界に来ていることは分かったはずだ。よし、きょうはこれで終りにして帰ろう」(農民達が部屋から出ていくと、入れ替りにハツが入ってくる)

ハツ 「兄さん、いま隣で聞いていましたが、何とかならないのですか?」

彦太郎 「お前が口を挟むことではない」

ハツ 「でも、あれでは全く話しになりません。借金の返済を、せめて1年か2年ぐらい延期することはできないのですか?」

彦太郎 「何を言うか、延期したってその時になったら、あの連中はまた据え置きにしてくれと言うに決まっている。そんなことが分からないのか」

ハツ 「でも、こんな状態が続けば、お父さんが襲われたように、また何が起きるか知れません。心配です」

彦太郎 「お父さんを斬った犯人は、だいたい目星が付いている。警察も調べているから、必ず捕まえてやるぞ。 あれは日下の息子がやったに違いない」

ハツ 「えっ、息子さんが?」

彦太郎 「そうだ、驚いたか。 そんなことより、お前は嫁にも行かず何をしてるんだ。東京へ行って勉強するだって? 少しは親孝行のことぐらい考えてみろ」

ハツ 「お父さんのケガが治ったら、東京へ行きます。女だって勉強をして、自立できる時代になったのです」

彦太郎 「馬鹿っ! そんなことを考えているから“行き遅れる”んだ!」

ハツ 「でも、兄さん・・・」

ヨネ (ハツの言葉をさえぎって)「二人とも止めなさいよ。きょうのことを父さんに報告して、あとはケガの手当てをするだけです」

第13場[10月中旬、下吉田村にある井上伝蔵の家。 伝蔵の他に、加藤織平、高岸善吉、落合寅市、小柏常次郎、大野苗吉がいる所へ、坂本宗作に伴われて田代栄助が入ってくる。]

田代 「やあ、お待たせしました」(田代が部屋の中央に座る)

加藤 「田代さん、いよいよ重大な局面を迎えました。きょうは皆さんの意見を聞いてもらって、最終的な方針を決めてもらわなければならないのです」

田代 「ほう、そうですか」

高岸 「まず、私から現状を説明しましょう。 警察などへの請願行動ができなくなった後、われわれは高利貸しへの個別交渉を続けてきましたが、今のところ全く進展していません。もはや、打開の糸口さえつかむことができない状況です。このため破産に追い込まれる農民が続出し、ご承知のように、首をくくったり夜逃げをする者が増えるなど、秩父地方はまことに悲惨な事態に陥っています。明るい展望などは全く望むべくもありません」

落合 「農民達の中には、とんでもない悲劇が起きています。先日もある貧しい農家で、主人が食事をしようとしたら、“カミサン”が『あんたは山林集会に出ていれば良いだろうが、3人の子供の食事をどうしてくれるんだ』と言って、主人に激しく詰め寄り大ゲンカになりました。 その挙げ句、主人は逆上して刀を振り回し、2人の子供を斬り殺したというのです。それもこれも、貧困に喘ぐ農家の悲劇と言っていいでしょう」

坂本 「村によっては、半分もの家が破産に追い込まれた所があります。このままではもう終りです。座して死を待つか、それとも決起するかのどちらかです。 皆さんも、この窮状をよくご存知でしょう」

大野 「私のいる風布(ふうっぷ)村は80戸ほどの貧しい山村で、養蚕や製糸、木炭などで生活していますが、住民の多くが金崎の永保社から借金をして今や破産状態です。 このままでは、風布だけでも暴発するでしょう。どうせ暴発するなら、皆さんと一緒にドカンとやりましょう!」

加藤 「うむ、もはや決断の時だ。 田代さん、どう思いますか?」(田代は無言で答えない)

小柏 「そうだ、決起するしかない。この上は、一命を抛(なげう)ってでも戦うしかない。 皆さんはどう思いますか?」

落合 「そのとおり、戦うだけだ!」

高岸 「もはや、決起するしかないでしょう」

坂本 「私も賛成だ、戦わなければ道が開けない」

井上 「皆さんの気持は分かるが、武器や軍資金などは整っているのか?」

落合 「その時が来るのを覚悟して、猟銃も爆裂弾も刀も竹槍も、沢山用意している」

井上 「群馬県の方はどうですか?」

小柏 「武器は大量にありますよ。問題はただ一つ、どれだけの農民が立ち上がるかだけです」

高岸 「それはもう、怒りが充満して“はち切れ”そうだ。われわれが戦いの先頭に立てば、予測できないほどの民衆が加わってくるだろう」

坂本 「そのためにも、日頃から一所懸命に組織作りをしてるじゃないですか」

加藤 「田代さん、いよいよ決断の時ですね」

田代 「うむ、皆さんの話しを聞いていると、決起するしかないな・・・」

落合 「決まった! 田代さんがそう言うなら、もう決まりだ」

大野 「有り難い、早速、風布の仲間にもそう伝えましょう」

高岸 「戦いの初めは高利貸しの家を焼き討ちし、証書類を全て燃やしてしまうことだ。その後に世直し、世均(なら)しを求めて、つまり公平な社会を実現するために秩父の役所や警察署に押しかけ、それらを占拠しよう!」

小柏 「戦いはそこから始まりさらに広げていく。群馬県の農民も参加するから、栃木や茨城、神奈川など関東一円の蜂起を呼びかけていこう」

坂本 「われわれの“困民軍”は、最終的に浦和へ進撃しなければならない。あそこの県庁を占領し、監獄を攻撃して捕われている同志達を解放するのだ」

井上 「そういう戦略目標は良いが、まずは軍資金の問題だ。それと、長野県の同志達にどう伝えるかだ」

田代 「決起を決めたからには、軍資金の調達は私が中心となって取り組もう。良い考えがあるから、あとで皆さんと相談したい。 長野県には私の部下をやるが、誰か他の人も同行してほしい」

加藤 「ええ、長野県は重要だから早速誰かを出しましょう。あとは決起の時期をいつにするかですね、田代さん」

田代 「うむ、それは情勢を十分に見極めた上で判断しよう。群馬や長野だけでなく、関東のできるだけ多くの地域で蜂起が実現すればそれに越したことはない。 決起するまでにはまだ時間がいる、焦らないことだ。当面は、官憲に気付かれないように、武器や軍資金の準備、組織作りを精力的にやっていこう」

第14場[10月中旬、横瀬村の豪商・安藤久作の家。(注・史実では、富田源之助宅となっている) 覆面をした田代栄助、坂本宗作、柴岡熊吉他4人が手に刃物を持って押し入り、寝入っている久作と妻のソノを叩き起こす。]

柴岡 「おい、起きろ!」(柴岡が久作を蹴りつけると、久作とソノが起き上がる)

久作 「な、何やつだ!」

坂本 「静かにしろ、騒ぐと殺すぞ」

久作 「どうしろと言うんだ」

柴岡 「おとなしく金を出せ」

久作 「か、金はあまりない」

坂本 「ウソつけ! お前が沢山持っているのは分かってるんだ。命が惜しくば、有り金全部を出せ」

久作 「そ、そんな・・・」

田代 「森田、お前が“あくどい”手口で儲けていることは分かってる。つべこべ言わずに早く出せ。さもないと身のためにならんぞ、それっ」(田代が促すと、坂本、柴岡らが刃物を久作の首筋に突き付ける)

久作 「ま、待て・・・いま、いま出すから」(脅された久作は立ち上がると、奥の押入れを開けて有り金を取り出す仕種。 坂本、柴岡らが押入れの中まで確認する) 《第153項目へ続く》

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