韓国、中国に完敗! 「トリノ五輪」の日本勢

1) イタリア・トリノで開かれていた冬期オリンピックが閉幕した(2月26日)。日本勢は女子フィギュアスケートの荒川静香選手が金メダルを獲得しただけで、他にメダリストは一人もいなかった。 先ずこういうことを言うのは、大会前からテレビなどマスコミで、メダルが幾つ取れるか盛んに語られていたからだ。

 いつのオリンピックでもそういう話しになるが、今回は日本から112人の大選手団がトリノに行ったので、メダルへの期待が相当大きかったようだ。 結果は残念ながら、荒川選手の金メダル1個に終ってしまった。(JOC・日本オリンピック委員会も「メダル5個」が目標と言っていたはずだ。)

 ところが、隣の韓国と中国はそれぞれ11個のメダルを取り、日本をはるかに上回った。特に韓国は、たった40人の選手しか派遣していないのに「金」を6つも取ってしまった。 メダルの数字で見る限り、日本は韓国中国に完敗したのである。(1位のドイツは金11を含む29個のメダルを取ったから、比較するのもはばかられる。)

 オリンピックは“参加する”ことに意義があるとよく言われるので、112人もエントリーしたのは良かったかもしれないが、何か寂しい感じがする。 オリンピックも“競技”なのだから、成績が気になって当然だろう。大会が始まってなかなかメダルが取れないことに、イライラしながらテレビを見ていた人も多かったに違いない。

 韓国や中国が、ウィンタースポーツで日本より環境がずっと整っていれば別だが、必ずしもそうではないようだ。日本の方が、環境や施設の面で優れている点も多いのではないか。 ある有名な知事が「(日本選手は)根性がないんだ、たるんでいるんだ」と言ったことも、あながち間違ってはいないように思う。もっとも、精神論はあまり好きではないが。

 あまりにメダルが取れないので、うちの妻は「4位、5位でもメダルをあげたらどうなのよお〜」と馬鹿げたことを言っていたが、それでは鉄か鉛かブリキのメダルになってしまうではないか。 まあ、しかし、日本は「老大国」になってしまったのだから、同じ「老大国」のイギリスが銀メダル1個に終ったことを思えば、善しとしなければならないか。 それにしても、ちょっと侘びしかった。

2) 思えば、一昨年のアテネ・オリンピックの成績が素晴らしかったので、その反動で寂しくなったのかもしれない。 アテネ五輪では金メダル16を含む37個のメダルを獲得した。水泳の北島選手(2個)、柴田選手を始めマラソンの野口選手、ハンマー投げの室伏選手の他、柔道(8個)や女子レスリング(2個)、体操の男子団体総合で金メダルが相次いだ。銀や銅のメダルは、ほとんど連日のように取っていたではないか。(「アテネ・オリンピック讃歌」を参照)

 それに比べると、今回のトリノ五輪はエントリー種目が増えたわりには、さっぱりという感じだった。 大会の後半になると「もしや、メダル“ゼロ”ではないか」という危機感さえ出てきた。

 だから、14日目の女子フィギュアスケートで荒川静香選手が金メダルを取った時、日本中が喜びと感動、安堵感に包まれたのだ。正に“値千金”の金メダルだった。 荒川選手が表彰台に上って国歌が流れた時、「君が代」には“理論的”に反対である私でさえ、つい口ずさんでしまったほどだ。(理性と感性の『食い違い』について、ここで論じるつもりはない。)

 荒川選手の演技はとにかく美しかった。飛んだり跳ねたりするだけでなく、イナバウアーなどを見せられると、我々“素人”は美しいと感じる(採点の技術点には関係ないというのだが)。 彼女が左足を高く上げ、両腕を開いてゆったりと滑るシーンは特に美しい。それを見ていると、何年も前にあった映画「タイタニック」で、主演の某女優が船首(へさき)で両腕を開いて微笑むシーンを連想する。 実に美しかった。あれが“女子フィギュア”ではないのか。

 トリノ五輪の成績は悪かったが、日本人選手が頑張ったことは間違いない。 特に感動したのは、距離の女子リレー(4×5キロ)で、第一走者の福田修子(のぶこ)選手が“トップ”で飛び込んできた時だ。体力的にも技術的にも劣ると思っていた日本人選手が、外国の強豪を“次々に抜き去って”トップでゴールインした時は、信じられないような驚きだった(リレーの結果は12位)。他の選手も頑張ったに違いない。

 最後に一言・・・その昔、プロ野球で流行った「神さま・仏さま・稲尾さま」の言葉を借りれば、今回のトリノ五輪は「神さま・仏さま・荒川さま」だったとしておこう。 (2006年3月1日)

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