1) 先日、中古リサイクル書店「BOOK OFF」にエリザベス(リズ)・テーラー関連のDVDビデオがあったので、2本買ってきて見た。 その内の1本はエリザベスに捧げるミュージシャンの音楽会で、マイケル・ジャクソンが彼女に付き添っていたが、絶世の美人だったリズは70歳を超えた単なる“老女”と化していた。 もう1本は1950年の映画「花嫁の父」で、スペンサー・トレーシーの娘役として初々しい花嫁を演じていた。
ところが、いずれのビデオも最後の方になると映像が動かなくなる粗悪品だったので、私は憤然として「BOOK OFF」に返品してきた。 いくら500円のDVDとはいえ、これはひど過ぎるではないかと文句を付けてきたが、それを契機に、エリザベスの出演作を中心に昔懐かしい洋画のDVDを見るようになった。
大きな書店にはDVDコーナーがあって、ゲイリー・クーパーやイングリッド・バーグマン、ジョン・ウェインやオードリー・ヘプバーンなどの映画が沢山置いてある。いずれも1本500円だから安いものだ。 お蔭でこのところ、往年の名画鑑賞に私はすっかりハマってしまった感じだ。
2) エリザベス・テーラーに“衝撃”を受けたのは、50年以上も昔の小学生時代だった。初めてリズの映画を見たのは小学5年の時だったと思うが、当時、静岡市に住んでいた私はある日、珍しく父に連れられて洋画館へ行った。 上映されていたのは「可愛い配当」という映画で、これは後で分かったのだが「花嫁の父」の続編というものだった。
“可愛い配当”とは孫のことで、嫁いだ娘(エリザベスの役)が赤ちゃんを産んだので、祖父役のスペンサー・トレーシーが大喜びして可愛がるのだが、乳母車に乗せて散歩している間にある失敗をおかして孫を見失い、大騒ぎになるというドタバタ喜劇であった。
一緒に見ていた父は、私の姉のところに生まれた孫を思い出してか大笑いして映画を見ていたが、小学生の私はその時、エリザベス・テーラーの美しさに茫然自失としていた。 こんなに美しい人が世の中に存在するのかという思いだった。その美しさは表現の仕様もないほどだった。あえて言わせてもらえば、溢(こぼ)れんばかりの美しさだった。
彼女は当時19歳だったが、その頃が青春の最も美しい輝きを発していたのだろう。 私は父からエリザベス・テーラーの名前を初めて教わったのだが、その後、リズの映画を事あるごとに見るようになった。アメリカにはこんなに美しい人がいるのかと思うと、アメリカ自体がますます偉大で素晴らしい国であるかのように感じた。
当時は、第二次世界大戦でアメリカに完敗し連合国の占領下に置かれていた日本が、ようやく独立を回復したばかりの時期だけに、とにかくアメリカが強大に見えたのである。 従って、エリザベス・テーラーだけでなく、ジョン・ウェインやゲイリー・クーパーらハリウッドの大スターは皆輝いて見えた。
その後も、グレゴリー・ペックやバート・ランカスター、カーク・ダグラスといった俳優の他に、女優ではマリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーン、グレース・ケリーらが銀幕に続々と登場し多くの日本人を魅了したのである。 フランスやイタリアの映画も人気を博したが、ハリウッドに代表されるアメリカ映画が圧倒的な影響を日本に与えたことは間違いない。
3) エリザベスの映画は「陽のあたる場所」「ジャイアンツ」「熱いトタン屋根の猫」などと続いていくが、彼女が31歳の時に出演した「クレオパトラ」は特に印象深い。すでに大スターになっていたが、クレオパトラの役柄は当時はリズ以外の女優では荷が重かったと思う。
丁度その頃、私は某テレビ局への就職が内定し職場で研修を受けていたが、ある日、「クレオパトラ」で彼女が着けていた衣装や首飾りがスタジオに展示されたため、同僚と共に見に行ってそれに触れたことを思い出す。その時、憧れの大女優に接したかのような“錯覚”を味わったのである。
しかし、その頃から(あるいは、それより少し前から)、エリザベスは太り気味になっていた。銀幕を通して見る彼女は明らかに豊満な体つきになり、20歳前後の時の清純で楚々としたイメージは失われていったのである。どこか妖艶な雰囲気を漂わせるようになっていた。 同じ妖艶でも、その頃亡くなったマリリン・モンローとは趣が違うが、要するに“熟女”といった感じなのである。
果たせるかな、妖艶なエリザベスは次々に結婚と離婚を繰り返していく。すでに親友の夫と“略奪結婚”をしていたが、「クレオパトラ」で共演したリチャード・バートンとも不倫の恋の末に結婚、そして離婚、またバートンと再婚して離婚、そして結婚、離婚、結婚、離婚・・・都合、8回の結婚、離婚を繰り返した。こういう人は滅多にいないだろう。
このため彼女は“スキャンダル”に彩られた人生を送ったことになる。リズを悪く言う人は大勢いる。やれ傲慢だ、名声に驕り高ぶっている、男を食い物にしている、鼻持ちならない等々・・・ しかし、絶世の美女というのは昔からそういうものだろう。美人だからいつも注目され、男から言い寄られる。さんざん誉められ、さんざん貶(けな)されるのだ。
どうやら、私はエリザベス・テーラーを弁護しているようだが、ギリシャの伝説に出てくる稀代の美女(傾国の美女)・ヘレネもそう描かれている。 ゲーテの「ファウスト」に登場する彼女は「さんざん誉められたり、貶されたりしたヘレネです」と挨拶するのだ。“現代のヘレネ”も多分そうなのだろう。
それはそれとして、絶世の美女は老いたら人前にはあまり出ない方が良い。どんな美人も単なる“老女”になってしまう。 日本にも原節子という素晴らしい美人女優がいた。彼女は御存命だと聞いているが、決して人前には現われてこない。
それに習えとは言わないが、若い頃「形容しがたいほどの美人」だったエリザベス・テーラーは、人生の最終コーナーで自重自愛した方が良いだろう。“現代のヘレネ”は昔懐かしいDVDの中に燦然と輝いているのだ。(2006年6月1日)